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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第3章―そのまなざしに名をつけて
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閑話百景:うつくしきけもの

 その男は、自身の審美眼に絶対の自信を持っていた。


 美とは異端であり、確固たる強度を伴い、歪なるもの。最果てにある不安定な絶対。

 衛兵隊に入ることを決めたのもこれが理由だ。要人のそばにありながら「我等が主は権力にあらず」などと、世俗の勢力争いに背を向けるその矛盾が美しい。

 要は男は天邪鬼だった。誰も知らない美を見出すことに優越感と達成感を覚える、そういう性質《たち》だった。


 ゆえに彼女に声をかけたのだ。それは「美しい」ものだと、前々から確信があったから。


「おーい。あんた、ナターリエ・バルヒェットだろ」


 そう呼びかければ、女は教会塔に背を預けたまま、気怠げにこちらに視線を向けた。


 まず目につくのは、子どもが迷い込んだのかと疑うほど低い背丈。髪の色合いは暗がりに潜む黒猫のよう。小作りの顔に眠たげなのか退屈なのか判然としない表情が息づいて、伏せがちに瞬きを繰り返していた。

 だが着込むのは男と同じ漆黒の軍服で、肩には不釣り合いな小銃《ライフル》を負っている。

 なにより今ここにいる女軍人といえば、これから尖塔の頂上に配置される予定の狙撃班――すなわち、自分の探していた女しかいないのだ。


 彼女へと足を進めれば、塔の投げかける陰に入る。訝しげな目は揺るがない。それを気にかけず、一歩の先から人差し指を向けた。


「聞いてるぜ。首都近郊第二補助駐屯地の狙撃大会で優勝掻っ攫ってった生意気女。女だてらの狙撃手《スナイパー》だってよ」

「いや、私は――」

「いやいや、誤解しないでくれ。そういう評を聞いただけで、俺としては別に悪感情はないんさ。むしろ良い気分だね。ああいう見る目のない連中が自分の価値観に振り回されて、本当の価値ってもんに気づけないのは」

「……はあ」


 小柄な女――ナターリエは端的な相槌を打つのみ。話しかけたときは警戒したらしく背を浮かせたが、今はまた塔にもたれかかっている。


 警戒が解けたのか、こちらが伍長《じょうかん》と見て様子見を決めたのか。表情らしい表情がないから分からないが、どちらにせよありがたい話だ。このままお近づきになりたい。

 それに、ありがたい話はもうひとつある。


「女だろうが何だろうが、あんたらがちゃんと働いたから楽に衛兵隊《うち》の膿を切除できた、それが事実さ。あいつらは俺としても気に食わなくてね。半世紀も前の権力引きずってお貴族様ぶってんのがちゃんちゃら可笑しいんだわ、なあ?」

「……」

「おっと悪い悪い、こんなん聞かされても困るわな」


 脱線……ではない。これも一応アピールだ。

 衛兵隊の内部に巣食っていた貴族派を一掃した件は、ある意味特別措置小隊のおかげとも言える。だが彼女らにとってみれば衛兵隊の内輪揉めに巻きこまれた程度の認識だろう。ここで「あなたたちのおかげですよ」「自分はあなたたちを邪魔した連中とは違いますよ」と印象づけておくことは大きい。


 そもそも本音である。せっかく衛兵隊などという歪で美しい組織にいるのに、型に嵌めたような俗物の貴族派を見せられてはたまったものではない。ましてや貴族派に取り込まれるなど論外だ。

 権力者に仕えながら権力闘争を拒み、清廉潔白に底無し沼を突き進み続ける――衛兵隊はこうでなくては。


 そして目の前の彼女も、それにとても近い存在に見えた。


「まあ要はさ、俺はあんたを気に入ってんだよバルヒェット上等兵。銃で男に負けないどころか超えてみせる、その根性がいい」


 お偉いさんの娘である小隊長や、元貴族《シュロスブルク》の出の下士官。特別措置小隊の人間に関する話題はいくらかあったが、男がナターリエに注目していた理由はそこだった。


 狙撃に秀でた女軍人。力を携えた異質、銃持つ女という歪。まさに自分が考える美の一例だろう。

 女が銃など持つものではない。当たり前のことだ。だがナターリエという女はそれに刃向かい、分不相応にも軍人であろうとしている。狙撃の腕で男を負かすほどに。どれだけ努力しても男にはなれないのに。


 いい、と思う。ありえない理想を追い求める強さ愚かさは、衛兵隊という組織によく似ていた。だから存分に鑑賞したい。


「今回は特別措置小隊と協力して動けって命令もお上から出たんだ、これを機に仲良くやろうや。なあ、「戦友」?」


 そうして手を差し出してみるのだが、ナターリエは応じない。どころか感情ひとつ見いだせなかった。聞き流されているのではと思うくらいだ。

 それでいて視線は静かにこちらを追い続けているのだから、無視されているわけでもないらしい。値踏みされている。おそらくはそんな表現が一番正しい。


 ならばもう少し、あと一歩を攻めてみよう。こんな機会逃したくはなかった。


「しっかしまあ、こんな小さい身体でよく狙撃なんてできるもんだ。よっぽど訓練して……」


 文字通りに一歩踏み込む。そしてナターリエの肩を軽く叩こうとしたのだ。他意などない。こちらのペースに引きこみながらガードを崩そうとしただけ。

 だから気づかなかった。このたった一手が、虎の尾を踏んでいたことに。


「――アネットちゃんに触らないでください」


 小さな「ナターリエ」の肩に触れる寸前だった。


 絶対零度の声音。背後から手首が掴まれ、捻《ねじ》られ、締めあげられる。動脈のあたりに爪が食いこみ、力任せに男を縫いとめていた。

 振り向く。至近距離に女がいた。淡々と、それでいて逸る激情も露わに詰問が続く。


「アネットちゃんから離れてください。あなた、アネットちゃんに何しようとしたんですか。アネットちゃんをどうするつもりだったんですか、答えてください」


 明るい色の癖毛。漆黒の軍服。近すぎて、それ以外に拾える特徴などほとんどない。

 ただひとつ、片方だけ見える瞳が強烈な存在感を放っていた。開ききった瞳孔は銃弾のよう。奥底に絶対の敵意が装填され、放たれる瞬間を待っている。


 ――いや。銃弾は、彼女の瞳だけではない。


「……アネットちゃんに手出しするなら、ええ、わかりました」


 息を呑む。背筋に突きつけられる感触に気がついたから。

 見えはしない。しかし軍人として本能的に理解した。硬く小さな一点、ほんの少し指を動かすだけで血肉を砕く機構《システム》の門。


 銃口。

 獣のような狩人が、この命を食い千切ろうとしている。


「そんな男のひとは、いま、私が――」

「ナ(・)タ(・)ー(・)リ(・)エ(・)」


 何気ない呼びかけだった。まるで目の前の出来事など認知してないという風に。

 だが決定的に空気が変わる。停滞していた空間に風が吹きぬけ、黒ずんだ殺気は芝生の陰へと溶け消えていく。今日が爽やかな快晴だと、場違いにもいま気づいた。


 小柄な女がこちらを指さす。よくよく見れば、黒髪で隠れていた襟には一等兵の階級章。上等兵のナターリエではありえない。ようやっとまともに口を開き、平坦な言葉を紡いでいく。


「ちょうどよかったわ。この伍長どの、ナターリエに用らしいわよ」

「――え?」

「私をナターリエと勘違いしたみたいだわ。訂正しようにも凄い喋るのよね。名乗りもできなかったわ」


 その説明のうちにも手首が解放され、銃口の感触が離れていく。

 ほっと息をついたが早いか、背後の女、本物のナターリエが小柄な女へと歩み寄っていった。改めて見たナターリエはひどく素朴で、大人しげで、どこにでもいそうな顔立ちをしている。気弱そうに眉まで下げていた。あの狂った狩人の眼は名残もない。


「にしても遅かったわね。おかげでこんな目に遭ってるんだけど、何してたのかしら」

「ユリア軍曹に色々聞いてくるって言ったじゃん!! 重点的に見張っておくとことか、実際現地にきて変わってるかもしれないし……そういえばユリア軍曹がお菓子くれたよ。アネットちゃんと分けてねって」

「あの人、お菓子食べれば私の背も伸びるとか思ってるわよね絶対」

「まあユリア軍曹くらい高いのも困りそうだけどね……あ、」


 ポケットいっぱいの飴玉をアネットに手渡して、そこでナターリエの意識がこちらを向いた。

 思わず身構えた男に気づいたのか気づいていないのか、さらに眉を下げて肩を縮める。


「あの、申し訳ありませんでした! 自分も勘違いしてしまって。てっきりアネットちゃ……ええと、テールマン一等兵が乱暴されてるのかなって……手、痛くありませんか?」

「あ、まあ……手はなんとも」


 事実、手首はどうということはない。単純に女の握力いっぱいで掴みあげただけという風だったから、さほど問題は残らないだろう。


 それより男の心を射竦めたのは、突きつけた銃口に対する言及が一切ないことだ。

 仮にも軍属ならば冗談ですまない行為であると理解しているはず。背後からだったからバレていないと踏んでいるのか、処分を恐れているのか……あるいは、そ(・)も(・)そ(・)も(・)自(・)覚(・)が(・)な(・)い(・)の(・)か(・)。


 最後の可能性が正しいならば。今こうして目の前で謝る女は、いったいどこまで正気といえるのだろう。


「本当に申し訳ありません! それであの、私にご用事って……?」


 異端にして力を振るう、歪なる強者。目の前のナターリエはまさしくそれだ。自分の理想通りの美、予想以上の収穫と言っていい。


 だが男の本能が警鐘を鳴らしている。この女はいけない。


 ナターリエ・バルヒェットはきっと、相棒のためならば何でもするつもりなのだろう。男になりたいのではない、男よりも強くなって相棒を守りたいのだ。そして実際にそうできる。躊躇いなく、呵責なく、一瞬で。

 それを彼女自身は知らない。獣の凶暴性は硝子《ガラス》箱に仕舞いこまれ、主に気づかれないまま牙を研いでいる。


 歪《うつくし》さに怯える――こんな経験は、「美」の価値観を固めて以来初めてだった。


「……いや、なんでもない。邪魔しちまったな」


 震えそうになる声を押しとどめ、場を後にする。踵を返す直前に見えたアネットは、こちらを哀れむような釘を刺すような顔をしていた。

 多分両方だろう。「事故」に遭ったことには同情するが口外するなということか。

 心配せずとも上に報告するつもりはない。どころか一刻も早く忘れたかった。美しさの定義を満たしているのに恐ろしい、そんな存在はいくら天邪鬼でも認めたくないのだ。


 集団墓地を超え、記念館の近辺まで逃れたところで振り返る。いくつもの墓石の向こう、底のない青空のもと、ふたりは何やら和気藹々と会話していた。自分たちはただの娘なのだと言わんばかりに。

 そこから目を逸らすまでの一瞬、胸に湧きあがった感想は、たったのひとつだけだった。


 やはり歪で、美しい。

 おぞましいほどに。

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