35『首狩りの黒霧』
「本当に、我が息子ながら厄介を抱え込むのが好きね」
「巡回を任したのは黒羽だろ。俺だって予想外だったんだ」
楓への誤解が解けないまま夜が開け、朝早くから授業の一限目を無視して学園長室に訪問しなければいけない。度重なった寝不足と面倒事で、拷問を受けた囚人のようになりつつある。
そんな疲労困憊の俺へ向けられる義母の言葉の端々に鋭い刃を感じるのは、ただの錯覚だろうか。
最近、夜遅くまでの仕事が続いているようで、若干顔色を悪くしている黒羽。自慢の特注机に頬杖を付き、溜め息を吐きながら放たれる、呆れの混ざった視線が痛い。楓の事といい義母の視線といい、もう部屋に直帰して一切外出しなくなるぞ。
「で、その肝心の天人さんの姿が見えないのだけれど?」
座り心地の良さそうな椅子に背を預け、黒タイツに包まれた脚を組み直す黒羽。我が義母ながら、色っぽい動作。外見年齢がもう少し上ならば、食入って見詰めてしまう仕草だな。
しかし妖艶な身振り以上に目を引く、中指に嵌められた門の形の装飾が施された指輪。なるほど、予め天人を連れて行くとは伝えてあるし、フォンを警戒しての展開か。
『――……しろ、しろ』
くいくい、と制服の裾が弱く引っ張られる。
視線を下に向けると、俺の裾を掴みながら黒羽を指差しているフォンの姿。服装は校内を歩いても違和感の無いよう、大き目の灯火の古着を着用している。灯火も身長が結構高いので、やはり違和感が目立つが、俺の衣服よりは良いだろう。
『……しろ、この人……誰?』
そう言いながら裾をくいくいと引っ張り続けるフォン。
実は、この裾引っ張り、学園長室を訪れる前にフォンから何度も服の生地が破けるような万力で引っ張られ、何とか矯正させた動作なのだ。こういう控え目な力加減ならば可愛く感じる。矯正前までのは小熊に襲われている気さえしたからな。
ちなみに一発目の引っ張りでは比喩抜きに服の右袖を丸ごと持っていかれた。値の張る制服等ではなく、安売りの私服だったから良かった物の、引き千切られた本人としては目を疑う程の大惨事だぞ。
「あら、随分可愛いのね。貴方、お名前は?」
俺の背後に隠れていた目当ての少女を見つけ、優しく話し掛ける黒羽。それに驚き、再び身を隠すフォン。一応言い聞かせてはいるのだが、やはり上着の裾を強く握られると怖い。一瞬で服が再起不能にされそうで。
『ふぉん……さんだるふぉん』
「サンダルフォン、か。見覚えないと思ったら、そういう事ね……」
案外人見知りなのか、それだけ言うとフォンは再び俺の背後へ隠れてしまう。天人が人見知りって物凄く違和感沸くな。天人と言えば、やはり下位や中位の印象しか無かった分、予想外の行動や思考を持つフォンの方が異質に思える。
そしてフォンの名前を聞き、神妙な顔付きになる黒羽。
何時もの事だが、黒羽の物思いは突然開始され、他人を置き去りにして思考を回転させる厄介物である。こうなると肩を叩くか、大声で呼び掛けるかしなければ現実に復帰しない。確かに知略を巡らせて徐々に責める事が好きなサド黒羽の性格上、かなり相性が良い癖だとは思うが、息子としては心配なのだよ。
「人と意思疎通可能で、知恵も思考も持ってて……間違いなく十神階の子ね。サンダルフォン、貴方の階級とかは分かる?」
階級というと、十神階の事か。確かに羽根の黒色は三位にも共通しているし、サンダルフォンという名前だけで十位だと決め付けるのは早合点。順位交代とかも無いとは言い切れないし、下克上とは何所の社会にも共通する言葉なのだよ。
『階級……十位。十位って……教え、られた』
フォンは口数が極端に少ない上に、重要な主語が抜けている事が多い。現に今の言葉には、一番重要な誰に順位を決定されたのかの部分が綺麗に抜け落ちている。考えるまでも無く、神な可能性が濃厚だが。
取り合えず、サンダルフォンは生命の樹の系列通りに十神階の十位に位置している。それだけでも今は収穫だ。
俺はフォンと遭遇してから、フォン自身の事を詳しく訊こうとは思っていたのだが、フォンが灯火の料理を完食したら直ぐに熟睡してしまったのもあり、訊く機会が無かった。そういや、黒羽と話し終えても楓の事もあるし、エリーゼと舞佳にもフォンの事を説明しなければならないし。面倒事が積み重なるのは息も吐かせぬ程一瞬だな。
「……生命の樹説は間違えていなかった訳ね。それじゃ次の質問……貴方は本当に神から逃げて来たの?にしては、裏切ったペナルティの類が無い様に見えるのだけど?」
『――……ぐぅぐぅ……鳴るように、なった。あと、眠くなるように……なった』
俺の顔を見て解説しろと言わんばかりの表情を浮かべる黒羽。確かにフォンが生野菜を丸齧りしている姿を見ていなければ、天人が腹を空かせて腹の虫を鳴らす、なんて夢にも思うまい。
「腹の虫の事だろ。よく食うぞ、フォンは」
お陰さまで我が食卓のエンゲル係数が跳ね上がりそうだ。
余り食欲が湧かない朝。通い妻の如くやって来た灯火が作った朝食を軽く平らげる。ちなみに男である俺の三倍は食していた。それから校舎に辿り着くまでに、たこ焼きにクレープ、食パン一斤。見ているこっちが胸焼けしそうな大食いっぷり。
灯火は子供を見守る母親のような顔をしていたが、俺は隣で財布の中身を覗いて青褪めていた。銀行から貯金を下ろさなくては自身の昼飯さえ購入不可になってしまう。
「天人に食欲と睡眠欲……ね。と言う事は、神から逃げる前は二つとも無かったのかしら?」
『……ん。あと……武器が、重くなった……気がする』
流石に裏切った罰が三大欲求追加のみ、は軽過ぎる。しかし、手下の手持ちの武装にまで負荷を掛けて置くとは、敵ながら抜け目が無いな。側近に裏切られる事まで神は想定済みだった、という訳か。
「少し確かめたいわね。サンダルフォン、貴方の武器、出して貰える?」
こんな時に無神経かも知れないが、個人としても上位の神葬具がどんな物か興味が沸く。神葬具を展開していない時でさえ感じる圧倒的な威圧感。何よりも、人類の宿敵である天使達の大本の武器。
自分の武器を人間に晒す事を躊躇うかと思いきや、フォンは直ぐに小さく頷く。最大の手札を見せる事を拒まないとは、素直と言うか考えなしと言うか。
いや待て、フォンが神葬具を展開した途端に黒羽に襲い掛かる可能性も捨て切れない。何時でも飛び出せるよう準備はして置こう。
『……森を黒き霧が包み込む――』
俺と黒羽の間に立ち、呟くように言葉を紡ぐフォン。それと同時に、服の中へ収納する為に縮めていた黒翼が、狭苦しさから抜け出すように解放される。上着の背部を豪快に破り広げられた巨大な翼と、周囲に散らばる漆黒の羽根が相まって、息を詰まらせる程美しい光景が出来上がる。
何より一番驚いたのは、普段の淡々としている感情乗りが皆無の声から一変した、脳内に澄み渡るような歌声。まるで水面に雫が降り立った時を彷彿とさせる、透き通った声。
『現れるは斬首の鎌……全ての罪を狩りし者』
突如フォンの突き出した両手に、出現陣を思わせる円陣が形成される。歌声に共鳴するように漆黒の翼から光が溢れ、光の粒子が円陣に吸収されていく。
何故か見覚えがある光景だと思いきや、呪文を唱える部分といい、派手な演出といい、楓の神葬具を思わせる動作だ。向こうは単に格好付けだろうが、フォンのは歴とした武器を呼び出す為の儀式なのだろうか。
神葬具という媒体を展開していなくとも、フォンの体に力が集束していくのが分かる。台風の目を覗いているような錯覚さえして来た。
『彼の名……黒霧ノ森』
黒霧ノ森。フォンがその言葉を唱えると同時に、彼女の体の周りに黒い霧状の物が現れた。不気味な黒霧は、まるで主人を守るかのように彼女の体を覆う。漆黒の翼には適しているが、身に纏っている本人が小柄で華奢な少女だと不釣り合いに見えるな。
そして、徐々に周囲を漂う黒霧がフォンの突き出した両手に集束していく。
黒羽は真剣な眼差しでフォンを観察しているが、戦意を削ぎ落とされる程の圧倒的な力を見せ付けられている俺はそれ処ではない。今まで何百もの天人を相手にして来たが、それ等全てを総纏めにしても、目の前で武器を展開しているフォンに敵うかどうか。
『ん……久し振り、エンヴェロッサ』
黒霧が形を成し、彼女の手に握られる一振りの黒塗りの大鎌。物々しい鎌の全長は優に持ち主の背丈を越えていて、外見から重量を想定すると、戦闘には不向きにも感じる。刀身は黒霧に覆われていて全体像が把握出来ないが、人間の首なら安易に斬首可能であろう。
フォンは呼び出した大鎌に優しく声を掛け、鎌も応えるように黒霧をざわつかせる。
「名前持ち……分かってはいたけど、間違いなく神器ね」
「神器……?神葬具じゃないのか?」
「上位の天人が持つ神葬具の名称。わたしが今決めたわ。神葬具じゃ統一出来ないから、これは」
神器。確かに、今フォンが手にしている武器は、神葬具の枠組みでは収まりそうにない。人間が手にしている奪い取った紛い物と違い、直々に神から与えられた刃。『神の武器』と呼んでも相違ないだろう。
外見で忘れそうになるが、フォンは十神階の最下位。そう、これで最下位なんだ。
フォンの上に残り九体。そのどれもが神器を展開して俺を絶望させているフォンよりも格上。そして十神階を奇跡的に撃退出来たとしても、最後の敵の神がいる。
「どんだけ人間が絶望的か、再確認させられたな……」
4000文字まで完了……良かった終わって…
あぁ…次回はエリーゼだ…
というより地味に4000文字がきついですね
3000からの1000文字がきつい…
次回もよろしくお願いします