30『貴方の腕の中の幸せ』
「あー……しんどい」
舞佳。お前だけでなく、この場に揃ってる全員が愚痴ってると思うぞ。疲労の絶頂だと。
あの初日の探索が不発に終わり、三日間連続で深夜に校舎の調査を行っているが、進展無し。
ここ最近寝不足が続き、男の俺ですら食が細くなる疲労感。女性陣の悲惨な様は言うまでもない。舞佳を除き、元々小食な女子達が更に小食化。飢饉と無縁で餓死なんて洒落にならん。せめて御握り一個分は無理でも腹に詰めろ。
「はむ、ん~。やっぱり安売りのパンは良いわね。味じゃなくて経済的に。……侘しいけど」
唯一正常稼動しているのが、初日以降から深夜探索に参加している楓だという点が驚き。一番先にうつ伏せで倒れてそうな役回りなのに。
あんぱんを右に、パック牛乳を左手に装備して食べ進めている楓の隣で、色白の肌を更に悪化させた灯火が座っている。目尻に小さく隈を浮かばせているのが、体調の不良さを覗かせた。薄幸の美少女も、ここまでだと不憫過ぎる。
せめて一日でも休息を取って貰おうとするが、灯火は頑として首を縦に振らない。
「気にしないで……その、平気だから……ね?」
男は儚い雰囲気の女性には弱い。きっと万国共通だろう。
しかし、執念にも近い何かを原動力にして働き続ける灯火は痛々しく、今夜が限界であろうと判断出来る。
皆が体調崩しては元も子もないし、区切りとしては丁度良いかも知れないな。今夜不発ならば、一旦探索は諦めよう。もし誰かが引き下がらなければ、その時は強制しても寮に連れ戻す。力技になるが致し方ない。
「そういやエリーゼは何所行ったんだ?」
「なんか、犬ころ連れて羽根の匂いを辿ってるらしいぞ」
道理で騒がしくない訳だ。舞佳の所持していた黒い羽根の匂いをダイゴロウで追跡しているのか。一昨日から昼間に色々な箇所を探っているみたいだが、音沙汰無し。簡単に見付けられたら寝不足になる程苦労していない。
第一、四日間探して一度も証拠が見付かっていないんだ。手詰まり感が否めん。
もういっその事、カラスの羽根だったと完結させてやろうか。羽根の大きさ的に、無理があり過ぎるとは思うが。
『次のニュースです。昨日の深夜にロシアの首都、モスクワで出現陣が発生しました。ロシアが首都を襲撃されたのは、これが二度目。厳戒態勢を布いていたロシア軍は、出現した陣の内五つを破壊し、天人の大群を退けましたが、死者は一般市民を含め千人を超えるとされています。尚、ロシア大統領はこの事実を強く受け止め――』
学内食堂に何台が配置されている天井設置型の薄型テレビが、不吉な番組を映す。
約一週間前に、学園と近くの都市が襲撃された側としては他人事で済まされないな。都市部の方の犠牲者は数十人に及び、こちらは大手の新聞の表面を飾る大事件扱い。都市自体は順調に修理が進んでいるようだが、完全に復興するには何ヶ月要するか見当が付かない。
徐々にだが、確実に世界中の天人の爪痕は増加している。凍って再起不能な大地は後を絶たない。
(これじゃまるで、一方的なオセロだな)
一度奪われた陣地を取り返す事は出来ず、世界が凍り付いた時、それは人間の完全敗北を意味する。
今の天人側絶対有利な状況から覆す事は可能なのか。思い浮かぶ精一杯の可能性を上げるとすれば、覆せる程の強力な神葬具使い出現。それが無ければ、無力な人間は反撃の手立てなく追い詰められる一方だ。
「ロシア……確か日本も一昨日襲撃されたわよね」
「九州の鹿児島県辺りだね……もう完璧に取られちゃったみたいだよ」
俺も新聞で読んだ知識のみだが、目撃例では陥落した沖縄の方角から天人が現れたらしい。
証言通り、合計八つの出現陣は竜美大島近辺の海域で発見された。そこまでは順調だったが、軍も海上に浮遊する出現陣に手古摺り、その間に鹿児島の防衛は崩落。昨日まで一寸刻みで白化が進行していたが、灯火の言い方だと、完全に天人に奪われたみたいだな。
「もしかして、沖縄から順々に占領して来たりするのかな……」
「流石に神の考える事はわかんないしな。わたしが神だったら、きっと天人を首都に落とすと思うけど」
天人が姿を現した当初の頃は、舞佳の言う通りの作戦で人間は全滅していただろう。
だが、今の各国は優秀な神葬具部隊で首都最終防衛線を引いている。中位や下位の大群でも易々と突破は出来ない筈。ただ、上位が出張って来るという最悪の一例を除いては。
◆ ◆
放課後の時刻になり、他の探索人員が仮眠の為に寮へ帰る中、俺は予め今日重点的に探索する場所を絞り込む作業を行っていた。負担は少ない方が良いし、皆には言っていないが深夜探索は今日が最終日。出来る限り労力を最小限に抑えつつ、幅広く見回る必要がある。
と言う訳で最終日の班組み合わせはどうするか、なんて考えていた時に、教室で居残って頭を悩ませていた俺を呼ぶ声。
「白様!わたくし、手柄を立てましたわよ!」
『嗅ぎわけたのは主に拙者でござりますが……お、お褒めは無しなのでござるな、お嬢様……しくしく』
突然現れて俺の手を握り、散歩途中の犬のように嬉しがるエリーゼ。
犯罪擦れ擦れの尾行や失言が無ければ、誰もが羨む絶世の美少女なんだ、こいつ。至高の宝石を金槌で叩き割るくらい勿体無い。口に出したら調子に乗って褒美を強請るから絶対に言わないけどな。賛美は心の中に留めて置こう。
「羽根の匂いを見付けましたの!それも、今日の深夜辺りの物ですわ!」
「今日の深夜辺りって言えば……俺達が活動してたな。もしかして校舎外か?」
校内は一覧を作り、毎日隈なく調べ上げている。俺と組んだ以外の班が見逃していなければ、穴は無い筈だ。
そもそも人間を駆逐するのが目的の天人が隠れ回るとは考え難い。もしや監視目的で学園生徒に紛れ込んでいるのでは、なんて線も睨んだが不発。朝っぱらから校舎前で神葬具展開して生徒を見張る簡単な職業は骨が折れたぞ。もう二度とやるか。
「いえ、校内で、しかも御昼にわたくし達がいた食堂ですわ」
昼に俺達が集まった場所――といえば教室抜かすと学内食堂くらいか。あそこも見回りの一覧に入れているのだが、少なくとも俺は探索中に訪れた事はない。女子陣の負担を最小限に抑える為、特に数の多い教室を重点的に回っているからな。
学内食堂で隠れる場所といえば、業務用の冷蔵庫、大量に設置されている机の下。それ以外にも多数候補は上がる。見落としがあっても不思議じゃないか。
「し、白様、それでその……わたくし、頑張りましたのよ?」
そう言いつつ、上目遣いを送って来るエリーゼ。地味ながらも本当によく働いてくれている。深夜探索の寝不足も積み重なっているのに、ダイゴロウを使用しての匂いの探索。精神的疲労は俺と比べ物にならないだろう。
これだけの働き。普通の女性ならば見返りに何を要求されるか考えるだけでも恐ろしいが、俺の前で目を強く瞑っている彼女は違う。俺としては金品を請求される事と、全く別の方向性で恐ろしい。
「――――……あー、何がして欲しい?」
「白様、女性に言わせるのは野暮じゃありませんこと……?」
少しばかり疲れが残る顔色で言うエリーゼは、普段とは違うか弱さも覗かせる。祖国では"無き貴族の残した宝石"とも称される完璧な外見。アルフォート家復興目的の婚約話は後を絶たないが、それをかなぐり捨ててでも俺に付き添おうとするのは何故か。
腰に手を当てて優しい笑みを浮かべる彼女を見ていて、唐突に思い出したのは、エリーゼと出会って間もない頃に聞いた言葉。
『誰も、わたくしの内面なんて見てくれませんもの』
今では他人とも口数少なく話せるが、あの頃のエリーゼは誰にでも塞ぎ込んでいて、話し掛けても冷やかな待遇の連続。正に蒼炎の神葬具の如く、絶対零度の令嬢。
だが俺に依存している彼女を見ていると、放って置いた方が良い選択だったのか、なんて思いもする。俺が死ねば間違いなくエリーゼは後を追うだろうし、厳密に言えば彼女を更生させたのは自由に生きて欲しかったからだ。偽善と蔑まれても不思議じゃないが。
『わたくしは――……貴方に抱き締めて頂けるだけで、他は何も要りませんわ』
その過去の言葉通り、何かの見返りに彼女に要求された物とすれば、出会った当初からこれだけ。
ここまで尽くす女はそうそういないだろう。だからこそ、俺なんかには勿体無い。自分勝手でお前を汚した俺に、抱き締める資格なんてないのに。
自分の不甲斐無さに苦笑しつつ腕を広げると、待ち侘びていたように飛び込んで来る薔薇の香りの少女。華奢で線の細い体に、服の下から柔らかく自己主張する膨らみは、天国と地獄を同時に味わわせてくれる。
「あぁ……幸せ、ですわ」
大袈裟に至福の声を漏らすエリーゼ。クリーム色の髪を撫でると、くすぐったそうに身を捩る。
俺の肩まで届く長身のエリーゼを抱き留めていると、直に香る髪や体の匂いで酔ってしまいそうだ。
「安い奴だな。金品要求しろ金品。その方が助かるから」
「ふふ、これ以上の価値のある物なんて存在しませんわ……。宝石だって、くすんで見えますもの」
『親代わりからしてみると……複雑でござるな。お嬢様には、ずっとあの笑顔を浮かべていて欲しいものでござる』
加筆版です。そこまで変わってない気がするのはきっと気のせいかと…。
次回からまた新しい展開になります。
作者自身、書くのが楽しみです。