32『漆黒の野菜泥棒』【挿し絵】
【エリーゼ=ディ=アルフォートSIDE】
「好きだ、エリーゼ」
普段とは違う、聞き惚れてしまう程の凛とした御声。惚けている間に優しく手を握られ、驚く間も無く左手の薬指に指輪が嵌められる。
信じられない光景に目を見開き、視線が嵌められた指輪と目の前の男性を右往左往する。
「し、白様……これって」
「まだ婚約指輪だけどな。本物は、俺がまともに稼げる様になるまで待っててくれ」
本物というと、結婚指輪という解釈で間違いないのだろうか。余りの衝撃的な出来事に思考が働かない。心の中では何人もの自分が万歳三唱をしているというのに。
名残惜しく彼の手が離れると、薬指に丁度納まった指輪が姿を現す。
彫られた『E.S』の文字以外は、全く飾り気の無い指輪。今まで様々な男性に婚約の話を持ち掛けられ、幾度となく指輪を断って来たが、その中でも一番地味だ。きっと値段も天と地ほどの差があるに違いない。
「流石に宝石とかは買えなかったけどさ。まぁ、結婚指輪の時は――」
「いえ……いいえ、ただ価値を映すだけの宝石なんて必要ありませんわ」
親指と同等の大きさの宝石なんて要らない。貴方から貰える指輪に比べたら、自分の命すら霞んで見える。
アルフォート家の貴族の名なんて惜しくない。家名復興の為の結婚か、彼への愛かを選ばされたら、名前なんて潔く放り捨てる。"エリーゼ=レッヂ"、わたくしにはこれだけで十分。
どちらも欲する者がいたら躊躇無く譲り渡そう。自分には必要ない物だ。
潤む視界で愛しい指輪を眺め、どんな宝よりも大切なそれを右手で包み込む。
「わたくしは、貴方に愛して頂けるのなら……他に何も要りませんもの」
【匂坂 舞佳SIDE】
「――……ふふ、白様ぁ」
食堂の外に取り残された三名。その中の一人が突然、夢心地のまま薄気味悪い笑い声を上げる。
只でさえ曇り空で月の光さえ届かない状況なのに、無駄に恐怖感を煽るんじゃない。直ぐに発声源を特定出来たから良いが、怖さで鳥肌が立ったぞ。
「おい、お願いだから、お前等の主人の気味悪い笑い声を止めてくれ」
『旦那様が傍にいない時のお嬢様は何も聞き入れないでござるよ。必死で旦那様を想像して正気を保ってます故』
『今の姫しゃまを起こしたら、校舎が凍りつきましゅね』
犬と猫に主人の説得を諭すが、頼みの綱が戦わずして白旗を挙げている。ペット二匹に呆れられてる飼い主って何なんだよ。犬は諦めてる様子で、猫に至っては狂人扱いだぞ。
こちらは神経尖らせて警戒を怠っていないというのに、一番の強者が現実逃避中。まさか置いてきぼりを喰らっただけで、精神に致命的な大打撃とは。もし今、天人と戦闘になれば、こちらの班は連携なんて皆無。確実に白達の班の方が生存率高いだろう。
「はずれだ……絶対はずれ引いた」
抗えぬ現実に頭を抱えながら、軽い既視感を覚えた。
そうだ、こんな気持ちは一ヶ月前の試験で二科目連続赤点を取った時に似ている。どちらも漏れなく補修付きで二週間の間、苦渋を舐める地獄を味わった、あの時に。
まぁ済んだ事を悔やんでも仕方ない、それは分かるが敢えて言わせてくれ。わたし一人だけ持ち場を変えてくれないか。敵と戦う以前に、錯乱したエリーゼの蒼炎による誤射が怖過ぎる。蒼炎に覆われて苦しみながら焼失していく天人を目撃してるから尚更だ。
「し、白様……その女は、誰ですの……?」
夢の中で昼ドラ展開を繰り広げるとは、器用な奴。現実と関係しているとすれば、その女は間違いなく灯火だな。起きてから本人を見て錯乱しないか、とても不安だ。
しかし、普段の行動を見ていると世界二位の神葬具使いの名が霞むな。味方ですら恐怖する強さを誇る蒼炎使いとしてのエリーゼと、白ですら恐怖する狂愛のエリーゼ。互いの印象が国境隔てている位違う。他人の名前を呼ばないのは相変わらずだが。
「遅いわね、二人共……も、もしかして、白の色魔が二人っきりな事を利用して灯火にいやらしい事を!?」
一方で、後輩は忙しなく動き回りながら独り言を呟き続けている。何かを想像しては顔を沸騰させ、頭を抱えて大振りした後に、また動き出す。気味の悪さとしては同格か、それ以上だな。
先程の発言撤回。警備する以前の問題だ。この三人の班で協力しろという事自体が間違っている。
「白……お願いだから早く済ませて来てくれ」
◆ ◆
「懐中電灯だけだと大分辛いな」
食堂の広さが仇となり、奥の方は完全に暗闇状態。手にした命綱とも言える懐中電灯の光も、先を照らすと暗闇に呑み込まれてしまう。
加えて何時、何所から奇襲を受けるか見当も付かず、灯火を庇いながら常時気を張り詰め続けている。
廃屋病院で肝試しを実行しても、ここまで神経磨耗しないぞ。天人と遭遇するよりも、幽霊と鉢合わせした方が殺される危険性は減るし。武器持って追い掛け回されるのと、ただ驚かされるだけならば、俺は迷わず後者を選ぶ。
「白……ごめんね。足手纏い、だよね……」
指名した時から覚悟していた事だが、具合の悪い灯火と別々に行動する訳にもいかず、終始二人一組で行動している。
俺は比較的消耗が低い拳銃の神葬具を創り出し、銃口は下げずに構えたままの移動。これならば即座に攻撃に転じる事も出来る。襲って来た敵の天人が上位、もしくは真後ろからの攻撃でない限り、致命傷の一打は避けられる筈。
「バカ言うな。灯火が一緒に来てくれなけりゃ、こんな怖い所一人で行けないぞ」
「あ……うん、ありがとう」
申し訳無さそうに言う灯火に笑い掛けると、疑問を覚えながら周囲を見渡す。
粗が目立つ探索だが、見回っている間に殺気の類は一度も感じなかった。ダイゴロウの嗅覚が誤認したのか、はたまた敵が消耗するのを待っているのか。
場所が校舎なだけに、派手に動けないのが厳しいな。火力の高い武器で敵をいぶり出そうとすれば、確実に食堂の壁に大穴が空くし。力の調節を誤れば食堂丸ごと吹き飛ばしてしまいそうだ。大暴れの戦法に慣れると小回りが利かなくなるのが駄目だな。
「そういや灯火。調理場って何所にあるんだ?」
楓と話していた時に話題に挙がった業務用冷蔵庫。食堂の飯を作っている場所にあるのは当たり前として、転入して浅い俺は調理場の位置を知らない。最終日だから、せめて穴の無いよう念入りに見回らなければ。
「配膳を受け取る場所の奥だね。でも、生徒が入れないように鍵が掛かってたと思うけど……?」
「鍵か、なるほど。調べてみる価値はあるな」
調理場なら隠れ場所もあり、食料もありと、隠密する場所としては最適だ。加えて、鍵も掛かっていて、人がいるのは昼間だけ。鍵の問題を無くせば、これ以上の優良物件、他には無いだろう。
万が一、天人が自分の体を透かす事が可能であれば、鍵なんて物は障害にすらならない。そんな能力持ってたら天使というより化け物だな、完全に。
【野々宮 灯火SIDE】
「ここか。鍵は……掛かってるな」
生徒が一度に食事をする為に広く建造された食堂。深夜となっては人っ子一人おらず、更に天人が何所から現れても可笑しくない点が追加され、恐怖が倍増し。
そんな下手な肝試しよりも怖い場所を、懐中電灯の心細い光で照らしながら辿り着いたのは、生徒達が食事を受け取るカウンターの奥。食堂の最深部にある、調理場と記された扉。
白はドアノブを回すと鍵が掛かっているか確認をし、顎に手を当てる。
「どうしたの……?」
「いやな、ここの中から変な感じがするんだ。神葬具出してたら分かると思うぜ」
見ると拳銃を握っている白の手が震えている。いや、違う。白の体で他の箇所は、こんなに異常に動作していない。神葬具の拳銃自体が震えているんだ。
僕も確認の為に神葬具を展開したいけど、今の体力を考慮して断念した。
この扉に近付く度に、頭痛が増長している気がする。今の磨耗した体力で神葬具を展開したら、消耗が少ない円月輪でも倒れる事は必至。情けない事に結局、全て白頼りになってしまっている。
「さてっと……開けるか」
こちらからは背中だけしか見えないので、白が何を実行しようとしているのか窺う事が出来ない。
ただ、鍵を取り出している風には見えないんだけど、気のせいかな。
「え?鍵持ってるの?」
「よく映画であるだろ。ドアノブ一つくらい、安いもんだ」
白の言葉の意味を掴みかねていると、突如目の前から耳を突くような銃撃音。一発でも心臓が破けそうな程驚いたと言うのに、連続して計四回の発砲。銀行強盗も驚く大胆さに、感極まって泣き出しそうだ。
(天人が気付いたらどうするの、白……)
無残に破壊された鍵を無視して、扉を開く白を見て安堵する。まだ蹴り破る行為をしないだけマシか。
そう考えている自分を知って愕然とする。最近、白の行動に慣れてきている自分が怖い。普通なら拳銃で施錠された扉を破壊する事自体、警察行き決定の行為である。
お願いだから警察沙汰になるような事はしないでね……白。きっと収容した刑務所の方が危ないと思うから。
「え……何?この音」
扉を開けたは良いが、一向に動く気配のない白の大きな背中のお陰で、調理場の内部が全く見えない。
その上で聞こえて来る、生野菜を丸齧りしているような豪快な咀嚼音。薄暗く不気味な雰囲気に不釣り合いな効果音。気にならない訳がなく、何所かに隙間が無いか探っていると、白の脇の下に空間を発見。棒切れ状態で立ったままの白の脇の間から、内部に目をやる。
「はむ……はむ」
僕も調理場の内部は拝見した事ないので、機材の配置等は全然わからないんだけど、確実に業務用の物と思われる冷蔵庫の光が漏れている。冷気がこちらまで漂って来る程だから、かなり長時間開封され続けていたのだろう。
何より中の食品は大丈夫か心配だ。明日、学食を利用した生徒全員が食中毒なんて大惨事になったら目も当てられない。
「おいおい……マジかよ」
「むぐ……はぐはぐ……ん?」
白からは始めて聞く焦りを露わにした呟き。その視線の先に、冷蔵庫の光に照らされた一つの人影。
目を凝らして見ると、人参を丸齧りし、手にはキャベツを抱え、生野菜を豪快に食している。まだ生肉でないから人体に影響は出ないだろうけど、確実に常軌を逸した行動である。
そして、その小柄な人影が身に纏っている古めかしい西洋甲冑と、背中から生えた大きな漆黒の翼。
「て、天人……?」
やっと完成形です。長かった……長かった。
次回からようやく中盤です。ゆっくりしていって下さい!




