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短編

恋文

作者: 三千


『こんにちは、初めまして。私は市内の私立高校に通う、秋坂あきさか ともと言います。あなたと同じ電車で通学している者です。あなたにどうしても伝えたいことがあるので、○月○日○時、忠岡町駅の南口の改札口に来ていただけませんか。よろしくお願いします』




「はいー、ともちん、こんでよい?」


私が一枚の紙をひらひらと振ると、教室の隅で三人の女子どもと話し込んでいたともちんが、机を避けながら小走りで向かってくる。


「ありやとー、かえでちゃん、好きー」

「好きーじゃなくってさあ、報酬はコロッケパンじゃなかったっけ?」

「おおお、分かってる分かってる。今まさに買ってくっから‼︎」


ともちんは受け取った紙を四つに折り曲げると、制服のスカートのポッケに突っ込んで、廊下へと出ていった。

(おい、それ大切な手紙ー。そのポッケにはさっきトイレで落としたハンカチが入ってるだろっ。ふつーそこに仕舞うかあ?)

私は、せっかく精魂込めて書いた手紙をないがしろにされたような気になり、はああっと大きな溜め息を吐いた。


手元には、桜の季節にはまあ少し遅いけれど、春という季節感はドンピシャな薄ピンク色の便箋。桃色の花びらを一面に散らしたようなデザインの上に、横罫が数本、引いてある。


それを前にして、私はげんなりした気持ちを新たにしようと、目を瞑った。視覚が遮断されて、途端に鼻が効いてくる。ほわっと、紙の優しい香りが漂ってきた。

(……次は、と。ラブレターね)


恭しく愛用の万年筆を握る。


(……野球部の、えっと、ピッチャーだっけ? 滝城高のマチダくんだった、よね)

私が通っているこの市内の女子校には、恋する乙女がたくさんいる。


「でさあ、付き合って欲しいんだけど、いい? まじで? やった‼︎ ラッキーー‼︎」


私が通うこのユルい高校から近い、電車の最寄駅で飛び交う、日常茶飯事の告白風景。

それのどれもがこんな感じで。

(軽い軽い軽すぎっつーのっ‼︎)


私は便箋を前にして、頭を抱えてしまう。

ダメなら次っ、オッケーなら付き合ってデートして、少しするとなにこれ相性合わねーってなって、別れて次にいく。

スマホの上だけでも、付き合う→別れる→付き合う……が無限ループの域。それもうほとんど架空だろ、と思えるほどに薄っぺらい。

(世の中、狂ってんな)


学校という日常の舞台で、こんなのを毎日、目の当たりにしていると、恋愛に疎い私でも、心が荒んで恋だの愛だのなんてクソだなと思い始めてしまう。

そんな中、こうしてラブレターの代筆をしているのは、私がそんな現実に幻滅しつつも、藁をも掴む思いで、恋という一筋の希望の光を見つけ出そうとしているからかもしれない。

なんてね。


万年筆を握る手を、いったん便箋の横に配置する。目を閉じて、息を整えると、自分が次の手紙の依頼者であるゆいぴーになったつもりで、万年筆のペン先を便箋の上に置いた。


『滝城高校 町田くんへ』


インクが滲んでいくのを意識しながら、私は友達が一目惚れしたという彼の名前をゆっくりと丁寧に書く。

そして次の行に移ろうと、万年筆の右手を浮かせた時、教室の入り口の方から声を掛けられた。

「おうい、楓ー」


深見ふかみ 毬絵まりえが生徒会の役員会から戻ってきて、私の隣の自席に座る。マリリンが私の手元を覗き込むようにして「あ、もしかして仕事中? まだお昼食べてない?」と言う。


持っていた書類をファイルに仕舞うと、羽織っていたカーディガンを脱いでイスの背に掛けた。

「そう、もうすぐコロッケパンが到着する予定ー」

「あはは、何だかんだ言っても、儲かってんな」

「まあね」


マリリンはサブバックから弁当を取り出し置き、机をガガッと音をさせて私の目の前にくっつけてくる。すぐに弁当の蓋を開けないのは、私のコロッケパン待ちなのだろう。

「なに、今度はゆいぴーの?」

「そうそう」

「その便箋、ゆいぴーのイメージじゃないね」


遠慮なく、ぶった切ってくるこの生徒会長は、パッと見でどっちかっていうと、黒ブチ眼鏡で根暗な私なんかと、よくつるんでくれる珍しいタイプの女子だ。


「でもこれ男子受けいいんだよ」

「まあねー。楓にラブレター頼むとその8割がOKっていう見事な戦績、ちゃんと叩き出してるからねえ」

「普通に好きっていう気持ち、書いてるだけなんだけどなあ」

「乙女かっ」


素早く突っ込みながら、早くコロッケパンが到着しないかと、首を伸ばして教室のドアをキョロキョロと見る。


「男子ってさあ、意外と清楚系女子が好みじゃん。あんたが書く文章から、そういう雰囲気が、すっごく匂ってくるんだよ」

「はは、すごい鼻だ。でもだから、最初はオッケーなんだね」

「そうそう、で。付き合っている内に、こりゃ手紙の主と違うんじゃね? ってなるわけ」

「バレちゃうんか」

「まあ、バレても女子どもは何とも思ってないけどねえ。別れたってダメージゼロ。ってか、逆にその付き合った数ってのを自慢してくっから」

「うええ」


教室に入ってきたともちんの姿を見つけると、私は慌てて手元にある便箋を机の中へと仕舞った。ユルイけれど、一応個人情報。

「楓ちゃん、これ報酬ね。はいよー」

差し出されたヤキソバパンを見て、私は途端に嫌な気持ちになった。


「ちょっとコロッケの約束でしょ」

私が声を上げると、ともちんは「あーそうだっけ? そうそう、売り切れて無かったからヤキソバパンにしたー」と言う。


不人気シリーズ三本の指に入るコロッケパンが、この時間に売り切れるはずがない。

ヤキソバパンの方がコロッケパンより百円安いということが分かっていても、私は何も言えなかった。

「わかった。いいよ、別に。ありがと」


私はヤキソバパンを受け取ると、お喋りに戻っていくともちんの後ろ姿を見送りながら、袋をバリッと破って、かぶりついた。

目の前でそのやり取りを見ていたマリリンが、はあっと溜め息を吐いてから、弁当の蓋を開ける。

「あんた、不服申し立てはちゃんとしないと」

「…………」

分かってると言いたかったけれど、ヤキソバパンを乱暴に口に突っ込んで咀嚼している最中なので、喋れない。

私はサブバッグの中にあるコンビニ袋から、一日一本と決めている野菜ジュースのブリックを取り出すと、ストローをぶっ刺してから勢いよく吸った。


✳︎✳︎✳︎


押しに弱いし、押しが弱い。

女子校で過ごしているうちに、周りの女子どもの圧の影響で、その性格が顕著になってきたように自分でも思う。

このラブレターの代筆も、最初は無料だったのだ。というか、タダで押しつけられていた。

そんな様子を見かねたマリリンが、有料交渉をしてくれたっていうわけ。

「あんたはさ、良い人になろうとし過ぎなんだよ。手紙の代筆だって、あんたの稀有な才能の一つなのに、そんな風にさあ、簡単にほいほいと安売りしてっからー」


私に対するその言い方も遠慮ないものだけれど、私はそれがマリリンの優しさだと知っているから、他の子の放つ言葉とは違って、胸には突き刺さらない。


「だって、争うとかして嫌な雰囲気になるの、苦手だもん」

「気持ちは分かるよ……分かるけどさあ」


マリリンは、口の中に放り込んだ玉子焼きをもぐもぐと食べた。

そりゃあさあ、マリリンはさ、世渡り上手だし、皆んなから好かれているし、ちゃんと言いたいことも主張できるし、女子力高いし、生徒会長だし。

そう言うと、必ずマリリンはこう言う。


「褒めてくれるのは嬉しいけど、そう思うんなら、じゃああんたもそうなる努力しなきゃねって、私は思うね」

「そ、……そうだけど」


曖昧な返事をするだけで、私はいつもふらふらしている。そして、いつもこう思う。

マリリンのようにブレない自分が欲しい–––と。


憎っくきヤキソバパンを完食した後、さっき引っ込めた便箋を机の上へと出す。


『私は……市内の私立高校に通う、佐藤さとう 結衣ゆいと言います。この前市民グランドであった滝城高校と盾並高校の練習試合で、ピッチャーだった町田くんを好きになりました。ガッツポーズした姿がすごくかっこ良くて……』

ここで、ペン先を離す。


「ガッツポーズに惚れるって、どーなの、ありなの?」

呆れながらも、野菜ジュースの残りをずずっと啜ると、すぐ側にあるゴミ箱に、ぽいーっとスローインする。


『付き合っている人がいないなら、私と付き合ってもらえませんか。返事をもらえると、嬉しいです』


恋文の完成には昼休憩の20分もあれば、さらさらと余裕で書ける。

基本の文章に、恋する彼女らの人となりやエピソードを味付けしていき、最後に連絡先を記入して出来上がりだ。

何度か読み返してチェックをすると、私はゆいぴーがいる4組のクラスに足を運んだ。


✳︎✳︎✳︎


「ほんと、上手だねえ。まじで、乙女だわー」

ゆいぴーが、嬉しそうな顔で、何度も便箋を読み返している。

「そう?」

褒められて嬉しくないわけがない。私の顔も、きっとほころんでいたに違いない。顔の筋肉が緩んでいるのが、自分でも分かった。


「字も上手だしさあ。文章もちゃんとしてるっていうか」

「そうかな」

「ありがとねっ。私、作文とか文章書くの苦手だからさあ。助かったよ」

「うまくいくといいね」

「うんまあ、付き合えればラッキーってねー」

ゆいぴーが、はいこれ、と言ってクリームパンを渡してくる。

「ありがと」

私はおやつをゲットして、ほくほくとしながら教室に戻ろうと廊下に出た。


そして、何の前触れも予感もなしに教室の前のドアから入ろうとして、ぎくりと、その場で足を止めた。


マリリンが教室の真ん中で立ち竦み、そして固まっている。微動だにしないその姿。胸騒ぎを覚えたその表情、そして、その視線。

マリリンのそれは、熱く熱く、黒板へと注がれている。その視線を追って、私も黒板を見た。


二人いるクラス委員の背の高い方、あまり喋ったことがない加藤さんが、黒板の真ん中に大きく、『英語 自習』と殴り書いている。


もう一度マリリンを見る。その様子に嫌な予感を抱えながら、私は動かなくなってしまった足をようやく一歩一歩と進めると、「英語、自習じゃん。やったね」と、なるべく明るい雰囲気で、言った。


そんな私に、向けてきたマリリンの、その瞳。


ぎょっとしてしまった。それと同時に、心臓を絞られたような痛みもあった。


いつも明るく笑っていて、いつも私を浮上させてくれる、そのマリリンの表情が。曇りに曇って、今までに見たことのないような苦痛に歪んだ顔になっている。

生徒会長とはいえ、決してダサくはないマリリンの桜色のリップの唇は、左右にこれでもかというほどに強く引き結ばれている。


キツく寄せられた眉根に、今にも大粒の涙が零れ落ちそうなくらいに、ゆらゆらと揺れる瞳。

予感はあった。何があったのかが、分かっている気がしていた。

けれど、私はおどけた口調で訊いた。

「どどどどしたの?」


わざとらしく訊いた私を見ずにマリリンは「何でもない」と言った。


イスをガタッと引くとそろりと座ってから、机の中から英語の教科書とノートを出す。

同じように席に着こうと、やはりなかなか動かせない身体を無理矢理にも動かして、私もようやく座った。

マリリンを、そっと窺い見る。


すると、マリリンの目から我慢できていたはずの涙が、ぼろぼろと頬を伝っていって、ついには両膝の上で作っている握りこぶしの上に零れていった。それは色白なマリリンの薄い皮膚の上で粒となり、さらに零れて制服のスカートに、ひとつひとつ染みを作っていった。


隣で見ていた私でも分かるくらいに、その身をふるっと震わせて。


これは、痛みだ。目に見えないそれは痛みを与えてきて、そして何かを奪っていく。無慈悲にも、剥ぎ取っていくのだ。


私がいつも請け負っている、紙切れ一枚にのせた恋文は、本当は本物なんかじゃない。駅で日常茶飯事に繰り広げられている、あの告白風景も本物じゃない。


私は立ち上がり、机の上にあった便箋と筆入れを持ってマリリンの腕を引っ張ると、一緒に教室を出た。いつもは助けてもらっている彼女の、そのマリリンの一大事なのだと思うと、身体が自然と動いた。


(私がついてるよ)

そう言いたかったが言葉にはならなかった。

私の口はこんな時ですら、何の役にも立たないものに成り下がる。情けなくて情けなくて、私は唇を噛んだ。


いつもなら。真っ白な便箋に向かえば。


マジックショーとかで帽子の中から引っ張り出す国旗のついた飾りのように、するすると止めどなく、言葉や文章が出てくるのに。


哀しさと情けなさで押しつぶされそうになりながら、私はマリリンの腕を引っ張っていった。

「……どこ行くの?」

いつもとは違うマリリンの弱々しい声で、私は立ち止まり、どこに行こうとしているのか分からないまま、その場に立ち尽くした。


✳︎✳︎✳︎


「知ってたの?」

「うん、知ってた」

マリリンがカギを開けてくれた生徒会室で、私たちは並んで、足を投げ出して座っていた。最初は床の冷たい温度がお尻や腿に伝わってきて、ふるっと身体を震わせていたけれど、体温の温もりと高ぶっている気持ちとが勝って、ようやく落ち着いてくる。


「いつから?」

「1年の時から」

「うわあ、バレてたんかあ。禁断の恋だから、秘密にしてたのにな」


明るい声を出そうとして失敗し、マリリンが黙った。少しの沈黙が漂って、私の胸は痛んだ。

私は、右手に抱えていた便箋と筆入れとを、自分の足の上に置いた。重くも軽くもない重みが、太腿にかかる。その様子を横目で見ていたマリリンが、視線を前に戻した。


「……昨日ね」

「ん、」

下谷しもや先生に告白したんだ」

「ん、」

「気持ちは嬉しいけど、付き合えないって言われた」


私はマリリンが英語の教師に恋をしていることを知っていた。それは彼女のちょっとした視線や先生と話す時の嬉しそうな顔、そして生徒会の顧問でもある下谷先生のドジっぷりを披露している時のマリリンの表情で、気づいていたのだ。


「ダメだって分かってたけど、昨日は二人っきりになった時があったから。つい、ね」

笑った拍子に涙が溢れた。

「ん、」

「……だからって、授業休まなくっても良いのに」

「ん、」

私は頷くことしか出来なかった。下谷先生は、生徒思いの優しい先生で、悪口を言おうにも出てこないからだ。


「もうすぐ結婚するんだって」

マリリンの声が震え出した。

「……もうすぐ、結婚しちゃうんだってえぇ」

うわああと膝を抱えて泣き出した。


私は手を伸ばしてマリリンの背中をさすった。その拍子に、足の上から滑り落ちた便箋と筆入れが、カシャンと小さい音を立てたけれど、泣き声に掻き消されて、一瞬で泡になった。

ぐにゃりと曲がった便箋を見て、自分も泣いているのを知った。


✳︎✳︎✳︎


「気持ち、吐き出しちゃお」

少しだけ落ち着きを取り戻したマリリンに、私は声を掛けてみた。マリリンに、何をしてあげられるだろう、そう考えた時、これしか思いつかなかったからだ。

マリリンは真っ赤になった目を、私に向けて寄越した。その目を見るのも辛かったけれど、私はもう一度言った。


「マリリンの気持ちを手紙に書こうよ。先生に渡しても、渡さなくてもいい。でもきっと、すっきりすると思うから」

「……楓」

「こんのクソバカヤロー‼︎ とかでも良いよ」

マリリンは、クスッと小さく笑うと、そんなのナイナイと呟いた。

「先生はいつもにこにこしててねえ、」


私は床に落ちた便箋を拾って膝の上に広げる。筆入れから万年筆を取り出すと、ペン先を罫線の先にひたりと付けた。その姿を見て、マリリンがまた少し笑った。

「楓は、そういう古いの、好きだよねえ」


この万年筆は、母方の祖母から譲り受けたものだ。手紙を書くことが好きな血筋は、親子三代、脈々と受け継がれている。母は母で愛用している万年筆があるのだが、ヒヨッコにはまだ譲れないね、と言われて貰えなかった。


私がこの万年筆を祖母から受け取った時、私は寿命が知れていた祖母宛に、長々としたお礼とお別れの手紙を書いた。それから程なくして亡くなった祖母の眠るお棺に、手紙をそっと滑り込ませたことを覚えている。


それが手紙を書く最初の、きっかけだったように思う。


万年筆を見る。そして、私は言った。


「だって私、今どきの女子高生じゃないもん」


その言葉を受けて、あはは、まあそうだね、とマリリンが笑う。

「……でも、私はそういうの良いなって思う」


心に暖かい火が灯る。

「ありがとう」

言葉を胸の中にある宝箱に仕舞う。


「で、キミはあの人のどこがそんなに良いのかね?」

「にこにこだってば」

「それはもう書いた」

手元を見ると、インクが所々、滲んでいる。


「そっか……あとはねえ、何にもない平坦な道でつまずいたりする、ちょっとおっちょこちょいなとこが可愛い」

「それ、私も見たことある。可愛いとは思わんかったけど……愛の力は偉大だ」

「あはは、それな」


マリリンが手で髪を梳き始めた。その細い指に絡まらない髪は、黒だ。生まれつきの薄茶色の髪を、わざわざ黒に染めている。


「生徒会長が茶パツじゃ、サマになんないでしょ‼︎」

けれど、それもきっと、先生のためだったんだね。


「私が悩んでいる時とかね。深見、おまえ大丈夫かって、いっぱいいっぱいになってねーかって、必ず声を掛けてくれて……こっちは先生のことでいっぱいいっぱいだっつーの」


ペン先を走らせていると、隣から啜り泣きが聞こえてきた。けれど、私はそのまま続けた。


『先生のことが、好きなんです』


そして書き上げた恋文を四つに丁寧に折ると、膝を抱えて泣いているマリリンのスカートのポケットに、そっと仕舞った。


✳︎✳︎✳︎


「楓ー、帰ろー」

マリリンがサブバックにジャージを詰め終わったのを見ていた私は、それを見越してだが、自分も帰り支度を整え終えた。


「んー」


気怠い感じで返すと、マリリンが珍しく帰りに何か食べていこ、と言う。


私が書いたあの恋文を、マリリンが先生に下谷先生に渡したのかどうかは分からない。分からないけど、どうでもいい。


「スイーツ系? ファスト系?」

「うーん、バーガーとポテトの気分」

「リョーカイ」


マリリンの笑顔は日に日に、増えていった。英語の授業の時とか、まだ少しだけ曇ることもあるけれど、あれからは泣いた顔を見ていない。


並んで歩くと、マリリンの薄茶色のショートカットが揺れた。


失恋すると、みんな髪を切るんだなあと思うと、少し前に私が書いた手紙で玉砕した、ゆいぴーとともちんが同じように髪を切っていたのを思い出して、少しだけ吹いた。

そんなことを考えていると、隣で歩いているマリリンが、あのさ、と言う。

「あれ、良かったよ」

「んー?」


私が何のことか分からないというような顔をすると、マリリンは人差し指で鼻の頭をカリカリと掻いた。


「……あの手紙。先生の」

「ああ、あれね」


忘れてた、というような関心のないフリをして、私は自分の足元を見下ろした。その時ちょうど、ローファーの爪先が落ちていた小石を蹴った。


「最後の、『好きだから、先生の幸せを願っています』っての」

「ああ、あれね」

「私、あんなこと言ったっけ?」

「んー? 言ってたよー」

「そうだっけ?」


ぶふっと吹き出した私。そして、同じように、ぷっと吹き出したマリリン。ナニソレナニソレ、をお互いに繰り返した。


「……ごめんね。あれ、渡してないんだ」

「うん、」

「でも、ありがとう。大切に仕舞ってある」


涙が出そうになった。じわっと、目の縁が熱くなったけれど、水分はその熱を奪っていって、そしてすぐに乾いた。


✳︎✳︎✳︎


『先生、

この前は驚かせてしまってごめんなさい。びっくりしたよね。

でも、後悔していません。だってこれが、私の気持ちだから。

私が生徒会長に立候補するのを迷っていた時、先生は応援するぞって、言ってくれたよね。その言葉を信じてたのに、先生ったら私が生徒会に入った途端、厳しくなって。責任重大だぞって、脅してきたよね。あれ、効いたよ。だから私、すごく頑張ったんだ。頑張れたんだ。

先生はいつもにこにこしてて、私が生徒会の仕事量にいっぱいいっぱいだった時とか、失敗して落ち込んでいる時とか、いつも大丈夫か、って声を掛けてくれて。

私はいつも、その声に、その言葉に、先生のにこにこ顔に、助けてもらってた。

だから、ありがとうしか言えません。

好きだから、先生の幸せを願ってる。ずっとずっと、これからもずっと願っています。

それから、何もないところでつまずかないように気をつけて。先生が転ばないようにって、これも一応、祈っててあげるから』


✳︎✳︎✳︎


「はいー、ともちん。できたよ」

書き上げた恋文の角をつまんで、ぴっ、と掲げる。すると、側でいつもの三人組と雑談していたともちんが、立ち上がりながら近づいてくる。その勢いなのか、それが彼女のスタンスなのか、可愛くぴょんぴょんっと二歩跳ねながら。

「ありやとー、楓ちゃん。好きー」

出した手に、便箋を押し付けると、「もう絶対、ほんと、完全に、ヤキソバパンだからねっ‼︎」と念押しする。


ともちんは、顎を引きながら、お、おう、と返事をし、手にした財布をぶんぶん振りながら、教室から出ていった。

そんな私を横目で見ながら、呆れた顔でマリリンが言う。


「なんだよそれー。最初っからコロッケパンを諦めるつもりかっ」


けれど、私は。


「いいのいいの。これは押しに強くなるための第一歩なんだからっ」

「まったく、あんたって……」


マリリンが相変わらず、ガガガッと音を立てながら、机を私の目の前にくっつけてくる。サブバッグから弁当を取り出すと、ナフキンをほどき、弁当箱の蓋を開ける。

「まあ、いいや。ヤキソバパンのヤキソバ、半分よこしな。そこにこのコロッケ、突っ込んであげるから」

箸の先にぶっ刺したコロッケを、目の前に掲げる。

「ぶっ。それ、クリームじゃん」

「カニだよ」

「カニかっ」

そして、私とマリリンは目と目を合わせ、にやっと笑い合った。


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― 新着の感想 ―
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