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六話

二人が去った後、気まずい沈黙が流れた。


「……なにか、俺に言いたいことあります? オーナー」

「いやいやいやまじごめんって。悪い事してる自覚はあるよ? 残業代出す余裕もないのに急に料理作るってことになって」


頬を掻いて謝る織部を、大志は睨む。

不本意な残業をすることになった。

だが、こういった織部の優しさのおかげで自分は救われた。

その事実がある限りは、それを否定することは出来ない。


「はあ……何すればいい?」

「え?」

「俺も一緒に作るに決まってんだろ? 一人より二人の方が仕事早ぇし。小糸さんのお店にうちの商品持っていけば、宣伝にもなるしな」


織部は褐色の瞳をキラキラと輝かせ、胸の前で乙女のように手を組んだ。


「ありがと! ほんっと助かる!」

「わかったから。で、なに作んの?」


大志にそう言われると、織部は自身のレシピノートをパラパラと開いた。

そしてある一ページを指差す。大志もそれを覗く。


「どう? 抹茶好きの小糸さんにはぴったりだろ?」

「確かにな……」

「まずは素材と道具を用意しよう。頼んだぞ、大志」

「おうよ」


そうして二人はキッチンに向かった。



 ※



それから四時間ほど。

小糸に渡された名刺に従って大志と織部は指定した場所に向かっていた。

そして華やかな街を潜り抜け、ビルに着く。

エレベーターから降りて、石楠花という看板が立て掛けられたドアを叩く。

程なくして、華やかで下品さの無いワンピース姿の女性が出てくる。


「こんばんは。縁庵の者です」

「ああ、はい! 小糸お姉さんが言ってた人達ですね。さ、入って入って」


中に入ると、ふわりと重厚感のある香りがする。

恐らくは高級な蒸留酒と、清潔な女性の匂いなんだろう。

大志の知る水商売の世界とは違う、格式の高さが店内にはあった。

カウンターは艶やかに磨かれ、奥には酒瓶が並び、温かな電気に照らされてキラキラと輝いていた。

柔らかな絨毯を踏み、店の中に入る。

すると奥のテーブルに数名の女性に小糸が囲まれていた。

彼女の向かいには勇吾もいた。

ここに来る前に着替えて来たのだろう。甘い香水の香りはせず、先程よりもラフな格好をしていた。ピアスや装飾品を外し、髪も下ろしている。

彼女たちは終業後に、海外に行くという小糸の送別会をしていたのだ。


「お姉さん。お姉さんが言ってた人達がいらっしゃいましたよ」

「ああ、こんばんは、織部さん大志さん。ほんとに来て下さりありがとうございます」


そう言って立ち上がって頭を下げる。

勇吾も緩やかに手を振っていた。


「小糸さん。約束のお品、持って来ました」

「ふふ。楽しみです」


織部は手提げのデコ箱を小糸の前に置いた。

そして箱の中からそれを取り出す。

その瞬間、溢れる抹茶の濃厚な香り。

緩衝剤に囲まれ、小糸の着物のような黒色の円がそこにあった。

円の側面は穏やかな薄緑色だ。


「これは……」

「抹茶のバスクケーキです。小糸さんの門出に向けて、縁庵からの贈り物です」


目を輝かす小糸の横で、彼女の同僚も「すごーい」「美味しそうねぇ」と嬉しそうに言う。

勇吾もにこやかに小糸を見つめている。


「みんなにも食べて欲しいわ。包丁とお皿とかを持って来ますね」

「いいえいいえ。私たちがやりますよ。小糸さんは待ってて」


同僚たちに促されるまま、小糸は再び席について待っていた。

そういって人数分切り分けた。

目の前のケーキに、小糸は瞳を輝かしている。


「じゃあ、小糸お姉さんから食べてください」

「そうよ。小糸さんへのプレゼントなんだから」

「はい。じゃあ、いただきます」


そういって小糸はすっとフォークでケーキを突いて、口の中に入れた。

ケーキは小糸の口内に入ってすぐに飲み物のように滑らかにほどけていく。

クリームチーズの酸味が抹茶の苦くも奥深い味を引き立てている。

表面の焦げはそれほど気にならない。

むしろ中身の柔らかさと相まってよい食感だ。

堪能した後、小糸は口を抑えて頬を薔薇色に染めた。


「すっごく、美味しいです」

「そうですか? よかった」

「抹茶がとても濃厚で、口に入れたらトロトロにほどけて……わたくし、とても幸せな心地になります」


彼女の反応に、他の女性たちも各々ケーキを食していった。

すると歓声が沸いた。


「ほんとに美味しい!」

「バスクケーキ食べたことあるけど、これが一番美味しいわ」


夢中でケーキにフォークを突き立てる彼女に織部だけでなく、彼に協力した大志も誇らしい気持ちになる。

自分の手で作ったものを食べて、人が喜んでいる。

その反応を目の前で見ることが出来て、光栄だとも思った。


「本当にありがとうございます、皆さん……ほんとに、今日一日でこんなにお世話になったのに、なんてお礼を言ったらいいか」

「いいんですよ小糸さん。今日、俺らと小糸さんが出会えたのは奇跡みたいな縁なんですから。そんな素晴らしい出来事を、俺もお祝いしたかったんです」


そう言って笑う織部に、小糸は瞳を潤ませていた。

そうしてケーキを食べ終わり、小糸たちはこれから二次会に行くことにした。

石楠花の女性たちに縁庵の名刺を渡し終えた大志は、織部と共に小糸と別れることにした。


「小糸さんのいる美術館って、どこの美術館ですか? 会いに行きたいです」

「はい。駅前の、道路を渡ったところにある場所です」

「そうなんですね。じゃあ、今度の休みに俺たちで会いに行きます。約束ですから」

(俺たちって、しっかり俺も人数に入ってるな)


一瞬顔を顰めたが、小糸の笑顔を見ると胸の中が温かくなった。

その笑顔を与えたことに自分も関わった。

その事実に、心がくすぐったくなってくる。


(……まあ、いいか)


そうして二人は縁庵に戻り、残業の後片付けをして、眠りについたのだった。


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