36『エリーゼ御乱心』【挿絵】
【匂坂 舞佳SIDE】
「大剣使い!白様から、他の女の匂いがしましたの!」
「あぁそうかいそうかい。寝不足でそんな事聞かされたら、どう反応すれば良いんだろうな」
朝早くから昼ドラ紛いな発言を真顔でする隣席のエリーゼに、呆れながら数学の教科書を見返す。まさか今日に限って抜き打ちの小テストとは、不幸ここに極まれり。更に悪い事に、わたしは数学と英語が超の付く程、苦手科目である。
隣席のお嬢様は、小テスト前の時間に話し掛けて来る所から見て、勉強の事等は頭の片隅にも置いて無いのだろう。楽勝だからか、はたまた白の事を考えていると視野が狭くなるのか。
どちらにせよ、小テストですら赤点を獲得すると激不味な状況のわたしは、先程からお嬢様の言葉を大半聞き流している。お願いだから少しでも悪足掻きさせてくれ。日頃の授業態度も爆睡ばかりで最悪に違いないから、こういう場面で失敗すると本当に白達と同級生になりかねん。
(だからって、教科書見ただけで出来たら苦労しないんだよなぁ。昨日帰ってから少しでも復習しとけば良かった……)
この後悔の嵐な現状を一言で説明しろと言われたら、後の祭りである。
結局、昨日は食堂内から無事に帰って来た白と灯火が、何も無かったの一点張り。内部から銃声も聞こえた事もあり、その事を問い質そうとすると、夜遅くだからと捲くし立てられて説明も無しに悶絶状態のエリーゼを担いで自室へ。
わたしが眠過ぎて頭が上手く働いていなかったのもあるが、不自然だったな、あの二人。相変わらず平常運行の白は別として、灯火が物凄く落ち着き無かったような気がする。
「わたくし、今朝はもう驚くほど綺麗に起きれたんですの。優雅な朝日を浴びながら紅茶を嗜んでいるだけでは物足りず、一日に少しでも長く最愛の白様の顔を拝見しようと、白様の部屋に向かったのですわ」
知ってるよ。お前が朝六時に起床して、シャワー浴びて、ドライヤー掛けて、鼻歌交じりに紅茶淹れつつペット共に餌やりしてた事全て。何せ、お前の立てる物音が逐一煩くて起こされたんだからな、わたしは。睡眠を貪ろうとしていた者としては、嫌がらせと形容しても差し支えない。
というか、エリーゼは食堂前の見張りの時から妄想混じりで約十時間の睡眠取ってるんだぞ。そりゃ眠気も飛ぶわ。
『お嬢様が早起きなんて……うぅ、ここまで感動したのは久方振りでござる!』
『一年に一度あるか無いかでしゅね』
エリーゼが重度の低血圧と知らなければ、只の怠け者と勘違いしそうな言い分だぞペット共。確かにエリーゼの寝起きの悪さは凄まじいけども。二度寝三度寝当たり前な上、前に遅刻寸前で起こそうとした際には、射殺すような目付きで睨まれた事もある。あの時は本気で心臓が縮み上がった。
「で、何でそこから他の女に繋がるんだ?」
「わたくしが、わたくしが白様の部屋の鍵を無理矢理抉じ開けようとしたら……中から円月輪使いが出て来たのですわ……ッ!」
うん、先ず抉じ開けようとしてる時点で自分の行動の不自然さに気付こうな。普通なら警察呼ばれて騒ぎになる行為だぞ。常識皆無なお嬢様だから、扉を蒼炎で吹き飛ばさなかっただけ良かった――なんて考えてしまう時点で、常識が麻痺して来ている証拠だ。
しかしエリーゼと面識があり、白の部屋にいた円月輪使い、と呼ばれる生徒。わたしには灯火しか候補に挙がらないんだが。
大方、料理の作れない白の代わりに朝飯でも用意していたんだろう。大抵の男は料理不得意って言うし。いや、主夫なんて言葉がある以上、そうとは限らないか。
「エプロンを付けて呼び鈴に出て……それはわたくしの役目ですのに!」
後輩が要らん所で恨み買ってるな。苦労人は自分から面倒事に巻き込まれる訳じゃなくて、苦労が他所から訪れる方が多いと思う。
「こほんっ……違いますわ。本当に重要な事は泥棒猫の方ではありませんの」
もはや確証も無しに泥棒猫呼ばわりか。何時か、こいつが神葬具を持ち出して白の傍にいる女子に襲い掛からないか心の底から不安である。灯火、世界二位からの逆境に挫けずに強く生きろよ。
周囲の席の生徒からの視線を感じ、少しばかり声量を落としたエリーゼが咳払いをしながら話を切り替えて来る。
皆、小テストの勉強で必死だから、こいつの良く通る声は気が散るだろうな。いや、わたしも早くテスト勉強しなきゃいけないんだって。真面目にエリーゼの話題に付き合ってる場合じゃないんだって。
「実は――……白様の部屋の中から、天人の力を感じたのですわ」
「おい待て、勉強が手に付かなくなる話題は今は止せ!後で幾らでも聞いてやるから!」
昨日の不自然な態度と、食堂内に入った白と灯火が今朝、白の部屋にいる状況。そしてエリーゼの天人の気配を感じたという証言。確かに全部の辻褄が合うが、考え出したら切りが無い。加えて考えていたら、わたしの小テストの点も無くなってしまう。
もう話し掛けて来るエリーゼを完全に無視してでも勉強するしか――、
「あら、鐘の音ですわね。大剣使い、次の休みに詳しく話しますわ」
授業開始の鐘の音。つまり悪足掻き終了のお知らせ。
鐘の音を聴くと、エリーゼは直ぐに雰囲気を切り替えて自分の机に向かう。切り替え早いな、お前。わたしはもうダメだ。お前の言った言葉が頭から離れない上に小テスト対策が皆無である。来年は本気で白と同じ教室かも知れん。
もしわたしが来年も二年生を過ごす事になったら本気で恨むからな、エリーゼ。
◆ ◆
「これで……よしっと」
ドライヤー等使った事の無い男の俺なら未だしも、何時もポニーテールに髪を結んでいる女子の器用さは見事の一言。
フォンの膝まで届く白髪を二つ分けにしてゴムで結び、その結び目に縞模様のリボンを手際良く巻き付けると、灯火は一仕事終えた職人のような声を出す。長年培った経験が存分に発揮されたな、灯火よ。
「フォンちゃん、どう?動き易い?」
『……ふつう』
色気より食い気を体現しているフォンは、外見を整えられても判断に困るのだろう。天使という存在で生を受けた恩恵か、フォンの容姿は磨かなくても光り輝いてるからな。世界中の女性の半数を敵に回しそうな子だ。
束ねず無造作にしていた髪をツーテールにされ、傍目からだと機動性が上がった様に見えるが、どうなんだろう。
髪を結ばれた本人は、相変わらず感情を表に出さない無表情で灯火の手鏡に映った自分を凝視している。何を考えているか検討も付かないが、一応喜んではいるのか。
「白はどう思う?フォンちゃん、可愛いよね?」
ついでに昨日から一番俺が戸惑っているのは、フォンの存在でなく、黒羽にフォンの面倒を任された事でもなく、灯火が天人であるフォンを猫可愛がりしている事である。
実際、昨日の楓の反応が一番まともなんだ。人間を何万人も殺し、人によっては両親まで天人の襲撃で亡き者にされている。加えて楓は新聞の一面を飾る事件となった都心襲撃事件で真っ只中にいたんだ。仇の天人と仲良くしろと言う方がどうかしている。
「あぁ、似合ってるんじゃないか」
目の前で首を傾げている、ツーテール型に髪を結んだ少女。一見無害そうに見えるが、その実、人間を数え切れないほど血祭りに上げて来た天人の親玉。
情報を掴む為に割り切ったとは言え、俺でもフォンに接する事は若干の躊躇いが残る。
「フォンちゃん元が良いんだから、もっと見た目に気を使わないと駄目だよ。お風呂もちゃんと入らないとね」
『……熱いの……嫌い』
だからこそ、灯火のフォンへの態度の不自然さに疑問を感じざるを得ない。
灯火も、対天人育成学科が組み込まれている学園に入学している時点で、天人に対して何らかの因縁は抱いている筈。ならば何故、フォンに対して姉妹のように接する事が出来るのか。もし仮に、フォンが洗脳を掛けているとしたなら、俺も例外なく洗脳されているだろうし。
「でも、灯火は良かったのか?四限目すっぽかしたりして」
今現在、俺達がいるのは二階の空き教室。普段ならば真面目に教科書開いて勉学に勤しんでいる筈の時間だ。
俺はフォンを一度、寮の部屋に連れて帰らなければならない使命があるので授業を怠るのも学園長直々に許されているが、一生徒の灯火はそうはいかない。授業を欠席すれば漏れなく補修の報復が待っている。
何度も補修に苦しむ舞佳の事例を見ていて尚、自分を犠牲にして天人であるフォンの世話をしたがる灯火は物好きの範疇を越えていると思う。
「朝から楓が物凄く不機嫌で……僕の避難の意味も混じってるから、気にしないで大丈夫だよ」
済まない灯火。その楓の不機嫌、間違いなく上手く説得出来なかった俺が一番の原因だ。楓の性格上、一週間は機嫌最悪のままだろうし、同室の灯火には本当に迷惑掛けている。それでも微笑を絶やさない灯火は聖母でも目指しているのか。
『――……お腹……空いた』
灯火の気遣いに涙し掛けている時に、空き教室内で響く豪快な腹の虫。遅れて、暢気に空腹を告げる少女の声。
敵陣の真っ只中にいるというのに、本当に緊張感ないな上位十神階。まさか外部から攻撃するのではなく、内部から徐々に敵勢力を切り崩していく作戦か。無表情で腹を鳴らし続けている天人でなければ、その可能性も疑っていたな。
今回挿絵は僕の描いた物です
良いか悪いかわからないのですが、
楽しめて頂けたら幸いです