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その仇花で撃ちぬいて  作者: 橘こっとん
第1章―その再会に手をとって
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1-9「乙女の名は花」①

 それはたとえば、こんな話だ。


 とある平凡な町娘が凛々しい兵士に恋をする。徐々に距離を縮めて結婚の契りを交わすふたりだが、戦争を前に兵士は出征を余儀なくされる。嘆く娘に兵士は告げた。

 いつでも花のように笑っていておくれ。祖国と君の笑顔を守るためにこそ、僕は戦場へ向かうのだ。


 娘はその約束を守った。愚直なほど献身的に働き、野花のように気丈で慎ましくあった。

 戦争の不安に荒んでいた町の人々も、やがていつもドタバタ騒がしい娘を心の頼りとするようになり、皆で一体となって銃後を守る。娘が兵士の子を身篭っていることも分かり、戦時とは思えないほど和やかな空気が町を包んだ。


 しかし戦争が激化した局面に入り、徐々に生活にも余裕がなくなっていく。それでも明るく笑う娘に兵士の戦死通知が届いた。その顔から笑みは失われ、ふさぎこむ日々が続く。

 そこでかつて娘に救われた町の住人たちは奮起し、物資もないなか娘を元気づける策に出る。人々の喜劇的な努力に娘は笑顔と愛国心を取り戻し、生まれた息子を育てながら戦時の生活を生き抜いていく。

 そして死んだと思われていた兵士も無事に帰還し、苦難のなか約束を守った妻と我が子を抱きしめるのだった。


 いついかなる時も愛し愛され、家と生活を守り、人々を支え、微笑みでもって安らぎを与える。

 乙女の名は、花である。


(なんてくだらない話)


 シャルロッテにとって、女優シャル・ハイネンの名を爆発的に広めた初主演作にして代表作――『乙女の名は花』に対する偽らざる本音は、まさしくこうしたものだった。


 人混みのなか、折れたハイヒールでは早歩きですら手間取った。まともに踵をつけることもできないし、薄い靴底は石畳の硬さをダイレクトに伝えてくる。

 しかし立ち止まるわけにはいかない。警護が来るまでは、と留め置かれていた部屋の窓から逃げだしたのを使用人に見つかってしまっている。今ごろアルバートの方にも連絡が行っているだろう。もしかすると捜索隊すら出されているかもしれなかった。


 シャルロッテとて無策ではない。経由地としてこの中央市場を選んだのは、そうした追跡の手をふりきるためでもあった。

 平日の昼下がり、ここには野菜を山と積んだ露店が並び、主婦と思しき姿でごった返している。紛れこむには絶好の場所だ。


(に、しても)


 首に巻いたストールで申しわけ程度に口元を隠しつつ、人波ゆきかう石畳を急ぎ足で叩く。こんなにも自分とおなじ女がいるのに、どこにも溶けこめる気がしない。


 ここに集った主婦たちはきっと善良な国民といえるのだろう。昼買った食材を手に台所へ立ち、自分以外のために料理をして、夫や子が帰るのを待ちながら家の諸事をこなす。それが正しいと信じ、それで幸せなのだと思っている。

 そしてこの「幸福」に耐え切れなかった一部があるいは破局し、あるいは心を殺し、あるいはシャルロッテは――


 ひときわ高い笑い声ではっと我に返った。

 誰かが冗談でも言ったのだろう、目線の先では若い主婦の2人組がきゃらきゃら笑い、片方は合わせて腕の赤子をあやしている。その満たされたような横顔に、いつのまにか緩めていた歩調をまた急かせた。


(そろそろ、いいかしらね)


 ちらちらと遠慮がちな視線を感じる。頃合いだろう。顔を伏せ、ひときわ人の混みあう一角に踏みこんだ。


 押しあいへしあいの合間、毛羽立ったストールを頭から被りなおす。手提げから取りだした型遅れの上着を羽織ってボタンをとめる。

 最後に呼吸を切り替えてまぶたを開けば、そこにいるのはただの陰気な女市民だ。先まで自分を目で追っていた人々も一目でそれとは分からないだろう。


 そう、シャルロッテとて無策ではない。


(シャルロッテ・ケス(わたし)トナーの足取りは、ここで途絶える)



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