3、それは犬
時間は少し、半日前に戻る。
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「思ったより栄えていますね」
山岳地帯の麓に築かれた町を見て、ジルが漏らした感想にジャンヌは「さすが生粋の”中央”の生れ。都会っ子のせりふ」と揶揄った。季節は夏に向かっているのに、北に進むにつれて、空気は少しずつ薄くなっていく。人間種の生存圏内は聖女の結界の外がすべて魔族の泥の世界なので中央から離れれば離れる程空気は淀むものだが、北はとりわけ瘴気が濃くなるという。
遠くに見えていた山々は、気づけばすぐそこにあり、その稜線は鋭く空を切り取っていた。岩肌がむき出しの山と、ところどころに残る深い緑。その狭間に街道は広く整備され、荷車が行き交う。石造りの建物が段々に連なり、斜面に沿って家々が積み上がるように建っている。屋根は濃い色の石板で、陽の光を受けて鈍く光っていた。
「アルプスの少女ハイジの村のイメージかな。こっちは街だけど」
「アル……?どなたです?」
「親族に立て続けに不幸があって「神などいない!」と絶望した高齢者がいたいけな幼女を養育しながら信仰を取り戻す話があって」
ジャンヌは思い出しながら話す。そういえばこの世界には当たり前のように「神」の存在が認識されていて、信仰が根付いている。そもそも神の奇跡で今も世界が泥の中に沈まないようになっているのだ。どんな不幸が自分の身に降りかかっても、神の存在を疑うことはないのだろうか。
まぁ、それは今はどうでもいいとして。
町の入り口には当然のように役人が立ち、出入りの審査を行っていた。こうした手続きはジルが担当する。聖騎士の証を見せれば、問答無用で簡略化される便利なものだ。それどころか、役人や兵士の中に「六英雄のファン」がいると、こちらが何も言わずとも家に招かれ、衣食住の心配がなくなる。
ジルは穏やかに微笑みながら手続きを済ませ、ジャンヌは少し離れて町の空気を吸い込む。金属の匂いと土の匂い、薪の煙と汗の匂いが混じり、この町が世界から何かを取り出して生きていることを実感させた。
「この辺りは鉱山があるようで、栄えているのはその結果でしょう」
「ふぅん」
ジャンヌは頷く。運ばれていく荷の中に、見慣れない輝く石が混ざっていた。市場では特産の水晶が並べられ、陽光を浴びて虹色にきらめく。歩く人々は体格が良く、人間種だけでなくドワーフや森小人の姿もちらほら。
屋台からは香ばしい匂いが漂い、薄く伸ばして焼いた生地にヤギのチーズや野苺のジャムを包んだもの、焼いた肉を細かく割いて豆や野菜と一緒にパンに詰めたものが売られていた。ジャンヌのお腹が小さく鳴る。
「ねぇ、ジル。わたしさ、お腹空いたかも」
「それは重大事ですが。領主殿のところで何か良いものが頂けるのではないでしょうか」
「でも、屋台で食べれるようなかんじのは出ないと思うよ」
「それはそうですね」
では帰りに寄りましょうとジルが約束し、二人は石段をいくつも上る。領主の館は町の上部にあり、守りを意識した造りだが、外敵よりも落石や崩落に備えているように見えた。門を潜ると、風が谷を抜けて頰を撫で、遠くの峰から鳥の鳴き声が響く。
「……中央からの客人、それも、ペテロ卿とは」
通された応接室は簡素で、質は良いが飾り気がない。窓からは町全体と山々が一望でき、水晶の加工品が実用品として並ぶ土地柄を表していた。
現れたのは四十代半ばの男。領主だ。日に焼けた肌に深い皺、鋭い目。聖騎士と見慣れない少女を見て、形式的な挨拶を済ませる。
「……それで」
余計な言葉を嫌うタイプらしく、早速切り出された。ジャンヌは大神官から預かった羊皮紙を置き、神聖ルドヴィカの聖句が描かれたそれを広げる。
慣れた言葉で簡潔に告知する。その間、領主は眉一つ動かさない。ただ、視線だけがわずかに鋭くなる。
「……馬鹿な話だ」
静かに聞き終えた領主は短くそう言った。
信じないタイプだろうかとジャンヌは考える。
そして領主がソファから立ち上がり、窓に近づく。外の風景を眺めながら、ゆっくりと語り始めた。
「この町を見たかね?」
「大通りは」
「強い町だ。この町は山に守られ、そして山に世界を隔てられている。厳しい冬は外の町との交流もままならず、己らで生き延びるしかない。魔物も簡単には近寄らんが、人を寄せ付けない場所でもある」
領主の声には、誇りと諦めが混じっていた。自身の武勇伝ではなく、子や友人の自慢話をするような顔だ。それらの、この町の歴史、この人々の強さ、それがすべてを領主は瞼の裏に思い浮かべるように目を伏せた。
「強い町なのだ」
「でも沈みます。結界の範囲外になるので」
人間種なら誰もが知る事実。結界の外では、人は海底で息ができないのと同じように生きられない。
領主はもう一度目を伏せ、そして、はっきりと告げた。
「お帰り頂こうか、英雄殿に使者殿」
■
「こういうパターンか」
「そのようですね」
屋台で水菓子を頬張りながら、ジャンヌとジルは「パターンD」と呟いた。
領主は拒絶型。告知を「嘘だ」とはせず、事実だと理解した上で「ならば最後のその時まで、今日という日を繰り返そう」と決めたのだ。ジャンヌが去れば記憶は消え、町を愛し、山と共に生きる日々が続く。
「大体パターンが決まって来たね」
「そうですね」
ジャンヌは鞄からタブレットを取り出し、白いペンでメモを取る。「ルゴの町、告知完了」と清書される文字を見ながら、ため息をつく。
ジルが山の中の寺院の話をすると、ジャンヌは頷く。案内人が必要だ。冒険者組合へ向かうことにした。
扉を開けようとした瞬間、ジルがさっとジャンヌを抱いて横に逸れる。
「?」
「ぶげぇらぁっ!!!!!」
建物から吹っ飛んできたのは冒険者らしい男。続いて二人。さらにガラの悪い赤毛の男が現れ、怒鳴り声を上げる。
焼け爛れた顔、やせ細った体から漂う悪臭。チンピラという言葉がジャンヌの頭に浮かぶ。
トラブルはあっという間に収束し、執行人がチンピラを拘束。ジルは冷静に説明する。
「冒険者の身分は組合が守る。ですが彼は……法の下では守られにくい立場ですね」
「世知辛いね」
二人は騒動を横目に、依頼を出す。報酬は破格だが、目立たない内容。顔の綺麗な騎士が「主人を山の遺跡に安全に案内したい」と。
組合長が直々に受け取り、二人は再び町の喧騒の中に溶け込んでいった。




