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5、恵まれた者



 ぽつりとつぶやいてから、「しまった」とジャンヌは後悔した。


 自分の意見をジル以外に言うなど、ロクなことにならない。


 何か発言する、意見するということは他人の中に自分の存在を投げ込むことだ。その人の中で「彼女はこういうことを考える者」と認識されて、頭の中でジャンヌという存在が育っていく。それらはジャンヌが彼らの前から消えれば一時的に成長が強制停止するが、それでも残り、行った言動には責任が伴う可能性だってある。


 嫌だな、吐きそう、と、想像だけでジャンヌは気分が悪くなった。


 ジャンヌが告げた途端、僧侶リリーディアは勝ち誇ったような顔で、満面の笑みを浮かべ「えぇ、えぇ、そうよ!きっとね!じゃあ決まりね!」とはしゃぎだす。嬉々として、彼女はくるりと振り返り、「野良犬」がいそうな路地裏へ駆け出そうとする。


 さすがに剣士と戦士の二人は顔を見合わせ、慌てて後を追った。


「一人じゃ心配だよ、リリーディア!」

「ちょっと待てって!」


 三人が去った後、残された魔法使いのハロルドは肩を竦めてため息をつき、ジルとジャンヌは互いに視線を交わした。


「ジル、ごめん」

「なぜ謝るのです?」

「だって、ジルは反対したのに」

「おや、心外ですね」


 大げさにジルが肩を竦めた。


「得体の知れない人間が一人増えたくらいで、私が貴方を守れないと思いますか?」


 ジルは穏やかに、しかしどこかからかうような笑みを浮かべる。

 ジャンヌはなるほど、と小さく頷いた。ジルがあえてこう言ってくれていることを、ちゃんと理解している。

 彼は本気で守れる自信があるのだろうが、一番はジャンヌの不用意な、後悔している発言を「なんてことありませんよ」と軽く受け流しているのだ。


 一行は町の出入口へと移動した。

 山へ向かう山岳の町の入り口は、切り立った岩壁に沿って築かれた石のアーチ門だった。門の上部には古い水晶が埋め込まれ、陽光を浴びて淡く青白く輝いている。門の両脇には鉱夫たちが運び出したばかりの鉱石の山が積まれ、鉄と土の匂いが濃く漂う。ここから山道へ続き、細く険しく蛇行しながら上っていく。風が谷を抜け、門の旗をはためかせ、ジャンヌの黒髪を軽く揺らした。


 門の外側には荷車が数台停まり、商人たちが最後の点検をしている。馬のいななきと、鉱夫たちの低い話し声が混じり、日常の喧騒がまだ残っていた。そこで待つことしばらく、三人が戻ってきた。


 リリーディアは満足げに胸を張り、剣士と戦士は少し疲れた顔でその後ろに立つ。そして三人に少し遅れて、不貞腐れた表情の例の「犬」と呼ばれた青年が歩いてくる。 


 血のように赤い髪は乱れ、焼け爛れた顔の半分は影に隠れ、ぎょろっとした目は胡乱にジルを睨んでいる。体から漂う悪臭は、風向き次第でこちらまで届きそうだった。


 青年はジルを見上げ、嘲るように口の端を歪めた。「おきれいな顔の良いところのお坊ちゃんが、俺をこき使いたいってか?へぇ、どんな『特別なお仕事』だよ。ただの荷物持ちだって?へぇ。ありがたがってやろうか?」


 ジルは動じず、穏やかに受け流す。初対面で他人からこのように値踏みされ、勝手にあれこれと想像されることをジルは慣れていたし、それを不快に思うほど他人に興味がない。


「貴方にしかできないこともあるでしょう」


 その言葉に、青年の目が一瞬だけ細くなる。ハッと、短く笑い、その目がジャンヌに移ろうとして、ジルがさっとジャンヌを背に庇った。それで野良犬は「こいつの大事なものはこれか」とその判断もしたようだ。ジルの体格や装備を見、嫌がらせの為だけにジャンヌにちょっかいを出す愚かさはないようで、ジャンヌに対して興味のない顔をした。

 

 僧侶はかいがいしく野良犬に話しかけた。慈悲深い僧侶、聖女のようだと剣士や戦士は自慢げに眺める。


 一行は門をくぐり、山道へと足を踏み出す。

 


「私は貴方を人間だって思うのよ。周りの人がなんて言おうと気にしないで。貴方は素晴らしい人なのよ」


 にこにこと穏やかに、僧侶リリーディアは野良犬に話しかけた。


 犬と呼ばれる青年はこの女の性根が良くわかっていた。町でも評判の「気立ての良い心優しい娘」。


 実家はこの町有数の商会で、領主を伯父に持つ。父親と兄に可愛がられ、本人は「聖女様の御側仕えになりたいの!」と望んだが、手元に残したいと願われて「仕方なく」町に残ったという。

 そうして彼女は町を守りたいと、幼馴染の冒険者に混ざって、日々町のための依頼をこなす。誰もが「聖女のようだ」と思っているらしい。


(馬鹿々々しい)


 偽善者が、と野良犬は思う。


 他人に優しくできるのは恵まれているからだ。そして恵まれている自分を理解するために、他人に施しを与える。そして優越感に浸りたいのだろう。


 こういう種類の人間にも慣れていた。多くの人間は自分を見て「無価値」「屑」「死にぞこない」と眉を顰めて唾を吐くか、視界に入れるのも嫌と顔をそむける。だが中にはこの僧侶のように「私だけは貴方を理解できるのよ」と猫なで声で近づき、母親か姉のような顔をする。この手の人間は、声をかける相手が醜くみじめで落ちぶれていればいるほどよい。


 奴隷や最下層の人間をあえて「自分と平等」扱いし、羽毛布団を与えて綺麗な服を着せ、たらふくうまいものを食べさせる。質の悪い遊びもあるらしい。

 ただ、そういう連中が選ぶのは見目の良い女か、体格の良い、磨けば光りそうな男。あるいは珍しい種族と、結局は「自分への見返り」を求めて選別しているが。


 わざわざそんな存在を見つけ出して傍に置かないで、自分の傍にいるやつにちゃんと誠意を見せてやれよ、と野良犬は思う。


 今もみっともなく、僧侶の視界に少しでも自分を映そうとそわそわしている剣士や戦士を見る。この連中の想いや献身に気付きもしないで、あるいは気付いてもそれを重視しないで、他人に施す自分、あるいは「惨めな存在を救い出して、その結果を得たい」と、自分を呼ぶ豪華な食事会に参加せず、肥溜めの中に金貨でも埋まっているのかと何度も腕を突っ込む愚かさだ。


 自分が施す側だと信じて疑わない。


「ねぇ、あなた。私の隣で食事をしない?」


 僧侶が鬱陶しくなり、野良犬はあえて唸りながら速度を落とした。そうするといけ好かない騎士とその隣の小娘のいる位置になる。


 話しかけてこないだろうと思った小娘が、意外にも話しかけてきた。


「…あのさ」


 野良犬は当然無視する。小娘は無視されたことを気にせず、話しかけた事実などなかったようにまたぼんやりとした顔で周囲を眺める。


 せめて傷ついた顔くらいしろよ、と野良犬は思った。育ちのよさそうな騎士が守る小娘だから、ちょっときつく当たられれば泣き出すだろうと思ったが、路傍の石程度の扱いである。


 異質な自分を「異質」とも思っていない。そこにあるのならあるだろうという態度。


 昼近くになり、一行は道端の開けた岩場で昼食を取ることにした。


 そこは山の斜面が少し緩やかになった場所で、大きな平らな岩が自然のテーブルになっていた。周囲は針葉樹の森に囲まれ、木漏れ日が岩の上に金色の光の帯を描いている。遠くの谷底からは渓流の音が微かに聞こえ、風が運んでくる冷たい水の匂いが混じる。空は青く澄み渡り、雲一つなく、太陽が真上から容赦なく照りつけていたが、木陰に入れば心地よい涼しさがあった。


 剣士が自分の荷を下ろし、戦士が岩に腰を下ろす。魔法使いハロルドは杖を立てて寄りかかり、僧侶リリーディアは嬉しそうに布を広げた。


 テキパキとジルとジャンヌが食事の用意をする。


 昼食は町の市場で買ったものと、二人が持っていた保存食を組み合わせたものだった。 ジルはこの依頼に「食事つき」と記載していた。


 まず、定番の焼いたパンに、ヤギのチーズをたっぷり乗せ、野苺のジャムを塗ったものが並ぶ。ジャムは鮮やかな赤で、甘酸っぱい香りが周囲に広がった。次に、塩漬けの豚肉を細かく刻んで豆と玉ねぎ、にんじんと一緒に煮込んだシチューが魔法で固形物にされている。それらは鉄鍋で温め直され、湯気が立ち上り、肉の脂とスパイスの香ばしい匂いが冒険者たちの食欲をそそった。


「え、いいんですか、ジルさん。こんなに豪華にして」

「育ち盛りのジャンヌに、三食十分に召し上がっていただけないと私が辛いのです」


 真面目な顔で騎士は言う。


 さらに、干しブドウとくるみ、蜂蜜を絡めたナッツの小袋。飲み物は水筒に入った山の湧き水で、冷たくて少し鉄の味がするが、喉を滑るように爽やかだった。


「それなら私も美味しいものを出さないといけませんね」


 僧侶が持っていた小さな籠から取り出したのは、町の菓子職人が焼いた蜂蜜とシナモンのクッキーで、「わぁ」とジャンヌが声を上げたのをジルが優しい目で見ていた。


 皆が岩に腰を下ろし、手づかみでパンをちぎり、シチューをスプーンですくう。剣士と戦士は豪快に食べ、僧侶は上品に一口ずつ味わう。ハロルドはけだるげにナッツを摘む。


 野良犬はあれこれと世話を焼きたがる僧侶から離れた岩に座って、無言で爪をかじっていた。


「お肉とか食べないの?」

「俺に構うな、ガキ」

「ジルのごはん美味しいよ」

「ほっとけ」


 野良犬は以前、冒険者に雇われてその場で出た食事に手を付けたら、最終的に「請求」された経験がある。僧侶が差し出したパンですら警戒して手を伸ばさなかった。


「あなたが食事をしないと私が困る」

「あ?なんでだよ」

「あなたは私の所為で雇われることになったっぽいから、あなたがお腹を空かせたりして、怒ったり、力尽きて足手まといになると、結果的に、私が悪かったかんじになるのが嫌」

「……普通そこまで言うか?」


 利己的にもほどがあるし、なんなら自分勝手すぎないか。

 あけすけな、野良犬を意思のある人格を持った他人だとすら扱わない発言に野良犬は呆れた。


「知るか、勝手に困っとけ」

「そこをなんとか」


 自分があとで「嫌な思い」をしたくないと、心底困った顔で言う小娘。


 怒鳴ってやればビビッて騎士のところに戻るだろうかと考えて、野良犬は小娘の目を見た。夜の空よりも黒い目である。珍しい色だな、と思った。ただ、学のない野良犬は「目の色は色々ある」ということは知っていても「黒は存在しない」ということは知らない。貴族や何か「特別な人間」は珍しい色をしているんだろうと勝手に決めて、理解をする気もなく、ふん、と鼻を鳴らす。


 すると少し考えるようにしてから小娘が野良犬の足元に皿を置いた。


「よし」

「ア?」

「これで、私はごはんを用意はしたので、いいかなって」

「それで俺に何かあっても自分は関係ねぇってか」

「駄目かな」

「駄目だろ。そりゃ自己満足じゃねぇか」

「責任の所在をどうこうしたくて……」


 ガキのくせに難しい言葉を知ってるじゃねぇかと野良犬は褒めてやった。


「俺が面倒を起こすって?」

「うん、力尽きて倒れてジルがおんぶするとか、荷物を持てなくて中のものが崖の下に落ちちゃうとか、あ、その場合、あなたも落ちるんだけど」

「……」


 あの騎士に背負われる、あるいは落下死する未来を勝手に予想されている。


 野良犬は眉間を指で押さえた。


「この飯は、」

「うん?」

「テメェがテメェの都合で俺に寄越したってことでいいな?」

「うん……?」

「金は払わねぇぞ」

「別にいらないけど」


 言質は取ったからな、と野良犬は念を押した。そして足元の皿をひょいっと膝の上に乗せ、バクバクとパンをかじり、同じ口に肉を放り込む。


 ――瞬間、野良犬の動きが止まった。


 これほど柔らかい物が存在していたのかと、思うほど柔らかいパン。厚く焼かれた表面はカリッと香ばしく、中はふんわりと温かく、噛むたびに小麦の甘みがじんわりと広がる。


 次にシチューの肉だ。そもそも肉など、腐っていない肉などどれくらいぶりだろうか。鉄鍋で煮込まれた豚肉は脂が溶け出して柔らかい。色々な味がしたが、野良犬は「美味い」ことはわかるが、これらが「なぜこんなに色んな味がするのか」わからない。料理をしたというのは「話としてはわかる」が、そもそも野良犬が口にしたことのある「料理」は料理屋の裏にあるごみ箱の食べ残しくらいだ。


 ……うまい。 野良犬は無意識に目を細めた。


 腹が減りすぎて味気ないパンくずや、腐りかけの残飯をかき集めて生きてきた日々の中で、こんなに「まともな」食事が喉を通るのは、何年ぶりか。


 その上これは金を取らない。請求しない。

 施しや、善意ではない。あの小娘の「責任逃れ」のための、悪あがきのようなものだ。


 それを美味いって思っていいのかという疑問はあったが、野良犬は「なら、美味いと思っていいんじゃねぇか」と自分を嗤った。


 食事をしている野良犬はを見ている黒い髪の小娘が、あからさまにほっとした顔をしている。野良犬は早々に空になった皿を見せつけ「これで安心か?」と声を発せず口だけ動かして言ってやった。


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