愚痴
なあ、あんた。聞いてくれ。
初対面でいきなりこんなことをいうのもなんだが、おれはほとほと疲れ果ててなあ。
なにしろあれ以来、おれは運というやつやつから見放されている。
集中力がなっくなって仕事ではくだらないミスを連発するし、ただでさえ遠遠かった女にはますます距離を置かれるし、犬には吼えられるしで、まったくもっていいところがない。
なに発端はな、あの女だ。あの裸の女。もう何年もおれにまとわりついている、あの女だ。
なに? 美人かと?
まあ、美人ではあるんだろうなあ。見た目だけをいうのなら。
ただ、肝心なのはそこじゃあない。見た目がいいだけの女なら、画面の中とか週刊誌のグラビアとかにいくらでもいる。
え?
それは違うだろうって?
いや、それが、全然違いはしないのさ。なにせその女には触れやしなんだから。
会ったことがなかったのか、って?
いや、あるさ。たった一度だけだけどな。そのただ一度、目があっただけでおれの運命は大きく狂ってしまった。
いやいやいや。
ここでは、おれがあとから仕入れた情報とかも交えて時系列にそって説明していこう。その方がずっと分かりやすいはずだ。
その女は、容姿にはそれなりに恵まれていたが、精神的には脆かった。
いいか。あくまで「それなりに」なんだ。
たとえていうのなら、クラスで一番目ではなく三番目くらいにきれいな女の子。でも、あまり社交的な性格ではないので、男子にも女子にもそんなに人気はない。そんなタイプだ。
それなりに整った容姿をしていても、本人がその容姿をうまく利用するつもりがなかったのと、それに複雑な家庭環境で育ってあまり明るい性格ではなかったので、派手でもないしあまり人目を引かないような、そんなタイプの美人だ。
そうそう。地味で、どこか薄幸そうで、事実、あまり幸せではなかった。
何人か寄ってきた男は揃いも揃ってろくでなしだったし、そのおかげでその女はカウンセラーに通い詰め、何年も薬が手放せない生活を送っていた。
それでまあ、なにかの拍子に張りつめていたものがプッツリと切れてしまったんだろうな。
ある晩に、その女は処方されていた半月分の薬を酒で流し込み、それだけではなく、まっぱだかで自宅のベランダから飛び降りた。
そこまでは、よくあるはなしといえばよくあるはなしさ。
あまり例がなかったのは、その途中でおれと目が合ってしまったことだな。
当時その女はマンションの八階に住んでいて、おれは同じマンションの六階に住んでいた。
それで、そのとき、おれは一緒に住んでいた女が煙草の匂いを嫌うもんで、ベランダに出て一服していたところだった。
それで、たまたまなんの前触れもなく落ちてきた女と目が合ってしまったんだな。
ほんの一瞬のことだが、女の方もおれのことを認めてうっすらと唇を歪めたような気がした。
その女からすれば、最後に目を合わせた人間がおれってことになるんだろう。
で、そのあとおれは、警察に電話しての、救急車が来ての、パトカーで連れて行かれてしつこく事情聴取されての、といった一連のごたごたに巻き込まれた。
とはいっても、たまたま自殺の現場を見かけただけで、おれとその女は同じマンソンに住んでいるという以外にまったく接点がなかったから、すぐに解放されたがね。
で、明け方近くに警察から解放されて、やれやれと気が抜けたところでふと振り返ってみたら、その問題の女がまっぱだかのまま空中に浮かんでいたってわけだ。
そんでその女は、それ以来ずっとおれから離れず、そこのあたりに漂っている。
え? 今もいるのかって?
ああ、いるさ。そこに。
いつものように、延々と泣きながら浮かんでいるよ。辛気くさいったらありゃしない。
どうもおれはそいつにとり憑かれちまったらしいな。迷惑なはなしだ。
だっておれは、生前のそいつと一言も口をきいていないんだぜ。よりにもよって、なんだってまるで無関係のおれなんかにとり憑くかねえ。
それから、当時おれと同棲していた女がすぐに出ていった。
おれはそいつについてはなにもいわなかったが、雰囲気が変わったからな。
いや、四六時中裸の泣き女がすぐ近くにうろついていれば、そりゃ、始終ご機嫌というわけにはいかんだろう。
それに、あれだ。
夜の方がまるで駄目になった。そんな状況で平然と盛れるわけがない。
だからまあ、出ていった女は別に恨んじゃいないさ。立場が逆だったら、おれだって離れていったかも知れない。いや、きっと離れていったろう。
ただ、ああ。
一時はこのまま結婚まで行くかと思っていたんだがなあ。
それ以降は、まあ、それ以前の生活と比べると全般に低調になってしまったものの、ようやくなんとかやり過ごせるようになってきてはいる。
仕事も私生活もガタガタだけどな。それでも完全に潰れていないだけでマシってもんだ。
いや、もちろん、お払いとか精神科医とかのお世話にはなったさ。それこそ、藁にもすがるような思いで。
結果、藁に縋ってもなんの解決にもならないって思い知らされだけだったがな。
それでだな。
今ではおれはこうして安酒場でたまたま会った初対面の人に自分の境遇をはなして憂さを晴らすことにしている。
たいていの人はおれのはなしなんざまともに受け止めてくれないのだが、それでも愚痴のひとつもこぼさなけりゃあ、それこそやっていられない。
それでだなあ、あんた。
幽霊にとり憑く方法っていうのをなにか知らないかい?
いや、今すぐどうこうっていうわけじゃない。こんなことで自殺するなんてなんか負けたような気がして癪だし、おれは自然にお迎えが来るまでできるだけ普通に過ごすつもりだ。おそらく、このままずっと低空飛行なんだろうけど。
だがなあ、ここまで人生を狂わされて黙って被害者のままで居続けるっていうのもなにかムカつくじゃないか。
反撃の機会があるとすれば、あれだな。
おれがこの女と同じ立場にたったとき。
それでなあ、幽霊になって幽霊に仕返しをする方法とかについて、曖昧な噂とかでもいいから知っていたら教えて貰いたいんだが。




