第六話 人生で最も長い一日⑥
「さすがに、ずいぶん変わったな……」
合流した俺を見て、蓮華が開口一番そう言った。
常人の速度にして約百歳分の老化。
パーフェクトリンクの副作用で老化がずいぶんゆっくりになっているらしい俺であっても、さすがに一目でわかるほどの変化がでているようだった。
「ちょっと、パパさんに似てきたかも」
蓮華が、マジマジと俺の顔を覗き込みながら言う。
彼女の眼を通して見る俺は、二十代後半から三十路手前ほどのオッサンになっていた。
身長も数センチほど伸び、身体も厚みを増した結果ピッタリだった制服がだいぶキツくなって、袖や裾もつんつるてんとなっている。
その顔立ちは、確かに昔写真で見た二十代後半の頃の親父に似ていた。
違いは、その眼つきか。優し気な眼をしている親父に対して、大人になった今の俺の眼つきは、かなり険しい……。
「で、玉手箱は?」
「ああ、これだ」
そう言って蓮華が、飾り紐のついた、漆塗りの黒い小箱と蓋を渡してくる。……子供の頃絵本で見た玉手箱そのものだ。
その中は当然のごとく空っぽだったが、内部は真珠のように不思議な輝きを放ち、わずかに煙が渦巻いている。
「よし、閉じるぞ」
みんなが頷き返してくるのを確認して、玉手箱を閉じる。
その瞬間、周囲の景色が歪み、気が付けば俺たちは深い海の底。美しく神秘的で、しかしどこか寒々しい竜宮城の中にいた。
不思議と水の入ってこない寝殿造の渡り廊下からは、珊瑚の木々や小石のように敷き詰められた真珠で出来た枯山水が見える。
その幻想的な光景に思わず息を呑んでいると、ふいに外から泳いできた人魚と目が合った。
女中風の和服を身に纏った人魚は、ニッコリと微笑みかけた後、一瞬にしてその美しい顔立ちを醜い半魚人のそれへと変え、襲い掛かってきた。
その鋭い乱杭歯の牙が俺に届くよりも早く、あらかじめ警戒していたイライザがその前に立ちふさがり、半魚人へと強烈なアッパーを喰らわせた。
半魚人のへし折れた牙が宙に舞い、それらが地に落ちるよりも早く、ケルトの三女神たちの槍がトライデントのごとくその身体を串刺しにする。
顔面、心臓、水月の三つの急所を貫かれた半魚人は、それでもしぶとく藻掻いていたが、やがて力尽きて煙のように消え去った。
それを確認してから、俺はイライザへと問いかける。
「……手ごたえはどうだった?」
「おそらくは、互角。Bランククラスかと」
「そうか……」
眷属体でBランク。これで、浦島太郎の戦闘力はAランクで確定か。
ちょっとだけ、Bランク以下の可能性も期待していたんだがな……さすがにそこまで甘くはないか。
「……行くぞ。次は乙姫だ」
このフェイズ2・竜宮城からは、老化現象がストップする代わりに、竜宮城の住人達が襲い掛かってくるようになる。
これらのモンスターたちは当然のごとく無限湧きであり、フェイズ2のボスである乙姫を倒すまでは、いくら倒しても意味がない。
だが、今回は先ほどの玉手箱探しよりは簡単だ。
なぜなら乙姫の居場所は、宴会場で固定されているし、そこまでの道順も千里眼の魔法でわかるからである。
俺たちは、襲い掛かってくる竜宮城の住人たちを跳ねのけつつ、乙姫の元にたどり着いてぶっ殺せば良いだけだ。
シンプルで実に良い。
宴会場へと走りながら、俺はそれぞれのカードたちに眷属の召喚を命じた。
ドレスのデュラハンはもちろん、ニケ、シルキーズにも眷属を召喚させる。
ニケの戦車隊も、シルキーズのブラウニーも戦力という点では役には立たないが、これらの眷属たちは、蓮華とケルトの三女神のスキルの材料となる。
今の内に召喚しておいて損はない。
なお、メアはお休みである。男性特化の彼女は、女の乙姫相手には相性が悪いし、効くかどうかはわからないが、ハーメルン戦に備えて温存しておく。
念のために、カードにも戻して、代わりにシルキーをさらに一体召喚しておく。
選んだのは、生真面目な表情で敬礼したポーズで描かれたドジスキル持ちの小柄なシルキーだ。
フェイズ1では、万が一玉手箱を壊されたらと怖くて召喚できなかったドジスキル持ちだが、単純な眷属召喚ぐらいならオードリーがいることだし問題ないだろう。
なお、オードリーとシルキーズについては、蓮華が鬼子母神のスキルを使った時点でカードに戻すつもりだ。
CやDランクの彼女たちをAランク相当のイレギュラーエンカウントとの戦いに巻き込むのはさすがに酷だ。
ただし、マイラについては、浦島太郎を倒した後に俺たちを残った変身時間で運んでもらう必要があるため、召喚したまま残ってもらう予定だった。
「お呼びでしょうか、ご主人様! っと、うわわ! 走りながらの召喚とは!」
「慌ただしくて悪いな」
「いえ! お気になさらず! それで、どういったご用件でしょうか!」
「とりあえず、ブラウニーの召喚を頼む。現在の状況とかについては、こっちのオードリーに聞いてくれ」
「うわ! メイドマスター! あっちにも!? とんでもない職場来ちゃったな……」
額に汗を滲ませるドジっ子シルキーをオードリーに任せ、俺は鈴鹿を傍へ呼ぶ。
『鈴鹿!』
『なに? ……もしかして』
何かを察したのか期待に眼を輝かせる鈴鹿に、俺は頷き瀬織津姫のカードを取り出して見せた。
『ああ、ドタバタしてるところで悪いが、ここでお前をランクアップさせる』
霊格再帰のキーアイテムが揃ってない状態で、零落スキル持ちのBランクカードにランクアップさせるのはリスクがあるため、これまであえてランクアップはさせてこなかったが……さすがにこの状況で今の戦闘力のまま鈴鹿を放置する方が危険だ。
Cランク相応の戦闘力しか持たない鈴鹿では、いつロストしてもおかしくない。
瀬織津姫になればロストした際のコストは跳ね上がるが、復活用の橋姫のカードも手元にない以上、ロストのリスクは同等。
ならば、ここは少しでも戦闘力を上げてロストの可能性を減らすべきだった。
『よし! これで、私もBランク!』
子供のように飛び跳ねて喜びを露わにする鈴鹿を尻目に、俺は彼女のカードに瀬織津姫のカードを重ね合わせた。
二枚のカードが光を放ち、一つへと合体する。
同時に、召喚されたままの鈴鹿の身体も光を放ち……光が消えた時、そこには女神へと姿を変えた彼女の姿があった。
【種族】瀬織津姫(鈴鹿)
【戦闘力】1000(初期戦闘力750+成長分450-零落スキル分200)
【先天技能】
・祓い水に流す祓戸大神:水の流れを司る水神にして穢れを払う祓神である瀬織津姫の権能を使用可能。
・浄化の水垢離:清めの水を降らし、場の穢れを根こそぎ洗い清める。敵味方全員の状態異常を治し、一定時間状態異常を無効化する空間を形成する。
・清濁併せ吞む水の理:同一視される橋姫の力を内包し、眷属として召喚することができる。無限召喚型。橋姫の先天スキルをすべて内包する。……のが本来のスキルであるが、零落スキルの影響により、眷属召喚能力は失われている。
・中等魔法使い
【後天技能】
・目隠し鬼
・武術
・見切り
・良妻賢母:妻や母として理想的な技能をすべて備えている。……ただしその愛を裏切らない限り、だが。料理、清掃、育児、性技を内包する。
・追跡:マーキングした対象の気配を追跡することができる。
・虚偽察知:対象の偽りを見抜く。
・友情連携
・気配遮断
・零落せし存在(NEW!)
・剣術(NEW!)
・鑑識眼(NEW!):物のおおよその価値や希少度、真偽を見抜くことができる。このスキルで見分けられるのは、あくまで人間にとっての価値となるため、どれほど希少で役だつ物であっても人間がその価値を見出していなければ、その本当の価値はわからない。
橋姫の頃にあった鬼の角は消え、衣装も薄い青を基調とした上品なものとなっている。
穢れを払う水神であるからか、その身が放つ雰囲気も、どこか見るだけで心が改まるというか、冷たい湧き水のように清浄さが感じられた。
一方で、鈴鹿個人が持つどこか危うげな印象は健在で、それが瀬織津姫の持つ清楚な雰囲気と絶妙に合わさり、アンバランスな魅力を醸し出していた。
さしずめ、一見清楚だが、危険な色気を放つ魔性の美人といったところか。
スキルに関しては、瀬織津姫の目玉スキルである『清濁併せ吞む水の理』の眷属召喚能力こそ零落スキルにより欠落状態にあるものの、橋姫の先天スキルをすべて内包しているため、純粋にパワーアップした形だ。
新たに取得したスキルのうち特筆すべきは、後天スキルの鑑識眼で、これは物の真偽や凡その価値がわかるスキルである。
残念ながら魔道具の効果や名前がわかるスキルではないものの、物の真偽や現在の市場価値を測れるこのスキルは、これまでの価値観が通用しないアンゴルモア後の世界において虚偽察知と並んで必須レベルとなるスキルかもしれなかった。
『アハハハハハッ!』
さっそくレベルアップの魔法を掛けてやると、鈴鹿は水を得た魚のように両手に大通連と小通連を握って、襲い掛かってきた半魚人たちへ斬りかかっていった。
二振りの三明の剣により零落スキル分の戦闘力の低下を穴埋めし、中等レベルの神通力を得た鈴鹿の戦闘力は、Bランク相当の半魚人たちにも十分通じるようだった。
『まったく童のようにはしゃいで……』
そんな鈴鹿の様子を見て、俺の隣を走っていたアテナが呆れたように呟く。
それから真剣な表情となると、俺をまっすぐ見つめ言った。
『歌麿、走りながらで良いので聞いてください』
『どうした?』
『さきほどの玉手箱探しの最中、妾の枷がいくつか外れるのを感じました』
『なにッ!?』
俺は、アテナのカードを取り出して見た。
【種族】アテナ
【戦闘力】950
【先天技能】
・都市と英雄の守護女神
・アイギスの護り
・英雄への加護
・来たれ、勝利の女神よ
・高等魔法使い
【後天技能】
・純潔の誓い
・神のプライド
・幼体→技能解放(CHANGE!)
・臆病
『幼体スキルが……!?』
これまで誰も変化させることのできなかったマイナススキル中のマイナススキルである幼体のスキルが、技能解放というスキルへと変化していた。
『未だ力の半分は封じられたままですが、少なくとも技能の行使に関しては問題ないようです』
つまり、ステータスは半減したままだが、アイギスや魔法を使えるようになったということか……。
臆病スキルも残っている以上、攻撃に参加させるのはまだ難しいだろうが、疑似安全地帯を作れるようになったのは、かなりデカイ。
戦闘時以外なら補助や回復魔法などでサポートできるようになったのも地味に嬉しいところだ。
しかし、なぜ突然……。
てっきりアテナの幼体スキル解除の鍵は神殿にあると思っていたのだが……。
『浦島太郎の老化、か……?』
俺の呟きにアテナが頷く。
『おそらくは、時間経過こそが幼体スキルの枷を外すための条件の一つだったのでしょう。先ほどの強制的に老化させる空間が、疑似的にその役割を果たしたのだと思われます』
『なるほどな……』
幼体スキルの解除には、その種族が成長するだけの時が必要だったというわけか。
『必要な時間は種族によって異なるのでしょうが、妾の場合はおよそ百年……。その間一度もカードに戻すことなく、召喚し続ける必要があったのではないでしょうか?』
『百年……』
そりゃあこれまで解除方法が見つからなかったわけだ。
他の種族……例えば十年ほどで成長する種族だったとしても、その間ずっと召喚し続けなければならないとすれば、幼体スキルを解除するまで一度も迷宮を出れないことになる。
そんなの、最初から解除条件を知らなければ達成できるわけがない。
浦島太郎のように強制的に老化させてくるような敵と遭遇しない限り短時間で幼体スキルを解除することはできず、そして研究者がイレギュラーエンカウントと戦うことはない……と。
無理ゲーだな。
『だが、幼体スキルを解除できたわりに外見は変わらないんだな?』
アテナの全身を見回しながら言う俺に、彼女は馬鹿にするように鼻で笑う。
『フッ、観察力が足りませんね。よく見なさい、ちゃんと身長が伸びているでしょう? 1センチも!』
百年も経って、たった1センチ……?
どうやらこのアテナは、幼体スキルがなくともあんまり発育がよろしくないタイプの個体だったようだ。
なんにせよ、アテナのアイギスが解放されたのは朗報である。
愛たちと合流した後、どうやってその安全を確保しつつハーメルンの笛吹き男と戦うか悩みどころだったのだが、これでその心配もなくなった。
いかにイレギュラーエンカウントと言えども、アテナの疑似安全地帯は破れないらしいからな。
最悪からのスタートだったが、少しずつ運が向いてきている気がする。
この流れでサクッと浦島太郎も倒してしまいたいところだ。
……それから、宴会場に近づくにつれ密度を増していく半魚人どもの襲撃を蹴散らしながら進むこと約十分。
俺たちはついに乙姫の元へとたどり着いた。
東京ドームの球場ほどの宴会場では、人魚の他に鯛やヒラメ、鮫や鯨といったありとあらゆる海洋生物たちが優雅に宙を泳ぎ、楽し気に舞を披露していた。
その中心にて、何人もの宮女たちに傅かれている仙女こそ、この竜宮城の主――乙姫だった。
手拍子をしながら魚たちの舞を見ている乙姫は、美の女神に匹敵するほどに美しい。
慈しみの表情で竜宮城の住人を見守っていた乙姫だったが、隣の宮女に囁かれ、こちらへ振り向く。
「おや、これは妙なこと。本日は、誰もお招きしていなかったはず。……ですが、せっかくお越しになられたのです。どうぞ、宴を楽しんでいかれてはどうです?」
遠く離れているというのに、まるで耳元で囁くように聞こえる不思議な声。
美しき竜宮城の主は、まるで悪意を感じさせぬ純粋なる善意を持って、俺たちへ言う。
「美味しいご馳走や、人魚たちの美しい舞で歓迎させていただきます。なに、時間のことならお気になさらず。ここは海底の楽園。ここにいる限りは、歳も取らず、永遠に楽しい時を過ごせるのですから」
そこで乙姫は、俺の顔をじっと見つめ、労わるように薄く微笑み。
「その老いた身体も、ここでじっくりと休養を取れば必ずや元に戻りましょう」
「…………はぁ〜」
思わず、ため息が漏れた。
本当に……なんて醜悪で悪辣な罠。
乙姫は、何一つ嘘を吐いていない。
歓待を受けている間、俺たちは安全だ。敵は一切攻撃をしてこないし、様々な料理や芸、望めば乙姫や人魚らの身体でもって最高の持て成しをしてくれる。
滞在中は歳も取らないし、それどころかフェイズ1で老化してしまった身体すらも徐々に若返っていく。若返り過ぎて赤ん坊になってしまうなんてこともない。本人が望む肉体年齢で、若返りは止まる。まさに至れり尽くせり……。
だが、それこそがこのフェイズ2における罠。
フェイズ2では、乙姫らの歓待を受けている時間に比例して、一分ごとに一歳ずつ若返っていく。
ただし、一度でも乙姫らに敵対行動を取った時点で、それらの効果はすべてひっくり返る。
五歳若返ったのなら十歳、十歳若返ったのなら二十歳……。歓待を受けている間に若返った分の倍の老化が、反動として返ってくるのである。
そうして来客を心理的に身動きできないようにして、徐々にその存在を竜宮城の住人へと変えていってしまうのが、この乙姫のやり方なのだ。
……これの性質が悪いところは、完全に竜宮城の住人になる前ならば、他の冒険者がやってきて乙姫らを倒してくれれば、若返ったまま元の姿に戻れることだ。
その上、乙姫の歓待を受けている間、この竜宮城は外と流れる時間が異なり、ここでの一時間は外部での一日に当たる。
完全に竜宮城の住人になってしまうまでには、凡そ一日の猶予があると言われている。つまり、外で24日経つまでの間に誰かが助けにきてくれれば、若返ったままここから解放される可能性もあるのだ。
24日。ほのかな期待を抱くには十分過ぎる時間である。
それゆえに、フェイズ1で老けすぎてしまった者の中には、乙姫らの誘いに乗ってしまう者が一定数いると言われている。
ここで乙姫を倒したところで、フェイズ1で老いてしまった体は元に戻らない。ならば、ここで誰かが助けにきてくれるのを待つ方が……。
どうしても、そう考えてしまうのだ。
そして、やがて身も心も竜宮城の住人になっていく。
この楽し気に舞を披露している鯛やヒラメたちもあるいは……。
だが、俺はそんな誘いに乗るつもりもないし、できない。
今こうしている間も、愛たちはハーメルンの笛吹き男に弄ばれながら、俺の助けを待っているはずなのだから。
故に……。
『蓮華、鬼子母神に変身しろ』
『……いいのか? ここで使って』
『ああ。どうせハーメルンの笛吹き男には眷属召喚の類は通用しない』
童話・ハーメルンの笛吹き男とは、子供攫いの物語だ。
故に、ハーメルンの笛吹き男は、強力な対眷属召喚能力――――眷属強奪の権能を持つ。
召喚した眷属のコントロールを根こそぎ持っていかれてしまうこの能力の前に、眷属召喚は、悪手中の悪手。
それでいて、奴自身はワンランク下の鼠型モンスターを無限召喚してくるのだから、その厭らしさが分かるというものだ。
ハーメルンの笛吹き男というイレギュラーエンカウントに対して、鬼子母神は絶望的に相性が悪い。
ならば、ここで切ってしまうのが得策というもの。
「愚かな……うつろう世の何が良いのか。ここにおれば、永久の命と平穏が待っているというのに」
俺たちの敵対を察した乙姫が、理解できないという顔で言う。
そんな乙姫に構わず、鬼子母神へと変身した蓮華は『鏡面神格荒魂・鬼子母神』を発動。ここまでに召喚した眷属と、宴会場に満ちる竜宮城の住人を根こそぎ喰らう。
その中には元人間もいたのだろうが、眷属体スキルを問答無用で喰らう鬼子母神の子殺しの権能は、一切の区別なくすべてを一掃する。
代わりに現れるのは、数えきれないほどの羅刹たちの軍団。
「何故生き急ぐ? 外界のなにが魅力なのだ? 外界は我らの同胞が暴れまわっているだけでなく、人同士の争いも待っているのだぞ?」
一転して四面楚歌となってしまった乙姫は、しかし周囲を取り囲む羅刹たちには眼もくれず、俺にだけ語りかけてくる。
その眼には、欠片の敵意もなく、ただただ憐れみの色だけがあった。
「そもそも貴様、人間から逸脱し始めておるのだろう? 人から外れし身で、人の営みに混じってどうする?」
『破壊と殺戮と勝利の宴を発動しろ』
ケルトの三相女神の特殊スキルにより、すべての羅刹たちの戦闘力とステータスが倍増する。
戦闘力6000オーバー、ステータスに至っては狂化との併用で四倍にもなった羅刹たちが乙姫へと襲い掛かる。
「……排斥されるぞ。人は異物を決して受け入れはしまい。人の世に、貴様の居場所はない」
全身を切り刻まれ、その美しい肢体と顔を血に染めつつも、乙姫は一切の無抵抗。
苦悶の表情を浮かべつつ、ひたすらに純粋なる善意でもって俺へと語り掛けてくる。
「ここにおれ。妾は貴様のことが気に入ったぞ。姿が変わるのが嫌ならば、特別に今の姿のまま留めておいてやろう。共に永劫の刻を過ごそうではないか」
その憐れみと罪悪感を抱かずにはいられない姿に、俺はもう一度深いため息を吐いた。
本当に、酷い罠だ……。
童話・浦島太郎における乙姫とは、善意の怪物である。
物語の終わりで浦島太郎は、家族も友人もすべて失い最後には若さすらも失ってしまうが、そこに乙姫の悪意はない。
彼女は、ただ、亀を助けてくれた浦島太郎にお礼をしたかっただけだ。ただ、自分にできる最大のおもてなしをしてあげただけだ。最後の玉手箱にしたって、それを開けない限りは問題のない代物だった。
そこにあるのは、すべて善意。
ただ、人と人外の感覚のズレがあっただけ……。
ただ、浦島太郎に自分のところへ帰ってきてほしかっただけ……。
ただ、いつまでも自分の元にいて欲しかっただけなのだ。
「何故、断る。何故、冷たく残酷な世を選ぶ。貴様も、浦島の太郎めも……何故、妾を選ばぬ……」
最後まで無抵抗のまま全身を切り刻まれた乙姫が、ガクリと膝をつく。
羅刹たちが、その首を無情に跳ねようとした――――その瞬間。
「ならば、もう要らぬ」
「ッ……!」
乙姫の雰囲気ががらりと一変する。
来る……!
善意の怪物が、その愛を憎悪へと反転させる。
乙姫の身体が、爆発的に膨張。周囲を取り囲む羅刹たちを弾き飛ばしながら、みるみるうちに宴会場の三分一ほどもある巨体へと変貌していく。
同時に、周囲の景色にも変化が。
もはやまやかしは要らぬとばかりに壁や床、天井が剥がれ落ちていき、中から現れたのはまるで内臓のような肉塊の壁。
ご馳走も急速に腐敗して、周辺にアンモニアと腐った海水が混じったような強烈な悪臭が漂いだす。
やがて乙姫が変身を終えた時、そこにいたのは、さきほどまでの美しい姿が嘘のような醜悪な亀の怪物だった。
ほっそりとした四肢は、無数の触手の集合体に。衣はびっしりと藤壺が生えた漆黒の甲羅へ。唯一、甲羅から延びる長い首だけは、元の美しい乙姫の顔のままで、それが逆に冒涜的であった。
戦闘形態となった乙姫が、その首をもたげ、大きく息を吸い込む。
口の端から漏れ出る漆黒の瘴気――――ブレスが、来る!
身構える俺たちに対して、乙姫がブレスを放った先は、自身へと群がる羅刹たちへだった。
まずは、鬱陶しい羽虫どもから始末しようと言うのだろう。
瘴気のブレスを浴びた羅刹たちが、グズグズと身体を溶かしていきながら断末魔の悲鳴を上げる。
幾重にも強化された羅刹たちが、一発で……! なんという威力!
その背筋が凍るような光景を前に、しかし、俺は内心でホッと安堵の息を吐いていた。
良かった……ちゃんと、そちらへとヘイトを向けてくれたか。
あえてカードたちには攻撃をさせず、眷属にだけ攻撃させた甲斐があった。
乙姫の戦闘力は、浦島太郎と同等のAランク。
その上、その初撃は、人間形態で受けたダメージ分を威力に上乗せしてくると、ギルドの資料には書いてあった。
乙姫の戦闘力がどの程度かは知らないが、あの羅刹たちの様子を見るに、ドレスを装備化したイライザであっても耐えきれなかっただろう。
だが、その破壊力の高さが、今回ばかりは仇となる。
『ガァァァァァッアアアアッッッ――――!?』
ブレスを浴びた羅刹たちがその身を崩していくのと同時、乙姫の全身に無数の裂傷が生まれていく。
羅刹どもの持つ『死なば諸共』は自分がロストする際に受けたダメージ分のダメージを相手へと返す自爆型のスキルだ。
さらに今回は、ケルトの三女神との運用が前提であるため、羅刹たちには限界突破ではなく生還の心得を付与してある。
生還の心得は重ね掛けできないため、元々生還の心得を持つ羅刹には無意味となってしまうが、羅刹女に付与することで合計二度、死の淵で踏みとどまることが出来る。
……つまり、ブレス三発分のダメージを返すことができる。
戦闘力6000オーバーの羅刹を一撃ロストさせるような強力な一撃を、羅刹たちの分だけカウンターされるのだ。
如何に強大な生命力を持つ乙姫であっても即死は免れない。
もちろんこれらはすべて作戦のうちである。
乙姫の初撃が、人間形態の時に最もダメージを与えた者へ放たれるのを知っていて、あえて羅刹たちだけを嗾けていたというわけだ。
『馬鹿、な……』
見事に自滅する形となった乙姫が、地に倒れ伏す。
すると竜宮城が歪み――――気づけば俺たちは最初の海辺に立っていた。
違いは、並ぶ家々が廃墟ではなくそれなりに新しくなっているのと、周囲に煙のような霧が立ち込めていないこと。
「これは……」
『マスター!』
「ッ……!」
ユウキの警告に、反射的に彼女の視線の先を辿ると、そこには一人の青年が立っていた。
浅黒く日焼けした肌の、古めかしい衣服を身に纏った立派な偉丈夫。
青年は、俺たちを鋭く睨みながら言う。
「亀を寄ってたかって虐めるとは、見下げた奴ら。一つ懲らしめてやろう」
虐める……?
その言葉に乙姫を振り返ると、そこには巨大な亀の姿はなく、あちこちから血を流した一匹の小さな海亀がいた。
それを見て、理解する。
なるほど……俺たちは、さしずめ亀をイジメていた悪ガキどもの役回りと言ったところか。
本来ならば、ここで俺たちがやられるのが筋書き通りなのだろうが……お話のようにそう都合よくやられてやるわけにはいかない。
『かかれ!』
まだ三分の一ほど残っている羅刹たちを浦島太郎へと嗾ける。
比較的詳細に書いてあった乙姫と違い、浦島太郎の戦闘スタイルについてはほとんど書いていなかった。
せいぜい魔法系のスキルは持たず、近接戦中心なことくらいだ。
故に、まずは眷属をぶつけ、その能力を探る。
四方八方から襲い掛かる羅刹たちに対し、浦島太郎は徒手空拳で立ち向かう。
上段からの斬撃を拳を回転させることで流し、カウンター気味に顎へ一撃。背後からの横薙ぎをまるで見えているかのようにかがんで躱し、水面蹴りで足を払う。それを跳んで交わした左右の羅刹たちに対しては、流れるような重心移動でカポエイラのように逆立ちとなって両の足で同時に蹴りを叩き込んだ。
おいおい……戦闘力6000オーバーの、それも狂化とモリガンのスキルでステータス+300%のバフが掛かった羅刹が、数体掛かりでも傷一つつけられねえのかよ……!
見たところ、浦島太郎と羅刹たちのステータスはさほど離れていない。いや、おそらくはステータス自体は羅刹たちが若干ではあるが勝っているはず。
当たり前だ。いくらAランクとはいえ、ステータスが四倍になった羅刹ども以上のステータスであってたまるかという話だ。
にもかかわらず傷一つつけられないのは、純粋な技量の差! コイツ、近接特化型か!
だが……。
「グッ……!?」
少しずつ、しかし着実にカウンターを入れていた浦島太郎が、ついに羅刹の一体を屠ったその瞬間、その逞しい肉体から無数の血が噴き出した。
しかし逆に苦悶の表情を浮かべてうめき声を上げる浦島太郎。
その傷は、致命傷ではないにしろかなり深い。
羅刹を倒したということは、その対となる羅刹女をもロストさせたということ。
一気に二体分のダメージを受けた浦島太郎の動きが、傍目に鈍り徐々に攻撃を受け始める。
『ふむ……回復スキルや自動再生系のスキルは無し、か』
まだ油断は禁物だが、このままなら普通に勝てる……か?
いくら高い戦闘力と技術を持っていても、回復スキルも絡め手の類も持ってないんじゃな。
とはいえ、もしかすると羅刹たちのように自爆スキル持ちという可能性もあるため、念のためヘスペリデス産の黄金のリンゴを皆に食わせておく。
これで、万が一の場合でも大丈夫だ。
リンゴを齧りながら観戦する俺たちの前で、浦島太郎が二組目の羅刹を倒し……それが勝負の決め手となった。
二度目の大ダメージに浦島太郎がガクリと膝を突き、そこへすかさず羅刹たちが群がる。
逆転のスキルを使うなら、ここしかないが……?
より一層油断なく注視する俺たちの前で、しかし浦島太郎は何の術もなく羅刹たちに身体を貪られていく。
切り札らしきスキルを使う気配はない。
終わり、か……? これで? 本当に?
呆気なさすぎる……と少しだけ拍子抜けしてしまう。
まあ、Aランク相当とはいえ、純粋な近接戦闘型ならこんなものか。
浦島太郎というイレギュラーエンカウントの脅威は、結局のところフェイズ1の老化とフェイズ2での誘惑のように戦闘力に関係ないところにあり、そこにリソースを注いでいる分、直接的な戦闘はあまり得意ではないタイプなのかもしれない。
……いや、というよりも鬼子母神の羅刹召喚が強すぎるのか。
ランクを実質一つ上げると言われている狂化スキル持ちのBランクの集団というだけでも脅威なのに、二体一対スキルと自動再生のスキルのせいで狂化持ちのくせに中々死なず、倒したら倒したで道連れにしてくる。
そんな生きた爆弾を、一気に、かつ召喚してくるのだ。
対抗するには、無敵や絶対防御、最低でも眷属召喚か上位の回復スキルが必須。
いくらイレギュラーエンカウントと言えども、近接特化型ではどうしようもないというものだ。
そして、浦島太郎の身体が徐々に宙に溶けるように消えていき……。
「――――亀を寄ってたかって虐めるとは、見下げた奴ら。一つ懲らしめてやろう」
なッ…………!?!?
背後から聞こえた声にバッと振り返る。
そこには、何事もなかったかのように無傷の浦島太郎が立っていたのだった。
【Tips】浦島太郎 その2
無事に玉手箱を見つけ出せたならば、舞台は竜宮城へと移る。
竜宮城にいるのは、浦島太郎と同格の乙姫とそのワンランク下の眷属たちであり、冒険者たちは無尽蔵に沸く眷属たちの襲撃を潜り抜け、宴会場にいる乙姫の元へとたどり着かねばならない。
宴会場では、乙姫による魅力的な誘いが待っている。
誘いに乗った場合、冒険者たちは至福の歓迎を受けながらフェイズ1で老化した身体を少しずつ癒すことが出来る。凡そ一時間ほども経てば、己が望む年齢に戻ることが出来るだろう。
ただし、これは乙姫による『善意に満ちた』罠であり、竜宮城に滞在するうちに徐々にその存在が変えられていき、24時間も経てば、完全に竜宮城の住人となってしまう。
途中でそれに気づいて戦いを挑んでも、時すでに遅し。乙姫らの歓迎に対して仇で返す輩には、若返った分の倍の老化という痛烈なしっぺ返しが待っている。
宴会中の竜宮城は外界とは時間の流れが異なり、竜宮城での一時間は外界の一日に相当するため、あるいは罠とわかっていながら乙姫の誘いに乗るという手もあるだろう。
完全に竜宮城の住人となる前に、次の挑戦者が乙姫を倒せたなら、変質も解除され、若返ったままで開放されるからである。
その一縷の望みにかけて、乙姫の誘いに乗る者は後を絶たない。
次にやってきた者も自分と同じように考えるかもしれない、ということからは眼を逸らして……。