二話
「あの人? 例の可哀そうな人って」
「そうそう。なんでもいいとこのお嬢様だったらしいけど、何を血迷ったのか平社員と結婚したって人」
「あら~、真実の愛を見つけた! ってやつ? でもそれで子が出来たっていうのにポックリ逝くなんてねえ」
「実家とも縁を切られてるから頼れないし……あのお嬢様はコレから上手くやっていけるかしらねえ。虐待とかしなきゃいいけど」
「他の王子様を見つけて息子置いて逃げたりしてね! キャハハハ!」
「やだーアンタってば酷い~。聞こえたらどうすんのよぉ」
下品な女たちの声を、背後に浴びていた。
父親を亡くしたばかりの母親に気を掛けるどころか、悪感情を持っていたことを、幼い大志は気づいていた。
その息子も同様で女に似た下品な笑みを浮かべながら「可哀そうなお前のお友達になってやろうか?」と言って来た。
大志は生まれて初めて怒りで体が震えることを知った。
大志は震える手を握ったその拳を、女の息子の顔面に向けて叩きつけた。
文句を言いにやって来た女にもありったけの罵声を浴びせた。
母親は大志の肩を掴んで、涙ながらに言う。
「あんなひどいことしちゃだめよ。ひどいこと言ったとしても、人は分かり合えるんだから。誰かを叩いたり、悪口言ったりしたら、悪者になるのは大志なのよ? そんなの悲しいわ」
一瞬止まるが、女は矢継ぎ早に母親を罵った。
やれ「世間知らずなお嬢様はまともに教育も出来ない」、「どうせ私たちのことも息子と一緒に見下してる。血は争えない」などと言って。
大志は花瓶を持って、女のすぐ側の壁に向かって投げつけた。
情けない悲鳴を上げ、息子を抱きながら床に倒れ込む女を睨んで大志は叫ぶ。
「なんでだよ母さん! なんで母さんや俺の事を馬鹿にしてくる奴らと仲良くしなきゃいけないんだ! そんな奴らに媚び売るなんて、負けじゃねえか! 馬鹿にされて、見下されて、それでも友達ゴッコしなきゃいけないなんて……俺は絶対にいやだ!」
談話室を去った大志を、人は避けていった。
大志の目がない内に嫌がらせをする人間がいれば、徹底的に制裁を加えた。
最初はもっともらしいことを言っていた教師も、次第に委縮して彼に関わらないようになった。
そうして中学校に上がったある日、大志は上級生に呼び出された。
どこかの弱虫が泣き縋って復讐を頼んだのか。そう思って身構えたが、違っていた。
「お前すげーじゃん。結構有名だよ?」
「……だからなんすか?」
「でもさ、こんな学校だけじゃなくてさ、もっと派手なことしてみない? 俺、八海連合の一人なんだけど、お前、興味ない?」
八海連合。
この街で有名な若者の集い、いわゆる不良のチームだ。
その昔、地域一帯を牛耳ろうとした暴力団を、若者で結成された自警団が追い出した。その自警団の名前が八海連合であり、現在まで名前が受け継がれていっている。
そんな伝説のある不良たちであった。
大人たちでさえ、八海連合を悪く言う人間はほとんどいない。
大志にとって、この誘いは魅力的だった。
拳一つでこの街にいる大人たちを従わせることが出来る。
誰にも馬鹿にされない。
それは当時の大志が目指すものだった。
だからこそ上級生の誘いを受け、八海連合の門下に下った。
最初こそ楽しかった。
『街を守る』という正当な名目で暴力を振るい、相手を屈服させ、誰からも畏怖される日々。
上辺だけの仲良しゴッコではない、仲間と呼ぶことを許せる存在。
それらを得た大志の日々は充実していた。
だがそれは一夜にして消え去った。
見回りを終えて帰ろうとした大志は、見てしまった。
自分を八海連合に誘った先輩と、生まれて初めて友と呼べた男達が、中年男性を集団で殴りつけ、「おとうさん、おとうさん」と泣き叫ぶ少女を捕らえていたのを。
彼らが口から発する言葉で、これから彼女がどうするかは嫌でも理解できてしまった。
いつも自分に向けてくれている笑顔と同じ顔で、父親から娘を奪い、その娘を貪ろうとする仲間。
今目の前にいる彼らが本物だと、認めたくなかったのだ。
しかし、一瞬強風が吹いて目の前の男達は同時に倒れた。
地に伏したかつての仲間たち、その上に立つ男を大志は知っていた。
常人から首一つ伸びた長身に、服の上からもわかる筋肉。何事にも動じぬ太い眉は見たものに硬派な印象を与える。
八海連合現総長、有田愛助その人だった。
愛助は中年男性を立たせ、娘と共にその場を去らせる。
彼らを見送ってから、部下たちに制裁を加えた愛助は、大志のいた方に歩いてくる。
大志は逃れられない。立ったまま下を向いた。
そんな彼の前に来ると愛助は大志に尋ねた。
「お前、アイツらの連れじゃねえんだろ?」
「……あ……はい。俺、遠くから、見えてて……なんであんな事したのか、わからなくて」
言い訳にしか聞こえない、そんな言葉しか出てこなかった。
いっそ、自分のことも殴ってくれたら大志の気は晴れたのだろう。
だが愛助は何もしなかった。
ただ通りすがりがてら、ぽつりと呟いた。
「……潮時だな」
その一週間後だった。
アジトに少年課の刑事を呼び、愛助が八海連合の解散を宣言したのは。
勿論、暴動は起きた。だが彼らはすぐさま警官に取り押さえられた。
これが、大人と子供の差だ。
自分達が振るっていた暴力など無価値だったのだと知らされた。
屈服させられる仲間だった男達を眺めながら、大志は愛助の言葉にただ耳を傾けていた。
「お前らはお前らで、自分の道を見つけろ」
こうして大志は自分の青春を捧げた場所を失った。
居場所を無くした自分を、母親はただ当たり前に受け入れてくれた。
そんな彼女を見た時、大志はただ涙を流した。
その時だ。真っ当に生きよう。彼女が愛し、自分を育ててくれた父のように懸命に働こうと。
今までずっとしていなかった勉強に努め、なんとか高校を卒業した。
就職活動では何度も落とされてた。
必死に掴んだ学歴を鼻で笑われ、馬鹿にされたこともある。
それでも諦めなかった。
そうしてようやく内定を得た。
……母親が亡くなったのはそのすぐ後だった。
重い病を息子にずっと隠していたそうだ。
胸に大きな穴が開いた。
小さくなった彼女の亡骸を父の隣に並べながら、悲しむ間も惜しんで働いた。
ただ、母が望んでいた真っ当な人間になりたくて。
何度も嘲笑われ、罵られ、それでも戦った。
だがその自分の努力と成果は、たった数名の保身により潰された。
『人は分かり合えるんだから』
(母さん。ごめん。あの日の母さんの言葉、やっぱり正しいとは思えないよ)




