いぶき
ぶわっ、ばんっ。ぶふぉんっ。
ボルン爺の周りの空気が一斉に震えた。
ボルン爺が抱えている複雑な形状の巨大な機械式の角笛から吐き出された音が、周囲の大気を掻き回してビリビリと振動させているのだ。
その角笛は鍛治師でもあり細工師でもあるボルン爺自身の手によるもので、ボルン爺はまだ年端もいかないネーネとたいして変わらない背丈ながらも大の大人の太腿くらいに太い腕を持つ、屈強な老人だった。
村の者はほとんど信じていなかったが、若い頃には諸国を周り、ドラゴン退治の一行に名を連ねたこともあるという。
酔いが回ってくると、そのときのことを相手構わず微に入り細に入り語り出すので、たいそう煙たがられていた。
一種の変人として扱われてはいたものの、鍛治の腕は確かであり、村の中で使われる道具のほとんどはこのボルン爺の手が入っていた。
酒が入るとドラゴン退治のことをしつこく語り出すのと、それにこの奇妙な角笛で騒音を撒き散らすこと以外では、比較的害がない種類の変人であると村人たちからは見なされている。
どどどどどぶん。ぶろわん。
と、ボルン爺は村はずれからさらに離れた場所にある渓谷で日課の演奏を終えた。
もっとも、この騒々しいボルン爺の日課を演奏だと認める者は、村の中にはほとんどいなかったが。
「なんじゃ。
また来ておったのか」
ボルン爺が少し離れた場所で聞き耳を立てていたネーネを見つけて声をかけた。
ネーネはまだ年端もいかない少女で、村の中で唯一ボルン爺の語り演奏とに興味を持つ人物だった。
「ドラゴンのこと、本当なの?」
「本当だ。
大勢が死んだ」
というのが、ネーネとボルン爺との間で飽きもせずに繰り返されるやり取りだった。
とはいえ、こんな辺境の村ではドラゴンどころか通常のいくさの気配も届かず、もう数十年も眠るような静かな生活が続いている。
ボルン爺が語るような騒乱は、村の暮らしからは遥かに遠かった。
そんな平和な村にも、なんの前触れもなく暴風に晒される。
「ワイバーンだ!」
その声がさきだったか、それともその禍物の姿を目にするのが先だったか。
「ワイバーンが来たぞ!」
確かにそれは、飛竜の姿をしていた。
しかしその速度は、異常なほどはやかった。
鳥や馬などとは比較にすらならず、ワイバーンが低空を飛び去っただけで建物の屋根の銅板が風圧で剥がされていく。
人も家畜も軽々と吹き飛ばされ、対抗をして撃ち落とすどころではない。
ただ近くを飛び去るだけでもそんな有様であった上に、そいつは気まぐれに炎の塊を吐き出して地上にあるものをなんでも焼き払った。
村人たちは早々に抗うことを諦め、なす術もなくこの生きた厄災を見あげるだけであった。
「ふん」
そんな中、ただひとりまだ諦めていない者が立ちあがった。
巨大で複雑な形状をした角笛を抱えた、ボルン爺だった。
ボルン爺はうずくまるだけの村人たちを尻目に村の大通りに飛び出し、例の角笛を使って奇怪な轟音をだしはじめる。
ぶおぞん。
ぐろどわぼわぞん。
ワイバーンの方もその不快な音源に気づいたようで、上空からボルン爺めがけて急降下をしてくる。
どろおん。
ぶわごろぶるおん。
ボルン爺は、さらにけたたましく吼えた。
びんどろばっと、ぐおろそぶあん。
びるそぼお、ばるすぐろわるおん。
ぼっぼぼぼぼぼぼ。
ワイバーンはその音源であるボルン爺にむかって急降下し、その途中で甲高い声をあげ、その全身を硬直させ、なぜか、そのまま地面に激突した。
ワイバーンの体は深々と地面に潜り込み、周囲の土塊を盛大にばら撒いた。
間近にいたボルン爺もその余波をまともに受け止め、抱えていた角笛ごとこれまた盛大に吹き飛ばされる。
見守っていたネーネが慌てて近寄り、ボルン爺の上に乗っていた土砂を避けて助け起こす。
抱えていた角笛は大破し、ボルン爺も重傷を負っていたが、意識ははっきりしていた。
「ボルン爺!」
ネーネは叫ぶ。
「またドラゴンを退治したよ!」
「またではない。
あれは、ドラゴンでもない」
ボルン爺はかすれた声でいった。
「ドラゴンはあれなんぞよりも遥かに大きくて、邪悪だった。
それにわしはドラゴンを退治したこともない。
仲間たちを見捨てて、ひとり逃げ帰って来たんだ。
それ以来ずっと、離れた場所からああいった存在を攻撃する方法を考え続けていた」
長年抱え込んで来た懸念を吐き出し、ボルン爺はそのまま気を失った。
語るべきことは残り少ない。
ボルン爺は一命を取り留め、長い療養生活に入った。
ネーネはボルン爺の独白について誰にもいわず、全快したあとでボルン爺に自分用の角笛を作って貰った。
再建するのに時間を要したものの、村は今でもそこにあり、今も眠ったような時間を過ごしている。




