ゴースト・イン・ザ・テラー
祝福します、と神様が言う。
神の祝福を、と天使が言う。
そのお告げを聞くと、死者は退室した。
「天使さん、今日はあと何名ですか」
「三名……いえ、四名でした。まったく、なんでこんなやつに付き合わなきゃならないんだ。見世物じゃねえんだぞ」
天使は不機嫌そうに呟く。その嘆きに神様が応えるのを待たずに、部屋の扉が開いた。次の審判が始まった。
◇
「事故死だな」
「はい。交通事故です」
天使の問いかけに、死者は頷いた。
「登校中、車道にいた猫を助けようとしたら、トラックに轢かれちゃって……。いやあ、参りましたね」
「おまえもかよ」
天使は食傷気味に嘆息する。
「最近、多いんだよな。トラックに轢かれてここに来るやつ。なんで?」
「いや、俺に訊かれても……」
「どうやら流行しているようですよ。そのような最期が」
神様がそう答えると、天使は呆れたように言う。
「流行? トラックに轢かれるのが? ……終わってんな、そっちの世界。世紀末かよ」
「だから、俺に言われても……」
「ふたりとも」
本題に入りましょう、と神様は言う。
「私たちはこれから、あなたの魂を導くため、審判を行います」
「審判って……生前の罪を裁くってことですか?」
身構えた死者に、安心してください、と神様は微笑む。
「ここに訪れた死者には、三つの選択肢があります。あなたの場合、二つでしょうか。転生するか、天国に行くか。どちらがよろしいですか?」
「はあ……地獄に落とされるってことはないんですか? それが三つめの選択肢ですか?」
「おい」
天使が低い声を上げる。
「くだらないこと訊いてんじゃねえよ。神様は慈悲深いんだよ。誰だろうと、地獄に落とすわけねえだろうが。莫迦にしてんのか!」
「ひいっ!」
「天使さん、落ち着いてください。弓矢を仕舞ってください」
神様は天使を制しつつ、死者に言い添える。
「もちろん、あなたが地獄に行きたいとおっしゃるなら、私から悪魔さんに推薦状を出すこともできます。よろしければ……」
「嫌です! 絶対に行きたくないです!」
「そうですか。それでは、どうなさいますか?」
転生か。
天国か。
選択を迫られた死者は沈黙する。どうやら熟考しているようだった。神様と天使も急かすことなく静寂を守っている。
しばらく経つと、死者は決心したように口を開いた。
「俺は……転生したいです!」
「分かりました。どのような世界に転生したいですか?」
「どのようなって……?」
「世界は無数に存在する。そのなかから、おまえに合った世界に転生させてやるってことだよ。駄目元でいいから、とりあえずやりたいこと言っとけ」
助け舟を出す天使に、なるほど、と死者は頷く。
「そういう感じなんですか。いざ訊かれると迷いますね。うーん、どうしようかなあ……」
「……おまえ、さっきから、やけに素直だな」
天使は怪訝そうな顔をする。
「交通事故……というか、不慮の事故で死んだやつは、大抵取り乱すもんだがな。後悔とかねえのかよ」
「そりゃあ、ありますけど……まあ、猫は助けられたから、それでいいかなって」
「なんか軽いな」
「もちろん、死にたくなかったですよ。それに、親泣かせですよね。ようやく退院したばかりだったのに」
「退院?」
「俺、持病があったんで」
死者は続ける。
「昔から、入退院を繰り返していたんですよ。死を覚悟するときもありました。だからって、こんな形で早死にするとは思わなかったですけどね」
「…………」
「最後に退院したときも、九死に一生を得た気分だったんですよ。それなのに、猫が轢かれそうになっているのを見たとき、気づいたら身体が勝手に動いていたんです」
どうしてかな、と死者は苦笑する。
「そんなことで死ぬなんてって、皆からは莫迦にされるのかもしれないけど……せめて俺自身は、やるべきことをやったって、自分のことを誇りに思いたい。だから、後悔はないんです。ないってことにしておきます」
「…………」
「ああ、でも、強いて言えば、生きているうちにもっと外には出かけたかったな。……そうですね。俺は転生したら、旅とかしてみたいです」
「……そうかい。分かったよ」
天使は頷くと、神様に向き直る。
「最近、勇者を募集していた世界がありましたよね? こいつを召喚しませんか? たぶん向いてますよ」
「そうですね」
神様は死者に微笑みかける。
「あなたのような義人であれば、きっと立派な勇者になれるでしょう。旅のお供として、回復魔法を授けましょう」
「ありがとうございます! ……ちなみに、そこってどんな世界なんですか? 勇者って何をするんですか?」
「心配すんなって。おまえがいた世界と大して変わらねえよ」
天使は平然と答える。
「闇の魔王が君臨しているんだが……」
「そっちのほうが世紀末じゃないですか!」
祝福します、と神様が言う。
神の祝福を、と天使が言う。
そのお告げを聞くと、死者は退室した。それから間もなく、次の審判が始まった。
◇
「私は……天国に行きたいです」
そう呟いた死者の声は、ひどく落ち込んでいる。
「私はもう働きたくないんです。休みたいんです」
「……過労死か」
天使がそう言うと、死者は肩を震わせる。
「会社で倒れて……そのまま、死んでしまって……」
死者は嗚咽を堪えるように口を噤む。
「……私、いつか死ぬときは、好きなひとたちに囲まれて最期を迎えたいって思っていたんです。それなのに、あんな嫌いな場所で死んでしまうなんて……」
「大変気の毒でしたね。しかし、申し訳ございません」
神様は言う。
「残念ながら、あなたの期待には応えられません」
「えっ……どうしてですか! 私は天国に行けないって言うんですか!」
「落ち着け。そういうことじゃない」
激昂する死者を、天使が宥める。
「もちろん、おまえが望むなら、天国には行ける。ただ、天国に行くのは、世界を運営するために働くってことなんだ。労働から解放されるわけじゃない。老後の余暇とは違うんだよ」
「そんな……!」
死者は咄嗟に小さい悲鳴を上げるも、呑み込むように失笑する。
「……そうですよね。そんな都合のいい話、あるわけないですよね。……やっぱり、労働って罰なんですかね」
ははっ、と死者から乾いた声が漏れる。
「……私の実家、貧乏だったんです。大学には奨学金で通うことができたんですけど、卒業したら実家への仕送りと奨学金の返済が重なって……。せめて貯金できるようになるまで、いまの職場で頑張ろうって思っていたんです。どんなに嫌なことがあっても、あと少しの辛抱だって……。会社で倒れる前、実家暮らしの無職の友だちに、死ぬまで働くなんて莫迦だって言われたんです。……分かっているんです。無理をしていた私の身を案じてくれたってことは。でも、死んだいまでも、友だちの言葉が頭から離れないんです」
余計に死にたくなる。
死者はそう呟くと、髪を搔きむしるように頭を抱える。しかし、天使は挑発するように問いかける。
「それだけか?」
「え……?」
「自分の死を莫迦にされて、自己犠牲を嗤われたままで、心安らかでいられるのかって訊いてんだよ。おまえは悔しくないのか」
「私は……」
「いい子ぶらなくていい」
言葉を詰まらせた死者に、天使は言う。
「おまえは天使ですらないんだ。怒っていいんだよ」
「……悔しいですよ。悔しいに決まってるじゃないですか!」
死者の怒声が反響する。
「おかしいじゃないですか! どうして、なんで、私がって、ずっと思ってますよ! 私はただ、頑張ってただけなのに! やりたいことだって、たくさんあったのに! それなのに、何もできないまま、死んじゃって……こんなの、無駄死にじゃないですか!」
「それなら、あたしと一緒に天使として働かないか?」
唐突な天使の提案に、死者は驚いて目を大きく見開く。
「私が……天使に……?」
「さっきも言ったように、天国にも労働はある。ましてや、天使として働くってのは大変だぜ? 死者の魂を導かなきゃいけないんだからな。毎日が苦行みたいなもんだよ。休息だの安寧だのからは程遠い」
「それじゃあ、どうして……!」
「証明するためだ」
証しと言ってもいい、と天使は続ける。
「労働は罰かって? 否定はしねえよ。どいつもこいつも、あたしも含めて罪人だ。天国の住民であろうと同罪だ。だから、天国には、天使には、おまえの死を嗤うやつはいない」
あたしはおまえを莫迦にしない。
天使はそう告げる。
「それでも、嗤われた苦しみは消えないだろう。だからこそ、天使がいるんだよ。苦しみを知る生き証人が、世界には必要なんだ。どいつもこいつも賢く生きてたら、誰が非業の死を慰められるっていうんだ?」
「…………」
「無駄死にと言ったな。確かにそうだろう。おまえは死ななくてもよかった。本当は、誰のどんな人生だって、死に値するはずがなかった。そう証言できるのは、他でもないおまえ自身だ。そんなおまえにしか救えないやつがいるんだ。いままでだって、おまえに救われてきたやつがいたようにな」
「…………」
「自分のために死ねないことは不幸かもしれない。誰かのために死ぬことは愚かかもしれない。でも、おまえは確かに愛のために生きたんだ。……おまえはただ、優しかっただけなんだ」
「……はい」
ありがとうございます、と死者は辛うじて答えると、堰を切ったように大粒の涙を零す。
「おいおい、泣くなよ。あたしが泣かせたみたいじゃないか」
天使は肩を竦める。
「つうか、おまえ、ここに来たときから顔が固いんだよ。少しは笑ってくれ。天使は微笑みが基本だぜ? おまえにはきっと、笑顔が似合うよ」
「……はい!」
死者ははにかみながら涙を拭う。その潤んだ瞳には光が宿っていた。
祝福します、と神様が言う。
神の祝福を、と天使が言う。
そのお告げを聞くと、死者は退室した。それから間もなく、次の審判が始まった。
◇
「同じ世界に転生してもよろしいですか。つまり、生まれ変わりということになるんでしょうか」
「おっしゃる通りです。再び赤子として生まれることになります」
神様がそう答えると、死者は安堵したように胸を撫で下ろす。
「そうですか。それはよかった」
「……他の世界に転生する気はないのか。同じ世界じゃなくてもいいんだぞ」
天使の問いかけに、死者は首を横に振る。
「構いません。幸せでしたから。最期も穏やかに迎えられました」
「それは何よりです。天使さん、他に確認したいことはありますか?」
「……あたしからは何も。釈迦に説法でしょうし。あたしは天使だけど」
「分かりました。それでは……」
「すみません」
死者は神様の言葉を遮る。
「ひとつだけお訊きしてもよろしいでしょうか。もし生まれ変わったら、私の記憶はどうなるのでしょうか」
「転生の場合、前世の記憶は失われます。まれに憶えていらっしゃる方もいますが……」
「……そうですか。生前にお会いした方々のことを、私はじきに忘れてしまうのですね」
死者は悲しげに眉をひそめる。
「……お邪魔でなければ、最後に昔話をしてもよろしいでしょうか。名残惜しくなってしまって」
「ええ、もちろん。それが私の務めですから」
「ありがとうございます」
死者は頭を下げる。それから、ゆっくりと語り始めた。
「神様を前に申し上げるのも大変恐縮ですが、私も似たような務めに励んでおりました。宗教者として働いておりましたので、ひとは死んだらどうなるのか、死後の世界はどうなっているのか、よく問われました。そのなかには、迫る死期に怯えた方もいれば、親しい方をすでに亡くされた方もいました。皆さん、真剣でした。……私は途方に暮れました。もちろん、私には信仰がありました。しかし、その教えは必ずしも、皆さんの救いになるとは限りませんでした。……ですから、私は作り話をしました。いわゆる方便でしょうか」
私は嘘をつきました、と死者は続ける。
「天国を望む方には、ひとは天国に行くと言いました。来世を望む方には、ひとは生まれ変わると言いました。死後の世界を望まない方には、ひとは無に還ると言いました。……皆さん、私の話を聞いて安心なさっていました。しかし、私にはそれが後ろめたかったのです。ひょっとすると、死後の世界には、永い苦しみが待ち構えているかもしれない。それなのに、私は都合のいい嘘ばかりついて、皆さんの気持ちを弄んでいるだけではないか。……残酷ですね。生前に求めていたものが、死後にしか分からないなんて。神様、よいのでしょうか」
私は生まれ変わってもよいのでしょうか。
地獄に落ちたほうがよいのではないでしょうか。
そう語る死者に、天使は声を上げる。
「地獄って……何言ってんだ! そんなわけ……!」
「天使さん、私が答えます」
神様は天使を遮ると、死者に語りかける。
「私は、これまでの審判でお会いした死者を、ひとり残らず憶えています。あなたが生前にお会いした方々にも、私はすでに会っています。その方々から、あなたへの伝言を授かっています。あなたが亡くなってここに訪れたら、代わりに伝えてほしいと」
「私への伝言……?」
驚いた様子の死者に、神様は微笑みかける。
「遺言と呼ぶべきでしょうか。まさしく死後に遺された言葉ですから。これもまた、あなたがおっしゃったように、死後にしか分からないことでしょう」
「……皆さんは」
死者は震えた声で問いかける。
「皆さんは……何とおっしゃっていましたか」
「ありがとう、と」
神様は言う。
「あなたのおかげで死に臨むことができた、心細い夜も乗り越えることができた、と。皆さん、あなたに感謝なさっていました」
「…………」
「私からもお礼を申し上げます。私の代わりに導いてくださり、ありがとうございました。生前のあなたの語りに偽証があったとしても、皆さんが死後においても喜んでいらっしゃったこと以上に本当のことはありません。それこそが、皆さんがあなたに下した最後の審判です」
「……そうですか」
そうでしたか、と死者は安堵を漏らす。吐き出した吐息は微かに震えている。
よろしければ、と神様は言う。
「あなたも親しい方への遺言をお持ちであれば、お預かりすることもできます。いかがですか?」
「……それでは、一言だけ」
「承ります」
「ありがとう、とお伝えください」
祝福します、と神様が言う。
神の祝福を、と天使が言う。
そのお告げを聞くと、死者は退室した。それから部屋には誰も入ってこない。
「天使さん」
神様は言う。
「席を外してもらえますか? ふたりきりで話がしたいので」
「……分かりました」
不服そうな声を滲ませながらも、天使は扉に向かう。しかし扉を開ける直前、おい、と僕に呼びかける。
「いつまで黙って見てやがる。嫌いなんだよ。おまえみたいに、生きてるか死んでるか分からないやつは。自殺なんかしやがって。罪人め」
そう忌々しげに吐き捨てると、天使は退室した。神の祝福を、とは言ってくれなかった。神様とふたりきりになった部屋で、最後の審判が始まった。
◇
「憶えていらっしゃいますか?」
神様は口を開く。
「ここに訪れた死者には、三つの選択肢があります」
「……はい」
僕は最初に聞かされたことを思い出す。
転生か。
天国か。
あるいは。
「……復活ですよね」
僕の返答に、神様は微笑みながら頷く。
「現世のあなたは意識不明の重体に陥っています。他の死者とは異なり、魂の器である身体が残されていますので、あなたは生き返ることができます」
「…………」
「臨死による幽体離脱。天使さんの言葉を借りれば、生きているか死んでいるか分からない、でしたか。それにしても、自殺も殺人に含まれるとはいえ、罪人とは彼女らしい審判です」
「……僕は罪人なんですか?」
「まさか」
神様は微笑みを絶やさない。
「どうか気に病まないでください。彼女があなたに厳しいのは、あくまで自罰的な反応に過ぎません」
「自罰?」
「彼女は生前、あなたと同じく自殺しています」
「…………」
「かつて死者としてここに訪れた彼女は、天国に行くことを選びました。いまでは天使として懸命に働いてくれています。しかし、彼女はいまでも自殺したことを後悔しています」
「……だから、何だって言うんですか」
僕は苛立ちを覚える。
「僕に復活を選べと言いたいんですか」
「いいえ、私からあなたに強要することはありません。転生でも、天国でも、復活でも、あなたは自由に選べます。そして、あなたが自ら選ばなければならない」
「…………」
「自由の刑。それこそが唯一、あらゆる死者に課された罰です」
「……ふざけるな」
僕は神様を睨みつける。
「冗談じゃない。死ねばすべて終わると思っていたのに、魂が輪廻するなんて、こんなの、無間地獄と同じじゃないか。僕がどんな気持ちで死んだと思っているんだ」
「もしお気持ちが安らぐようでしたら、あなたのことをお話しいただけませんか」
「お断りだ。懺悔でもさせるつもりか。僕は何も言いたくないし、何も言われたくない。いままでずっと、誰とも話にならなかった。会話劇なんてごめんだ」
「現世に心残りはありませんか。後悔はありませんか」
「しつこいな。そんなこと、どうでもいい!」
「どうでもいい、ですか」
神様は続ける。
「それでは、あなたはなぜ、他の死者たちの審判を傍聴していたのですか」
「それは……」
「自らの選択を後悔したくなかったからではないのですか」
「…………」
「せめてもの代わりに、私の話をしましょう」
神様は一拍置いたのち、静かに語り始める。
「私は後悔することができません」
「……後悔できない?」
「私は神です。あらゆる時空に遍在し、あらゆる可能性を試行できるがゆえに、後悔することができません。当然の帰結です」
私は後悔することができない。
私は微笑むことしかできない。
いかなる不条理を前にしても。
神様はそう言いながらも、相変わらず微笑んでいる。
「私にとって、すべての事象は事物でしかありません。生者と死者を区別する意味もありません。天使さんは私のことを慈悲深いとおっしゃっていましたが、私はひとえに一切を諦めているだけです。私の言葉は真理であったとしても、亡骸のように血が通っていません。ですから、あなたが私に反感を抱くように、私だけでは非業の死を遂げた死者に寄り添うこともできません。天使さんがこの審判に同席しているのはそのためです」
「…………」
「私には告解すべきことが何もありません。しかし、あなたは違う。あなたがた死者には、かつて生きようとした者たちには、言うべきことが、言えなかったことが、言いたかったことがある。どうか思い出してください」
あなたこそが。
この物語の語り手だったはずです。
神様はそう告げる。
「どれだけ懸命に生きたとしても、誰しも後悔から逃れることはできません。しかし、後悔がなければ、物語は生まれない。血が湧き立つような感動も生まれない。たとえどれだけ罪深かろうと、あなたの人生の物語は神より美しい。他でもない私が保証します。いえ、祝福しますと言うべきでしょうか」
「……祝福って何ですか」
「告解を聴くこと。声を認めること。あなたが誰とも会話を演じられなかったとしても、私は客席にいます」
「…………」
「よろしければ、あなたの話を聞かせてください。私はいつまでも待っていますから」
その言葉を最後に、神様は沈黙する。もはや自らが語るべきことはないと示すように、微笑みを湛えたまま僕を見つめる。
沈黙の隙間を埋めるように、僕は数々の記憶を思い出す。思い出したくもない最悪を。空になった薬瓶を。張り裂けるような心臓の高鳴りを。混濁した意識に仄かに灯った心残りを。
そのすべてを、僕は語り始めた。
退室すると、僕は待ち構えていた天使と鉢合わせる。彼女は部屋の外から盗み聞きしていたらしい。
「盗み聞きとは失礼だな。天から見守っていたんだよ」
「……物は言いようですね」
「おまえこそ、随分と饒舌になったじゃないか」
ふん、と天使はそっぽを向く。
「おら、さっさと行け。店仕舞いだ。あたしは他の審判の準備で忙しいんだよ。死者はおまえだけじゃない。おまえはひとりじゃないんだ」
「…………」
「もう死ぬなよ」
神の祝福を。
天使はそう告げると、部屋に戻っていった。
ひとり残された僕は光に包まれ、自ら選んだ世界に飛ぶ。眠っていた意識の幕が上がると、喉が武者震いし、声が甦る。




