素の自分
「なあ……まだ怒ってるのか?」
「いえ、怒ってなどいません。ただ、あなたのような非常識で下品な人と同じ空間にいることに、不快感を覚えているだけです。」
(やっぱ怒ってんじゃねえか……。)
心の中でそう突っ込みながらも、自分がやらかしたことに関しては、それなりに反省しているつもりだった。
「なあ、本当に悪かったって……。もう二度とああいうことは言わないからさ。頼むよ、機嫌直してくれ。」
あれから俺は、誠心誠意謝るために、お茶を淹れてやったり、面倒な書類も全部代わりに片づけたりしてきた。だが、如月の機嫌は相変わらず斜めのままだ。
(もしかしてこいつ……わざと機嫌悪いふりしてんじゃないか? そのほうが俺が気を遣って、いろいろ面倒事押し付けられるし……。)
「なあ……お前、まさかとは思うけど……わざと機嫌悪いふりしてるんじゃないだろうな?」
「あなたはこの期に及んで、よくそんなことが言えますね。私があなたの発言でどれだけ傷つき、辱められたか……あなたにはわからないのでしょうね。」
如月は冷徹な視線をこちらに向けた。その目は、背筋が寒くなるほどに恐ろしかった。
「そ、そうだよな……ごめん……。」
このままじゃ、如月の機嫌が悪化する一方だと思った俺は、小奈津に助けを求めることにした。
「なあ……あれ、どうしたら機嫌直せると思う?」
俺は如月に聞こえないよう、小声で小奈津に尋ねた。
「えっ、私に聞くんですか? ……それって本当に反省してるんですか? 自分で解決しようとしないあたり、そうは見えませんけど。」
「いやいや、できることはしたんだって。お茶も淹れたし、書類も全部やってあげたんだぞ。」
そう言うと、小奈津は呆れたようにため息をついた。
「な、何だよ。俺の何が悪かったんだ。」
「あのですねえ……まず、あなたは如月ちゃんの性格をわかってないんですよ。あの人は自分で何でも解決したいタイプです。いわゆる“エゴイスト”。そんな人に勝手にサポートしたら、逆効果に決まってるじゃないですか。」
「お、おう……。」
(エゴイスト……そういやそうかも……。)
初めて小奈津の言葉に感心した。
「じゃあ……どうすればいいんだよ。」
「……本当は自分で考えてほしいところですが、如月ちゃんが不機嫌だと私も疲れるので、少しだけアドバイスします。」
「お、おう!」
「エゴイストが喜ぶのは、“承認”です。つまり、褒めること。だからまずは如月ちゃんを褒めることから始めてみては?」
「なるほど……!」
確かに、ポイントを突いてる気がした。
「よし、じゃあ早速……。」
俺は如月の前に戻った。
「なあ……如月って本当に頑張り屋さんだよな。勉強もできるし、スポーツも万能だし、みんなから好かれてるし……ほんと完璧超人だよなあ。」
「……なに、急に。」
「いや別に。ただ、俺が日々思ってることを言っただけさ。」
「……何か知らないけど、虫唾が走るからやめてくれない? 本当に不愉快。」
「なっ……。」
俺は小奈津のところへ戻った。
「全然逆効果じゃねえかよ……。むしろもっと不機嫌になった気がするぞ……。」
「そりゃ、あんなわざとらしく褒められたら誰だって気持ち悪いですよ。」
「じゃあ……どうすればいいんだよ……。」
「……まず、その“褒めてやったぞ”って顔をやめましょう。その顔見てると、吐き気します。」
「ぐわっ……。」
小奈津の言葉に、俺は深く傷ついた。
「吐き気って……そこまでじゃないだろ……。」
「いやいや、結構キモかったですよ。」
「キモ……。」
「……なんだよお前。本当に俺のこと助けようとしてるのか?」
「いや、別にあなたを助けたいわけじゃなくて。如月さんの機嫌を直したいだけですから。」
「じゃあ次の作戦は……あ、逆に悪いところを言ってみる作戦はどうですか。」
「いやそんなことしたらそれこそ怒るだろ。」
「いやいや桧山君。人はね、悪口を言われると不愉快ですが、自分の短所を気づかせてくれた人には信頼と好感を持つものです。そこで“俺が何とかしてやるよ”みたいに頼りがいを見せると、相手はその人に心を許すようになります。」
「そういうもんか?」
俺は言われた通り、実行してみることにした。
(とは言っても如月の悪いところって……。)
「なあ、如月。」
「なに? 今あなたに喋りかけられることが何よりも苦痛なんだけど。」
「いやあの……如月って悪いとこいっぱいあるよなあ。」
「……なんなの? 今度は私に文句を言いに来たの?」
「いやいや違う。ただ直したほうがいいと思うところを伝えたいだけだよ。」
「なにそれ、嫌味にしか聞こえないんだけど。」
「如月って……頭悪いよな。」
「………」
「それだけ?」
「え、まあ……うん。」
「……他にもあるじゃない。冷たいとか、とげのある言葉を使うとか。」
(なんだ、自分でも自覚あんのかよ。)
「いやでも、それって“悪いところ”ではないだろ。それは人間としての一個性であって、如月があえてやろうとしてるわけじゃないし。人間っていうのは、誰しもが一つや二つ仮面をかぶって生きてる生き物だ。それを素直に人に見せられるっていうのは、むしろいいことなんじゃないか。」
「え……。」
その言葉に、如月は少し頬を赤らめた。
「なんだよお前、顔赤いぞ。熱でもあんのか?」
「な、何でもない。」
「そうか。」
「……ちょっと外の空気、吸ってくる。」
「あーあ、出てっちゃいましたね。」
「この策もまた失敗か……。」
「ほんと桧山君は何もうまくこなせない人ですね。」
「なんだとお前。」
「じゃあ次はこの作戦で行きましょうか……。」
生徒会室でそんな作戦会議が繰り広げられている中、如月は外で胸をどきどきさせながら考え込んでいた。
(なんなのよ……この胸のざわめきは……。ちょっと顔も熱いし……本当に熱でもあるんじゃないかしら。でも……なんか嬉しかったな。初めて……素の私をいいって言ってくれた……。)
(ああ、私は何を考えてるの……淑女として、ちゃんとした立ち振る舞いを……。)
そう思いながらも、顔には抑えきれない笑みがこみ上げていた。
そして、生徒会室に戻ると、
「はあ……もうどうでもよくなったわ。さっきまでのこととか……。」
「やあ如月! 僕だよ、変態マスクマンだよ!」
ドアの前には、仁王立ちでパンツをかぶった桧山がいた。
(どうだ如月、絶対笑うだろ……。)
しかし、さっきまで少しにこやかになっていた如月の表情は、一瞬で曇った。
「……やっぱり私はあなたを許さない。」
「え、なんでだよ。ほら、面白いだろ?」
「何その恰好。由緒正しい桔梗学園の生徒会らしくない。もっと生徒会としての自覚を持ちなさい。」
如月は冷たく一喝した。
「は、はい……すみません。」
「なんだよ……これも駄目じゃねえか……。」
「いやいや、結構よかったと思いますよ。あ、ていうかさっきの写真SNSに投稿していいですか?」
小奈津は楽しそうに笑いながら言った。
「ダメに決まってんだろ! 早く消せよ!」
「じゃあ投稿はしないので……この写真、残しときますね。」
「ダメだって!」
そんな言い争いを横目に、如月は静かに思った。
(ほんと……彼は何なのよ。デリカシーがない最低な男なのか、それとも……気遣いができる優しい男なのか……。)
――まあ、ひとまず今回の件は見逃してあげるとしましょう。
その顔には、かすかな笑みと火照りが浮かんでいた。