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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第1章―その再会に手をとって
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1-11伸ばす手のさきには、

 常通り、中央市場は鮮やかな活気に満ちていた。

 昼下がりのこの時間帯は夕食の買いこみに来る主婦も多く、天幕の内といわず外といわず押し合いへし合いしながら物色している。売り手側もひっきりなしに値段を叫びながら客を呼びたて、自分の野菜がいかに瑞々しいかを得意げに語っていた。


 ≪雇用革命≫以前なら考えられなかった光景だ。大戦中は食料の多くが軍事用に供出されてこうした市場が立つことはなかったし、休戦という名の敗戦直後はもはや論外と言えた。

 ただでさえ物資は枯渇していたのに植民地まで奪われ、諸国からの支援はなく、しかも隣国ポモルスカからは難民が流れこんでくる。経済は崩壊し、爆発した火種は10年にもわたって国民を飢えさせた。

 大っぴらに市が開かれて、がやがや騒ぎながら売り買いができるこの平和と豊かさは、まさに誰もが夢みた景色だ。


 そんな傍らに、しかし戦闘服姿の自分たちが無遠慮にも立ち入らなければならないのは、ヴィルヘルミナにしても少々心苦しいことだった。


「どうだシリウス号。追えそうか」


 うぉん、とまるで理解していない瞳でぶんぶん尻尾を振る仕草が答えだった。

 黒と茶の毛皮をまとう細身と、すっきりした精悍な顔つきは紛れもなく軍用犬種のそれだが、表情はどこかとぼけていて頼もしさがあまりない。実際のところ、今の時点では完全に頼りがいがなかった。


 鼻先に近づけているのはケストナー邸へ駆けつけた際に貸してもらった夫人のストールだ。屋敷から匂いを辿って彼女の動きを追おうとしたものの、この通り第四分隊付軍用犬ことシリウス号の鼻はあまり役に立たない。他の分隊の犬の力を借りて市場までの足取りは追えたのだが、人だかりのなかで全犬とも匂いが嗅ぎ取れなくなりここで立ち往生となっていた。


 そんなわけで駄目でもともと、今さらシリウスを責める気にはならないのだが、こうなると取れる手段は限られてくる。

 市場での目撃情報の数からしてここを経由していったのは確かなのに、どこに向かっていったかはあまり証言が一致しなかった。これ以降は手探りになる。


「シリウスがダメとなると、これは片端から探して回るしかないんでしょうか、ねーさ……分隊長」

「そうだな、効率よく虱潰しにするしかない」


 中腰でシリウスをのぞきこんでいるエーリカへ肯ってみせる。矛盾しているようだがそれしかあるまい。


 現在の特別措置小隊は市場を中心として東西南北に分隊が割り当てられ、第四分隊は西側一帯の捜索を任されていた。この分隊は隊長のヴィルヘルミナ含め9人構成、どう考えてもカバーしきるのは無理だ。

 むろん軍本部からも捜索隊が派遣されているため人手は足りていなくもないのだが、そこに甘えてもいられない。すでに隊員のうち2人は自動車で巡回に向かっている。ツーマンセル2組スリーマンセル1組で帳尻を合わせるとして、組み合わせは……


「あ……」


 そう蝿の羽音にも負けそうな声が聞こえてきたのは、指示待ちの部下らがいるはずの背後からだった。

 振りかえると、居並ぶ隊員の目を一身に受けて縮こまる女がいる。部下の一等兵だ。気が弱い性質なので、こちらからの助け舟は必須だった。


「どうした。何か気づいたことがあるなら言ってくれ」


 できるだけ穏やかに声をかけてみたが、びくりと肩を跳ねあげ怯えた表情になってしまった。

 いつもにも増して反応が過剰な気がする。「あ、その、すみませ……」などとおどおどしたかと思えば、すぐ側にいた黒髪の副分隊長――ヴィルヘルミナに次ぐまとめ役の背に飛び込んだ。


「は!? あんたいい加減にしなさいよ、上官伝書鳩にするなんていい度胸して……あ〜〜〜もう!」


 しばらく後ろに向かって声を荒げていたが、事態を進める方を優先すべきだと考えたのだろう。ほとんど聞き取れない部下の声へ不機嫌そうに耳を傾け、ヴィルヘルミナに向き直ると、輝かしい笑顔で敬礼してみせた。


「分隊長、大変失礼いたしました! ただいま申し上げます。

 北東の方角より、女性の叫び声らしきものが聞こえたそうです。あちらは人通りにも大きな差があるので、多少は怪しいかと思われますが」

「女性の……叫び声?」


 ぴくりと眉が寄ったのを自覚したときには遅かった。副分隊長、正確に言えばその背後に隠れている一等兵へとつかつか距離を詰め、肩越しに矢継ぎ早な問いを投げかけていた。


「年のころは分かるか? 周囲の状況の把握は? だいたいどのくらいの距離だ? もう少し詳しく教えてくれ」

「ひっ!? あ、ああああの、すみません、ごめんなさい!」


 突然詰めよってきたヴィルヘルミナにパニックを起こしたらしく、ますます身を縮めて上官の陰に入ろうとする。

 間に挟まれるかたちとなった副分隊長は心底困惑したような迷惑したような顔で壁役をつとめ、ぼそぼそ呟いているらしい部下の言葉を翻訳していく。


「あ、あはは……ええとですね、よく分からないそうです。なにしろ聞こえた気がする、程度のものみたいで。私見を述べさせていただくと、もし本当でもこいつの耳でこうならそこそこの距離がありますね」


 つまり、確定情報ではない。加えて真偽を確かめるにも時間が惜しい。

 合理的に対処するなら捨て置くべきだった。北側はユリアの第三分隊が担当しているのだし、他にも捜索隊の兵がいるはずだ。誰か一組でも伝令に飛ばして、北側担当の面々に任せておくのが最大限の譲歩だろう。それは分かっている、分かってはいるのに。


 ぐっと歯を噛みしめる。いつも通りの判断をくだす理性とは裏腹に、焦りだけが先走って止まらない。

 自分は軍人で分隊の長で、冷静に事態を見極める必要がある。そう言い聞かせてもなお振り切れない。都合のいい呼び方をするなら、そう、これは予感だった。


 ここで行かずに見つからなければ、きっと一生後悔する。その感情が最後の一押しとなった。


「グレーテルはタマラと、ベアテはイルムガルトとともに周囲の捜索に当たれ! マルガ、エーリカ、シリウス号は私についてこい! 以上、各員展開!」

「えっ!? ねーさま、待ってくださいねーさま!」


 告げるだけ告げて駆け出す。自分のやっていることを咎める心はある、何をしているのだろうとも思う。それでも足を速めこそすれ止まる気など塵ほどもなかった。


 この先に彼女がいるのなら、どんな愚かな決断だとしても構わない。


 今のヴィルヘルミナを駆り立てているのはただそれだけの気持ちだった。


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