ある老朽化した歩道橋の記
その歩道橋はもうかなり長いこと、そこに存在していた。
数十年、おそらくは三十年以上という長い年月に渡ってその交差点に君臨し続けているわけであったが、歩道橋出あるがゆえに能動的に移動したり運動したり、あるいは他者と意思の疎通を図ることはできなかった。
だがしかし、だからといってそのことが歩道橋に意思がないということを証明するわけではなく、現に彼は各個とした自我と意識を持ち合わせている。
ただ、その意識、すなわち思うところを外部に漏らす術を持っていないだけであった。
彼は歩道橋であったから、当然、大勢の歩行者にその上を通行されることを存在理由としている。
意思があるにならば無数の他人から土足で踏みしだかれるということに対して屈辱を感じるのではないかと、そう思われるのかも知れない。
が、実際にはそんなこともなく、彼は自分の存在する理由をよくわきまえ、一人でも多くの通行人が自分の上を通過していくことを望み、喜んだ。
そうして踏みつけにされることで通行人が交通事故に遭遇する機会を減少させることこそが彼の存在する理由と理解しているからであり、断じて卑しい被虐癖から、ではない。
前述のように彼がこの場に設置をされてからもうかなり長い月日が経過しているわけだが、その間に膨大な人数が彼の上を通過し、彼自身もまたその事実を受け入れ、歓迎していた。
老若男女、様々な人々が彼の上を通過していったわけだが、次第次第に彼を利用する人の人数が減っていることに、彼自身も気づかないわけにはいかなかった。
まずある程度年齢がいった人々は階段を昇降する煩雑さを嫌って、彼の上を通らずに、ほとんど横断歩道を利用する。
まだ小さな子どもたちは、相変わらず彼の上を通っていたが、いつの間にかその子ども自体の数が以前に比べて減っている気がした。
そして、ついこの間まで元気に彼の上を通っていた男女が、次第に杖をついて歩くようになり、はてはまったく利用しなくなってやはり横断歩道を使うようになっていた。
つまりは、彼の利用率は時間が経過するのに従って減少しているわけであり、歩道橋である彼にして見ればこれは、由々しき事態といえた。
とはいえ、彼がいくら憂慮しようとも、物言わず動くこともできない彼にはどんな対策も講じることができないのであるが。
彼自身はまるで自覚していなかったが、歩道橋である彼も、彼が設置された場所にある町も、知らぬ間に歳月に晒されて置いていたのだ。
若者は減り、年寄りが増え、そして彼の体は老朽化してかなりガタが来てボロボロになっている。
今日、彼の体の定期検査をおこなうため、作業服姿の人員が何名か来ていたのだが、そのことの意味を彼は知らなかった。
今となってはほとんど利用されることがない歩道橋のことを役場がわざわざ修繕費をかけて補修をしてくれるものか、客観的に考えればかなり疑問であったが、歩道橋である彼には無駄に未来を憂いる機能はなく、ただひたすらにもっと自分の上を大勢の人々が行き交っってくれることばかりを願っている。




