脅迫
私立特修院学園には秘密の部活がある。
良いトコのお嬢さんやご子息達が、放課後集まる秘密のクラブ。
どんな事をすんのかって?
教えてやってもいいんだけれど、あんたも巻き込まれるかもしれないよ。どっぷり浸かった俺みたいにね。
【脅迫】刑法第222条
害悪の告知。犯罪類型ごとに内容が異なる。
てめえの事しか考えずに他人の弱みを握り、痛い所を揺さぶる最低の行為。
これを犯す奴は問答無用で死刑にしても、全国民から許される。
さっきネットで正確な意味を調べたんだけどさ、著作権とかなんとか案外めんどくせえんだな。
ネットで世界中に公開してるくせして転載するのはダメなんだってよ。……だからまあ、ちょっと変えてある。俺の意見も入ってるから少し乱暴だけどな。
だって、無断転載は犯罪だ。犯罪行為はまずいだろ? はは。
今から話すのはだいぶ前の話だ。
新しい町の新しい生活。別に希望を抱いていたわけじゃないけど、期待はしていた春の話。
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私立特修院学園は、ギリギリ都内にある名門校だ。
東京二十三区内から飛び出て西東京の外れにある学園は、幼稚舎から大学院まで一通り全部揃ってる。
良いトコのボンボンやお嬢様が箔付けに通っていたり、芸能人の子供や芸能人そのものが通ってたりするぜ。
偏差値もかなりのもんなんだけど、特修院の売りはそこじゃあない。本当に、有名人がいっぱいいるんだ。
ついこの間のオリンピックでメダルを取った奴もいるし、そいつが握手会をすれば体育館が埋まっちまうほど客が集まるアイドルもいる。
算数オリンピックで満点優勝した超天才……っていうか異常な奴もいるし、中学生のくせしてスマホアプリの開発で一山当てて、ニュースで特集組まれた奴なんかもいるらしい。
それに、そいつらに比べると格が落ちるかもしれないけど、高校一年生にしてインターハイ王者になった俺みたいな天才ボクサーもいるぜ。
ん? 自慢じゃねえよ。ただの事実だ。
話は高校一年生のインターハイ王者が二年生になった時の事だ。
季節で言えば今と同じ位の春先の話だよ。
まあ、だいぶ前の話なんだけどな。
その頃の俺は転校してきたばかりの学園に馴染めないで、周りから浮いてる存在だった。
まあ今でもあんまり変わってないんだけど、お坊ちゃん方との付き合い方とか、あるいは付き合わない方とか、それがよく分かってなかったんだな。
特修院は才能ある若者を金にモノを言わせてかき集める……って言ったらひどいとこみたいだけど、世の中どこでもそんなもんだろ?
誰だってオンボロリングの凹んだマットなんて気にしたくないし、万全のサポートとトレーニング器具がある場所で練習したい。
能力がある生徒を学校側が欲しがるように、俺たちだっていい学校に通いたい。
これはボクシングに限った事じゃなくて全ての事に言えた。スポーツ以外、勉強でも特修院は俺たちに素晴らしい物を提供してくれる……らしいぜ。俺は勉強が売りじゃないからそっちの事はよくわかんねえけどな。
けどまあとにかく、通う学校が変わった二年生の春。
俺は憂鬱な気持ちだった。
なんでか。
……友達がいねえからだよ。一人も。
俺はもともと一人で行動するタイプだったから、前の学校にもたいした未練を持たずにこっちに来れたんだけど、やっぱ違うな。一人で行動するのと、話せる友達がいないのはだいぶ違うよ。
常につるんでるわけじゃなくても、次の授業までのちょっとした時間に昨日観たくだらねえテレビの話をしたり、小便してる時に隣に立った奴の股間を覗こうとしたり、そういうつまんねえ事をずーーーーーーーーーっとやってないとなんだか参ってくるんだ。
はー、なんか最近ジャブのキレが悪いなーなんて思ってた春。後ろから急に声を掛けられた。
「ハル? ねえ、ハルでしょ?」
そうだけど。
夏だと思うか? バカなのか?
ところがバカは俺だった。
最近ずっと人から呼ばれてないもんだから、自分の名前だと思わなかった。
「……やっぱり。やっぱりハルだ。うぅわーあ……なんでそんなにおっきくなっちゃったの!?」
青空の下で風が吹いて。薄紅の花が空に舞って。
まるで切り取られた写真の中そこだけ動いてるみたいな花びらが、流れる黒いロングヘアーに絡みついて囚われる。
……あ、可愛いって思って。
けどそのあと、あ どっかで見たことあるなって思って。そんでビビっとあるいはビビッド目が合う女の面影に、電撃的に脳裏に真相 一切合切 以心伝心。
「ナツ? おまえ、ナツか?」
「うわあ……。ハルだ。やっぱハルだあっ!」
興奮して俺に抱きつこうとする女を得意の避けで華麗に躱して、けどなんかその時に甘い匂いがしたもんだから、あ かわさないでも良かったなんて思って。
……特修院名物、桜並木の花びらの中で、俺の幼馴染みが笑ってる。
「お……」
「本当に久しぶりだねハル。こんなとこで会えるなんて!!」
「……おまえ、大人になったな」
俺が見てるのはナツの顔の少し下。
あ、余計な事言わなきゃよかったって思って。
舞い散る花吹雪、そんな再会だった。
久しぶりに会った俺たちは、すぐに昔のようになれた。
一人暮らしのナツの家、俺はソファーの上であぐらをかいている。
「へえ……凄い。ハル、特待で編入したの? そんな事あるんだね」
「あるみたいだな。まあよく分かんないけど」
転校の話は前から決まっていたんだけど、学年の変わり目に合わせて俺はこっちの学校に来た。
ナツは俺の幼馴染みで、小学校では六年間ずっと一緒だった。
学校に行くのも一緒だし帰るのも一緒。遊ぶのも一緒だし親に怒られて泣くのも一緒。
まだ男も女もない未分化な「こども」だった頃から一緒だった俺たちは、ナツが特修院中等部に進学する事で離れ離れになった。
「おまえ、家もこっちなんじゃないの? なんで一人暮らししてんの?」
「引っ越した先の実家が特修院からは離れてるから。……中等部の時はお父さんが毎朝送ってくれてたんだけど、もう高校生なんだし一人で暮らす経験でもしてみろって」
ナツの親父さんは、……あー、あれだ。アバンギャルドな人だ。有名なゲームクリエイターなんだよ。
「まだ高校生の間違いだろ。普通さ、男親って止めるよな。娘の一人暮らし」
「ウチのお父さん普通じゃないから。ハルもよく知ってるでしょ」
確かにおじさんは普通じゃない。
いつだったか、幼かった俺たちは二人で家出をした事があった。なんで家出したかなんて忘れたよ。ちっちゃい頃の話だからな。
まあ結局すぐに家に帰ったんだけど、おじさんの怒り方は凄まじかったし、その理由がまた凄い。
『こんなにすぐに帰ってきやがって。この根性無し共がッッ!!』
「けど嬉しいなあ……。またハルと一緒になれて」
切り揃えられた前髪の下、まんまるい目が俺を見る。昔から可愛かったけど、もっと「女らしく」可愛くなっていた幼馴染みとの再会。……春先の奇跡。
ところが俺とナツは仲が良すぎて兄妹みたいなもんだった。兄弟みたいだったかもしれないけどな。
その証拠に、年頃の男女だと言うのに俺もナツも全く緊張する事なく、狭い部屋の中で笑いあっている。
俺はこの時、単純に嬉しかった。
こっちに来てから俺も慣れない一人暮らしを始めたし、誰とも喋らない日々が続いた。
心からボクシングにだけ打ち込めれば良かったんだけど、残念な事に俺はボクシングが好きじゃなかった。
ん? そうだよ。別にボクシングなんて好きじゃないんだよ。俺は。
だってさ。わざわざ人の事を殴ったって楽しくねえし、殴られるのは尚更だ。まあ俺が殴られる事なんて滅多にないんだけどな。
けれどもそれでもただひたすら。
俺は凄く得意だったんだよ。人を殴るのが。
……人間の不幸ってさ、こういう事だと思うぜ。
なにが言いたいのかよく分からないか?
好きなもんは自分じゃ選べないって話だ。
俺は、得意だから、これをやればいい学校に行けるから、それだけの理由でボクシングをやっている。けれど俺がボクシングを愛せたのなら俺の人生はバラ色だ。
けどさあ。俺、家で音楽聴いたり本読んだりしてる方が好きなんだよ。
いつも家ではギターを弾いたり文章を書いたりしている。だけど一発で分かったよ。ああ、俺に向いてるのは人を殴る事なんだなって。
別に好きじゃなくても出来るもんもあるし、どれだけ好きでも上達しにくいもんもある。
「好き」を取り替えられればそれが一番幸せだ。
俺がボクシングを愛せたのなら、それはどれだけ素晴らしい事だろう。
あるいは、自由に何かを嫌いになれたのなら、それでどれだけ楽になれるんだろう。
人間は、自分の好きなものを自分で選べない。
「ねえねえ、ハルの家ってどのへんなの? 今度は私が遊びにいってもいい?」
狭い台所でなんかしてるナツ。
俺は適当に返事をしながら自分の部屋のように歩き回る。
窓から差し込むうららかな春の光。
細く開かれた窓の隙間から薄紅の花びらが一枚。
ひらひらひゅるひゅる飛んできた花びらは、机の上のそれの上に舞い降りた。
「……おっ、とー」
むむ。
それは一見、タバコの箱みたいだった。
けどタバコの表に書いてある、「喫煙はあなたの健康をなんたら」が書いていない。
その代わりにデカデカと書いてあるのは「業界初 0.01mm」へー。
「着けてないような装着感」へー。
「十個入り」へー。何回もできるね。
「この距離が愛の証」へー。うまい。
つまり避妊具だな。へーへーへー。
「あ……ハルっ」
手に持っていたお盆を慌ててテーブルに置いて、ナツが顔を赤くしている。
まあそりゃそうだ。幼馴染みにこんなもん見られたくねえだろうな。俺だって見たくねえしな。
なんて言ったらいいのか分からなくてじっとナツの顔を見ていたら、ナツが恥ずかしそうに下を向いた。ちょっと泣きそうになって。
その顔はもうこどもじゃなくて、なんか急に居心地が悪くなった俺はその部屋を出る事にした。
「ハル、…………あの、またね」
「おう。今度俺んち来いよ」
学生の一人暮らしにはもったいない良い作りのオートロック。ナツの家から出てくると、相変わらず優しい日差しが頬を差す。
太陽を仰ぐように見上げてみれば十四階建てのマンション。アバンギャルドな親父さんもなんだかんだと娘に甘い。やっぱり心配なんだろうな。
ここで言っておきたいんだけど、俺は別にナツに対して恋愛感情とかないんだよ。
久しぶりに会ったあいつはえらい可愛い女の子だったけど、昔のあいつは可愛い顔した男の子みたいだった。
スカートを履いてるとこなんて見た事ないし、いつも男に混じって遊んでたあいつを女として見るなんて今更ムリだ。
だから別にあいつが恋人作ろうが、その恋人とエロい事しようが文句はないんだけど、うーん淋しいじゃんやっぱり。妹、あるいは弟みたいな妹に恋人出来れば淋しいだろ?
舞い散る花吹雪、その中の一枚に狙いを定めて左拳をボンッ。
はー、ジャブのキレが悪いなーなんて。
そんな春だった。
特修院高等部のすぐ近くにある大きな公園。
噴水や桜の木、いつも出ているミニバンでホットドッグなんかを売ってる店。
そこで俺たちは食べ物を買って、芝生に敷いたレジャーシートの上で寝転んでいた。
「今日も良い天気だねー」
「眠くなるな……」
あの日、避妊具……、ああ、そうだよそうだコンドームだ。それを見つけた次の日から、ナツは特修院前の桜並木で俺の事を待ってるようになった。
——お前彼氏になんか言われたらどうすんの?
そんな言葉が出そうになったけど、別にそこまで俺が口出す事じゃねえなと思って黙ってた。
ナツは俺の隣のクラスだった。
俺はすっかり女子高生になってたナツに気付かなかったし、ナツの方は初めから俺の事をなんとなく分かってたんだけど、今まで声を掛けられずにいたらしい。
「ナツ、友達に遊び誘われてたじゃん。そっち行かないで良かったのか?」
「あー。……いいのいいの」
ナツは特修院に馴染めないでいる俺とは違い、友達といつも楽しそうにしていた。
今日の帰りもなんか誘われてたみたいだったけど、俺の姿を見つけるとこっちに向かって走ってきた。
「しっかし良い天気だな」
足を組んで横になっている俺が見上げると、幼馴染みの横顔が。新緑の深い碧と、桜の花びらの薄紅色が。
あー、なんか本当に眠くなってきたなって思って、幼なじみの手が俺の頭に伸びてきて優しく撫でられるような感触。俺はいつの間にか目を閉じた。
……つんつん
あ?
……つんつん
なんだよ
……つんつん
ちょっと寝かせろよ
……つんつん、つんつん
「分かったよ起きるよ」
まぶたを開けると目の覚めるような銀が。
「……は?」
逆光で透かされた銀色の髪がなびいている。サラサラとしたその髪の奥から、俺を見ている琥珀色の瞳。
「はぁ?」
ニコリ。俺に向かって笑いかけるその子。背中には赤いランドセルを背負っている。
「お……、誰だよ。おい、ナツ」
横を見てみると俺の幼馴染みの隣にもう一人増えていた。そいつは黒いランドセルを背負っていて、ナツと二人で携帯ゲーム機で遊んでた。
「……おい、ナツ。誰だよこいつら」
「ハルやっと起きたのー?」
「お姉ちゃん、よそ見しないで」
「あ、ごめんねー!」
黒い髪を坊ちゃん刈りにして、分厚い眼鏡を掛けてる子供。けどそいつの顔も凄く整っていて、よく見てみると銀髪の子とそっくりな顔をしていた。
そんでナツとそいつがやってるゲーム。狩りするゲーム。
「お姉ちゃん二刀流ずるいよ」
「じゃあアキくんも二刀流使えばいいよ」
「僕はガンエッジしか使わない。決めてる」
なんかよく分からない状況で、何も言えずにいた俺は銀髪と目が合った。
その時にまたあの感覚。あ、こいつどっかで見たことあるなって思って。
そしたら頭に浮かんできたのは、いつも見るともなしに付けっ放しにしてある俺の部屋のテレビの映像。
「……ん。んー? あっ」
特修院の有名人の一人。
去年一番テレビに出ていた天才子役。プロの女優。
俺はその子の顔を指差して、その子は俺に向かってニコリ。……んでまあ結局名前は思い出せなかったんだけどな。
「お前なんであんなのと友達なの?」
「あんなのじゃないでしょ。あんなのじゃ」
ナツの部屋でナツが作った生姜焼きを食いながら今日の事を話してる。
こんなとこ彼氏に見つかったらどうすんだ俺? 殴りかかられたら華麗にスウェー、ばばんっ! 殴り返しちまうけどそれってどう考えても俺が悪モンだよな。
「ちょっと前に友達になったの。公園で一人でボーっとしてたら話しかけられて」
「なんで話しかけてくんのよ?」
「ん。それ持ってたからかな? なんのソフトやってるのーって」
「はーん」
それ。
机の上に置いてある携帯ゲーム機。
子供は自分と他人との距離感が測れないから、いきなり見知らぬ奴に構ったりする。俺にも覚えがあることだ。
「けどホント可愛いでしょあの二人。一緒にいるだけで幸せになるよねー」
「別に幸せにはならねえよ。確かに驚いたけどな」
テレビに出ている天才子役。
当然、生まれもっての銀髪じゃなくてあれはカツラらしいけど、さすが芸能人は派手だね。
「しかしなんでお前は公園で一人でボーっとしてんのよ。おばあちゃんか?」
「ん……。その時、ちょっと考え事してて」
彼氏とうまくいってねえのかな?
そんな考えが浮かんで、それと同時に、俺はなんでそんな事を考えてるんだろうって思って。
俺は自分でも気付かないうちに、ナツの身の回りの事を「彼氏」に結びつけようとしている。
なんで一人暮らしなのに食器が幾つもあるんだろうとか、ひょっとしたら一人暮らししてる理由の一つには彼氏の存在もあるんだろうかとか。
俺はナツに対して恋愛感情はないけれど、どうやらこどものままじゃないのは俺も同じ事らしい。なんだかおかしな方向にばっかり頭の中身が流れていくんだ。
メシを食い終わった俺はナツが淹れてくれたお茶を飲んでいる。台所で洗い物をしているナツをぼんやりと眺めてる俺の耳に、ふんふんふんふーん。なんか機嫌良さそうに聞こえてくる鼻歌。——こーいーしちゃったんですあたしーきづいてまーすよー。古い。けど良い歌。
着ている服の袖をまくって洗い物をしているナツの胸は大きく膨らんでいて、腰の後ろでチョウチョ結びにしてあるエプロンの紐の下ではこどもの頃とは違う女らしい尻が張り出している。……かたや俺の華麗に割れた腹筋、その上の奥の方でなんか罪悪感。
うーん、俺はここには来ない方が良いのかもしれない。
そんな事を考えていたら壁に寄りかかった俺の右手がベッドの下でガサリ。ん? なにこれ?
エロ本。
シッシッシシッシッ!
ナツの家から帰る途中、華麗な俺の華麗なシャドーボクシングに周りの奴らが見惚れている。いや、別に見惚れてねえな。なんだコイツはみたいな顔だな。
……けどさあ、あんなのなくない? なんで俺は幼馴染みの女の部屋でコンドームやらエロ本やら見つけなくちゃいけないのよ。言っただろ? 兄妹みたいなもんなんだって。妹の部屋であんなもん見たくねえよ。
実は、特修院に来ようと思った理由の一つにはナツの存在があった。また会えるかなあって。
別にそれが決め手じゃないけど、確かにそれもあったんだ。また昔みたいに遊べたらいいなあって。
……あー、もうあいつの家に行くのはやめよう。
全俺が満場一致で決定。異議なし異意なし異論なし。
俺は神の目を持つボクサー。ボクシング雑誌で特集を組まれる天才高校生。幼馴染みが作った生姜焼きなんて食ってる場合じゃねえんだ。さっさとカロリーを消費しないと減量がキツくなる。
舞い散る花吹雪。それを全て叩き落とすつもりでばんばばんっ ボンボボンッ!!
多少キレが悪くてもそれは俺の中での話。他人から見た俺の拳は相変わらず目に映らないし、夢中になってる俺の目にも周りの視線が映らない。
厄介者を見ている周りの連中。春の帰り道。
熱中しすぎて汗だくになった俺は学ランを脱いでワイシャツを洗濯機にズボンっ。ワイシャツですけどー。やかましいわ!!
オッシャレーで可愛らしくて学生とは思えないナツの部屋とは違って俺の家はまるでフォークソング。……チェリー? ノーノーカンダリバー。
狭いベッドに腰掛けた俺は今日の事を思い出す。
ナツ。俺の幼なじみ。妹のような弟のような。
けど成長したあいつは間違っても弟と呼べるような感じではなかった。やっぱりあいつの家に行くのはやめた方がいいんだろう。女らしい体の線と、俺とは違う優しい匂いはきっと余計なイザコザを生む。あいつの彼氏と? あるいは、単純に俺の心の中で。
可愛い小学生二人組。天才子役とそのキョーダイ。双子かもしれないけどな。
特修院には目を引く奴らが多いけど、あれはまた別格だった。俺はミーハーじゃないんだけれど思わず目を奪われた。
そんな二人の事を考えながら俺は入学初日に配られた冊子を思い出した。特修院生徒名簿。
机の中に放り込んで忘れていたそれを取り出す。開いて眺めて目で追って、そんで一言なんだコレ。
そこに羅列してあるのはクラス名と名前だけだった。住所も電話番号も何も載っていない。
……けどまあそりゃそうか。俺が小学生の時の名簿やらには全部載ってたもんだけど、最近は色々うるさいしなにせここは特修院だ。悪用しようと思えばいくらでも出来る。それに小学生のあいつらはこの名簿には載っていない。載ってるのは高等部の生徒だけだ。
ペラっぺラのその冊子をパラパラとめくってナツの名前を発見。すると同じクラスに面白い奴がいた。
『香田 武』
ジャイアニズムに溢れた名前発見。親は狙って付けただろコレ。あはははは。
別に全然面白くない事に気付いた俺は薄い冊子を机に戻した。
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「あ?」
「ん」
歩いている俺の腰、学生服が引っ張られる。
そっとささやかなその力。弱すぎて細すぎて抗う気を無くさせる力。……最強。その名は非力。
「あ、お前……」
俺の服を引っ張ってるのとは違う方。
坊ちゃん刈りが俺に言う。
「お前じゃない。アキ」
坊ちゃん刈りと銀髪が並んでる。
黒いランドセルと赤いランドセル。ルーレットみたいにくるくる回ったらどっちがどっちだか分からなくなるかもしれない。男? 女?
「あん? この子がアキなの? お前は?」
「僕がアキ。真綾は本名非公開」
銀髪の天才子役の芸名——明日名真綾はナツから聞いてたけど本名非公開って。初等部に通ってるんだから調べようと思えばすぐに分かるぜ。別に興味ないから調べねえけど。昨日ちょっと調べようとしたけど。
で、このちびっ子達は俺に話しかけてどうしたいんだ?
「ん。えへ」
また俺の腰引っ張ってニコリ。……やべえ超可愛い明日名真綾。さすが娘にしたい芸能人ナンバーワン。愛され女子は空気が違う。
俺の目を見ている二人を見ていて気付く。……こいつらちびっ子でもねえな。
俺の身長は高校二年生にしてはデカい178、それと比べてもこいつらの目線はかなり高い。……おそらく身長160位、体重階級はせいぜいフライ級。小学生としては相当大きいし、女の子の真綾は尚更だ。
そういや元々モデルだったんだっけか? ナツが言ってたな……。
ニコニコと俺の目を見て笑っている真綾の琥珀色の瞳、漂白したような白い肌。ハーフだかクォーターだかは知らないが、おそらく身内に外国人がいるんだろう。
双子なのか兄妹なのか、真綾とそっくりな坊ちゃん刈りのアキも、そのマッシュルームみたいな黒髪の下、眼鏡の奥の瞳はきらきらと輝いている。
真綾に比べて、少しすっとした印象のカオ。無表情とは少し違うんだけれど、あんまり顔の筋肉を動かさない感じ。初等部には制服なんてないのに小学生のくせしてネクタイなんか締めてやがる。
半ズボンから伸びるスラリとした細い足。メガネ。ランドセル。……お前、小学生探偵か?
「俺はハルだ。んで? なんか用か?」
「……いっしょ」
「は?」
「真綾もいっしょ」
俺の手をキュッ。真綾、マジで可愛い。
テレビで見た快活な真綾とは違い、目の前の小学生は春の陽だまりがそのまま人間になったような雰囲気を持っていた。
……俺もこんな妹が欲しかった。この子の部屋にはエロ本もコンドームも無いに違いない。
けどなに? 真綾もいっしょ? なにそれ。
「なっちゃんのとこ、いこ」
「は?」
幼馴染みの家の下、インターホンをピンポーン。
ピポパ 403 ピンポーン。
赤い数字の横には綺麗に磨かれた鏡面仕上げのステンレスだかなんだかとにかくピカピカのそれの中には困りカオの俺が映ってる。
その後ろにはニコニコ笑う真綾と俺の背中を突っつくアキ。
「すごい筋肉。力入れてみて」
初めのうちは相手して力こぶとか作ってやってたんだけど、段々面倒くさくなってきたんでほっておく。見せる筋肉じゃねえからそんなに膨れてもいないしな。
だいたい、俺がもうここには来ないと決めたのはついこの間の事だ。別にナツとは会ってるし外でお茶したりもするけど、いつもこの家の前でナツと俺は別れた。
「いないみたいだぞ。俺は帰るからお前らも帰れよ」
「いや」
上目遣いに頬を膨らませる真綾。
やっば。コレやっば。
ところが俺は、可愛いとは思うけれどそれ以上は思わない。俺はノーと言える高校生。幼なじみの胸からも目をそらせる男。
「嫌なんだあ。そっかあ。じゃあまたな」
「真綾といっしょ、いや?」
……俺は言える男。嫌だと言える男。
さっさと家に帰ってジョギングに向かえる男。
「いやとかじゃなくて、ほら、ナツ家にいねえし」
「……ん」
キュッて。俺の手を。
……俺は言えない男。典型的な日本人。
けどまあ家にいないもんは仕方ねえし、どうしようかなあなんて思ってたら真綾。
「のどかわいた?」
「あ? 俺? ……いや、別に」
キュッ。
「そう言えばそうかもしれねえな。うん。そう言えば」
「おごる。ジュース」
おごってくれんの? 俺がおごるんじゃなくて?
むんっ。胸を反らせて威張るように俺を見ている真綾。……なにこの生き物。マジで可愛いんですけどー。
「つれてって」
どこに?
間の抜けた顔の俺を見てアキ。
「向こうにコンビニがあるよ。ハルはまだあんまりこの辺に詳しくないみたいだね」
いや、コンビニがある事くらいは知ってるけど。
今の会話じゃコンビニ行きたいなんてわからねえよ。
助けてナツえもんっ。
左手に赤いランドセルの真綾。右手には黒いランドセルのアキ。
小学生に挟まれて手を握られて、俺は満更でもない気持ちになっている。俺は案外こどもが好きだったみたいで、少しだけ幸せな気持ちになっている。こんな自分を知ってしまった春。いつの間にか遠くにコンビニ。
……ジュース買ってくれるっていうからそこは立ててやろう。おごってもらった方が真綾も気持ち良いだろうしな。代わりに俺はお菓子でも、
「こっち」
え?
コンビニの前に人影が見える。なんとそこにはナツえもん。
だけどナツに会いたがっていた真綾とアキの手に力がこもる。そのまま俺の体を引きずるように。建物の陰に隠れるように。
「おい。ナツいるぞ。声かけようぜ」
「しっ」
しかも男と一緒にいる。
冴えない のび……、いや、そんな感じでもねえな。それよりも甘くて小狡そうな顔をした奴。……そうだな、なんとなくだけどツネオと呼んでおこう。常夫。イケメンの常夫。
常夫とナツはコンビニの駐車場の隅っこで話をしているように見えた。そのコンビニっていうのは大通りに面している訳じゃなくて、住宅街の真ん中にポツンとあるような立地の店だ。
俺の両手の小学生達が握った手を離さない。
抗えない非力。逃がさない力。
「なにを……」
「ハル。静かに」
冷たい声。アキの声帯から出てきた音の塊に、なぜか俺は逆らえない。そして視界の隅では親しげにナツに肩を組む常夫。
——ああ、あいつなのか。
そんな風に思ったんだ。
すると、ナツと常夫はこちらに向かって歩いてきた。
自然と。路地に入り込むアキと真綾の動きに俺もついてゆく。少しだけ俺の動きの方が早かったくらいに。
そのすぐそばを、常夫とナツは通り過ぎてゆく。
前の学校の学ランを着てる俺とは違い、青いブレザーを着た常夫はその胸元を大きく開けている。ぶら下がっている高そうなネックレス。浅く焼けた肌。
ナツの肩に回した腕にはブレスレットと指輪。ゴツいシルバーをはめた指が、ナツの肩の上を這うようにさするように。
下を向いているナツの顔は見えない。
気がつくと二人の背中は曲がり角に消えた。
コンドームとエロ本がある家の方に。
どんな気持ちだったか。
実はいまだにによくわからねえ。
何回も言うけど、恋愛感情はねえんだ。
けどさ。……それだけじゃないだろう?
男と女の間には、必ずそれがないといけない訳じゃないだろう?
だから、なんか、だけど、……変な気持ちだったよ。
けど分かる事だってある。
俺が文句を言う事じゃねえ。
だから俺は、気分を入れ替えようとして真綾とアキに言った。
「……おし。コンビニ行こうぜ。ノド渇いたよ。俺がお菓子でも買うからどっかで食」
「たすけて」
は?
「たすけて」
もう一回。
二人は俺から手を離す。アキの冷たい声。
「ハル。……ナツを助けて」
「なに……」
「間に合わなくなるよ」
それだけ言って二人は俺に背を向けた。
コンビニには行かずに。
立ちつくす俺の視界で、赤いランドセルと黒いランドセルが少しずつ小さくなってゆく。
抜けるような青空。
舞い散る桜吹雪。
吐き気が出るほど美しい、すぐ消えるような春の一瞬。この時、俺の運命は決定していた。
……で、こっから先が胸糞悪いパートだ。
俺がクラブに巻き込まれる話だよ。