九話
その女性は、水妖だった。
河童ではないがそれに近しい一族の生まれで、佐々木とは謂わば親戚にあたる。
同じ人間社会に住む妖怪として親しく暮らしていた。
幼い頃の佐々木にとって彼女は、少し背が高くて、とても優しくて、親しみを持てる女性だった。
彼が小学校に上がる頃だろうか。
「好きな人が出来たの」
彼女は佐々木にそう言った。
佐々木は勉強する手を止めて、小さな手でぱちぱちと拍手をして祝福した。
恋人と言うものについてはよくわかってはいないが、これまで見たことがないような無邪気な笑顔で、頬を赤らめて言う彼女が喜んでいることはわかった。
だから応援しようと思ったのだ。
彼女が幸せになる様に。
だがそれは叶わぬ願いになった。
水妖の家に彼女の家族が集まっていた。
こっそりと佐々木が覗いてみると、いつも自分を迎え入れていた広間で彼女が倒れていた。
男の頭をその胸に抱えて。
女の家族は彼女の体を包み、どこかへと運んでいった。
何が起こったのかわからずにその場で立ち尽くしていた佐々木は、彼らのうちの一人に怒鳴られ、外に出された。
あれ以来、佐々木は自分が慕っていたお姉さんを見ることはなかった。
※
突如佐々木が口にした不気味な話に、大志は口を開けた。
「……どういう、ことだ? その、佐々木さんの言ってたお姉さんってどうなったんだ?」
その質問に応えたのは、祠から出てきたコンだった。
「人に交じって生きる妖怪が人を殺すことは、禁忌じゃ。人里に降りた妖怪はその決まりの中で生きておる。もしそれを破った場合、身内でその者を始末することになっておる」
「始末……っ?」
「佐々木とやら。お主が姉と慕っていたあやかしは、己の恋い慕った男を殺め、その咎により親類に始末された。そうじゃな?」
淡々とした言い方に、大志は驚く。
警察を使うわけにもいかないのはわかるが、まさか殺人を犯した家族を自分の手で処分しなくてはならない決まりがあるとは。
佐々木はコンの言葉に、俯きながら頷いた。
「あの人、お姉さんは、人間の男を好きになった。でも、その人には家族がいたんだ。愛し合っていた、奥さんと子供が。それでも諦められなかった」
「お主の言うまいくろあぐれっしょん? とか言うやつになるが、元来水に住むあやかしは執念深いからの。狙ったものから執念を消せなかったのであろう」
「だから……殺したんだ。永遠に自分のものにする為に」
再び、重い沈黙が流れた。
それを裂いたのは佐々木の小さな声だった。
「結局。無理なんじゃないかって思って、さ。妖怪と人との恋なんて……僕だって、いつ、あの人と同じようになるのか、わからないし」
「そんな、何言ってんだよ!」
その細い肩に手を置いて、大志は彼に近づく。
彼の、自分自身の将来を潰す言葉が、聞き捨てならなかった。
「人間にだってひどい事する奴らはいるよ! それこそ、両想いじゃないから相手殺すなんてするヤツら、いくらだって! だから佐々木さんが妖怪だからって、その人との恋を諦める理由なんてないですって!」
彼の言葉を佐々木は睨んで返した。
「……妖怪でもない、最近になるまで妖怪を知らなかった大志くんになにがわかるわけ?」
「だから、人間でもそういう犯罪を――」
「比べる基準がおかしいって言ってんだよっ。そもそも妖怪と人間は違うんだから、距離ってやつを置かないといけないんだよ。そうするべきだったんだ、最初から」
佐々木が頑なに壁を作っていた理由が、今わかった。
幼い時に慕っていた妖怪が人間を殺め、それにより殺められた光景を見た彼は、妖怪、つまりは自分が人間を傷つけるものだという価値観が刻まれてしまったのだ。
それはもう治療できずに、痣になった傷跡のようなもので、一生彼から消えることは出来ない。
「佐々木さん。料理、食っていきませんか」
そんな佐々木にとんでもない提案をしたのは、織部だった。
大志はこの時、本当に彼の正気を疑った。
「は……?」
「一口だけでいいから食べてくれませんか。佐々木さんに、どうしても出したい料理、あるから」
またまた沈黙が流れる。
今回はいつも以上に、重い。
虚を突かれたのか、諦めたのか、佐々木は「好きにしなよ」と応えた。




