ヒトもどきの記
炎天下の中、ダラダラ汗を流しながら、駅から徒歩二十五分以上の道のりを歩いてようやく自宅であるアパートにたどり着く。
玄関を開けるのももどかしく中にはいるや否やわたしは、服を脱ぎながらバスルームの中に駆け込んで浴槽の中の身を沈め、ぶるんと身震いをして輪郭線を無くし、本来の形状である不定形な形状へと移行する。
ついでに体内の色素も操作して体色も、本来の透明なものにしておく。
下手に外見をヒトに似せた姿で固定しておくよりよりは、この方が圧倒的に楽なのであった。
その楽な形状のまま蛇口をひねり、体の表面から直接水分を吸収する。
飲食や発汗など、ヒトの生理機能を真似ることはわたしのような不定形生物には造作もないことであったが、こうした本来の原始的な機構であえて外部の物質を体内に取り込む行為には、一種の原初的な快感を伴っていた。
体温をさげるのと同時に水分を補給し終えたわたしは浴槽の中から這い出して義足や触手を即興で生やしながら抜き捨てた服を拾い集めていく。
当然、その途中でリモコンを操作してエアコンの電源を入れることも忘れなかかった。
なにも家具を置いていないフローリングの床の上に薄く、平べったく体を展開していると、偽装人格のために取得したスマホが着信音を鳴らしはじめた。
わたしは触手を整形して丸めて置いてあった服の中からスマホを取り出し、聴覚器官と声帯を形成してから、スマホに出る。
正直なところかなり面倒ではあったが、このスマホの番号を知る者はかなり限られており、無視をするわけにもいかなかった。
「高坂さん」
スマホから、甲高い耳障りな声が響いた。
「わたし、山梨ですけど。
ちょうどこの近くに来る用事があって、実は今、高坂さんのアパートのすぐそばまで来ているんですけど」
案の定、わたしの偽装人格の同僚だった。
「ちょっと待っていてください」
わたしは偽装人格高坂の声で応じる。
「ざっと部屋の中を片づけますから」
山梨という娘は地味で目立たない印象であり、わたしの偽装人格高坂ともさほど親密な間柄ではなかった。
少なくとも、お互いの自宅を行き来するような関係ではない。
訝しく思いつつもわたしは高坂の体を整形した上で新しい衣服を身につけ、脱ぎ捨てた衣服を拾い集めて洗濯機に放り込んでから玄関を開けて山梨を部屋の中へ招き入れた。
「高坂さん。
今日はおりいって確認したいことがあって来ました」
わたしに手土産の箱を手渡してから、山梨はフローリングの床の上に直接座り込んでそう切り出した。
わたしは生理的に家具という物を必要とはせず、この部屋は来客があることを想定していない。
従って、わたしは座布団ひとつ持っていなかった。
「高坂さんがうちで働くようになってから半年以上になります。
その間、高坂さんは抜け毛の一本も落としていません。
これは、かなり不自然です」
「なにかの間違いではないですか?」
わたしは人間を真似て眉根を寄せて見せた。
「そもそも、抜け毛とか、いちいち誰のものか見分けることができるのですか?」
「今ではDNA鑑定とかで判別できるのですが」
山梨は真剣な面持ちで、そう応じる。
「今回の場合、わたし個人に能力です」
「匂いでわかるとか?」
警戒しながら、わたしはいった。
返答次第では、この娘を食べて証拠の隠滅を図らなくてならない。
そうなれば最悪の事態を想定してまた一から別の偽装人格を立ちあげる必要があり、正直、面倒だし気がすすまなかったが。
「そんなに警戒しないでくださいね」
山梨の輪郭が、不意にぐんにゃりと歪んだ。
「同族ですから」
透明なゼリー状の物体と化した顔の真ん中に残っていた口から、そんな言葉が漏れる。
同族か。
あまりにも久々だったので、わたしはその可能性をすっかり失念していた。
「融合を望むか?」
「望む」
短い応答の直後、わたしたちは人間用の衣服からするりと抜け出し、本来の不定形となって彼我の粘膜を消失させて融合する。
わたしたちは、遺伝子を含めた膨大な記憶情報を共有して、貪るように読み合った。
当然のことながら、言語などという迂遠な手段を介するよりは、こうする方がよほど手っ取り早く情報を共有することができる。
同時に、こうすることはわれわれの種族とっては生殖行為にも等しく、途轍もない快感を伴う。
一時的に同一個体となったわれわれは、その場で身震いをしながら恍惚となってお互いを貪りあった。




