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6、旧時代の遺跡にて


 一行は剣士の案内で、険しい山道をさらに登り続けた。


 道は次第に岩肌がむき出しになり、針葉樹の森が途切れ、風が強く吹き抜けるようになった。野良犬は食事をしていてよかったと思う。自分の棒きれのような体にこの風はひとたまりもなかっただろう。遠くの峰々は霧に包まれ、谷底からは渓流の音が細く響いてくる。


 やがて、道が開け、一面の岩棚のような場所に出た。目当ての「旧時代の遺跡」寺院があった。


「この遺跡は旧時代に建てられたものだというのが、町の研究者の見解です」


 僧侶が案内役としての役目を果たそうと、解説を行う。


 建物全体が巨大な一枚岩をくり抜くように造られており、赤褐色の砂岩が陽光を浴びて鈍く赤みを帯びて輝いている。外壁はところどころ風化で剥がれ、苔と地衣類が複雑な模様を描き、かつての色鮮やかな装飾が薄く残るだけだ。


 正面の入り口は巨大な石の門で、両脇に守護獣のような石像が並ぶ。獅子に似た体躯に象の頭、背中には炎のような翼が彫られていたが、長い年月で顔の表情は溶け、目だけが空洞のように黒く残っている。

 

 門の上部には曼荼羅状の円形彫刻が施され、中央に八つの腕を持つ女神像が座していた。腕の一つは折れ、もう一つは風化したため、女神は不完全な姿で虚空を見つめている。


 屋根は平たく、複数の角ばった塔が連なり、それぞれの頂上には風化した宝珠状の飾りが残っていた。塔の表面には無数の小さな仏龕ほんがんが穿たれ、中に座す小さな神像が並ぶが、多くは首や手が欠け、ただ座るだけの影のように見える。


 壁面全体に広がる壁画は、色褪せながらもまだ鮮やかさを残していた。蓮の花の上に立つ舞う女神、炎を纏った四つの顔を持つ神、象の頭を持つ知恵の神が戦う姿、輪廻の輪を象徴する巨大な円環……今の地母神や天空神とはまったく異なる、複雑で多神教的な図像が、寺院の外壁を埋め尽くしている。


 風が吹くたび、塔の隙間から小さな鈴のような音が微かに響き、まるで五百年前の祈りがまだ途切れていないかのようだった。


 この世界の主流でルドヴィカ風の重厚な石造り大聖堂とは対照的に、寺院は山に溶け込み、岩と一体となったような静謐さと、荘厳さを併せ持っていた。


 誰もが圧倒されるほどの神秘にも野良犬は興味なさげに鼻を鳴らしただけだったが、僧侶リリーディアは目を輝かせて説明を始めた。


「旧時代というのは、初代聖女様の結界が張られる五百年前にあたります。この寺院は、当時の人々が信じていた『神々』の残骸なのよ。今の地母神や天空神、大海神とは違う、神様たち……旧時代の人々は、こんなにもたくさんの神々に祈りを捧げていたのに……結局、彼らは旧時代の人々を守れなかったの」


 この時代において、神は存在し、その権能は「紛れもない事実」である。神が存在しているのにその力を示せないということは「ありえない」のだ。つまり、旧時代の人間が崇めていた神々は、その時代の人々の妄想に過ぎなかったのだと、そう結論付けた。


「ルドヴィカは彼らを力無き神、つまり、人間の「想像」の産物で、旧時代の神を信仰することは神への冒涜、これは偶像崇拝だとされているの」


 自分の知識を披露する彼女の声は誇らしげだった。


「旧時代の人たちが作ったこの壁画の神様たちは、輪廻を司ったり、戦いや知恵を与えたり、豊穣を約束したり……とても様々よ。でも、泥の時代が来て、人類が絶望したとき、人間種を救ったのはルドヴィカの神様。だから、聖女様が生まれ、結界が生まれ、私達は今日も生きている。素晴らしいことだわ」


 剣士と戦士は頷き、ハロルドは杖を突きながら「ふん」と鼻を鳴らす。ジルは静かに寺院を見上げ、ジャンヌは無言で記憶デバイスを取り出した。


 ジャンヌは寺院の外観を、曼荼羅の彫刻を、欠けた守護獣の顔を、色褪せた壁画の細部を、次々と撮影していく。スマートフォンのような小さな機械が、淡い光を放ちながら画像を記録する。動画も撮り、風に揺れる残った鈴の音や、岩の隙間から漏れる水滴の音まで拾っていた。 


 剣士が不思議そうに尋ねる。


「それ、何なんですか?」 


 ジルが何でもない風に答える。


「あぁ、中央の魔法具です。記録と保存のための神聖な道具で、私達の間ではこうしたものが記録道具として主流になっているのですよ」


 中央の技術というと、僧侶が感嘆の声を上げ、剣士と戦士も納得したように頷いた。中央のものならそういうこともあるだろう、すごいなぁと、それで終わる。


「どうやって使うんだ?」

「……え」


 野良犬は興味を持ったようにジャンヌに近づいた。


「なに……え。なんで話しかけるの」

「嫌かよ。俺はアンタの所為でここにいるんだろ?」

「わぁ……」


 そう来たか、とジャンヌが顔を顰めた。野良犬はジャンヌに慈愛や慈悲、善意の精神が皆無なことで「無害」と判断したようだ。気安く近づき、ひょいっと、スマートフォンを手に取る。


「おっと。騒がねぇのか。壊さないでーとかよ」

「ひとの物を壊したら大変なことになるって、あなたはわかってそうだし。慎重なかんじがするからいいかなって」

「……ッチ」


 事実だった。

 または、揶揄ってやろうかという悪戯心もあるが、そういう望んだ反応をジャンヌはしない。


「これはその場の映像…目で見たものを止めておいたり、時間を切り抜けるの」


 ジャンヌは先ほど撮った壁画の写真と、壁画をゆっくり写した動画を見せる。野良犬は素直に驚いた。どういう魔法かと不思議に思うが、ジャンヌも「仕組みは知らないけど、動かし方はわかる」と言う。そういうものらしい。


「こんなもん残して意味あんのか?あの女の説明だと、ただの妄想、意味のねぇもんなんだろ?」

「意味があるとかないとかは、判断するのはわたしじゃない」

「じゃあ誰だ?」

「千年後のひとたち」


 は?と、野良犬は首を傾げた。千年後。千年というのは言葉としてはわかる。途方もない先の話が突拍子もなく出たな。


 一行は寺院の内部へ進んだ。


 中は薄暗く、石の回廊が続き、天井からは古いランプの残骸が吊り下がっている。壁にはさらに多くの壁画が残り、かつての儀式や神々の戦いが描かれていた。床には苔が生え、ところどころに水が溜まり、足音が湿った反響を返す。


 興味、好奇心で一杯になる冒険者たちとは対照的に、ジルは奥へ進むにつれ、何かがおかしいと、そんな予感がした。


 床に、足跡が新しい。埃が薄く払われている場所があった。


「あら?誰かしら、町の人かしら」


 僧侶が無邪気に近づこうとした瞬間、戦士が彼女の肩を掴んで引き戻した。


「待て、リリーディア!」 


 次の瞬間、戦士の巨体が、真っ二つに裂かれた。


 コツ……コツ……。


 その音は、寺院の石の回廊に冷たく反響した。

 五百年前の壁画が薄暗い光に浮かび上がり、欠けた神々の目が無言で一行を見下ろしている。空気は重く湿り気を帯び、血の鉄臭が混じり合う。


 天井の隙間から漏れるわずかな陽光が、床に溜まった血だまりを赤黒く輝かせていた。


 風がどこか遠くの塔の鈴を微かに鳴らし、妄想だと固定された旧時代の神々が今も嘆いているかのようだった。


 影が、回廊の曲がり角に現れた。最初は、ただの暗がりかと思った。だが、ゆっくりと、輪郭が浮かび上がる。灰青色の肌が、光を吸い込むように鈍く輝き、背中から生えた無数の棘が、影をさらに深く刻む。


 人の形をしているのに、どこかが違う。肩のラインが不自然に長く、腕が異様に垂れ下がり、指先は爪ではなく、黒い刃のように尖っている。

 顔は――裂けた口が、ゆっくりと開く。牙の隙間から、赤い目が一つ、二つ……三つ。

 三つの瞳が、こちらを捉えた。 剣士の膝が、がくりと震えた。


「……魔物…いや、まさか、魔族……!?」


 ありえない。


「ここは結界の中だぞ!!?」

「全員、逃げますよ!!!!!!!!!」


 存在しえないものに怒鳴る剣士と対照的に、冷静だが周囲を現実に引き戻す力強さのある騎士の声が響いた。


 だがその騎士の声で剣士が足を動かす前に、魔族と目が合った。


「!???」


 剣士の心臓が、激しく鳴った。

 魔族の裂けた口が開き、牙の隙間から、低く、喉の奥から絞り出すような声が漏れた。言葉だ。


 言葉を発する、魔族。だが、剣士には意味がわからない。

 ただ、音の並びが、耳にねっとりと絡みつく。古い呪文のように、骨の髄まで冷たく響く。

 剣士は無意識に剣の柄を握りしめた。

 手が震えている。

 

 理解できない。この音は言葉のはずなのに、耳にねっとりと絡みつき、骨の髄まで冷たい恐怖を這わせる。

 隣にいるリリーディアの細い腕を感じながら、剣士はただ一つの想いだけが沸き上がる。


 そうだ、リリーディア。彼女を守らなければならない。それは誓いだった。未来を諦めるほどの誓いだ。剣士は町の外に出ようと考えていた。戦士と共に、鉱山を声、外の町へ、もっと遠くへ、冒険をしに行こうと、そのために冒険者になった。二人でまだ見ぬ世界で、まだ見ぬ宝を見つけようと、そうして体を鍛え、二人で厳しい試験にも合格した。


(彼女だけは……守らなければ)


 けれどリリーディアは、町から出られない。父親が彼女を手放したくないからだ。彼女は町から出られない。泣く彼女が、「いいわね、二人は……!」と自分たちに背を向けた時に、剣士はそのまま去ることができなかった。大切だったからだ。自分の夢より、憧れた未来より、リリーディアが「いつまでも皆で楽しく」生きられる時間を伸ばそうと、もっと「ずっと一緒に居よう」と、彼女の肩を叩いた。剣士と剣士は、山を越えることを諦めた。リリーディアの父親は二人の決意を認め、この「おままごと」を続ける限り、金銭的な支援を約束した。二人の家族は感謝した。


 そのことを、剣士は思い出す。

 ドクドクと血を流し続ける戦士の亡骸。


 魔族はゆっくりと首を傾げ、裂けた口を開いた。


「……quis es tu…… homo…… oblatio…… specimen……」


 低く、喉の奥から絞り出すような声。剣士には意味がわからないのに、胸の奥がざわめいた。

 まるで自分の死を、ゆっくりと宣告されているような感覚だ。背筋を這う冷たい汗。


 息が詰まる。


 この異形は、ただの魔物ではない。だが魔族は、聖女の結界の中では存在できないはずだ。


 まるで寺院の壁画に描かれた「人間種を守れなかった無能な神々」の残骸のような妄想に襲われる。


 魔族はもう一度、ゆっくりと繰り返した。


「……sarcophagus…… experimentum…… vivus…… da mihi……」


 剣士の視界が狭くなる。不気味だ。言葉の響きが、頭の中で繰り返し反響し、吐き気が込み上げる。


 その時、ジャンヌがぽつりと呟いた。


「……これ……ラテン語?」

「……ジャンヌ、耳を傾けてはいけません」

「なんか、選べって言ってるよ?」


 この場で絶対的に安全な場所、騎士の背に庇われている黒髪の少女は、不思議そうな顔で魔族の方を見た。

 黒い髪が、薄暗い回廊の光に淡く浮かぶ。表情は変わらない。ただ、黒い瞳だけが、魔族をまっすぐ見つめ、わずかに揺れている。


「実験をしたいんだって」

「実験?」


 二人のその冷静さが、剣士の恐怖をさらに煽った。


(どうして……わかるんだ?)


 喉がカラカラに乾いていた。

 ジャンヌは小さく頷き、淡々と続ける。


「この寺院でしてた研究の……棺があるって。生きてる人間を入れたらどうなるか見たいから、寄越せって。じゃないと皆殺しだって」

「それは、困りますね」


 ふむ、とジルが考えるように目を細めた。


「差し出せば、見逃してくれるんだな!?」


 剣士は叫んだ。


 状況はわからない、だが、この少女は、魔族の言葉を理解している。

 黒い瞳。黒い髪。この世界に存在しないはずの色。この少女は魔女かもしれない、だが剣士は今はそんなことはどうでもよかった。


 リリーディアを守らなければ。せめて、恋したこの女だけは、魔女の手に渡してはならない。


 剣士は逃げようと壁をよじ登る野良犬の足首を強く掴んだ。

 指先が白くなり、爪が布に食い込む。


 (こいつを……差し出せば……)


 野良犬の焼け爛れた顔が、暗闇の中で白く浮かぶ。


 剣士の視界はリリーディアの白い法衣だけに集中していた。

 彼女の柔らかな緑の瞳、優しい微笑み、町でみんなが「聖女のようだ」と囁く姿。


 あの笑顔を、失いたくない。


「っは、そうなるよな!」


 野良犬は、まるで最初から予想していたかのように、にやりと笑った。


 声に諦めと皮肉が混じり、焼け爛れた顔が暗闇で歪む。

 剣士は躊躇しなかった。リリーディアの先見の明に感謝を。この場で「いらない命」は間違いなくこの野良犬だ。これを差し出してリリーディアと自分は生きられる。野良犬が役に立った。



やっぱり人間、いつか異世界転移するかもしれないから、ラテン語と料理は必修科目ですね。

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