27『アンタの大きな背中』【挿し絵】
【小波 楓SIDE】
「んー、もうちょい強い方が良いな」
「こ、こう?こんなに力入れたら、痛く……ない?傷口に染みたり……」
「もう大半は塞がってるから大丈夫だ。そんな事気にしてたら消毒も出来ないぞ金髪」
あたし、小波 楓は男の人の半裸を直視した事がない。ずっと訓練に明け暮れている上に、元々恋愛に興味が無いのも加わって、男の人とまともに会話したのも随分久方振り。本気で記憶を引き出そうとしても、父親とレッヂくらいしか話した記憶が無い。
そんなあたしが、上半身裸の男の背中を濡れタオルで拭いている。
正直に言うと、黒羽からの助言と恥ずかしさで頬が沸騰しそうな程熱い。今直ぐタオルを放り投げて、悲鳴上げながら逃げ出したい衝動に何度も駆られてるけど、自分でやると言ってしまったんだから仕方ないのだ。
「か、看病しに来たんだから……ま、ままま任せなさいよ!」
こんな言葉でしか引き受けられない自分が恨めしい。もっと素直に、アンタを心配して毎日病室に通ってたの、と言えたらどんなに良いか。
レッヂの背中に当てた濡れタオルに先程よりも力を込めつつ、慎重に動かす。本人は大丈夫と言っているが、それでも刻み付けられた傷跡は痛々しい。看病中にも少し見えちゃったんだけど、胸部にも傷があるのよね。
世界一位の神葬具使い。普段の雰囲気で忘れちゃいそうになるけど、レッヂは何度も激戦を潜り抜けて来ている。体中にある傷の量は、あたしの比では無いだろう。神葬具を扱う技量も、到底及ばない差がある。あたしや一般人の目の前で、躊躇いもせず下位と中位の攻撃を受け止めても見せた。
「どうしたよ金髪、いきなり黙って」
だからこそ、危なっかしい。
レッヂの背中にある傷跡の中で、一番真新しい傷。きっとこれは、あたしを庇った時に出来た物。あたしはまた、誰かに守られて生き長らえている。力を手に入れて、やっと自分一人で生きていけると思ったのに。
「き、金髪って……呼ばないで」
こいつが来てから、あたしはずっと弱くなった。何でも一人で乗り越えられるって、痩せ我慢してた自分が、徐々に裸にされているようで――――怖い。自身で飾り付けた見栄が、崩れ落ちて行く音がするのが怖かった。
敵を目の前にして、守ってやる、そう言ってくれたアンタに、何もかもを委ねてしまいそうで。でも誰かに頼ったら、あたしは絶対に前へ進めなくなってしまう。
突然声色が震え始めたあたしに驚いたのか、振り返ろうとしたレッヂの体に温もりを求めるように抱き付く。一番は、泣いている顔を見られたくないからだけど。
「お、おいっ!?」
「こっち向かないで……お願いだから」
本当は何度もアンタの寝顔を見て泣いた。このまま起きなかったらどうしよう、あたしがあの時アンタと逸れなければって、何度も後悔し続けた。それこそ、胸が締め付けられる程に。
その時、やっと解ったんだ。あたしは、弱いんだって。アンタに守って貰えて、嬉しかったんだって。
レッヂの体を抱き締めながら、その広い背中に顔を埋める。こうでもしないと、強くしゃくり上げているのが聞かれてしまいそうだ。
「言えなくて、ずっと引き伸ばしちゃったけど……初めて会った時も……また、助けてくれて――――」
緊張で唾が喉を鳴らす。あと一言。あと一言を何としても彼に伝えなくてはいけない。
今、鏡で自分の姿を確認したら、恥ずかしさで死ぬんじゃなかろうか。
「――――……ありがと」
ただ御礼を言っただけなのに、心臓が痛いくらい高鳴ってる。レッヂに抱き付いているから、というのも勿論あるんだけど。今は緊張等々で頭が上手く回らないけど、後で自分の行いに激しく身悶えそうだ。
とっくに学園全体の消灯時間が過ぎ、月明かりだけが差し込む薬臭い病室。
傍目から見て、上半身裸の男に背中から抱き付いている女子の姿はどう映るのだろう。
「あ、あたし……これから、アンタの事……し、白って……呼ぶから」
頼り切るのは許されない。だけど、せめて呼び方だけでも、他人行儀な物から変えたかった。
口から心臓が飛び出さんばかりの勇気を振り絞った言葉に、白が頷く。
背中側だから表情は見えないけど、白はあたしと違って普段通りに冷静な顔をしているに違いない。証拠と言っては何だが、背中に耳を直に当てて聞こえる心拍数は全く変動無し。
女の子が身近にいるんだから、少しは緊張しなさいよ――と不満を露わにしそうになるが、何とか塞き止める。恥ずかしさよりも怒りが上回って爆発しそう。
「まぁ、俺も名前で呼ばれた方が楽だしな。楓の好きにすれば良いんじゃないか?」
「べ、別に言われなくったって、そうするわよッ」
意識が飛ぶか飛ばないかの狭間くらいまで緊張し切ったのに、全然興味なしと言わんばかりの態度。
流石に我慢の限界で、何時もの声量で怒鳴り散らすと、背中を向けている白が笑い声を上げた。怒鳴られてるのに笑えるなんて、やはり人事か。いっその事噛み付いてやろうか。
我が物ながら鋭過ぎる八重歯を凶器にしようとした時、白が少しばかり首を傾け、あたしに横顔を見せて微笑む。
「しおらしい時より、そっちの方が似合ってるぞ、楓」
またもや憎らしい台詞を吐くのかと思いきや、優しい声で心臓を抉る強烈な一言。しかも、この男は意識せずに名前まで呼んで来るし、加えて男子の背中に抱き付きながらの状態。普通の状況で名前を呼ばれるのとは訳が違う。
「な、ななななな何言ってんのよ、バカ!」
「ちょっと待て。俺の発言の中にバカと呼ばれる要素が一つでもあったか?」
羞恥心でいっぱいになり、限界を感じて白から体を離そうとした時に――、突然病室の扉が開く。
予期せぬ出来事が起こると寿命が縮むって本当ね、凄い実感した。白に抱き付いている現場を目撃されるのだから尚更だ。間違いなく十年は軽く縮んだ。
「しろ、さま……?こ、これは……どういう状況ですの?」
『おぉ旦那様、お嬢様が湯浴みの最中に違う女性と破廉恥三昧とは不届き千万!拙者は奥方は一人に絞るべきだと思うでござ……お、お嬢様、そんなに力まれると苦しいでござる……!』
『甲斐性も必要だと思いましゅよ。従者としては、姫しゃまを大切にして欲しいでしゅけど』
振り返ると、あたしの金髪よりも大分白み掛かった長髪を持つ女子生徒の姿。全体的に蒼で統一されたゴシック調ドレスを着込み、腕で子犬を抱き、頭に大福猫を乗せている。病室の雰囲気からして、場違い感が否めない。
色白であろう顔色が驚きで青白く染まり、有り得ない物を見たと語っている。
そしてこちらは、有り得ない物を見られたと顔面蒼白。自害に至る過程としては十分過ぎだ。
「やばいな……エリーゼが乱入とか洒落になってないぞ」
冷静だった白の声も少し焦りが混じった物になりつつある。焦りとはここまで伝染する物なのか。エリーゼと呼ばれた女子生徒の抱いている子犬は別の意味で危機に瀕しているようだが。
「ふ、ふふふ……わたくし、まだ少しのぼせているみたいですわね。頭を冷やして落ち着きましょう、それが良いですわ」
「おい待てエリーゼ!お前こんな所で蒼炎使ったら――」
白の呼び掛けも虚しく、エリーゼの腕に灯る蒼い炎。不気味に笑う蒼炎使いの周囲の温度が加速度的に低下し出す。一言で表すならば、北極を彷彿とさせる極寒の訪れ。上半身裸でいたりしたら凍死も夢じゃない。
「寒ッ!頭だけじゃなくて心臓も冷えるわ!止めろエリーゼ!」
「白様……夢とは覚める物ですわ。きっと目が覚めたら、白様がわたくしを抱き締めてくれている素晴らしい現実が待っている筈ですから」
「お前これ、起こす用の寒さじゃなくて心中用の寒さだろうが!それと楓、いい加減離れろ!?」
そしてあたしは、今の状況を目撃された事が衝撃的過ぎて、白に抱き付いたまま放心。口から生気が離脱していても不思議じゃない脱力具合だ。
「も、もう見られたなら仕方ないわ。アンタと一緒にこのまま……!」
「お前も無理心中希望!?」
因みに、この出来事が発端となり、白は高熱を出して再度病室へ搬送。驚異的な回復力を見せて天人との交戦の怪我は三日で癒えたものの、風邪のお陰で入院は一週間に伸びてしまった。逆に四十度近い熱出して四日で治るっていうのも凄いわよね。
それから、あたしとエリーゼが白に病室で謝り倒したのは言うまでもない。
【野々宮 灯火SIDE】
「どうしよう――……この羽根」
もう夜も遅い。楓は何時も通り白の病室に通っていて、僕は一人、寮部屋のベッドに寝転がっている。寝巻きを着込んで就寝の準備は万端だというのに、一向に眠気が訪れない。
原因は、どう考えても昨日発見した、未だに淡い光を放ち続ける黒い羽根。
見付けた当初は焦っていたが、今日の学園で上位の天人の噂は一つもなく、自分の杞憂だったのかと結論を出しそうになっている。
「白に相談したいけど、楓と二人っきりにしてあげたいし」
気付くと、また楓を引き合いに出して逃避している自分の姿。黒い羽根を眺めつつ溜め息を漏らす。
僕がもっと遠慮しない性格なら、こうは思わなかったのかな。躊躇せずに正面切って突き進めるような人間だったなら、何か得る物があったのだろうか。
「ッ!? い、痛いっ……!」
後悔を如実に表すように訪れる頭痛。羽根を発見してから、まともに睡眠時間を取れていないせいか、こうして鋭い頭痛が頻繁に起こる。睡眠不足からの頭痛にしては痛みが強過ぎる気もするけど、それも直ぐに収まってしまう。
実際の時間としては数十秒だろうけど、体感時間だと数十分に感じる。余りの激痛に脂汗が滲んだ。
「はぁ、はぁ……み、水……」
昨夜の苦い経験を生かして常備していた頭痛薬とコップ一杯の水。震える手で何とかそれ等を掴み、錠剤を口に含むと一気に水で押し流す。即効性ではないので、また再発する可能性も捨て切れない。結局の処、薬も絶対ではないのだから。
「はぁ……体が、熱い」
まるで熱湯に全身浸かっているような感覚で眩暈さえも覚える。
寝巻きのボタンを何個か外して、整わない息のまま目を瞑った。どうにかして今夜も乗り切らなければ。昨日もそうだったし、一度眠ってしまえば朝までは大丈夫な筈。
「楓に……心配、掛けられないからね」
加筆版です。前より良くなってるかなーと自己満足中。
次話は早く挙げられると思います。




