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ウワサ

作者: 小峯静人

 ふっ、とボクはロウソクを吹き消した。友人の一人がビールの空き缶の側面に四角く穴を開けてロウソクをさして作った簡易ランタンは、残り一つとなる。

最初は六つもあってなかなか明るかった部屋だが、光源が一つとなっただけの室内はとても暗く、コテージの窓ガラスに叩き付けるように降る雨の音とあいまって、不気味な雰囲気を醸し出していた。最初は話が終わるたびに「怖かった」だの「どっかで聞いた話だな」だのと感想を言い合っていた友人達だったが、徐々に雰囲気にのまれて口数が少なくなり、今ではもう誰もしゃべらない。

「いよいよ、私で最後ね……」

 雨の音だけが聞こえる中、ボクの対面にいる彼女はぽつりとつぶやいた。彼女こと佐々原瑠莉(ささはらるり)は、このコテージに集まった、ボクを含めた男女六人のメンバーと同じくボクの小学校からの友人だ。髪を茶色に染めているものの、目がぱっちりとして可愛らしいところは、昔と変わっていない。明るい性格で運動神経もよく、彼女に密かに憧れていた男子はたくさんいたと思う。かくいうボクも、その一人だ。

「怖い話をする前に、ちょっと訊きたいことがあるんだけど……。みんなって、小学校の頃の思い出ってどれくらい覚えてる?」

 下からのぼんやりとしたロウソクの明かり照らされた、恐ろしくも美しい顔につい見とれていたボクは、その言葉で我に返る。

ん? 小学校の頃の思い出……? 夕食のバーベキューのときにもみんなだいたい話したし、今は雨で急きょ中止になってしまった肝試しの代わりの怪談大会だ。一人一話ずつ、自分が今までに体験または聞いた話の中で怖いものを話さなければならないというルールの中でここまでやってきたのに、今更思い出話?

「全部覚えてるってわけじゃないけど、まぁだいたいなら覚えてる……かな?」

「あたしも、そんな感じかな……。年中行事と一緒に遊んだこと以外の出来事は覚えてるかどうかちょっと怪しいけど、クラスの子の名前はみんな覚えてるよ。一学年一クラスしかなかったし」

 そんなようなことを仲間が口々に言うと、瑠莉は、

「それじゃあ……。みんな、小五のときに転校してきた麻野(まの)みゆきって覚えてる?」

 そんなことを言い出した。数秒前まで誰もしゃべっていなかったかのように、一瞬で静まり返る室内。みな、気まずそうな顔をしてうつむいている。

 それはそうだ。「麻野みゆき」と言えば、ボクらの世代で覚えていない人などいない、いや忘れたくても忘れられない名前だ。それは彼女も知っているはず。それなのに、どうしてわざわざ確認なんか……?

「あっ、ああ……。まっ、麻野みゆきね! 覚えてる覚えてる!」

「おとなしそうな、ボブカットの子でしょ?」

 沈黙に耐えられなくなった、お調子者キャラの友人が口を開く。ボクも他のメンバーも彼の意見に賛同する。

「そう。よかったみんな覚えててくれて。彼女のことを覚えてないと、この話は始められないから」

 どこか安堵した様子の瑠莉。彼女の意図がボクらには全くわからず、暗い室内でお互いの顔を見合わせるばかりだった。そんなボクらをよそに、彼女は淡々と、語り始める――……



「麻野さんが転校してきたのは、みんなも知ってるとおり小五の夏休み明け……。子供の少ない田舎の学校だったから、都会から来た転校生はとっても珍しかったよね」

 今日はみんな二十歳になった記念の集まりだから、今から九年前のこと……。あれからもうそんなに経つのか……。でも、今更ここにいる全員が知っているあれの話をして、一体どうするというのだろうか。

「外で遊びまわって日に焼けた私たち田舎の子と違って、色白で訛のない言葉を話す麻野さん。未知の世界から来た彼女のことを気にしないっていうほうが無理な話で、麻野さんの周りには休み時間になるとあっという間に人だかりができていたことを覚えてる」

 麻野みゆき……。確か、病弱で治療のために田舎に転校してきた少女だ。華奢で背が低く、転校したばかりで田舎になじめないのか、いつもオドオドしていたが、頭がよくて優しい子だった。おそらくは母親のお手製か都会で買ったものだと思われる、近所の店では見たことないような可愛らしいワンピースを着ていて、主に女子に可愛がられていたように思う。

「『どこから来たの?』『どこに住んでるの?』『好きな食べ物は?』『その服、かわいいね!』クラスのみんなに質問攻めになる彼女。びっくりして何も言えなくなる彼女を見ていられなくって、『みんな、麻野さんびっくりしてるから、一人ずつ順番に質問しなさいよ』って怒ったのが麻野さんと仲良くなるきっかけだった」

 そういえば、困ってる子がいれば放っておけない性格だったな。ボクは昔の瑠莉を思い出して懐かしくなった。ボクもからかわれてたときに助けてもらったことがあったっけ。

「麻野さんがおとなしい性格だってのもあるし、みんなが物珍しい転校生に次第に慣れてしまったってのもあるけど、麻野さんはだんだんと他の子たちから話しかけられなくなっていった。当時も今も私はここにいる二人と私の三人で仲良く遊んでて、麻野さんと仲良くしてあげようって思ったの」

 ここにいる二人、と言ったとき、瑠莉は両脇の二人を見やった。暗いので彼女らの表情はよくわからないが、おそらく不安そうな顔をしているにちがいない。

「いきなりよくわからない子たちのグループに入れられて、数日は困惑気味だったけど、積極的に話しかけたら心を少しずつ開いてくれたようで、おうちに招待してくれたり、笑いながら前の学校の話とかしてくれるようになった。麻野さんが転校してきてから二か月ほどしたころ。事件が起きたの」

 ……。とうとう、来たか。

「私たちの学校に、怖い話がいくつもあったでしょう?」

 嫌な予感を全身で感じているのか、誰もしゃべろうとしない。

「いわゆる学校の怪談とか、学校の七不思議ってやつかな? 音楽室のピアノは放課後に勝手に鳴るとか、理科室の人体模型やホルマリン漬けは夜中に動き出すとか、女子トイレには花子さんがいるとか……。その中でも一番恐れられていた噂が……、『二階と三階の間にある大きな鏡の前で転ぶと、一か月以内に死ぬ』って話だった」

 瑠璃の言う通り、ボクらの代の全校生徒が異常なまでに恐れていたのはまさにそれだった。


ボクらの学校の校舎は一つだけで、一階には職員室や給食室、図書室などがあった。二階には三年生までの教室。三階には六年生までの教室があった。その三階と二階の間の踊り場には高さ二メートルほどの大きな鏡がある。かなり前の卒業生から寄贈されたものだ。その鏡の横に、ただ一言「階段では走るな」と赤い字で書かれた紙が貼ってある。その標語の理由を生徒も教師も誰も知らないため、誰かが勝手に適当な噂を作って流したのが始まりなんだろうが、ボクらの世代ではもう「この学校で一番注意すべき噂」として全校生徒が知っている話になっていた。子供にとって、一番わけのわからない「死」というモノが身近な場所で転んでしまっただけで降りかかる……。しかも、噂を信じなかった三人の生徒が、一人は学校の階段から転落して、もう一人は病気で、最後の一人はトラックに轢かれて死んでいるという尾ひれがついていたため、みんな恐怖した。誰一人として鏡付近で走る者はおらず、ふざけて友達を転ばせようとする生徒もいなかった。噂による死者を防ぐために、噂は新入生が入るたびに先輩から伝えられ、またその後輩に……という形で脈々と受け継がれていた。

 でも、ボクらはそれを彼女に……――


「あの日、私は麻野さんに勉強を教えてもらっていたの。私たちの学校よりも、麻野さんが以前いた学校の方が授業が進んでたから……。あらかた教えてくれたところで、麻野さんが『あっ!』と時計を見て声を上げたわ。どうしたんだろうって思ってると『今日ピアノ教室があるの忘れてた! 早くいかないと間に合わなくって、先生とお母さんに怒られちゃう! ごめんね佐々原さん、私先に帰る!』そう言って、彼女は走って教室をでていった。私の静止もきかずに……」

 それが、悲劇の始まり。

「『待って、麻野さん! 階段のところは、走っちゃ……』私も走って後を追いかけたけど、もうすでに遅かった。麻野さんは、鏡の前で尻もちをついて『いたたた……。転んじゃった……』って苦笑いしてた。本当だったら『ケガしてない? 大丈夫?』って心配するところだけど、私はもうそれどころじゃなくて、麻野さんが一か月以内に死んじゃうかもしれない。どうしよう、ってそればっかり考えてたの。そこに、ちょうど忘れ物を取りに階段を上ってきてた六年生が通りかかって麻野さんに言うの。『お前、一か月以内に死んじゃうんだぞ!』って。事情を知らない麻野さんは『え? なにそれ? どういうこと?』って驚いてた。六年生と私で事情を説明したけど『そんなのウソに決まってるよ』って、ちょっと青ざめた顔をして帰っていったわ

 それから一週間ほどして、麻野みゆきは学校に来なくなった。教師は、体調不良で休みといっていたが、本当にそうだろうかという憶測が教室を飛び交っていた。

「麻野さんの具合が心配だった私は麻野さんちにお見舞いに行っていたの。でも、『インフルエンザにかかってしまって、うつしてしまったら大変だから会わない』って本人が言うから、って会わせてもらえなかったの。そうこうしているうちに……、麻野さんは……」


 麻野みゆきは、学校を三日ほど欠席した後、九階建ての自宅マンション前の地面で、遺体となって発見された。転落死だった。遺書もなく、誰かに突き落とされたような証拠もなかったため、警察は事故・自殺の両方の可能性を考えて捜査をしていた。

 彼女の死は、学校や近所をずいぶんとにぎわせた。ボクらの教室は悲しみに包まれ、他の学年の間では様々な噂が流れ、いじめはなかったかアンケートをとらされた。平和な田舎町なので、地元の新聞やテレビ局もこのことに関心を持ち、一面トップとはいかないまでも大きめに報道していたと思う。

 やがて警察の調べで、彼女の死因はいじめを苦にした自殺ではなく、高熱とインフルエンザ特効薬による副作用で幻覚かなにかを見て、八階にある彼女の家のベランダからあやまって転落してしまったのだ、という結論が出た。当時、インフルエンザ特効薬を飲んだ子供たちが転落死する事故があいついでいたので、誰もがその結論に納得し「事故で死んだかわいそうなクラスメート」として麻野みゆきの名はボクらの心に刻みつけられ、口にするとその場がしんみりするので彼女の死についての話題はタブーという暗黙の了解ができてしまっていた。


「ここまではみんなも知っていること……。でも、彼女の死の原因が別にあったとしたら、どうする?」

 別の、原因? それを聞いたボクの背中にじんわりと嫌な汗が広がった。部屋のクーラーに冷やされて、ゾクゾクと悪寒がする。

「それは、一体どういう……? まさか、あの噂は本当だって言うんじゃ……?」

 ボクがそう口走ると、瑠莉は「まさか」と言って笑った。でも、目が、笑っていなかった。

「あのね、私、去年大学で心理学の授業をとってたの。夏休みの課題でね、自分が考えた課題で調査をし、レポートを書いて提出しろって言われたの。そこで選んだのが例の噂ってわけ。まずは噂の真偽を確かめようと思って、本当に階段から転落して亡くなった生徒はいないか調べてみたの。そしたら……、いた」

 嫌だ。聞きたくない。なんとなくそんな悪い予感がしたけれども、好奇心なのか体が動かなかったのか、誰一人として席を立とうとはしなかった。

「小四の男子でね、友達と廊下で鬼ごっこして階段を駆け下りようとして足を滑らせて、頭を強く打って亡くなった子がいたの。その子の事故死があってから、もうそんな事故の犠牲者を増やさないようにって鏡の横に『階段で走るな』って張り紙が貼られて、鏡の前で転ぶと死ぬって噂ができたらしいわ。巷の都市伝説も、『下校時に不審者に気をつけなさい』って意味合いで流された噂があるって聞いたことがあるから、きっとあの噂もそれと似たようなものだったのね。でも、噂を信じる子供たちが多すぎたのが悪かった」

 まさか、まさか麻野さんの死の原因って……。

「娯楽が少ないさびれた田舎。面白そうな話があれば、あっという間に広がっていくのは当然のことよね。それに私たちの学校は一学年一クラス。学年を超えて広く友達付き合いがあった人も多いんじゃないかしら。そこで流れたのが、『五年生の、都会から来た転校生が鏡の前で転んだ』って噂話。鏡の前で転んだらどうなるかってことを信じている私たちがこれを聞いて、本人の前で平気な顔をしていられる?」

 いや、無理だ。実際に、そうだった。クラスメートだからと懸命に気を使って素知らぬふりをしていたが、完璧に隠し切れていた自信はない。他の学年であれば、なおさら隠せてないだろう。

「きっと、麻野さんは私たちの態度がおかしいことや他の学年がコソコソ噂していることを知っていたのね。大人しくて体の弱い子だったもの。相当のストレスを体に背負い込んでいたに違いない。そこでインフルエンザにかかって、学校を休むことになった。病気が治って学校に行った後のことを彼女は考えていたはず。自分以外の全員が自分を白い目で見る場所に、また行かなければならない……。そんなのは、もう耐えられない……。高熱にうなされる頭でそう考えたとしても不思議じゃない。熱でぼーっとする頭と薬の副作用、それで死を決意した麻野さんは、自ら部屋のベランダに行き、手すりを乗り越えて――……」

 もういい、やめてくれ! ボクらの心の中での叫びを聞いたのか、瑠莉はそれ以上のことは言わなかった。

 その代わりに、彼女は、

「今更こんな話をしてごめんなさい。でもね、私、これを一人で抱えて生きたくはなかったの」

 そう言って、ふっ、とロウソクを吹き消した。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 話の持っていき方がとても上手だと思います。 [一言] 続編期待してます!!
[良い点] 怖いというか悲しいというか… 噂の始まりは子供たちを怪我から守るためのものだったのに、そのせいで一人の子供が死んでしまう。 実際にありそうな話なだけにやりきれないですね… [気になる点] …
[一言] いい
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