Action.1 新米クライムファイター カント・ウエシバ
“クライムファイター”
それは、30年前にアメリカに現れた“正義の味方”。
覆面やコスチュームで素性を隠し、悪を倒して市民を助ける。それが彼らの行動原理だった。
民衆は彼らに途切れのない程に称賛の言葉を送り、政府は彼らに報奨金を与えることで、彼らの行いを歓迎した。
その内、その報奨金目当てに活動する者が多くなった。これが、“クライムファイター制度”の始まりである。
全てのクライムファイターは政府により情報が管理され、犯罪者を捕まえることで、捕まえた犯人の罪の程度によって報酬が得られる。
正義のヒーローとは名ばかりの、賞金稼ぎの様な仕事となった。
しかしそれは受け入れられ、今も日夜クライムファイター達が目を光らせる。
悪の絶えぬこの国の安全を守るために。自らの糧を稼ぐ為に。
……そして今日も、新たなクライムファイターが誕生する。
それが彼、カント・K・ウエシバ。まだ大学を卒業したばかりの、日系アメリカ人だ。
母親譲りの黒髪に、父親譲りの深い水底の如く暗い蒼色。
少しばかり日に焼けた小麦肌は、青年の健康さを物語っている。
顔立ちは平坦な日系人のそれだが、目鼻の位置が整っているので、態度さえ気をつければ好青年とも見えるだろう。
そんな彼は、目の前に置かれた手帳を、まるでクリスマスプレゼントを目の前にした子供の様な、きらきらとした目で見つめている。
それをちらちらと見ながら書類作業に徹していた中年の男性公務員は、苦笑交じりにカントへ話しかけた。
「もうすぐ手続きは完了ですので、少々お待ちください」
「え、あ、あぁ! すみません!」
自分がどんな表情で手帳を見ているか気付いたのか、カントは慌てて身を引いた。
気恥ずかしそうに頭を掻く彼を見て、小さく笑いながら手帳に判を押した公務員が、不備の有無を確かめ、青年に手帳を渡す。
「改めて、クライムファイター試験合格おめでとうございます。これで全ての手続きは終了です。活動が認められるのは明日からなので、今日はご家族やガールフレンドと楽しんでくださいな」
「はい! ありがとうございます!」
勢い良く頭を下げるカント。最近の若者にはない、明るく礼儀正しいその姿勢に、中年公務員は好感を覚える。
試験自体は簡単で、ある程度の護身が出来るかの確認と基本的な社会知識。人格に問題が無いか程度である。とは言え人格に関しては割と審査が甘く、猫を被れば簡単に通れてしまうのだが。
そして、中年公務員は自らの名刺を差し出す。そこには“クライムファイター対応課長ベイブ・プリーク”と書かれていた。彼の役職と名前だろう。裏には担当部署の電話番号もある。
「何か制度でわからないことがございましたら、9時から19時までの間にその番号へどうぞ。……では、ご健闘を、クライムファイター!」
「はい!」
喜び勇んで駆け出すカントが見えなくなるまで、ベーブ担当課長は微笑ましく見守った。
――ここから、この物語は始まる。
***
カントが帰ってきたのは夜だった。大学で世話になった教授や仲間達に報告して回っていたからだ。
喜ばれるのは嬉しいものの、友達は多い方であるカントなので、多くの人数に挨拶していく事となったのだ。軽い疲れを感じながらも、慣れ親しんだ自宅に帰り着く。
そんな彼の帰宅を、快く迎える者が家にはいた。彼の父親である、ダッドリー・K・ウエシバである。
「やぁ、お帰り。試験はどうだった?」
「勿論余裕で合格! これで俺も、憧れのクライムファイターさ!」
「おぉっ、そいつはめでたい。とすると、今日はパーティーだな!」
ダッドリーはそう言うと、家庭用の、少し古めな冷蔵庫から食材を取り出し、適当に調理を済ませていく。体格のいい中年男性が鼻歌交じりに料理するその姿は、本人の穏やかな気質も相俟って妙に似合っていた。
カントの母親は既に亡くなっており、兄弟もいないので今はダッドリーとの二人暮らしだ。
こうしてクライムファイターになるまで、カントはこの穏やかで家庭的な父親に随分と助けられてきた。
父親の厚意に甘え、自室へと戻るカント。
ドアを開いて迎えるのは、憧れの人を写したポスターだった。その凛とした表情を見て、カントは感慨深く息をつく。
「やっと、貴方に追いつく一歩が踏めます……!」
興奮のあまり、思わず溢れる言葉。そこから察せる通り。彼には夢があった。
この街は、アメリカ全土の中でも一番犯罪率が高く、そしてその検挙率も同じ程度の高さを誇る。
犯罪率の多さは問題だが、アメリカ全土としてもトップクラスのクライムファイターの数、そしてその質の高さでカバーしているのだ。
そしてそのクライムファイター達の中でも頂点と呼べる程の活躍をする者達がいる。
その中の一人。トップファイターの一人にして“妖精”の異名を冠するファイター、その名も“キューティ・マリー”。数々の犯罪組織と相手取り、凶悪犯を捕え、人を助ける孤高の英雄である。本人がメディアに直接顔を出す事は無く、その偉業が彼女に捕えられた犯罪者や助けられた人々から語られる事もその神秘性を掻き立て、人々の人気を買っている。
彼女にカントは強い憧れ、いや、恋慕の念に近い物を持っていた。
数々の非公式フィギュアやアイドルコラージュにより作成されたお手製ポスターなどを見るに、熱烈なファンだと言えよう。
彼の夢は、そんな彼女に会いたい、あわよくば友人になりたい、という、若者らしい些細な物であった。
しかし、芸能人の友人になる為にわざわざ芸能界に飛び込む者などそうはいない様に、この青年の夢に対する想いが如何程なのかは、彼自身の行動が物語っている。
「おっと、こうしちゃいられない!早速コスチュームの具合を確かめないと……!」
そう言うや否や、彼は部屋の隅に置かれたダンボールをひっくり返し、分厚い防弾装備一式を取り出した。
既にご存知の通り、クライムファイターは犯罪者を捕まえる職業だ。
そしてこのアメリカという国の国民は、ナイフどころか拳銃やショットガンを持つ者が大勢いて、当然犯罪者もそういった武器を携帯しているのが当たり前なのだ。
当然、こういった脅威に立ち向かうが故に、クライムファイターは何らかの防御手段を持つ必要がある。
ある者はゴテゴテの鎧を、ある者はいる世界を間違えた様なファンタジーめいた軽装を、逆に何処の未来から来たのかと問いたくなるような、科学の粋を集めた装備を身に纏っている者もいる。
カントが目をつけたのは、比較的安価で効果の期待できる防弾チョッキに、ナイフを通さない程度に厚手な革のズボン。更に頭部は全体を守るフルフェイスヘルメットだ。
そして関節部分を守るプロテクターも着用した姿は、一般的な“不審者”であることには、カント青年は気づいていない。
そんなコスチュームを身につけ、様々なポーズを取るカント青年。本人にとってはお気に入りな、衆目から見れば“怪しい”の一言に尽きるそれを堪能した後、丁寧にダンボールにしまい直す。
彼は結構几帳面な男だった。
***
アメリカの裏路地は、表に比べて薄暗い。
それは決して光量だけの話ではなく、治安的な意味も含まれる。
所謂「良いお薬」などの路上販売や、カラーギャング、或いはそれにも満たないチンピラ共の溜まり場なのだ。
当然、犯罪者が蠢くこの温床は、餌を求めるクライムファイターの餌場でもある。
しかし特に縄張り争いがある訳ではなく、基本的には見つけ、倒したファイターの取り分となるのだった。
そんな場所に踏み入った、フルフェイスヘルメットとゴテゴテした装備を身につけた人物。
普通のクライムファイターでもまずお目にかからない怪しい風体をしたカントは、視界の狭さを補う為に首ごと動かしながら進んでいた。
カントは、今までこういった場所に入ったことはない。
遊び慣れた幾つかの友人は頻繁に立ち寄り、カント青年にも誘いをかけていたが、彼はその尽くを断っていた。
些細でも、そういった悪事をするのは、彼の母親から受け継がれた、日本人らしい潔癖さが躊躇わせたのだ。
その上で、憧れの“妖精”に対して失礼な行動をする様な真似は許せない、そんな感情もあったのだが、カント青年は気づいていない。
ともあれ、初めて踏み入る裏路地に、カント青年はほんの少しの恐れと、初めて触れる空気への好奇心。
そして“キューティ・マリー”もこうやってパトロールしている、つまり自分も彼女と同じ事をしている、という根拠もない方程式から来る高揚感を抱いていた。
そうしてキョロキョロと首を回しながら進んでいると、突如、甲高い女性の悲鳴が聞こえた。
後ろから聞こえた小さなそれにカント青年が振り返ると、表通りへ続く道から、ガラの悪そうな男が飛び出してくる。
懐に抱えたそれは、不釣り合いな女物のバッグ。恐らくはひったくり犯だろう。カント青年は身構える。
男もそれに気付いたのか、ポケットからナイフを取り出し、すれ違い様に切りつけ、退かそうとした。
それに合わせる様に、カントは身体を半歩下げる。左手で男の腕を掴み、男が持つ力の動きを徐々に直線から円に変わる様に傾けていく。
己の力を振るわず、只々男が振るった力を利用していく。そうしてとうとう身体が男の来た方へ向いた瞬間、カントは今まで添えていた左手を動かした。
相手の小指、その付け根を親指で抑え、今まで男の向きを反転させる為だ
けに用いた力の動きを上へ、上へと動かす。
自身の手が、腕が捻れる痛みに男が苦悶を上げ、体のバランスを崩し始める。それを皮切りに、カント青年が腰を少し落とす。
それに合わせて左手が下に降りていく。
すると、すとん、と自然に、男の身体が地に伏した。
己の身に何が起きたのか、と目を白黒させる男に対し、カント青年は自分の技が通用する事を確認し高揚感すら憶えた。
そう、“技”である。カントは武道で以て、男の身体に土を塗ったのだ。
彼の両親は、複数の運動場とスポーツスクールを営む男だ。様々な時間に別れて様々な団体に貸しているが、ある時間だけ、自分の門下生達にある武道を教えていた。今は母親はいないが、父親であるダッドリーが一人で切り盛りしている。
それが、“合氣道”。カントが先程使った技は、その初歩たる“小手返し”だ。
カントは、両親に憧れ、子供の頃から大人達に紛れて鍛錬を行なっていた。
豪快な、しかして一切のムラがない技を繰り出す母と、綿密で、相手に底を気取らせない父。
そんな二人に憧れて磨いた技は、いつしか“妖精”の背を追いかける為に磨かれていた。
そうして十余年。磨き続けた技は、父と互角に渡り合える程にまで成長した。
自分に自信が今一つ持てないカントだが、磨いた技には自信があった。
関節の動きを利用し、大した力を入れる事無く男をうつ伏せにする。腕を締め上げてナイフを回収し、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、カントは気付いていなかった。
裏路地は犯罪者の温床である。そんな所で無防備に背中を晒す、その意味を。
背中に衝撃が走る。
痛みを堪えて振り向くと、粗暴な面構えをした男が三人、それぞれバットやナイフを持って構えていた。
カントが衝撃で手を離した隙に、取り押さえられていた男が彼の体からすり抜け、三人組の陰に隠れる。
恐らくは仕事仲間、という奴なのだろう。下品な笑みを見せながら、カントににじり寄る。
男達の一人が手に持ったバットを振り上げる。正面から打ってくるそれに対して、カントは応戦しようと右手を上げた。
――が、上がらない。いや、上げようとしているのだが、上手く上がらないのだ。
為す術もなく、振り下ろされたバットで殴られてしまう。その衝撃で、カントは後ろへもんどり打った。
背中をバットで殴られたとはいえ、カントの身体に変調が出た訳ではない。問題は、装備だった。
全身に纏った数々の装備は、成程確かにちょっとやそっとで傷付くことはあるまい。
だが、そのぶ厚い生地は、傷を負わぬ代償に大きな動きを阻害させることを要求する代物である。
更に新品の革ズボンは、構える為に股を開く事を許さず、ヘルメットは視界を抑制する。
皮肉なことに、傷を負わない様にするべく身に纏った数々の装備は、逆にカントを傷つける原因となっていたのだった。
倒れ込んだ上に多勢に無勢。たちまちの内に、殴られ足蹴にされてしまう。
腹を蹴られ、背を踏み潰され、頭を蹴り飛ばされる。頑強な装備も、連続して放たれる衝撃には弱い。カントの身体にはダメージが蓄積していき、そして動きが止まった。
男達の溜飲を下がったのか、それとも警察が来ているのが怖いのか。動かなくなったのを見るや、そそくさと立ち去ろうとする男達。
だが、その一人の足を掴む者がいた。掴まれた男が振り返るや否や、直ぐ様引き倒されてしまう。
見れば、壊れかけたバイザーの奥から強い意志の光を孕んだ瞳が、男達を見据えている。
ボロボロになったカントは、しかしそれでも諦めなかったのだ。
「て、てめぇ……!」
引き倒されていない男が狼狽える。本来、一応正義を志す者達であるクライムファイターでも、状況が不利と見れば逃げていく事が殆どである。誰だって命が惜しいからだ。
だが、カントは逃げなかった。それどころか、益々その瞳に宿る意志を強くして、男達に立ち向かっている。
それは、まさしく男達が恐れる“クライムファイター”の目だった。
「……逃げる……訳には……」
カントが立ち上がる。男達は一歩身を引いた。
彼の意志に“呑まれた”のだ。
「……逃げる訳には……いかないんだ……!」
カントが足を一歩踏み出す。
腕はだらりと垂れ下がり、左足を引きずっている。それでも瞳は男達を睨みつけている。
その形相は、決して鬼気迫るという程に恐ろしい訳ではない。だが、爛々と己の正義を貫く為に輝く瞳が、男達の心を握り潰そうとしていた。
「……逃げたら、あの人に……追いつけない、んだ……!」
無理矢理に、カントが腕を振り上げる。
明確な攻撃意思を感じた男達は、慄き身体を反転、逃げようとする――。
――が、それは叶わない。
何故ならそこには、同じ“瞳”を持つ者がいたからだ。
「……へえ、凄いね」
“瞳”の持ち主が静かに笑う。
輝く白金の髪を、後ろに纏めた少女。
その白く細い髪と対照的に、黒皮の戦闘服に身を包んだ少女。
男達が目を見開く。嗚呼何故此処に、こんな場所にこんな奴が。
男達の目はそんな慟哭を如実に語っていた。
「頑張ってるオトコのコには、手助けしなくちゃいけないよね。……“英雄さん”として」
少女が懐から、数本の小ぶりなナイフを取り出す。
それに気づいて慌てて武器を構える男達。だが、そんな男達の手にあったのは武器ではなく、深々と手の平や甲に刺さったナイフだった。
痛ましい悲鳴が上がる。それを見るや否や、少女は鋭い動きで男達からナイフを抜き取り、柄で男達を殴り倒した。痛みに悲鳴を上げ続ける暇もなく、昏倒する男達。
瞬く間に場の支配権をもぎ取られたカントは、ぽかんと口を開けていた。
「……やっ! 大丈夫? ……えーっと……“新入り君”?」
心配そうに自分を見つめる“妖精”が、気を失ったカント青年の見た最後の対象だった。
※合気道は素人がやると怪我をする恐れがあります。良い子は道場で真似してください。
次回、『ミッドナイト!』
お楽しみに。