00『見限られた世界』【挿し絵】
満月が似合う夜のセンター街。俺の目線の先には、道路で毅然と佇む少女がいる。
綺麗な子だ。長く、風に靡く飾りのない金髪。所々破けた服から覗く白く滑らかそうな肌と、スカートからスラリと伸びた脚。目の前の敵を見据える鋭い瞳。きっと彼女を見れば、通りががった男は絶対に振り向くだろう。
『×○&%$“♯$%&〆¶§―――――――――――ッッッッ!!』
体が痺れる程の怒声。地響きで揺れるコンクリートの地面。
少女が対峙している超巨体の巨人は歩道に置き捨てられた車を手で掴み、紙のように握り潰す。石で造られたであろうその体の重量は凄まじく、歩を進めた後のコンクリートがそれを物語る様に無残に割れる。
車を握っている手とは逆の豪腕が、少女に振り上げられたのを見て、俺は更に走る速度を上げた。
「っち、間に合うか!?」
距離は遠い。気付いたのが遅かった。もう少し早ければ、割っては入れたかも知れないのに。
彼女は自殺願望でもあるのか、その場から一歩たりとも動かない。逆にその肝っ玉を尊敬したいくらいだ。仮に自殺するにしても、普通ならあの巨体を目の前にすれば脚が竦むし、逃げようとする挙動くらい見せるだろう。
少女にはそれがない。まるで、振り下ろされる石の豪腕が天からの贈り物かのように、佇むだけ。
まさか立ったまま意識を失っているのか、こちらからの呼び掛けにも反応しない。奥歯を噛み締める。また守れなかった。また、目の前で人が死ぬ。今度は、若い女の子が。
無意識に手を伸ばした。届かない距離にいる彼女に向かって。
石の豪腕が――――少女に向かって無慈悲に振り下ろされる。奇跡的に拳が狙いを外す、何て事はなく、目に飛び込むのは、少女に突き迫る巨人の拳。
「来なさい、神葬。分け隔てなく包み込む風をここに」
◆ ◆
「我が名は天使ラツィエル。神の決定により、人間はこの世界に不要な物と選定されました。よってここに、武力による人間の駆逐を通知します」
30年前、あの出来事が起こるまで天使は慈しまれる存在だった。
紅い翼を生やした純白の西洋甲冑を大量に引き連れて、天使は人間に宣告したのだ。神の意思による人間の清掃作業を。
人間は鎧を纏った翼持ちを、嘲笑いながら皮肉交じりに『天人』と呼んだ。それもそうだ。天人達は槍や剣と、今では武器になり得ない代物を掲げ、人間界に攻め込んで来たのだから。
一見、その装備から人間の一方的な戦いになるかと予想された戦争。だが、想定は覆された。
天人の鎧は強固で、戦車の大砲でも吹き飛ばない。傷は付くが、そんな一体に対して戦車一台なんて到底無理な話だ。なんせ同じ者が何も無い空間からわらわらと群れを成して襲ってくるのだから。
無力な物と思われた武器も、一薙ぎすれば何十の首が飛び、天人を10体倒したと思いきやこちらは軍隊の一個中隊が壊滅。力の差は歴然だった。
天人の脅威はそれだけでは無い。
天人が破壊活動を行った場所は例外無く、凍りついたかのように雪色で染まる。研究者がその白を調べようと土地に足を踏み入れた瞬間、体が凍り付き、遂には彫像の如く固まってしまった。
雪色に対する解決策が無い現状では、制圧された場所は元に戻らない。通称『凍った土地』の出来上がりである。
日本は被害を受け、北海道が既に白く染まっている。それでも、随分マシな方で、アメリカと中国はこの白で本土の大半を奪われ、為す術無く後退。
人は天人に恐怖を植え付けられ、世界はこのまま終わるかに思われた。
そこで全ての国が打ち出した計画。
対天人育成用教育学科を全ての学校に取り入れさせること。確かに、ただの人は太刀打ち出来ないが、対抗出来る手段が見つかり、その素質を持つ者を集め、訓練しようというのがこの計画の目的。
その手段が今、固唾を呑んで見守る人々の面前で行われている。
◆ ◆
厳しい戦闘中に死んだ、傷だらけの天人の死体。装着した鎧は所々が粉砕され、憎々しく思っている人でさえ、哀れに感じる外傷。もう、どんな物でさえ生きているなら息を吹き返しはしないだろう。
実験室のような薄暗い空間の中心に寝かせられた天人の亡骸に、まだ幼い子供達が順々に手を当てて行く。その光景は、冗談の利かない踏み絵のよう。
代わる代わるに子供達が手を当て、何も起きないことに安堵する者もいれば悔いる子供もいた。
順番が回って来た少女が前に歩み出て、恐る恐る手を伸ばす。当たり前だ。人で無いとしても、それは列記とした死体。怯えない方がどうかしている。
「ひっ……!?」
少女の手が天人の亡骸に触れると、死んでいる天人の体が光りを発した。少女が驚き、手を離そうとすると動かないの筈の天人がその手を掴む。
周囲がざわつき、その少女が泣き顔を浮かべた時、天人が兜で隠れていない口元に微笑みを浮かべた。
突如、天人の体から現れた溢れんばかりの光が少女の腕を覆っていく。まるで色が付いた風が腕に巻き付いているかのような光景に誰もが息を飲む。
光が弾け、皆が少女を見るとその体躯に不釣り合いな古めかしい大剣が握られていた。代わりにそこまで横たわっていた天人の姿はどこにもない。
『刷り込み(インプリンティング)』
人間が一生に渡り一度しか行えない、言わば天人との契約行為。
天人の亡骸から情報を奪い、その天人が扱っていた武器を体に刷り込む。それにより、刷り込まれた天人が扱っていた武器を呼び出すことが可能となる。
刷り込みが完了した後の亡骸がどこに行ったか、見当もつかなければ、刷り込んだ武器がどこから出現するかもわからない。謎だらけの行為である。
共食いという表現が正しいか、刷り込みにより生み出された剣や槍は天人の体を安易に断つ。
呼び出された武器は使用者の体力、精神力を食い、それが限界になるか所有者が意思で返すまで現界し続ける。
何故、天人は刷り込みを許すのか。そして天人が使っていた武器を刷り込みで呼び出せるようになるのか。国のお偉い方も分かりかねている様子。
言えることとすれば、天使の体から作り出された武器は、皮肉にも悪魔の兵器だった。
そして刷り込みで天人から受け継がれた武器を『神葬具』という。元々、生前の天人が使用していた物で、稀な例で一人の天人から剣と槍とか斧と弓なんてこともあるが、限り無く0に近い。全世界で両手の本数満たない例である。
その説明通りに通常、1人につき神葬具は1つとされている。
今まで現れた神葬具は大きく分けて『剣』『槍・鎌』『弓』『盾』の四つ。近代兵器とは違い、趣向品として扱われそうな、西洋武器のみである。
剣にも大剣や細剣があるのだが、それを言っていたら切りがないので省略。
これらの武器は例外無く天人に絶大な効果を発揮する。弓は弓で空で引き絞ると光の矢が出現して相手を射抜くなどその武器その武器によって現れる効果が違う。属性なんてものも出て来たから更に驚きなのだが、結局は殺しの道具だ。
そして神葬具を手に入れた者は男女関係なく対天人育成教育学科に送られる。
そこで学びながら近くで天人が出現したら急行、直ちに撃退。そんな命の紙一枚分くらい横を鎌が振り子でゆらゆら揺れ続けている、そんな状況に晒されるのである。
確かに今現在、普通に働くよりも良い暮らしは出来るが、それでもハイリスクローリターンといわれている。
それは何故か。
戦場に出て10人中3人が死ぬ。そんなことが週一程度の期間で起こる。
つまり―――――死が目と鼻の先に仁王立ちでそびえているのだ。