嘉平さんの薫り
店を畳んでからだいぶ経つが、嘉平さんはいまでも週に一、ニ度は少し離れた焙煎までやってくれる店までコーヒー豆を買い出しにいく。寒い日も暑い日も、雨が降っても風が吹いても、それは変わらない習慣だった。
理髪店を閉じてからこのかた、嘉平さんは気軽な隠居生活を送っている。奥さんは店を閉じる何年か前に物故していたし、息子たちはとうの昔に独立して所帯を持っていた。その息子たちからは同居のはなしも再三出てはいるのだが、嘉平さんが長年親しんできた店から離れることをいやがったので、隠居のやもめ暮らしが続いていた。
そんな生活をしていたから、嘉平さんとしてもせめて嗜好品の買い物にいくときくらいは規則正しくしておきたいのだった。
七十を越える嘉平さんの食は細く、近所のスーパーに食料を買い出しにいくのも週に一、二回あるかないか。酒は昔からやらず、煙草は昔なじみの隣の煙草やで調達している。
嘉平さんは運動不足になることを懸念して毎日近所を散歩をする習慣はあるのだが、遠出をするのはこの週二回のコーヒー豆の買い出しだけだった。
店を閉じるまで五十年近く立ち仕事を続けていた嘉平さんの体は、引退した今でも頑強である。馴染みの焙煎までやってくれるコーヒー屋までは徒歩で三十分ほどかかる。路線バスも通っているのだが、よほど天候が悪くない限り、嘉平さんは徒歩で通っている。往復一時間以上に注文してから豆が焙煎されるのを待つ時間も含めると、いい感じで時間を潰すことができた。
他に用事がないときはだいたい開店時刻に到着するように家を出て、昼前後に帰宅をすることが多かった。
それから嘉平さんは茶漬けなどの軽い昼食を取り、おもむろに豆を挽きはじめる。
嘉平さんが使用しているのは、年代物の手動ミルだった。
上部の入り口に豆を入れ、ハンドルを回してゴリゴリゴリと豆を挽いていく。ミルの中で豆が砕けるたびに、コーヒーの薫りが周囲に漂う。
ときおり、引き出しをあけて挽き終わった豆をペーパーフィルターの上にあけながら、ゆっくりと時間をかけて挽いていく。
たいしたことがないようで、実際にやってみるとなかなか重労働だったりする。
その昔、電動ミルというものも試しに使ってみたことがあるのだが、どうにも味気なくて一度使ったきりになった。第一あれば、音が喧しすぎる。
だから嘉平さんは、うっすらと額に汗を滲ませながら、ゴリゴリゴリと自分の腕でハンドルを回す。豆を挽く。
そうして挽いた豆の上に沸騰したお湯を含ませ、しばらく蒸らしたあとにお湯を注いでいく。
豆を挽いたときとは微妙に違う薫りがキッチンに漂いはじめる。
コーヒーをいれ終えると、嘉平さんはまずデミカップに注いでそれを奥さんの遺影に供えるのがいつもの習慣だった。
そして、一杯は自分の分。
もう一杯、マグカップになみなみと注いだものを盆に置き、そのまま店を通って外に出る。
隣の煙草屋で店番をしている顔なじみの老嬢にそのマグカップを渡し、嘉平さんは黙礼をして自分の家に戻っていった。長いつき合いになる老嬢も心得たもので、黙ったまま軽く頭をさげ、澄ました顔でコーヒーを受け取る。
この際、言葉を交わすことがなかったのは特に彼らの中が悪いわけではなく、嘉平さんには先天的な障害があったため、正常に言葉を発することができないから、というただそれだけはなし。