38『天使の買い食い』
『しろ……あれ、なに?』
二階の空き教室で灯火と別れた後、校舎からフォンを連れ出して寮へ帰る最中なのだが、先程から質問の応酬が何度も続き無駄に時間を喰っている。
しかも質問の度に、くいくいと制服の裾を引っ張られ、動くに動けない。結構力には自信があったのだが、フォンが裾を少し摘むだけで移動不可。無理に動く物なら、制服の裾と別れを告げなければならない。
こんな小さい体の何所に万力が秘められているのか甚だ疑問である。
「屋台だな。食べ物を売ってるんだ。あれは……チョコバナナか」
馬鹿みたいに広い敷地を有する学園だからこそだな。屋台があり、店街がありと、出掛けなくても学内である程度は済ませられる。町並みも凝り性の黒羽が拘り抜いたお陰で中世のヨーロッパその物。日本の借金の嵩み具合が気になる所だ。
『すんすん……良い匂い、する』
まるで猫のように鼻を小さく鳴らし、周囲の匂いを嗅ぎ分けるフォン。
最初は空腹という言葉すら知らず、食堂の生野菜を齧っていた天人が徐々に人間界の味を占めつつある。そのお陰で俺の財布の中身にも財政難が到来している訳だが。
「あー、食べるか?俺も小腹空いて来たし、一本くらいなら良いぞ」
『良い……の?』
小首を傾げながら訊いてくるフォンの頭に手を乗せる。
昼飯時が近いが、チョコバナナ一本程度ならば食欲に影響は出ないだろう。いや、フォンの無尽蔵の食欲を考えると、屋台のバナナ全て食い尽くしても腹は満たせないか。
フォンは神を裏切ったせいで人間の三大欲求が科せられたと言ったが、明らかに食欲だけ人間離れしている。睡眠時間は見た限り平均的なのに、何故だ。逆に睡眠に回してくれた方がエンゲル係数的に有難いのだが。
「言っとくけど、絶対に一本だけだからな。それじゃ、お姉さん、チョコバナナ二本ね」
「あらあら、授業サボってデート?熱々ね~羨ましいわ~。二本で、二百円ね~」
『……でーと?』
屋台の店員が言った言葉をオウム返しで俺に飛ばすフォン。
透き通るような色白の肌と、灯火によってツーテールに結ばれた肌色以上に白く雪原を思わせる白髪。気だるそうな半目だが、暖かな血液を彷彿とさせる真紅の瞳。一流の人形師によって精巧に作られた人形と言っても過言ではない愛らしい見た目は、天使と形容するに値する文字通り絶世の美少女。
確かに横に並ばれたら無条件で喜びたくなる可愛さだが、彼女の身長は俺の胸にも届いていない。ここで断言しておこう。俺は断じてロリコンではない。
「フォンは知らなくて良い事だ。ほら、チョコバナナ」
無表情で何事にも興味を示さなそうなフォンだが、その実好奇心旺盛である。これ以上デートという言葉を追及されない内に、購入した食べ物で話題を逸らして置いた方が無難だ。
『ありが……とう。これ……どう食べる、の?』
バナナを食べた事がないフォンは、手渡されたそれを前に攻めあぐねてる模様。眉をひそめながらチョコバナナを色々な角度から観察している。
こんな子猫のような反応を見てるとフォンが上位天人である事を忘れてしまいそうだな。
その気になれば、この子が日本を一日で陥落させられる。最初は半信半疑だったが、フォンの武器、神器を見てしまった後だと信じざるを得ない。まさか人類の最大の敵である上位十神階と一緒に屋台で買い食いする事になるとは、人生分からない物だ。
「ぺろぺろ……はぐっ」
正体を確かめるように恐る恐るチョコの部分を舐め、一呼吸置いた後にバナナを齧る。するとフォンの無表情が若干華やいだ。
『……美味しい。ご飯とは違って……変な味だけど』
「それを甘いって言うんだ。お前が食べてた料理とは違って、おやつ……間食用の食べ物だな」
フォンは俺の言葉を聞いて『あまい……あまい、食べ物』と呟くと、再びチョコバナナを小さな口で頬張る。成長期で食欲旺盛なのは良いが、もう少し御淑やかな食べ方をしてくれると有難いな。
常備しているハンカチを取り出すと、食べている途中のフォンの手を止め、顔をこちらに向けさせる。
突然食事を止められ、こちらを不思議そうに見つめるフォンの口の周りには、急いで食べていたせいで薄くチョコが付いている。薄桜色の柔らかそうな唇にも、同様に。
「ほら、チョコ付いてるぞ。誰も取らないから、落ち着いて食えよ」
雪色の肌を傷付けないよう、口周りに付着したチョコを優しく拭う。ハンカチ越しに伝わる感触は、人間の物と相違ない。
身動きは一切せずに、くすぐったそうに目を細めるフォンの姿は正に猫その物。
しかし、灯火からフォンへの接し方を学んで置いたのは正解だったな。今の対応も、昨夜の灯火の見本が無ければ乱雑な物になっていたに違いない。流石に俺は憎い天人相手に、灯火の姉妹のような接し方は出来ないが、間違った対応ではない筈だ。
「……せめて情報を引き出すまでは、な」
人間が天人に打ち勝つ為には、情報は必用不可欠。十神階十位であるサンダルフォンが、本当に神を裏切っているかは定かでないが、どの道彼女が大暴れしたら学園どころか比喩抜きに首都が滅ぶだろう。
ならば彼女を仲間に引き込めずとも、情報だけでも引き出せたら。このままでは負け戦が揺るぎそうにない人間側の俺としては、そう思わずにはいられない。
『――……食べ切った』
「早過ぎるだろ……もっと味わって食えよ。大食いでも目指してるのかお前は」
無表情で暴食としか思えない食べ方をするフォンに呆れつつ、彼女の目の前に食べ掛けのチョコバナナを差し出す。フォンの食べっぷりを見物していた俺のそれは、まだ半分以上残っていた。
「まだ足りないだろ?俺の食べ掛けで良いなら、やるよ」
差し出されたチョコバナナを前に首を傾げていたフォンは、俺の言葉に小さく頷く。
人の善意を無下にせずに、遠慮抜きに接する所はフォンの長所でもあり短所でもある。まぁ善意と悪意の区別が付いているかは別問題だが。
『ん……しろが、くれるなら……貰う』
小さな口を目一杯開くと、フォンはチョコバナナに齧り付く。それも、割り箸部分を掴んでいる俺の手ごと。
手の骨から若干嫌な音が鳴った気もしたが、歯を食い縛って悲鳴を堪える。本気の噛み付きって、外部より内部の方が損害を受けるのな。勉強になったわ。
「おいこら食欲魔人、放しなさい」
手をフォンの口から抜こうと試みるが、まるでスッポンに噛まれている錯覚を覚える程、離れない。力を込めて手を持ち上げると、咥えたままのフォンの体が、釣り上げられた魚のように宙に浮く。
傍目からだと面白おかしい場面なんだろうが、現在進行形で手を噛まれている被害者としては全く笑えん。未だに咀嚼しようとしているフォンを放さなければ右手が壊死してしまう。
「……あむ、あむ」
今までフォンを観察していて気付いた事だが、この子は言葉や知能の発達は著しいが、反比例して精神年齢が幼い。外見通りといえば適切か。外見だけ形創られて、中身に子供を入れた――そんな説明がしっくりくる。
もしかすると、天人は生命として生を受ける訳でなく、人形と同様に創られているのだろうか。だとすれば下位や中位の天人の無機物さ加減に納得がいく。これじゃ、神の操り人形と変わらないな。
【野々宮 灯火SIDE】
「結局、白様とは会えませんでしたし、暴れん坊とは遭遇しますし、今日は良い事ありませんわね」
「試験で終了した上に引っ張り回されたわたしは……自分で言うのも何だけどお前より不幸だと思う」
前を歩く二人の上級生。どちらも肩を落とし、溜め息を吐いている。
アルフォート先輩は単純に白に会えない事からの憂鬱さからだろうけど、舞佳先輩は溜め息から重症さ加減が窺える。これからの演習授業で神葬具を扱っている最中に、前のめりに倒れやしないか不安だ。
「なんでいきなりダンジョン演習なのかな」
古代のコロシアムを再現して建築された、明星学園内に鎮座する巨大な円柱状の建物。楓と白が無断で戦闘を行った場所であり、学園生が唯一緊急時以外で神葬具を展開可能な場所である。
授業では実技演習や、コロシアムの地下深くへ潜って行くダンジョン演習で使用されている。
そこに押し込められた一学年と二学年、合わせて約三百人の神葬具使い達。
観客席を含めずとも十分広い造りのお陰で窮屈ではないが、召集された全生徒の緊張感で、息苦しい場に変貌している。
「午後の授業が丸々潰れた事は有難いし、体動かしてる方がわたしは好きだけどさ。なんか説明が少なかったよな。いきなり校内放送で三年以外呼び出しって、初めてじゃないか?緊急事態でもあったのか」
舞佳先輩の緊急事態の言葉を聞いて、頭の中をフォンちゃんの姿が過ぎる。確か白が学園長にはフォンちゃんの事を知らせたって言ってたよね。流石に上位天人の存在を唐突に明かしたら学園中がパニックを起こすだろうし、有り得ないとは思うけど。
見渡す限りでは白の姿は見当たらないし、フォンちゃんの面倒を看てくれてるのかな。
「楓は何か聞いてない?その、演習が何でやられるか……とか」
「別に……何も聞いてないわよ」
普段の調子で話し掛けるが、返って来る言葉は素っ気無い物ばかり。今朝の話す事すら躊躇われる程に不機嫌な楓からすれば、会話が成立するだけ御の字だよね。
きっと楓は、フォンちゃんの事で怒っているんだろう。白と喧嘩をしたみたいだし、僕もフォンちゃんの世話をしていて帰りが遅かった。それに楓は、フォンちゃんが学園内にいる事自体が気に入らない筈だよね。
どんな外見をしていても上位天人。フォンちゃん一人でどれ程の力があるかは僕には理解出来ないけど、中位天人とは比べ物にならない力量。それは武器を展開していない僕でも感じる事が出来た。あの子単独で、この学園を破壊し尽くす事も不可能ではないだろう。
『只今より、ダンジョン演習授業を開始します。学年は問いません。生徒は直ちに四人班を作り、ダンジョンへ進行を開始して下さい』
ダンジョン探索は基本、連携が出来るよう四人一組を作るよう義務付けられている。僕達の班は、楓と僕、舞佳先輩とアルフォート先輩。正直、先輩二人で最下層まで到達可能な気もするけど。
コロシアム全体に教員からの放送が流れ、授業の開始が宣言される。すると生徒達を待ち望んでいたかのように、コロシアムの壁の至る所に出現陣と見間違えるような円陣が次々と姿を現す。ダンジョンへの入り口。どういう仕組みかは検討が付かないが、移動陣と名付けられている物だ。
「よしっ!今回こそ最下層まで行ってやるぞ!」
「あら……どういう原理かは分かりませんが、中々面白そうですわね。ケルビン、ダイゴロウ、貴方達はここで地上を警戒してなさい。天人が現れたら、直ぐにわたくしへ知らせるように」
『了解でござる』『任せてくだしゃい~』
気付いたら4500文字超えていた……。
省略した感が否めませんが、初のダンジョン授業開始です。
はい、以前消去する前に見ていて下さった方は知っていますよね。
ダンジョンを書くのはこれが二度目です。
以前消去する前は何とエリーゼの前にフォンが登場しておりました。
修正してよかったと心の底から感じております。次回からは少しだけダンジョン授業回が続きますが、宜しくお付き合いください。