31『知られざる止まぬ痛み』
【野々宮 灯火SIDE】
学園が放課後になった後、直様寮へ帰宅し仮眠を取ったのだが、疲労が一向に治まらない。一週間程前から続いている頭痛も激しさを増している気がする。元々、軽い片頭痛ではあるが、ここまでの痛みは始めてだ。
痛む頭を擦りつつ、処方された錠剤を飲み込む。水を飲むのも億劫な今、水無し一錠が有難い。
「……頭痛薬って、中々効かないんだよね」
担当医からは生まれ持っての片頭痛と診断されているけど、実際は現代医療もお手上げらしい。頭痛の原因が解明出来ず、医院で処方される薬も通常の頭痛薬のみ。完治とは無縁の病に成り果てている。
そんな医師が匙を投げる程の難解な病を、医学知識を少々齧った学生では分析なんて不可能。精々、戦闘で受けた傷の手当が限界だ。
念の為、隣のベッドで熟睡している相部屋生に視線を向ける。もし楓が起きていたら、余計な心配を掛けてしまう。それだけは避けたい。
「痛い……」
視界が歪み、頭痛の鋭さが増す。吐き気を伴わないだけ、まだ救いがあるだろうか。
眠れば楽になる分、睡眠薬に依存したい気持ちもあるけど、飲むと起床時に負担が残る。戦闘になれば、満足に動く事すら適わないだろう。
それと生徒手帳にも記されている事だが、自力で就寝出来る間は天人の襲撃等も考慮して基本的に睡眠薬は使用厳禁。万が一使用する際は、相部屋生に確認を取り安全を確保する事。
後者の注意書きが無ければ、僕は躊躇わずに薬を服用していたかも知れない。楓の存在が、僕の理性を繋ぎ止めてくれている。
「えへへ……松尾芭蕉……」
相変わらずの寝相で布団を退け、涎を垂らしつつ寝言を呟く楓。
入学当初は散々な目に遭ったけど、今では楓の寝相が安息材料になりつつある不思議。市販の香より効果があるかも知れない。現に、楓の可笑しな寝言を聞いているだけで頭痛が徐々に和らいでいる気がする。
「ありがと、楓」
「んふふ――――……だぁとのばぁか」
何時も思うけど、寝言の意味は解析不可能だよね。どんな夢を見ているのか検討も付きません。
◆ ◆
『お嬢様、やはり天人の匂いが残っているでござる。かなり最近の物でござるよ』
「ふふ、ビンゴですわね。お手柄ですわよ、ダイゴロウ」
持ち前の嗅覚を遺憾なく発揮し、羽根の匂いを探り続けるダイゴロウ。犬と同じ行為は嫌だと散々吠えていた癖に、主人からの要望だと即座に聞き入れるんだな、この狼。主人に従順なのか、はたまた現金なだけか。
一週間近く継続された校内深夜探索、最終日。
開始当初から集合場所に指定している中庭に一旦集まり、全員の出席を確認。普段ならば班組み決定の為に少々時間を割くのだが、目的地が定まっている今夜は違う。初の総員連れ立っての探索である。
「でも匂いがあるからって、天人が食堂なんかにいるのか?腹空かないだろ、あいつ等」
学内食堂までの廊下で、舞佳が先導している俺を見つつ疑問を口にする。
天人の詳細な情報は未だに不透明なままだが、神が自ら手掛けた駒に不利な点を作るか否か。上位天人ならば未だしも、完璧に戦闘の駒の下位や中位に食欲を与えた所で損益にしかならない。
少なくとも俺は今までの戦闘中に腹の虫を鳴らした天人は見た事が無いし、人間における三大欲求すらも欠損してる可能性が高いだろう。何ら機械と変わりないな。
「他に手掛かりがないからな。当ても無く探し回るよりは良いさ」
「確かに隠れる場所は多いわよね、食堂って。冷蔵庫の中とか子供がかくれんぼの時使いそうじゃない?」
流石に天人でも自ら業務用冷蔵庫に隠れるとは思えないが、早合点してはいけない。万が一相手が黒い翼持ちの上位天人ならば、尚更臨機応変な対応が重要だ。それこそ、食堂の食料食い荒らしてるんじゃないか、程度の。本当だとしたら相当意地汚い天人だな。
「流石に食堂の冷蔵庫だと凍死しちゃうと思うけど……?」
ごもっとも。柔らかく切り返してくれる灯火の暖かさが心地良いな。
まぁ業務用冷蔵庫の中で凍死というのも、天人が恒温動物だったら、が前提の話だが。どうせ気温の変化も関係ないだろうし、北極で鎧解除したとしても、天人ならば平気な顔をしているに違いない。
『ふむ……お嬢様。匂いの強さからして、先程ここを羽根の持ち主が通過した事は間違いないようでござる。近いでござるよ』
ダイゴロウの言う通りならば、食堂に今日まで追跡し続けた天人が潜んでいる可能性が高い。
黒い羽根を持った鳥類の線が消失している今、遭遇するかも知れない天人が中位か上位かが問題だ。心の底から中位の突然変異型を望むが、上位だった場合、敵の戦闘能力は未知数。
選択としては、食堂の外側から襲われる事も考慮して、俺とエリーゼで戦力を別けるのが最良策か。
「よし、神葬具出しておくかッ」
「おい待て舞佳。お前本当に期待裏切らないな。落ち着くという事を知れ」
「バカって言うな!奇襲されたら困るだろうが!」
舞佳の言い分も理解出来なくは無い。全員が神葬具を展開していない状態で天人から奇襲を受ければ、例え中位であっても惨事は免れないだろう。全てが未知な上位ならば尚更。
だが忘れないで欲しい。神葬具、大剣の燃費の劣悪さ加減を。洒落抜きに天人探索途中で所有者が力尽きる事も有り得る。楓や灯火のように低燃費なら別として、高燃費な舞佳に神葬具を長時間展開し続けるのは到底不可能。
「お前、奇襲に備えられる程持久力ないだろ?」
「そ、そりゃ……そうだけどさ」
舞佳が神葬具を呼び出せる時間は持って二十分程度。ちなみに神葬具使いの平均的な展開持続時間は活動無しで約一時間。これだけでも驚きの燃費の差が窺える。
食堂内に天人が高確率で潜伏しているとして、内部に潜入する班員は常時神葬具を展開するのが前提。ならば持続力があり、天人を発見しても突っ走らない人員が最優先だ。
「楓と舞佳、エリーゼで食堂前に待機してくれ。俺と灯火で先に中を見て来――」
「ちょ、ちょっと白!何であたし達は置き去りなのよ!」
「し、白様!? 何故、わたくしを差し置いて円月輪使いを御選びに!? それも、こんな野蛮人と一緒に番だなんて!」
「聞き捨てならない!どういう意味よ、メルヘン女!」
危険を最小限に抑える為の最も堅実な案だと思うが、舞佳に次いで、今度は金髪二人に異議を申し立てられた。この学園では理由を話す前に反論するのが流行なのか。まともに作戦会議すら行えないぞ。
まぁ正直、班を決定した俺自身も、エリーゼと楓を合わせるのは非常に不味いと思うが、致し方ないのだ。
顔色が悪化しているのを必死で隠そうとしている灯火。万が一、外組が襲われたとして、エリーゼが他人を守ろうとしない以上、唯一の手負いは俺が担当しなければいけない。相手の勢力が判明していない分、灯火一人を守るのが精一杯な訳だが。
「し、白……僕で、良いの?」
鋭い八重歯を見せつつ威嚇する楓と、懇願する捨て猫のような顔のエリーゼに、どう説明するか一考していると、驚愕に満ちた表情のまま灯火が言う。
灯火も自分の体調の悪さは自覚しているのだろう。だからこそ、同行班に選出されるとは考えてなかったに違いない。甘いな、俺は日頃癒しを与えてくれる少女の為ならば自分から逆境に向かう性質だ。
「なぁに、灯火の一人や二人、守るのなんて楽勝だ。任せな」
「えっと……僕が二人もいたら困るんだけど。で、でも……選んでくれて有難う、白」
病人と同等に青白く染まった頬へ、少しばかり朱色が染み込む。
初々しい大和撫子って良いな。外国では十分に色香を纏った年上の女性ばかり見て来たから、逆に灯火のように控えめな性格の子が新鮮だ。是非とも初心で純粋なまま育って欲しいものである。
「おい白、行くなら早くした方が良いぞ」
確かに目的の食堂扉の前で話し込んでるのも時間の浪費か、と思いきや苦笑いしつつ舞佳がある方向を指し示す。灯火と俺の視点も釣られて移動。
「あいつ等が気付かない内にな」
「あら、今宵は生意気な子犬がよく吠えますわね!鞭の躾が必要かしら!?」
「言うじゃない青色一号!普段から気に入らなかったけど堪忍袋の緒が切れたわ!天人の前にアンタをぶっ倒す!」
「気品も優雅さも欠如した言葉使いですわね!神葬具使いとしての力量以前の問題ではなくて!?」
「そっちこそ何世紀前の口調よ!服のセンスと一緒に言語まで世紀前まで置いてきたってわけ!?」
お互い様な口論を繰り広げる金髪二人の間に、激しく火花が飛び散っている錯覚が見えた。
喧嘩するなら、せめて校舎を破壊しないよう穏便に済ませてくれ。結局、黒羽から説教を被るのは全部俺なんだから。あの黒羽独特の責め立てる説教を知らんお前等には分かるまい。
兎に角、二人の論争に巻き込まれる前に目的を果たさなくては。決して飛び火は勘弁、という事ではないぞ。
髪を結んでいる紐をきつく締め直し、気合を入れた灯火と頷き合うと、金髪二人の口論を背に食堂の扉を開く。
使用する者がおらず、当然明かり等は灯されていない食堂内。沢山の生徒達が一気に食事へ押し寄せる場だけあって、だだっ広い空間に鎮座した大量の長机。探索の面倒さも然る事ながら、正体不明の敵が潜んでいるとなると、不気味さ加減が軽く五割増。何も見なかった事にして寮へ直帰したい感情が湧き上がる。
「気を付けろよ、二人とも。何か遭ったら直ぐ乗り込むからな」
「あぁ。んじゃ、しっかり戸締り頼むぞ」
舞佳の言葉へ応答すると、重々しい音を立てつつ食堂の扉が閉じられる。この学園って、西洋風なのか知らんが無駄に扉厚いんだよな。ほぼ毎日開閉する教室も同じだし、勘弁してくれ。何故日常生活で訓練しなければいけない。これも黒羽の策略か。
やっと完全版……しかし、出てもいないのに章が進み過ぎている。
いや、こっちの話です。っていうか夏風邪って長引きますね……結構辛いです。