2-7ケストナー夫人の決断
「襲撃犯の息子だと?」
ヴィルヘルミナが目を眇める。伝令を務めてきたエーリカは敬礼姿勢のまま、はきはきと答えていた。
「はい。十歳ごろのポモルスカ移民児童で、現在はグレーテル・タマラ組で確保しております。昨日父親が逮捕された腹いせに、邸の敷地内に火炎瓶を投げこもうとしていたそうで……」
「そうか、ご苦労だったエーリカ」
頷くヴィルヘルミナ。しかし表情は気難しくしかめたままで、じっと中空を見つめて思考している。
シャルロッテが内心首を傾げはじめたころ、ヴィルヘルミナの口がぽつりと動いた。
「その少年は、何か言っていたか?」
「ほとんどは我々軍人への恨みごとです。特にケストナー大佐への暴言はひどいものですね。慈善家ヅラをした偽善者だとか、ポモルスカ人の人生を売って軍国民の人気を買っただとか……あ、その、ええと」
シャルロッテの方を見たエーリカが慌てたように言葉を切る。妻の前で夫への悪口を並べるわけにはいかないという気遣いなのだろうが、ことシャルロッテにとっては関係がなかった。むしろもっと聞きたいくらいだ。
「気にしないで。どうぞ続けてください」
「は、はい。申し訳ございません。ええと、そんなわけで、少年はケストナー大佐や我々に大変な敵意を向けております。言って聞くようには見えません」
「そうか……」
ヴィルヘルミナが静かに応じる。そしてしばらく押し黙ったのち、考えあぐねたかのように深いため息をついた。
「難しいな。ここまでされて反省もしていないとなれば放っておくわけにもいかない。だが昨日の襲撃犯の身内となると、このままでは確実に憲兵警察の世話になる。子供を引き渡していい場所とも思えない」
なるほどそういうことか、とシャルロッテの胸にも納得が生まれる。
害意のある人間を野放しにはできない、しかし当局に突き出せば本来以上の仕打ちを受けるかもしれない。相手が悪名高い憲兵警察ならばなおさらだ。
「身元を隠して普通警察に引き渡すのはいかがでしょう? 昨日の件、もう報道はされておりますが犯人の名前などは分かっていませんし……憲兵警察はひどい秘密主義だと聞きます。普通警察ならば名乗っただけでは分からないのでは?」
「それも一手といえば一手だが……普通警察がこの件を憲兵警察へ持っていけば、いずれ襲撃犯まで繋がってしまうな。子供のやったこととはいえ高官の身内への移民犯罪だ。内々で済ませてもらえるかは運次第になる」
首を傾げて提案するエーリカと、冷静に返すヴィルヘルミナ。どうにも行き詰まっているようだ。
この状況に新しい選択肢はないだろうか――そう考えてみると、答えは驚くほどあっさりと浮かんできた。
「私に会わせてみる、というのはどうかしら」
ヴィルヘルミナとエーリカが同時に振りむく。脚にすり寄ってきた猫を撫でながら、シャルロッテは何でもないかのように続けた。
「夫はいないけれど、私は夫の代理のようなものだし。一通り私に文句をぶつければ、少しでも溜飲は下げてくれるんじゃないかしら。落ち着いたところで説得して、もうしないって誓うようなら釈放の余地もあるでしょう?」
もちろん絵空事にすぎないし、そう都合よくいくとも思えない。しかしやってみる価値はある。
そう告げると、ヴィルヘルミナが大げさに首を振った。
「気持ちは分かるが、ロッテ、それはいけない」
「あら、どうして?」
「私たちの任務は、君をあらゆる危害から保護することだ。君が自ら危険を冒すのは軍人として、そして私個人として許容できない」
「でも、このままだとあの子は憲兵警察の人質になるかもしれない。そうでしょう?」
ヴィルヘルミナがわずか口をつぐむ。その隙を逃さず、シャルロッテは語を継いでいた。
「ええ、もしかするとそれで犯人から情報を引き出せるかもしれないし、その方が事態は早く収束するのかもしれない。
でも、子供を盾にして脅すなんて、そんなことまかり通らせたくはないのでしょう。あの子の方から引き下がってくれるのなら、それが一番のはずよ」
本来、こうしたことはシャルロッテの柄ではなかった。子供だからというだけで特別扱いする趣味はないし、そもそも自分の身を脅かした他人を庇いだてするほど善人でもない。だが今回は事情が違った。
ポモルスカ人の、齢いくつもない子供が、どんな不利にも理不尽にも屈せず立ち向かっている。
それもシャルロッテ自身が何年間も屈しつづけてきたアルバートへ、真っ向から。
それだけで敬意を表するには値するし――自分がヴィルヘルミナの隣に立つのなら、ここで人形のように傍観しているのはウソだった。
「私は私にできることをしたい。私もあなたと一緒に戦いたい。それだけよ、ミーナ」
まっすぐヴィルヘルミナの眼を見据える。他の誰に分かってもらえなくても、彼女だけは理解してくれるはずだった。
ヴィルヘルミナは理不尽を変えようとしているのだから。
誰にも縛られず、自分の正義を貫けるひとだから。
そんなヴィルヘルミナだからこそシャルロッテは焦がれつづけたのだし、こんなシャルロッテだからこそ、ヴィルヘルミナもふっと仕方なさそうに眼を閉じて頷いてくれるのだ。
「……直接は無理だ。手紙を介するなり扉ごしなり、ある程度の距離と障害は隔ててもらう。それが限界だ」
「えっ!? ちょ、ねーさま!?」
「限界? 十分の間違いよ、ありがとう」
笑みを返してソファを立つ。そうと決まれば座ってばかりもいられない。アルバートが戻ってきたら一巻の終わりだ。彼が自分に逆らう人間へ容赦をするとは思えない。
「適当に招待状でも書くわ。そこら中は衛兵隊のひとたちだらけでしょう? 家に入れるにしても、口実のひとつは必要でしょうから」
チェストからそれらしい便箋と封筒を取り出して、それらしい文面を書き出し、それらしい署名を綴る。
みすぼらしい身なりと平日のこの時間にやってくる不自然――シャルロッテの署名さえあれば、多少無理矢理でも納得させられるだろう。
(むしろ、問題はそれからね)
最大の難関は少年の説得だろう。ここまでするのだ、簡単に説き伏せられるとは思えない。自分がおなじ立場でも間違いなくそうする。
だが、「もう二度と諦めない」。
シャルロッテはそう誓ったのだから。
「まあ、なんとかしてみせるわ」
ヴィルヘルミナに手紙を手渡す。その刹那、かすかに指が触れ合う。
そう、これがシャルロッテの小さな反逆の狼煙。
いつかアルバートに打ち勝つため、ヴィルヘルミナと共にあるため――この先、一度だって負けられない。




