2-12軍曹ヴィルヘルミナの下準備
符丁通りのノックと、ドアの開く音がした。
シャルロッテのそばで控えていたヴィルヘルミナはぴくりと身をこわばらせ、直接この部屋と繋がった隣室――先ほどまで待機していた部屋だ――へと駆け寄る。
そしてエーリカの開けた扉の前、少年を連れた部下を目にして、ほっと小さな安堵がこぼれおちた。
「連れてきたか。よくやったグレーテル。さすがだな、お前たちの仕事はいつも鮮やかだ」
「お褒めにあずかり光栄です。でも分隊長ほどではありませんよ、まだまだ精進が必要です。分隊長のような立派な指導者になるためにもっと……」
「邸内の衛兵隊はどうした?」
「……ときどきすれ違いましたがやり過ごせました。やはり夫人の署名は効きますね」
なぜだか複雑そうに息をつくグレーテル。やり過ごせたのはいいことだと思うのだが。
少年はグレーテルに腕をつかまれ、一切こちらと眼を合わせようとしない。しかし幼い身には不釣り合いな不信と敵愾心が無言のうちに噴き上がっている。
促しの通り少年の手首とヴィルヘルミナの手首を手錠でつなぐと、グレーテルはてきぱきと告げた。
「持ち物は没収しました。マッチはもちろん、何に使うつもりか爆竹まで持っていましたが。ボディチェックも服の裏までしてあります。まあ気性はともかく、現在は無力化された子供ですね」
「そうか。ありがとうグレーテル、無茶を言ってすまなかった。持ち場に戻ってくれ」
「無茶だなんてとんでもありません、非常にやりがいのある任務でした。私たちを信じてこのような任を預けてくださったこと、とても嬉しく思います。これからも分隊長をお支えさせていただければ……」
「グレーテル。分隊長は戻れとおっしゃっているのだ。おべっかで無駄話をするでない」
扉の横でこちらを見守っていたエーリカが割って入る。グレーテルはそれに嘲笑で応えた。
「あら、おべっかだなんてずいぶん心が歪んでるのねエーリカ。分隊長への嘘偽りない敬意を伝えようとすると言葉が足りないだけよ」
「よく言うものだ……おまえのへつらいは品のない菓子のようであるな。甘ったるいだけで深みがない」
「分隊長がいないと何もできないひよっこよりマシだと思うけど? とにかく、私もそろそろ戻ります。シリウス号はタマラのところに待機させてきたので、こちらに戻るよう命令しておきますね」
「ああ、頼んだ」
にっこりと輝く笑みを残してグレーテルは退室する。さて、ここからが正念場だ。傍らの小さな影を見下ろしてヴィルヘルミナはわずか沈思する。
シャルロッテとその夫を心底憎み、報復までしようとした少年。
彼をどのように抑え、どう説得するか。
いまヴィルヘルミナにできるのは、そのための下準備を整えることだった。
「エーリカ、おまえはマルガと交代だ。シリウス号と門番をしていてくれ。入室したい人間がいても理由をつけて追い返すように。万一のことがあれば大声で叫べ」
「はい、了解いたしました! マルガに伝えてまいります」
「聞こえてまっすよっと」
扉が開き、うそぶくマルガが姿を現す。エーリカの肩をぽんと叩いて入れ替わりで部屋に入り、ドアを閉めると同時に軽く敬礼してみせた。
「ども、マルガ・アイヒホルン一等兵参上っと。それでぶんたいちょ、あたしは何すればいいんですか?」
「夫人の警護を頼む。隣の寝室だ。私がこの少年を抑えておくが、万一のときにはお前が夫人を守れ」
そう告げると、マルガがきょとんとわずか眼を瞬かせた。
「それ、あたしでいいんすか? ぶんたいちょのが適役じゃ……」
「私以外ではお前にしか頼めない。お前ならどんな荒事になっても対応できる」
肉弾戦において、彼女はヴィルヘルミナの部下のなかでも突出している。ヴィルヘルミナが廊下へ通じない寝室へと移ってしまえば外の状況を察知しにくいこともあった。分隊の長として総合的に考えると、これが最適な選択だ。
「夫人を守ってくれ、よろしく頼む」
「……はあい、了解ですっと。ここまで信用されちゃやる気出ちゃうなあ」
んー、と背伸びをしてポニーテールを揺らすマルガ。そのままこちらに背を向け寝室の入り口へと向かっていった。
いよいよ本番だ。寝室からじゅうぶん距離をとった部屋の中心、寝室側の壁を向いて置かれた椅子へ少年を座らせ、耳元でささやく。
「お前がどれだけ彼女を憎んでいるか、私には察しようもないし理解できるとも思えない。だが彼女の言葉は聞いてほしい。お前が真摯に向かい合えば、彼女もそれに応えてくれる。シャルロッテ・ケストナーはそういう女性だ」
手を置いた小さな肩がこわばっているのを感じる。怒りなのか緊張なのか、あるいは彼なりに真剣なのか。そうであればいいと願って、ヴィルヘルミナは少年の頭を軽く撫でた。
「せっかくの機会だ。無駄にはするな」
ヴィルヘルミナに言えることはこれだけだ。あとは軍人として彼を監視するのみ、そこに手加減は一切できない。
少年が立ち上がることのできないよう、両肩をぐっと抑えつける。その瞬間、壁の向こうから鈴の音のように凛と響く声が届いてきた。
「こんにちは少年さん、壁越しで申し訳ないけれどお会いできて嬉しいわ。それでは、お話をはじめましょうか」




