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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第2章―その抗いをつらぬいて
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2-5伍長グレーテルの苛立ち②

「っっっだあああああああああ!!??」


 反射的に手を引く。手袋越しとはいえ、噛み切りかねない勢いでやられた。油断していたのもあり相当痛い。


 グレーテルが悶絶している隙に少年が踵を返す。

 絶対に逃がさない。全力で駆けだして腕を引っつかむ。


「こんの、なっっっにすんのよクソガキ!!!」

「うるせえ! クソ軍人が偉そうにしてんじゃねーよ!!」


 手を振りほどこうとする少年と、何が何でも手を離さないグレーテル。

 罵詈雑言の揉み合いはしばし続き、そしてグレーテルの気はといえば、その間平静を保っていられるほど長くはなかった。


「いい度胸じゃない……軍人の怖さ、社会勉強してから帰っていきなさい。次はそのふざけた口叩けないようにしてやるわ!」

「いや、おまえこそ何をふざけた真似をしているのだグレーテル」


 後ろからかけられた声に、ぴたりと動きが止まった。


 少年を捕まえたまま振り返ると、呆れた様子でこちらを見るエーリカと目があう。路地の入り口に仁王立ちした彼女は深く深くため息をつき、小さく首を横に振った。


「任務中に子供を相手にするとは、ずいぶんいい趣味であるな。しかもタマラひとりに押しつけて……見に来て損をした気分だ」

「ちがっ、」


 なにやら盛大に勘違いをされている。弁解する間もなくエーリカの棘が続いていく。


「せっかくねーさまが心配してわざわざエーリカを送ってくださったというのに。とんだ無駄足ではないか、ねーさまになんと報告すればよいのだ」


 失望そのものといった表情で腕組みし、さえずるように毒づいてくる。

 確かに誤解されかねない図ではあるし、子供相手に激昂したグレーテルにもわずかな非はなくもない、のだが。


 なんだか、こう、カチンとくる。


 脳のどこかで軽く神経の切れた音がして、それがゴングだった。


「どうせあんたがうるさいからでしょ。厄介払いよ厄介払い。ったく、新米伍長はこれだから嫌よね。状況も空気も読めないんだから」

「なっ、いつもぎゃんぎゃんうるさいおまえに言われたくはない! それともお前は空気を読んでそれなのか、軍人というより芸人ではないのか!?」

「はあー? 芸人? 自分の常識のなさを家のせいにして妙ちきりんな口調使いっぱなしのひよっこ伍長殿のことかしら!?」

「こいつ……!」


 憎々しげにこちらを睨みつけるエーリカ。負けじと口端を歪めて挑発するグレーテル。いつものパターンだ。


 同時期に任官された同じ伍長と立場こそ対等だが、下積み期間の差ゆえか相性は壊滅的に悪かった。

 そもグレーテルから見ればエーリカの態度は生意気以外のなにものでもない。4つも年下のくせに敬語を使う気配すらないのだ。


 せめてもう少しでも可愛げがあればまだ――そんな考えがふわりと浮かんでは、口論の中にはじけて消えた。


「第一、任務中に遊んでいる副分隊長殿に罵られる謂れはエーリカにはない!」

「遊んでんじゃないわよどこ見てんのバカ! 現行犯逮捕よ仕事してんの!」


 これ! と割れた瓶をあごで指す。

 エーリカはいまいち状況を理解できていない顔をしながらも、少年がなにかやらかそうとしたことは分かったらしい。ぱちくりと目を瞬かせるとあっさり頭を下げてきた。


「……そうか、悪かった。エーリカの勘違いであったか」

「最初っからそう言ってるわよ」

「言っていないぞ」

「言ったわよ」

「言ってない」

「言った」


 小脇にそんな水掛け論をしつつ、エーリカは少年に接近していく。目の前で繰りひろげられる口論に完全に度肝をぬかれた様子の少年だったが、屈んだエーリカに声をかけられてはっと肩を跳ねあげた。


「少年、おまえの名はなんという」

「く、クソ軍人に教える名前なんてねえよ」

「そうもゆくまい。エーリカたち軍人はまず第一に国民の味方だ。よって国民たるおまえを放ってはおけない」


 ゆっくりと諭すように語りかける。こういうところは分隊長であるヴィルヘルミナの影響だろう。青臭くてむずがゆくて見ていられない。


 恥ずかしさに顔が赤らむのが知られないよう、グレーテルはわずかに顔を逸らした。


「おまえをこのまま悪戯小僧にしておいたら、おまえの父上や母上に申し訳がたたぬであろう?」

「……なにが父ちゃんだ、なにが母ちゃんだ。ケストナーのクソ野郎の取り巻きが偉そうに」


 少年がぽつりと呟く。

 その言葉はこれまでの悪態と似たような内容で、しかし決定的に違った。


「おれの父ちゃん連れてったのは、てめえらじゃねえか!!」


 泣きそうな叫び。顔を怒りに紅潮させて、目の端には涙すら浮かべて、内に張りつめた激情があふれだしている。

 それに一瞬呆気にとられて、次にはエーリカと互いに問いあうような視線を交わしていた。


 ――どういうことだ。知らないわよ。短いアイコンタクトはなんの役にも立たない。


「あ、あの、副分隊長……」


 羽虫の音にも劣るタマラの囁きも、路地の沈黙にはよく届いた。振り返らないまま応じる。


「タマラ。集中切らすなって言ったでしょ、緊急時以外は控えなさい。緊急のことならすぐ話す」

「ご、ごめんなさい、ごめんなさい……!」


 押し殺した悲鳴のような謝罪はいつも通りだ。それでも「け……けど、あの」と不器用な言葉はぽつりぽつりと、しかし確かに続いていく。


「この子、違うかも、ですけど、その」

「なによ。緊急なんでしょ、はっきり言いなさいよ」


 背を押してやる。しかしあまり期待はしない。


 タマラの危機感知は確かだが、危険の度合いを問わないためささいなことでも拾ってしまう傾向があった。

 先に釘を刺したとはいえ、いったいどんな「緊急」なんだか……そんな疑問は、次の彼女のひとことで氷解した。


「この子、ポモルスカ人、です……たぶん……」


 タマラの言葉の意味。彼の叫びと、その裏に見えるもの。


 まさか。

 グレーテルとエーリカの視線が、また困惑をにじませ重なった。

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