EP_01 覚醒
息をすると肌と口が蒸しっぽい空気に包まれる。不快な暑さで戦意も削がれていく気がした。口の中がベトつく蒸し暑い熱帯夜は2036年現在は”熱帯”という言葉では事足りないほど容赦なく過酷で、すべてを怠く感じさせる。このサウナのような気候の中、鉛のように重い装備を持ち自分達は山の中を進む。8月16日、自分達は同胞を解放するために広島県の山中にある安芸製薬の秘密実験施設を目指していた。
「そろそろ見えてくるぞ」
仲間達は一同に頷く。見えてきた灰色の無機質な建物を前に、蒸し暑さにやられていた戦意も再び息を吹き返し、さらに強い思いに変わっていく。コンクリート製の不気味な四角柱は自分達にはある種の鳥籠に思え、この様になった自分達のルーツの1つである。
「HQ、HQ、こちらイ部隊。チェックポイントに到着。どうぞ」
「こちらHQ。ドローンの映像からは、警備は見えず、ドローンの映像をゴーグルに送る。そのまま作戦通り。どうぞ」
「了解。」
実験施設は鉄条網付きのフェンスにぐるりと一周囲まれており、監視カメラも何台か見受けられる。
「監視カメラを発見。破壊する。どうぞ。」
「ドローンからの映像でも確認した。破壊、どうぞ」
「やれ」と手で合図を出した。狙撃役は静かに頷いた。.22LR 消音器付きのChiappa Little Badgerで破壊した。この弾は小口径で威力は低いが設備破壊には向いている。
「フェンスをカッターを。」
手慣れた様子でフェンスを切り敷地内へ侵入していく。内部の構造は前に襲撃した実験施設と同じで、同胞たちの居場所もあらかじめ予測はついていた。監視カメラが壊されたことに気づき警備が来る前に、ことを済まして撤収を開始したい。
「こちらイ部隊、施設内に侵入した。どうぞ」
「了解。ゴーグルからの映像に切り替える。経路をゴーグルに送信した。」
「了解」
「監視カメラが壊れているのか?」
「おそらく、そうだろう」
「警備班に確認させるか?」
「待て。念のため、新しく雇った連中に行かせよう」
「過剰じゃないか?」
「すでに複数回、サンプルを奪われている。慎重すぎるということはない」
「止まれ」
人影が見えた。このまま排除し進むのもアリだが研究員であった場合、Vの情報を得られなくなってしまう。深夜にもかかわらず研究員がいるというのは一見おかしなものだが、非合法な実験を行っている者たちにとって、貴重なサンプルの状態を見張るのは特段変な行動ではない。
「こちらHQ、なにか問題か?」
「人影が見えた。対処を思索中だ。」
「排除でいい。Vに関する情報はすでに記録されているはずだ。」
「了解、排除する。」
考えていたよりも強硬な手段を取らせることに仲間たちも驚いたが、研究員であっても、警備員であっても実験の片棒を担いでいるものなら、自分達が引け目を感じる必要もない。引き金を引く。消音器を付けた拳銃のため、発砲音は雑音に紛れる。
「排除完了。」
「了解、そのまま進め。ポイントはもう少しだ。」
「こちら、監視カメラの地点に到着。」
「了解。状態を報告してくれ。」
「監視カメラは破壊されている。加えて、フェンスが切断されていた。」
「侵入者の存在は確実か?」
「高い確率で侵入済みだ。フェンスの切断箇所から追跡を開始する。」
「了解。挟撃態勢を取らせる。接触時は即時対応せよ」
「HQ、こちらイ部隊、ポイントに到着した。」
「こちらHQ、確認した。そのままサンプルたちを起こし、そのまま脱出だ。」
今回の救出対象は男性3人、女性2人の計五人だ。前情報通りで間違いない。
「テープとマッキーで被検体たちにマーキングをしろ」
仲間たちがそれぞれの被検体に識別用のマークを施したあと、ナロキソンを注射していく。あとは覚醒まで待つだけだ。被検体のカバーに1人ずつ、前後の警戒に2人ずつを動員した作戦は中間点を迎えた。14人での脱出は容易ではないかもしれない。気が引き締まる。
耳鳴りが消え、代わりに誰かの声が染み込んでくる。まどろんでいた意識は、急激に現実へと引き戻された。
「W_02、覚醒を確認。」
声が聞こえる。いまだ意識ははっきりとしないが、周囲の状況はぼんやりと把握できる。黒尽くめの人物が5人、自分と同じようにベッドに寝かされている人々も見える。
ここはどこなのか。彼らは何をしているのか。状況を理解しようとするが、何も思い出せない。
そのとき、一つの強烈な違和感が意識を鮮明にした。記憶が、まったくない。
「これが何本かわかる?」
一人の女性が声をかけてきた。彼女はピースサインを作っている。
「……2本?」
「そう。正解、意識がはっきりとしてきたね。」
「これは……なんなんですか?」
「あなた達は記憶を失って、人体実験をさせられていたの。」
あまりにも唐突で、突拍子もない情報に理解が追いつかない。胸の鼓動が早まる。。
「落ち着いて。深呼吸して。話を聞いて。私たちはあなたを助けに来た。これから一緒に脱出する。詳しいことは後で説明する。」
そう説明されると、ベッドから起こされた。
「痛いところや、動かないところはない?」
体の状態を確認すると、少し重い感覚はあるが、異常はなかった。
すると、ハンドガンを手渡された。
「それは自衛用。持っていて。銃の扱いはわかる?」
「……わかりません」
「引き金を引くだけ。反動が大きいから注意。」
おそらく初めて持った銃は、ずっしりとしていて重く感じられた。
「全員、確認は済んだか?これより撤収を開始する。」
隊長らしき男が言った。周りの隊員は忙しなく準備をし始めた。先程の女性に肩を課され、この病院らしき建物からの脱出準備が始まった。
突然、爆発音が鳴り響いた。
「獲物が罠にかかったな。戦闘準備はじめ。」
隊長らしき男は言った。部屋は赤の警告灯が光り始め、サイレンはけた増しく鳴る。隊員たちは戦闘準備に移り、空気が張り詰めていく。
賽は投げられた。