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未だ俺には、トリップする気配がない。

作者: 千雁

 幼い頃に読んだ1冊の本に、その後の人生の指針が決まった。


 その本を読んだ直後、両親にお願いして、習い事を始めた。とりあえず剣道と、近所にあったので合気道。中学では弓道部、高校はフェンシング部があるところを狙って受かった。

 社会と理科は真面目に取り組んだ。とくに政治経済軍事関係の歴史、様々な機械や薬剤の原理、空き時間には家の手伝いと称して、料理も一通り基本はできるようになった。


 大学では、乗馬サークルに入った。夏休みには、おねだりして家族で地方にキャンプにも行った。平たい駐車場でバーベキューをするような奴じゃなく、火の付け方からカヌーの漕ぎ方まで教わるような奴だ。もちろん、海で遠泳なんてこともした。もしかすると、落ちた先が大海原なんてこともあるかもしれない。


 逆に、流行りのRPGの類いは一切やらなかった。周囲は楽しそうにしていたが、クリックを重ねたところでいたずらに時間が過ぎるだけで、キャラクターは育っても自分自身の能力は上がらない。該当ゲームに入れるのなら別だが、俺は遊びたいんじゃない。異世界で、生きたいんだ。


 出来る事はすべてやった。やれなかったのは、今いるこの世界で生きるすべを学ぶことくらいだ。いつも忙しく、遊びや恋愛には興味のない俺には友達もほぼいないと言ってよかった。正確には恋愛に興味がなかった訳じゃない。この世界で彼女を作ったところで、トリップしてしまえば泣かせるだけだから。家族宛の手紙も、書いてしまってあった。突然俺がいなくなったら、気まぐれに独り遠くへ引っ越したと思ってくれと。


 そこまでして待っているのに、未だに俺には、トリップする気配がない。


 気は急くけれど、仕方ない。今時、喚び出されるのに、アラサー、アラフォーは当たり前。アラカンや、天寿を全うしてからってことだって、可能性としてはありうるのだ。


 現実ではやりたいことを見つける気もないまま、サバイバルと戦闘にかけては、それなりの力をつけた。とりあえずは、自衛隊にでも入るのが一番自分の力を活かせるのかもしれないとも思いつつ、自分が組織向けの性格をしていない事くらいは把握している。ちまちまアルバイトをして旅費を稼いでは、秘境と呼ばれる場所で特訓を重ねるうちに、気づけば、現実でさえ「冒険者」の肩書きをもらえるようになっていた。


 なんのために、そこまでするのとよく聞かれた。幼い頃は、正直に答えていた。


「いつか、トリップしたときに困らないため」


 その度に、呆れられ、馬鹿にされ、笑われてきた。途中からは、適当にそれこそ夢みたいな、男の浪漫だ地球の広さを知るためだと、臭い事を言って流した。


 けれど、たった一人だけ、馬鹿にしない奴がいた。それはいい、応援する、と。

 そいつが、俺のマネージャーのような顔をして、あちこちでスポンサーを募って、俺に「冒険者」という肩書きをくれた。たった一人の友達だ。自分自身の事はいいのかと問うたら、お前のおこぼれでマネージャーとして楽しんでいるよと笑った。

 いつか本当にトリップする日が来たら、こいつも一緒ならいいのに、と願わずにはいられない。旅立ちが一人ならば、この世に未練を作らないように生きてきた俺の、唯一の心残りになるだろう。そのことも話してみた。その時はお前の生涯を本にして印税で暮らすよと、彼は笑った。



 未だ俺には、トリップする気配がない。




長編異世界トリップの出だしだったはずが、こうなりました。いつか同じオープニングで異世界物を書いてみたいものです。

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