人魚
「おお、人魚か」
釣りをしていたら、かなり珍しい獲物がかかった。
「噂で聞いたことはあるが、実際に釣りあげたのはこれがはじめてだな」
全長五十センチ弱というところか。
ルアーを咥えたままぶらさがった形の人魚は、実に恨めしそうな表情をしておれの方を眺めていた。
確かにかなり大きな頭部があり、両腕に見えないこともない前肢が二本、にょっきりと胴体から伸びている。
形状だけを見れば、人間に近い形の上半身が魚の下半身についているように見えた。
しかし、体全般がぬめぬめした灰色の粘液に包まれており、漠然と想像してほどには人間に近い生物だとも思えない。
ぱっとみの印象は、グレイと魚類の混合物といったところか。
実在が疑われているという点では、人魚も宇宙人も似たようなもんだから、おれとしては違和感はなかった。
「聞くところによると、人魚の肉を食らうと不老長寿になるというしな」
誰にともなく、おれは呟く。
「刺身はなんとなく怖いから、鍋にでもするか」
「え!」
それまで恨めしそうな顔をしておれを睨むだけだった人魚が、唐突にそんな声をあげた。
「ボクを食べる気ですか!」
不自然なほどに甲高い声だった。
「他にどうしろというんだ」
おれは訊き返す。
「見世物にでもして巡業しろとでも?
ああ、それも儲かりそうだが。
死んだら死んだで、ミイラでも展示すればいいし。
というか、お前しゃべれるのな」
「しゃべれます、しゃべれます!」
人魚は喚きはじめた。
「意思の疎通ができる生物を食べるとか見世物にするとか、いわないでください!
人道と人魚道に反します!」
「ルアーに食いつく程度の知能しかないくせ、なまいきなことをいうなよ」
おれは冷静に指摘した。
「お前を助けることでおれになんのメリットがあるというんだ? ん?」
なにしろこいつを釣りあげるまでに、たっぷり一時間以上格闘したのである。
おれとしては素直に逃がすつもりはなかった。
「そんなあ」
人魚は絶望に満ちた表情で黙り込んだ。
「涙が宝石になるとか、そういうありがちな裏技とかないのか、お前」
なにかおれの儲けになるようなことを提案してもらったら、その内容いかんでは助けてやらないこともない。
「ただの野生動物になにを望みまんでいますか」
人魚はますます暗い表情になる。
「ただでさえ、ルアーにくいつくほど飢えているというのに」
「交渉決裂だな」
おれは魚拓を取るための紙と墨汁を用意しながらいった。
一応、ビデオも回してはいたが、万が一逃げられたときの保険として、こいつが実在していた証拠をできるだけ残しておきたかったのだ。
おれは人魚が悲鳴をあげるのにも構わずに刷毛でそいつの全身を墨汁まみれにした、紙におしつけ、それが済んでから、ようやくルアーをそいつの口から外してやる。
そいつは終始、
「横暴だ!」
などといった意味のことを喚いていたが、おれはまるで意に介さなかった。
そのままそいつをいけすの中に放り込み、陸に向けてクルーザーを出した。
「第一、人語を解するモノを食べるのに抵抗はないんですか?」
そいつは往生際悪く、いけすの中に入ってからも抗議を続けた。
「言葉がわかるからといっても、食物は食物だしなあ」
おれはいった。
「そんなことよりも、毒とか持っていないかの方が気になるが」
「持ってます! 持ってますます!
それはもう、ものすごい猛毒を持っています!」
「ま、その辺は持ち帰ってから調べるよ」
おれはいった。
「知り合いに、そういうのに詳しい生化学者がいるから」
不老不死になるかも知れない人魚の肉を礼としてつちらつかせれば、どうとでもなるだろう。
「もうちょっとよく考えてください!
UMAですよUMA!
ただ食べるだけなんてもったいないとは思いませんか!」
「とはいえ、新種の生物を発見したとしても、得られるのは端金と名誉くらいのものだろう」
おれは余裕を持って答える。
「正直にいうと、不老不死になる可能性の方がよっぽど魅力的だな」
「第一、ボクなんて食べてもきっとおいしくありませんよ!」
「おれの女房は調理師免許を持っていてね。
そこいらの料理人よりはよほど腕が立つ」
これについても、おれは揺らぐことなく答えることができた。
「あいつに任せておけば、大きな失敗はしないだろう」
問答を続けるうちにそいつは自分が食べられずに済む理由をどんどん潰されていって、勢いをなくしていく。