33『消えて行く人参、逃亡の訳』
悪い夢なら全力で覚めてくれる事だけを祈ろう。半信半疑だった推測が、まさか的中していたとは。
「上位天人……」
光の無い暗闇と同色の、身の丈に合わない巨大な翼。戦闘で天人を見慣れている神葬具使いならば、この色違いの翼に真っ先に視線が向かうだろう。通常、赤で統一されている筈の翼の色が違う天人。即ち、上位十神階の一体である。
通常の天人とは違い、幾分か軽装の鎧。上位の天人ならば中位よりも重装備だと予想していたが、意外や意外。攻撃を受ければ簡単に砕けそうな鎧である。
全ての天人が装備している兜も小型で、頭を覆う所の話じゃない。むしろ御洒落で着けているのかと問い掛けたくなる程。その兜では、確実に頭は守れないな。
「し、白……どうしよう。上位……だよね?」
声を聞くだけでも、灯火が震えているのが分かる。人間誰しも異質な物には恐怖心が湧く物だ。
俺だって、背後に灯火を庇いながらも、目の前の少女を見た途端、天人への恨みが全て弾け飛ぶほどの力量差を感じた。神葬具を手にしていたから尚更大きく。まるで全身に刃物を突き付けられた気分がしたぞ。
『――――……ん?』
口に咥えていた人参を豪快に齧り切ると、再びこちらへ視線を向け直す少女。
恐怖を覚える前に、彼女の顔の整い具合に息を飲む。血で真っ赤に染め上げられたと言われても疑問を持たない程、朱一色の瞳。その赤眼を際立たせる様に真っ白な、濁りの無い雪色の髪。白髪の長さは尋常ではなく、座っているせいも合って豪快に地面に垂れている。
彼女が鎧姿で無ければ、もっと冷静に容姿を解説出来たのだろうが、正直今の頭の中は脱出経路を探す事で手一杯である。
(背を向けて逃げれば背中からやられるな。灯火だけでも先に逃がせるか?)
最悪、目の前の天人と戦闘になったとしても、背に守っている灯火だけは逃がさなければ。皆に知らせて欲しいというのもあるが、一番は灯火を守り切れる自信が無いからだ。万が一、灯火を庇いながらの戦闘になれば、外で待機している仲間が勘付く前に全滅の可能性も捨て切れない。
取り落とし掛けた拳銃を握り直すと、天人に銃口を向ける。何時襲い掛かられても、何とか迎撃しなくては。
『……はぐ』
そんな俺達の手に汗握る葛藤を無視して、再び手に持った新たな人参を口にする天人。生野菜を齧る小気味良い音が絶え間なく耳に届く。野菜の広告に出演しても問題ないくらい良い音出すな。
野菜嫌いな子供が多い昨今で、農家の人が見たら涙を流すだろう、豪快な食べっぷり。余りの場違いな音に思わず目を疑ってしまった。
「天人が……飯食ってる、だと?」
生野菜丸齧りを正当な食事と言っていいのかは判断出来ないが、天人が食べ物を摂取している。
まさか真正面からの攻撃だけでなく、上位天人自らが兵糧攻めとは。物資が枯渇しつつある世界には強襲と同じくらい大打撃だ。何千何万いるであろう天人の兵士達を総動員されたら、世界に明日の為の食料は残らないだろう。
「し、白……えっと、どうする?」
天人の間抜けな挙動と場違いな音に、先程までの緊張感が全て霧散してしまった。
灯火の声からも怯えが消え、戸惑いが見受けられる。何を隠そう数多の天人を相手して来た俺も、目の前の天人の異質さには度肝を抜かれている。
人間は天人が現れて三十年間、一度も敵の素顔を拝んだ事が無い。絶命した天人の鎧は、神葬具でも、ましてや人間の道具でも解体出来ず、生体解剖は不可能。神葬具として人と刷り込みを行えば亡骸は消滅。人間は天人の体内の構造はおろか、外的特徴まで把握していない。
『ん……ぐぅぐぅ無くなった』
そんな人類の中で天人の素顔を始めて拝んだ二人。歴史に名が残っても不思議じゃないな。偶然の産物ではあるが、月に着陸した宇宙飛行士と同じ程度の快挙だろう。
まぁ歴史書に名を残せるのも、俺達がこの場から無事に逃走出来たら、の話。
と言うか先程から頭に直接響いて来るような声は何なんだ。上位天人前にして恐怖の余り幻聴が聞こえ始めたか。恐怖が作用した物にしては、むしろ可愛く癒される声なんだが。
「今ここで戦っても被害が出るだけだ。平和的交渉を望む」
「て、天人と話し合うの!? 止めた方が……良いと、思うけど?」
有無を言わせず襲い掛かって来る天人なら話は別だが、目の前にいる彼女は如何せん、それと同様には見れない。外見的にも仕草的にも。
但し、神葬具を通して伝わる力量は、半端な物ではない。俺が剣を展開し、解放したとしても足元にも及ばないだろう。光の盾を形成して防御したとしても、敵の一撃で塵になるのが明白。
ならば俺は賢明に、より安全な方を選択する。勝ち目が無いなら汚い方法で活路を見出せば良い。生きてれば儲けもんだ。
そして、会談を円滑に済ませる為に銃口を向けるのを忘れない。どんな外見であろうと元を正せば天人。油断は命取り。
「へい、そこの可愛い天人ちゃん。ちょっと良いか?」
「良くないよ……もうちょっと堅実な話し方の方が良いと思うよ、白。せめて敬語とかで」
親近感を持たせる為に軽い男の男風で仕掛けてみたが、灯火的には駄目らしい。女子の感覚は分かり辛いな。
次なる装いを考えていると、何時の間にか俺の背後にいた灯火が、天人に少しずつ近付いて行く。
不味い、矢面に立つ筈の俺が守られてどうする。
慌てて灯火を引き戻そうと腕を掴もうとした時、天人の少女の視界が灯火を完全に捉えた。威圧を感じさせる血色のジト目が、動きを遮るかのように強く光る。まるで天敵を警戒する猫を彷彿とさせた。
「えっと、その……君は、どうして襲って来ないの?」
少女の視線に晒され、若干言い淀み掛けた灯火が、必死で天人に問い掛ける。
確かに遭遇してから何度も、天人は俺達を攻撃する機会があった。拳銃で牽制はしていたが、その神葬具が震える程の力量差。牽制も意味を為してなかったに違いない。なら、何故殺すべき対象に真っ先に牙を向けなかったのか。
『――……?』
灯火の言葉を理解しかねているようで、目の前の天人は、人参を加えたまま首を傾げる。
仕方ない。ここは何百もの天人を相手にして来た俺が、人類と人類の敵との通訳に徹しようじゃないか。平和的交渉を完遂すると言ってしまった身だから引くに引けない。
「何で、お前は俺達に攻撃して来ないんだ?天使なら、人間みたら攻撃するように言われてるだろ?」
天人達は自らを神の御使い、天使と呼んでいる。人間達側の総称の天人では分かり辛いだろう、と考えての配慮も忘れない。
少々荒々しいが、灯火の言いたかった事に大体は合っている筈。
まぁ、命令下しているのは十中八九神なんだろう。はたまた、上位の天人達が神の存在をでっち上げているか。どちらにせよ、その神を屠らなければ人間に未来はない訳だ。
『――……敵じゃ、ないから』
彼女は簡潔にそう言うと、小さな腕に抱いたキャベツの葉を一枚千切り、口に放り込む。それ以上語る事はないと言わんばかりの態度である。
『……攻撃して来る人……敵……教わった』
感情の乗りが皆無な声が頭の中で反響し、慌てて拳銃を背後に隠す。
早まって彼女に向けて発砲していたら、学園全体が消失していた、なんて笑い話にもならん。現に、俺の背中で冷や汗が滝のように流れている。無意識の内に、乾いた笑いが口から漏れている。
灯火が真っ先に天人に話し掛けてくれて助かったな。やはり始めは歩み寄りが大事。武力だけで解決しようなんて間違ってる。無論、万が一に備えて拳銃は消さないけども。
「何で、君はこんな所にいるの?」
現状としては、翼生やした美少女が冷蔵庫開け放ってこそ泥してる、としか形容しようがない。言ってる自分でも状況が理解し辛いな。どんな事件が起これば上位の天人が調理場に隠密する状況が出来上がるんだ。
『――……逃げて、来て……お腹がぐぅぐぅ鳴って……ここに、行き着いた』
灯火の問いに、あくまでマイペースを貫く天人。小さく、鈴の音のような声が頭に届く。
正直に言うと、言葉の主語が抜けていて、意味が全く掴めない。辛うじて、お腹ぐぅぐぅという言葉が腹の虫を刺している事は推測可能。
空腹過ぎて匂いを辿っていたら、偶然調理場を発見して食料にあり付けた、という所だろうか。しかしどんなに空腹であっても、勝手に学園調理場の冷蔵庫を開け、中身を物色して尚且つ食す、その行為。人、それを犯罪と言う。天人に窃盗や泥棒という常識を期待するのが、そもそも間違いか。
「あー……あれだ、お前の名前は何て言うんだ?」
『……ふぉん。サンダルフォン』
サンダルフォン……生命の樹の樹列だと十番目の幹を守護する天使。つまり、上位天人なのは間違いなくなったな。羽根の色と伝わる力で、既に中位と格が段違いなのは理解していたが、改めて認識させられると素直に驚く。
人類の最大の敵、神。その門番である十体の中の一人が、今目の前で生野菜を豪快に貪っている。
深刻な顔をしている人間二人の内、一人は銃を構えている。そして銃口を向けられた天人は暢気に食事中。本人達が大真面目でも、傍目から見たら御笑い種だな、この光景。
「良しサンダルフォン……長ったらしいからフォンで良いな。お前は何から逃げて来たんだ?
正式な名前であるサンダルフォンが長ったらしいので、その場で愛称を作る。きっとサンダルフォンと仰々しく名乗るよりかは、フォンと名乗った方が可愛らしく感じると思うぞ。
しかし、上位天人が人間の世界へ逃げ込んで来る、そんな事例は一切無い。余程の事が天国の方であったのだろうか。
『――……神から、逃げて来た』
やっと書き終えた……長かった。長かったぞー!
これから最新話をまた随時執筆すると思うと胸が熱くなります……あおさんの挿し絵と読者様からの応援が執筆を支えてくれています。
なんと33話のぞろ目……実際はプロローグ入れると34話なんですけども、気にしたら負けです。
では次回にまた~。