別居
「それは、フミさんがあまりに気の毒ですわ。」塔子は、成介の眼を見据えながらきっぱりと言った。
「なに…?」
「フミさんは、長い間この緋川の家に仕えてきてくれたのでしょう?それに母1人、子1人…随分と苦労もあった事でしょう。」
更に泣き出したフミに成介はうんざりとした視線をうかべ、塔子に向き合った。
「…こんな事をされた人間に、お前は随分と理解があるんだな。」
「ところで、成介さんは今どこに寝泊りしていらっしゃるのですか?」
成介は当然変わった妻の話に、一瞬戸惑った。
「…それがフミの横領となんの意味がある。」
「あなたが、とあるホテルに頻繁に出入りしているという噂が流れてます。わたしは妻としてこの事実にたいして皆様にどう返事すればいいか、とても困ってます。」
「俺にこの家に帰ってこいとでもいうつもりか?」
たかが家政婦にあたられたくらいで、この俺がお前に同情して、愛の言葉でも吐くと思うのか?そんな考えは、甘すぎるというものだ。
しかし返事はまたもや予想外の言葉をだった。
「勘違いしないでくださいね。あなたをこの家に縛りつけようとしているわけではありません。
変な噂が流れるくらいならいっそ、お義父様のように別邸を作られたら良いのでは、と思っただけです。」
成介の父親は、愛人と別邸で住んでいる。そのことを塔子はいつの間にやら知ったらしい。おそらく、出所は祖父だろう…。
「その方が私にとっても、あなたにとっても都合がいいことには間違いないと思います。
ホテルでは女性を連れ込むには目立ちすぎますわ。少しは世間体も考えていただきたいの。それで私が申し上げたいのは、その別邸でこのフミさんを雇われたらいかがかということです。」
成介の目がギラリと光った。
「…自分がどういう提案をしているのか、わかっているのか?」
もちろんです、というように塔子は首を軽く縦に振った。
「さすがにこのまま緋川の屋敷で働き続けてもらう事はできませんが、別邸なら問題ない気がしますわ。成介さんの事をよくしってらっしゃるようですから、下手に噂好きの新入りの家政婦より、勝手がわかっている分よほどフミさんに世話していただく方が都合がいいのでは、と思ったのです。
なんと言っても、あなたはお相手をコロコロ変えるのがご趣味のようですから、特定の女性の世話になる事はありえなさそうですしね。」
クスリと笑うその塔子は余裕すら感じさせる。
「私なら、こうして泣く気の毒なフミを助けてやりますが、彼女は緋川家の使用人ですから、成介さんのご自由のどうぞ。」
「…俺の器でも図るつもりか。」
妻はニコリと微笑む。
「そんなつもりは毛頭ありません。決めるのはわたしでなく、あなたというだけです。
フミさんの解雇については、わたしからおじいさまにお話しておきますから、どうぞもうお行きになってください。
別邸が決まりましたら、住所と連絡先だけは教えてくださいね。私がそちらへ行くことはありませんが、訃報などのどうしても突然の連絡をしなければならない時が絶対ないとはかぎりません。
携帯だと電源が切れてるときもありますし。」
別居を淡々と話す妻に、成介はカチンときた。
「お前に指図されるいわれはない。今日はここに泊まる。じいさんへの報告は明日の朝、俺がする。」
お好きにどうぞ、と言わんばかりに、テーブルの上に置いてあったタオルで床を拭き始めようとした塔子を成介は、強くさえぎった。
さすがにずぶぬれの妻に床を拭かせるわけにはいかない。
「ここは俺が片付けるからお前はシャワーを浴びてこい。
これからは風邪を引いたって悠長に寝込んでる暇などないぞ。フミが去ったら、お前は明日からやることが山のようにある。」
塔子は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさま、元の冷たい表情に戻った。
「そうですか。それではお言葉に甘えてお先に失礼します。」
さっさと去る妻の後ろ姿に、さらに嫌悪感を募らせる成介だった。




