EP_03 現実
記録:安芸製薬襲撃事件 2036年8月16日未明
広島県の山中に位置する安芸製薬の実験施設において、計27体の遺体が確認された。遺体の身元は不明であり、多くが銃器を所持した状態で発見されている。遺体の一部には銃創が認められたことから、施設内で戦闘が発生した可能性が高い。監視カメラの映像はほぼ廃棄されており、事件の詳細は現場検証によって明らかにするほかない。なお、遺体の中には判別不可能なほど損傷が激しいものや、咬傷が確認されたものも含まれていた。また、当該施設からは人体実験が行われていたと推定される証拠品が複数押収されている。押収されたデータの一部は、過去に報告された行方不明者の情報と一致するものが含まれていた。
自分が誰なのか、わからない。 記憶喪失というものは、実際になってみないと理解できない。自分自身に対して気味の悪さを覚える以外、すべてが理解不能というわけではない。言葉は覚えている。
唯一の記憶は、夢のような断片。それも、悪夢に近い。夢か現実か判然としない記憶──血、血、肉片、血。そして、悲鳴。
今も夢の中かもしれない。ソファーに寝かされ、誰かに話しかけられているこの状況は、十分に夢と呼べるものだ。
「目が覚めたか。体の方はどうだ?」
「……少し、気だるいです」
「寝起きだからな。まあ、あれだけのことがあれば当然か」
「……あれだけのこと?」
男は少し黙って、こちらを見つめた。
「……いや、今は無理に思い出さなくていい。というか、あれだけのことがあって、覚えていないのか。記憶はあるか?」
男はメモを走らせた。男は40代に見えた。
「ほとんど……何も」
「そうか。じゃあ、少しずつ話していこう。」
彼は目をこちらに合わせていなかった。
「尋問は1人でやる。悪く思わないでくれ。仲間の中にはあんたを受け入れられない奴もいるんだ。」
「受け入れられないって、私なにかしたんですか。」
男は少し間を置いて、低く息を吐いた。暫く沈黙した後に彼は口を開いた。
「俺たちがあんたを助け出したことは、覚えていないのか?」
「なんか、女の人に助けられた気はしますが……」
「俺たちが救出に向かった作戦の脱出時のことだ。敵に退路を塞がれた。完全に囲まれてた状況に陥った。」
「なんとなく覚えてる気がする......」
「異常があったのはその後だからな。俺達に向かってグレネードランチャーが飛んできたんだ。まともに受けたら部隊の壊滅は逃れられない。そんな状況だった。」
「.....」
唾を飲み込む。
「そんな時、あんたは俺達を庇うためか、仲間を押しのけた。グレネード弾に直撃しちまったあんたは、まともに爆発を受けちまった。」
そんなことがあったのか、唐突な情報に頭が真っ白になる。
「常人だったら、そこで終わってた。肉も骨も、吹き飛んでたはずだ。だが、あんたはVIPERだった。異常な耐性があった。焼け焦げた体は、かろうじて人の形を保っていた。」
彼の声は、どこか震えていた。
自分の体を見下ろす。皮膚は滑らかで、傷一つない。 なぜ後遺症が残っていないのか。なぜ完全に回復しているのか。疑問が次々と浮かぶ。
「その後だ。俺たちは……信じられないものを見た」
男は言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「焼け焦げたあんたが、起き上がった。皮膚が再生していくのが、目に見えて分かった。筋肉が盛り上がり、骨が繋がっていく。まるで、何かが逆再生されてるみたいだった。
あんたは立ち上がった。敵に向かって走った。銃弾を避けながら、壁を蹴って跳躍して、次々と敵を叩き潰していった。俺たちはただ、見ているしかできなかった。
その姿は……何か、とても人間とは思えなかった。」
なんてことだ。
自分はもう、化け物になってしまっていたのか。
血に染まった手を見る。指先は震えていた。動悸は早くなる。
それでも、“誰かを守れた”という感情が、心を落ち着かせようとする。しかし、 人を殺めたという変わらない事実は、胃の奥から酸味のあるものを込み上げさせる。
それでも、体は静かに鼓動を打っていた。 まるで、何事もなかったかのように。
男は話を続けた。
「あんたと俺たちは、一般人とは違う特性を持ってる。糞みたいなギフトだ。異常な運動能力や反射神経などがある。俺たちは被験者を“V.I.P.E.R.”と呼んでる。“Viral Injected Prototype for Enhanced Resilience”の略だ。
あんたの、人間とは思えなかった動きも、それのせいだ。恐らく、死に直面したことで本能が覚醒し、正確無比な判断力とVIPERの特性をフルに引き出せたんだと思う。俺たちはこの状態を“ブラックアウト”と呼称することにした」
男はさらに続ける。
「VIPERの特性には、異常なほどの再生力も含まれている。あの時のあんたほどじゃないが、試してみせようか?」
そう言うと、男は胸元からナイフを取り出し、自分の親指を切り落とした。 目の前で起こっていることが理解できず、唖然とする。
「よく見とけよ」
男は切断面をわざわざ見せてから、ぎゅっと指を断面に押し込んだ。 指は、何事もなかったかのように元どおりに接着された。 にわかには信じられない光景だった。 男はグーサインを出してみせる。
「ほら、元通りだ。見事なもんだろ、これ」
「……痛みはないんですか?」
恐る恐る聞いた。先ほどのショックは抜け切らないが、異常な行動を目の当たりにして、質問せざるを得なかった。
「痛覚が鈍いんだ。最初から。おそらく、実験の影響だろう」
自分の手をまじまじと見つめた。 「人ではないものになってしまったのか」「なぜ自分なんだ」という感情が、込み上げてくる。
これじゃあ、化け物ではないか。
「……あんたが怪物かどうかなんて、正直どうでもいい。話した感じ、そこまでの危険性は感じられない」
しばらく沈黙した後、男は口を開いた。
「仲間があんたを忌避してるのは、あんたが化物じゃないかって疑ってるからだ。だが、あんたは化物なんかじゃなかった。俺達を助けてくれたからなそれは俺が保証する」
思いがけない熱い言葉が、彼の口から飛び出した。
「そもそも、あの施設で俺たちを庇ったんだ。俺たちに、あんたを拒む資格なんてない」
その言葉は、重かった。
「もちろん、簡単な道じゃない。あんたを拒む奴もいる。あんた自身が、自分を受け入れられないかもしれない。あんただって、もう普通の人間じゃなくなっちまった。」
男は静かに続ける
「俺たち、V解放戦線はVIPER同士で助け合っていく組織だ。あんたを拒むことは、組織の意義にも反してる」
男と初めて目が合った。 男は立ち上がり、ナイフをしまった。
「どうだ。俺たちの仲間になってくれないか? 簡単なことじゃないが、俺はあんたを最大限サポートする」
その言葉に、何かが胸の奥に響いた。
自分は、化物になってしまったのかもしれない。
でも、もしそれでも、生きていく資格があるなら。私は....