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TUNIC 企画参加作品

平面のセカイ

 「もう終わった人生だから」。

 それはあのの口癖だった。彼女は僕の人生でたった一人、愛した女性だった。

 その口癖を初めて耳にして以来、それが僕自身のものになるまで1年の歳月をも待つことがなかった。まるで彼女と同様に、僕の人生が氷の檻に閉ざされていく……そして、奇妙な因縁をまざまざと目の当たりにしていく日々だった。この世界も、僕の変化に同期しているように、劇的に変貌していくのだ。


 夜、目的もなしに繁華街をぶらついた。デパートやアーケードの小売店の明かりが次々に消えていくのとすれ違うように、居酒屋や飲み屋の密集した歓楽街が盛況をみせ、客や客引きなどの男女が浮かれ騒いでいる光景を遠い焦点に写してぼんやりと見つめていた。空腹だった、渇いていた。恐らく肉体を上回るほどに僕の奥底から湧き上がってくる、飢えや渇きは閉ざされた心に由来していることだろう。


「バッドエンディングになっちゃえばいいんだ」

 いつものように……無意識に口をつく言葉を、相手のいない目の前の景色に響かせていた。冷たく、風が吹いた。


 無目的な散策は確たる記憶を伴わない。僕は知らず知らずのうちに、夕闇を煌々と彩る電飾の連なりから遠ざかり、一面にシャッターの下ろされた薄汚れた店店の建ち並んだ、時間に置き去りにされたような路地裏の横丁に立っていた。繁華街からはさほど距離を置かぬというのに、光源といえばアンティーク調の街灯の仄明かりのみ、土台から灯具の傘までモノトーンで黒っぽく塗装されたそれは、傷ましささえもたらすような荒廃の様相には相容れぬ突飛さを喚起するものだが、転じて何処かしらしっくり溶け込んでいるようでもあった。

 すっかりと陽は落ちていた、立ちつくしたまま唯一の明かりへ、惹かれるものを漠然と感じながら然したる意図もないままに眺め続けていた。

 すると、仄明かりの元へと踊り出てきた。あたかも下ろされたシャッターをヌルリと通り抜けるような振る舞いにギョッとしてしまう……こちらに気づいたようで彼女は視線をまっすぐに向けていた。僕もしばらく見つめ返した。きっと僕の方から覗けない死角があって路地裏を抜け出たというだけのことだろう。とは言え、閉ざされていると思い込んでいた場所から突如現れた彼女は薄気味悪い感じでもあった。

 促されるような感覚で視線を足下へと落としていた、真っ白いドレスを着ている。ドレスと、相貌だけが強烈に照らされているように不自然に白く、浮かんでいた。脚はあった。しかし、何故かしら、その細く引き締まったような赤いヒールを履いた脚は、闇に溶け込んでいるように感じられた。もう一度、顔へと見上げてみる。

 やはり……幽霊? 不明瞭ではあるが、強烈な畏怖に迫られ心が揺らぐ。乗じて、より彼女の相貌を凝視していった。綺麗な筋の小高い鼻梁、無駄な肉はないのに頬から顎にかけて不思議と丸みのある輪郭、唇、そして何より睫毛のくるりと逆立った柔かく何処か憂いのある目。蓋をしていた心の底、潜んでいた寂寥……斜交はすかいに溶け込む懐かしさが一緒くたになり込み上げていく。


「レオナ……」


 僕は届くはずのない名を咄嗟に口ずさんだ、向かい風が吹いたせいで言葉は後方へと流されてしまった気がする、彼女は表情を変えずに見つめ返すばかりで。

 曖昧な記憶を手繰り寄せたくなっていた、それは不意打ちのような感覚で、無意識の領域からの逃れようのない要請みたいに僕をそそのかしていた。制御とは関係なしに左手が動いていった、一張羅の迷彩柄のジャケット、何故ならそれが右の内ポケットに常日頃から秘められてあって、しかしその封印から解かれるようなことは一度もなかった、握っていた。

 レオナは笑っていた、曖昧だった相貌と表情へと邂逅していた、そして見上げた……やはり! 忘れかけているに等しかった愛した女性と同じ顔が街灯に降り注がれてこちらを見すえていた。

 

 A.声をかける

 B.しばらく様子を見る

 C.薬を飲みにいく


 突然現れた。僕と彼女の距離を遮って、選択コマンドが現実の道を塞いでいた。

 茫然自失……力の抜けてしまった僕の手からはレオナの笑う写真が離れてしまい、それは風に舞い旋回した。僕の目の前、踵を返したような追い風に運ばれて遠ざかっていった。

 手元を離れた写真のこと以上に、何の前触れもなく訪れた徴候に心が支配されていく……気が気ではない僕は、街明りの差す場所を目指して足を踏み出していた。



 今は二限目の最中だった。キャンパスのベンチ、小さな公園のような場所、陽が射して近頃にしては暖かく感じるのだった。

 今朝、予定外の通院のため二限目の授業開始時刻には間に合わず、それを受けないことにした。担当医は、明言はできないにしても、『選択コマンド』が現れた以上何らかの進行があり、今後益々気を付けていかなければならなくなるだろう、という旨を僕に伝えた。薬も、一錠増えるということらしい。

 初めての兆候は僕が心を病んでしまったこと、つまり、レオナの自殺したあの日からさほど遠くはない。体の一部……その瞬間は歩行中ということもあり視線がブレていたためにその違和感が明瞭ではなかった。それに、レオナの死の悲しみにふけっていたことも重なって気もそぞろであったのは間違いない。白地のスニーカー、多分右足だったように記憶しているが、まるで海にでも浸かったように澱んで見えて、それからしばらく歩いていたがやはり気になって立ち止まる、すると益々スニーカーの澱みは酷くなっていたのだった。

 胸に冷たいものが流れた。しかし道端に屈んで凝視してみた。悍ましかった。見すえた先にはゆらゆらと揺蕩う中に、細かな筋が泳いでいた。それが、コーディングされた文字配列であることを悟った時、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けてしまった。

 世界に蔓延しているという疫病。肉体が文字通りコード化されていき、シナリオゲームへと化していく現象。主に性的接触により感染するものであるが、医者からの質問に、本当に(・ ・ ・)心当たりの無かった僕は「わかりません」と答えていた。稀に空気感染もあるため、そこがこの病の恐ろしい所だよ、と教えられた。

 ただ、傍からすると澱み、つまりコード化された肉体が、澱んでいるようには見えないようで、そこが不可思議な部分でもあった。実の所、これは本人にしか確認できない幻覚の一種であるらしい。しかし、それを放置してしまえばシナリオゲームの精神への侵入が止めどを失ってしまうために服薬での抑制が推奨されているのだ。

 そんな中僕は感染者となり、昨晩、薬を増やさねばならぬほど病状の進行が確認されてしまった。服薬さえ怠らなければ日常生活に支障をきたすことはほとんどないとされている、悪化は抑制される上、性的接触以外では感染の拡大もあり得ないとされているからだった。度々認めることのある幻覚も、しばらくすると消えていくものなのだ。しかしいずれは肉体が全体的に幻覚に覆われていき、それがしだいに完全に定着していく。これまでのケースの報告によると、肉体は立体感を失い、画面に写されたシナリオゲームのものと同じく、実体を覆って平面的な見てくれになるのだという。つまり、ゲーム内の、アニメ化された肉体となりゆくのである。それを補うように、平面的に見える肉体の上部を、ホログラムのような、透過された立体感が包んでいくらしく、妙な埋め合わせもあるものだ、と思えてしまう。

 

「あれ?」

 スポーティな服装に浅黒く焼けた肌。大学に入りレオナ以外の女性とはほとんど会話をしたこともなければ、レオナの死以降、益々心を閉ざしてしまった僕は、誰ひとりとして会話することもない、という所まで落ちてしまっていた。登校したばかりであろうその女学生は、見覚えもなければ声をかけられるような覚えなど尚更なかった。

 だが。積極的な女性だと思う。僕の座る隣に彼女は腰掛け、こっちを見つめてきた。かなり接近している、久しぶりのことでドギマギする。美人だ、と思う、ただ、透き通るように肌の白かったレオナを愛した僕にとって、彼女は色黒すぎて、タイプな容姿とは思えない。誰なんだろう? 病気のせいで記憶、特に人の相貌に関する記憶が奪われていく日常で、レオナでさえ写真を見ていなければ忘れてしまうくらいだった。昨夜久しぶり見つめた写真が風に奪われたせいで、今は彼女を思い出す手立てがない。ネガは持っているけれど、見ることを遠ざけていたくらいだったから、わざわざそれを現像するのは億劫だと思うのだった。

 

「ねえ? やっぱり君じゃないかな」

 彼女は高級そうな薄いピンクのバッグを開け何かを探している。

「これこれ」

「あっ」

 彼女が差し出したのはレオナの写真だった。昨夜、白いドレスを着た女性はレオナを想起し、写真と見比べてみても遠目であっても似ていると思った。目の前にいる彼女は昨夜の彼女ともレオナとも違っている。失くしたばかりの儚い一葉の……僕は何重もの意味で不意を食ってしまった。

「ねえ、これ」

「えっ」

 彼女は写真を……レオナを指差している、僕は気圧されて固まってしまう。

「玲緒奈だよね?」

「はぁっ?」

 妙に高い変な声を出してしまった、だけどそれ所ではない、何がなんだかわからずに、色んな情報が錯綜しながら押寄せてくる、だけど言葉に詰まる……。

「あ、そうだよね? 昨日会ったよねってとこからの確認だよね」

「ええと……いいよ、昨日会ったのはもう、それがあるんだし」

「そうよね、あはは。どうして君だと判ったと思う?」

「知らないよ、そんなこと……」

「あのね、実は昨日の時点でなんとなくわかってたんだ」

「はぁ~?」

 また高い声を出した、記憶に難のある僕を嘲笑うように、彼女は何から何まで知っていて僕を試しているような感じだ。

「いやね、いつも着てるでしょ、それ」

 彼女は僕の一張羅を見つめているようだ。

「あ。そうだね、このジャケットでしょ? それで気づいたの、そうだとしたら君、凄いよ」

「そうでもないし~。まずね、君さ、それ一張羅だからってさすがに着すぎでしょ? 柄を考えてよ」

「……あ~、柄が派手だから目立っちゃうんだ」

「そうよ、毎日だからさすがにこっちも見慣れてくるわ……」

「そうかな。でもいくら同じ大学だからってそうそうすれ違うってこともないよね」

「まあ、そう言われるとそうかもしれないけどさ、でも同じ学部には違いないし、学年は違うんだろうけど結構見かけるんだよね~、君のこと」

「そうなの? ごめん、僕は君のこと知らなくてさ」

「いいのいいの。あたし2年生だけど、君は?」

「僕は3年生だよ。本当は4年生の筈だけど一年休学してたからね」

「そうなんだ。あたし恭子、よろしくね」

「僕は亮司、仲村亮司。こちらこそ」

「でね、本題。昨日君、いきなりいなくなったでしょ、あれ何でよ」

 昨夜は初めて『選択コマンド』に遭遇し面食らった僕は、近くの公衆トイレへと駆けこんで薬を飲んだのだ、しかしそんな話をできる訳がない。

「いや、言えない訳があるんだよ、ごめんね」

「ふぅん。まあいいわ、でもさ、この写真のおかげで色々繋がったんだ。君さ、玲緒奈の彼氏だったんでしょ?」

「あ……うん。そうだよ」

「あははは。あんた色々と正直よね、あははは。今だってどうして分かったのって顔してるしさ」

「というかさ、君が知りすぎていると思うんだ、ちょっと怖いよ」

「あ、それね~。偶然偶然、ただね、繋がりが多過ぎてこっちもビビッてるかも知れない」

「偶然ねー……」

「ていうか、昨日はこっちが怖かったかも」

「え、どうしてさ?」

「だってね……あたしだってあんたの顔じっと見てたからそれは悪いとは思うんだけど、でもあんたもそうだったでしょ?」

「そ……それは」

「でもね、それも後でピンと来た訳。あんたが急にポケットから取り出して見てたでしょ? 何してるのかなぁなんて正直気になってた訳よ。そしたら風に乗ってヒラヒラこっちに運ばれてくるわ、持ち主はいなくなっちゃうわで」

「そりゃ不審だよね、ゴメンね」

「ま、それもあるんだけど、見て驚いたのは写真のほうかな」

「あー、そう、何で? 知り合いなの、多分齢も離れてるよね」

「そうだよ、2つ違いなの。あのね、玲緒奈は従姉なんだ。あたしの名字は高瀬、玲緒奈と同じ名前だよ」

「え……」

 

 高瀬。恭子の口から放たれた言葉はこれもまた不意打ちだった。


「だからね、顔、見比べてたんだって分かったのよね~。でもさ、よく写真とか持ち歩いてるよね、まあ、あんなことあったからショックなのは解るけれどね~」

 確かに。ああなってしまった以上遺影を持ち歩くようなものだ。その権利が僕にあるのか、ないのかは判らない。ただ、レオナの葬式に参列することはできなかった。もし、勇気を出してそうしていれば、もっと早い段階で恭子と知り合っていたのだろうか?


「似てるんだよな~あたし達ってさぁ」

 その言葉を聞いてしばらく反応に困った。僕からすると恭子とレオナは似ても似つかない感じがするのだ。しかし、昨夜見た白いドレスの女性が恭子だとするなら、やはり、彼女はレオナと瓜二つなのも納得できる。そこがとても不思議だった。

「正直な話をするとね、昨日はとても似ていると思ったし、でも、今日の君は全然似ているとは思わないんだ」

「はぁ~」

 恭子は思いのほか深い溜息をついた。

「ご、ごめん。気に障ったかな」

「ううん……いいのいいの。あたしさ、部活のせいもあって色黒いしね~。でも顔の作りは似ているからね、だからスポーツやる前はそっくりだったんだよ~、ま、小学校時代まで遡っちゃうけどね、あははは。昨日さぁ、バイトだったしね、あれ、水商売のバイトよ、だからせめて顔だけでも真っ白にメイクしとかなきゃって気張っちゃったのよね、だからね、自分でもびっくりするくらい玲緒奈に似てるって思ったからね、鏡見ながら懐かしくなっちゃったんだ。そしたらあの写真でしょ? 偶然って重なるもんだなぁって」

「そうなんだ……。普段はメイクしたりしないの?」

「そう、基本はこんな感じ。あんまタイプじゃないよね~? 玲緒奈と付き合うくらいだから。実は正反対だなって自分でも思ってるとこあるし」

「だよね……」

「っも~、そう言われるといい気しないな。だって骨格は本当似てるからね」

「ゴメン」

「ま、いいよ。でさ、この写真って、お店で現像した感じじゃないよね。デジカメを自宅で加工した? にしては安っぽくない気がするけど」

「そうだよ、これはデジカメじゃない。ちゃんとした銀塩写真だよ、僕が現像したのさ、写真部だからね」

「へぇ、そうなの。そっか、だからか。玲緒奈って写真部だったよね、確か」

「そう、だね。でも君もよく判ったね、それだけでも凄いと思う」

「そうかね~。あ、そうだ、写真部の部室に行ってみたいんだけど、ダメかな?」

「どうして? まあ、行っても差し支えないけどね、見学なら」

「別に見学ってほどじゃないけどさ。何となく、玲緒奈がどういうことしてたんだろうって、ちょっと興味本位なだけよ」

「じゃあ、行ってみようか? 今からでもいいのかな」

「やっほ~。嬉しい嬉しい」



 レオナを恋愛対象として明確に意識するようになったのは一年を過ぎた頃だったろうか。互いに新入部員として知り合ってすぐに心を開いてくれた彼女とは、仲のいい異性友達としての関係を続けていた。

 でも、振り返ってみれば、レオナの容姿には初めから一目惚れしていたのだと思う。僕の人生の中で出会った全ての女性の中で、一番綺麗なひとだった、と今でも思っている。

 たった一度、彼女の夢を見た。不思議なことにたった一度だけ。夢ではレオナと僕が恋人どうし、あるいは新婚カップルみたいな関係だった。初めて出会った者どうしのような新鮮な感覚が占めていたが、長年連れ添ったような心安さも感じていた。特別なことが起きた訳ではなかったが、共にする日常風景があるだけで特別でならなかった。その夢を境に、ボクはレオナに交際相手としてアタックするようになった。



 恭子は本当に見学のつもりではなかったらしく、部室に立ちつくしてほとんど観察する素振りはなかった。


「あ、これ……」

 食堂風のレトロなガラスケース、何故か保管棚に使われている物だった。一並びのカメラの中で恭子が指差した一眼レフ。僕が知る唯一のレオナの形見だった。部員は各自カメラを購入する、卒業後、後輩のためそれを寄付するかどうかをそれぞれが決める、卒業を待たずして、これはずっとこの部室にて、代々引き継がれていくものだろう、と考えていた。


「玲緒奈のだよね?」

「そうだよ……何でもかんでもよく知ってるね」

「ううん……。でもね、実は玲緒奈に誘われて一緒に選んだんだ」

「そうなんだ」

 今や思い出となったこの品にも恭子が関係していた。浅い関係に過ぎない彼女から次々に繰り出されていくものが、いずれも深い因縁をもたらす不思議な感覚の連続だった。


「なんか懐かしいよ、だってね、冗談で一番高いヤツ指さしてみたら本気にするんだからさ」

「あ~、確かにレオナらしいや。せっかくだからって高い物を選んだり……でも大事にするから偉いと思うんだ。僕なんて安いカメラだからって言い訳してメンテ怠ってばかりだけど、いつも手入れしてた情景が今でも思い浮かぶよ」

「そうなんだぁ……」

「そうそう」

「いや、そうじゃなくてさ」

「えっ?」

「今でも好きなんだなって判ったの」

「……あ。そう……なのかな?」

「何トボケてんのさ。まあね、突然恋人がいなくなるなんて想像絶するよ、現実感があるようでない、みたいな」

「そうだね……そんな感じだよ」

「ねえ?」

 恭子は入り口まで戻り電灯のスイッチを切った。


 カーテンから漏れる正午過ぎの光だけ。薄闇だった。

 ハッとしてしまった。部室で二人きり、薄闇で何度も見たレオナの輪郭が彼女の相貌に浮かび上がった。やはり、肌の色の相違だけで顔の作りは驚くほど似ているということだろう。


「新しい彼女は出来たの、あんた?」

「いないよ」

「作りなよ、もったいないじゃん」

「でも……もう終わった人生だから」

 突然の恭子の催促に困惑して思わず口癖を放ってしまう。

「何よそれ、本気? そういや玲緒奈もよく言ってたよそれー」

「あ、君にも言ってたんだ」

「そうそう。ねえ……?」

 恭子は暗がりの中で僕を見つめていた、レオナに見つめられているような感覚……。


「忘れられないんでしょ玲緒奈のこと?」

「うん……一言じゃ返せないよ」

 奇病による記憶障害を説明すると長くなってしまう、それに、これは僕の秘密だった。

「実は、僕が殺してしまったって考えてしまって」

 代わりに口をついたのは、更にややこしい話だった。動揺が悪い方向に舵を切ってしまったことを後悔した。


「どうしてさ?」

 しかし僕の重い言葉を受け流すように恭子はサラっとしている。

「あたしで良ければ付き合ってあげてもいいよ」

「えっ!」

「そんで、嫌いになるのならフッちゃえばいい……そしたら清々するかも知れないよ」

「そんな。自分を粗末にするようなこと言っちゃダメだよ」

「それはお互い様だよね、あははは。それよりさ、一枚撮ろうよ?」

「ん……急だな~、話変わり過ぎだよ」

「どうせすぐに答えなんてくれないんだしさ。ツーショットだよ」

 恭子は強引に僕を抱き寄せていた。動悸が高まっていく……『選択コマンド』が現れるような気がしてハラハラしてしまった……しかしこれは、別のことでドキドキしているだけだろう……。


「じゃあ現像しといてよね、それと、考えてといてよ、さっきのこと」

 恭子は夢で見たレオナみたいに、すっと光へ還っていった。



 僕が死なせてしまった、という後悔は度々訪れた。レオナは突然恋愛対象として意識するようになったそれまでの異性友達をずっとはぐらかすように交際の申し出を他愛もない会話へと切り返してばかりだった。それでも、諦めず何度もアタックした。

 いつしか、二人の間に陰鬱な空気が流れるようになった。「もう終わった人生だから」という言葉を用いて真正面から断りを入れるようにさえなってしまった。

 僕が死なせてしまった、レオナは、僕のせいで……。


 レオナがそれまでとは反して僕を受け入れた夜。

 デートの代わりなら何度も重ねていたのもある。彼女と身体を一つにするまでにたった一夜で辿り着いたことは奇跡のようでもあり、必然のようでもあった。ラブホテルだった。


 あの夜、それぞれ、帰宅した。彼女が自殺したのはその夜だった。僕が殺した、という罪悪感を抱くには十分過ぎる理由だった。



 夢を見ている、レオナに恋心を抱いたきっかけの夢以来、初めて。夢を見ながらこれが夢である、と把握していた。だが、不思議と覚醒することもなかった。

 レオナは裸だった。顔と同じくほんのりと桃色をした乳輪を湛えた上半身もまた白い肌だった。この裸体は恭子じゃない、と不謹慎なことを考えた。

 レオナは僕を見すえている。


「見て」

 レオナは自分の臍の上あたりを指差していた。のっぺりと肌の平らかであった筈の腹部には、襞をなす深い溝が穿たれているのが分かった。あの夜、レオナが僕に見せてくれたものと同じような肉でなされた渓谷があった。

 無言で僕を見つめたまま右の手を穿孔へと沈めていく…………


「何をしているんだ、レオナ! そんなもの入らないぞ!」

 夢だと分かってはいる、でも、何故だか止めなければならない気がした。

 しかしレオナは完全に、手首が届くほどまで、突き入れてしまっていた。……再び体外へと運ばれた掌には、ぬらぬらと血液や体液を纏わせた石榴色をした心臓が収まっていた。本物を見たことがないが、心臓である、と直感した。

 だが、それは動いてはいなかった、しばらく、僕は彼女の掌の方から、視線を動かすことができなくなった。


「ね。動いてないでしょ? だって……もう終わってしまっているから」

 レオナの言葉を聞いてようやく視線を上げていた。レオナは微笑んでいた。



 夢が破られた時、前後不覚に陥っていた。自部屋には違いない、だけど、ある筈の目覚まし時計がなかった。携帯電話やテレビのリモコンや、時間帯を確認できるものを探してみるが見当たらない。

 まだ夢の中なのか? しかし既に覚醒している実感があった。

 カーテンの向こう、朝方のようでも黄昏前の暗がりのようでもある。

 自宅には僕以外誰もいない、夕方かなと思う。


 自宅を飛び出してしばらく歩いた。誰もいなかった。明け方なのだろうか、逆にそう考えるしかなかった。通りには車すらなかった。

 特異な夢に浸ったことが不思議な感覚を自身に与えていた。これまで生き続けてきた時間というものから解放されたような、永遠に届いてしまったような全能感が全身に満ちていた。同時に、これまで自分を苦しめた罪の意識に対して一つの解答を得た感覚が鮮明にあった。

 どうして気づかなかったのだろう……。


 レオナは、感染者だったのだ。だから『終わっていた』のだし、僕を恋人として、肉体関係を結ぶ契りとして、避けていたのだ。だが、死の近づいたあの夜、何故かしら僕を受け入れる気持ちが優位になり、結果的に僕は感染してしまったのだ。

 僕はこの運命を後悔する気にはなれなかった。彼女は誰にも知られず、肉体をゲームの世界へ蝕まれ、平面化していたに違いない、そして、自ら命を絶つことでしか回避できない狂気に取り込まれてしまったのだろう。

 後悔と罪悪感がない交ぜになって、僕は僕の人生など『バッドエンディング』になればいい、と考えるようになってしまった。しかし、それは早計でしかなかった。僕は僕の人生について何も知ってはいなかったのだ。



 かなりの距離を歩いていた、だが、ここが何処であるかすら判らない状態だった。

 不意に僕は自分の肉体へと目を向けた。やっと気づいたんだ!

 平面化しきった肉体! そう、のみならず既に肉体を超えて、僕を包む世界全体にまで『シナリオゲーム』は伸びきっていたのだ。

 先ほどからしつこいほどに、何事も進まないのではない……全ての物事は、『選択コマンド』たる意志により為されていくのだ。上等だ! バッドエンディングが襲いかかるのなら、それに従おうじゃないか!

 僕は長らく反応していなかったその意志を、自らの力で生み出す時だ、ということを知っていた。


 A.恭子の告白にOKをする

 B.部室にてツーショット写真を現像する

 C.恭子に結婚を申し出る


 流石にCの選択は飛躍が過ぎるだろう。しかし、僕の心を支配するのは恭子なのだ。いずれにせよ、僕は恭子に会いに行く。まずはB。部室に戻りりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりりり…………

既にシナリオゲームと化した世界は突然バグに見舞われて、中村亮司、そして彼を包んだ世界全体は永遠にとどまってしまい、宇宙から取り残されてしまったのだった。

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