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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

綺上院野ばらは、殺せない。

作者: 夜風 月音

 僕、百谷(ももたに)かけるは人生のどん底にいる。

 借りているアパートの玄関を出たら、柄の悪い人たちに捕まり、訳がわからないまま車に乗せられた。

 連れて来られた先で、一番偉そうな人ーー鬼村(おにむら)の前に立たされる。


「お前の死んだ父親の代わりに、金を返して貰おうか」


 僕は勇気を振り絞る。

「でも、僕には関係がない話、ですよね……?」

 正直、心臓が止まりそうだ。

「なに言ってんだ。血の繋がった息子だろ? 他人事とか言うなよ」

 鬼村から睨まれた。


 父は、いつも借金の返済に追われていた。

 僕が九歳の時に、母は父と離婚。

 母は僕を連れて田舎の実家へ帰る。

 祖父母は、母と僕を温かく迎え入れてくれた。

 それから約十年、父に連絡したことはない。

 一年前に、警察から電話があった。

 亡くなった父が川で発見された。

 その時、僕は父の死を知る。

 警察は事件の可能性もあると調べたが、父の自殺として片付けたらしい。

 僕は高校卒業後、都会に上京を決める。

 理由なんて単純で、都会に行きたかったから。

 心配してくれる母に、僕は大丈夫だと言った。

 まさか、亡くなった父の借金を肩代わりするとは。

 誰でも、こんな未来は予想できないだろう。

 情報網も、どうなっているのだろうか。


 最悪だ。

 僕は顔から血の気が引くのを感じる。

「一円まで、きっちり返して貰うからな」

「けど、そんな大金、どうやって……?」

 母と祖父母に迷惑はかけたくない。

「おい」

 鬼村はあごで近くの部下に指示を出す。

 部下は頷くと、胸のポケットから一枚の写真を僕に見せた。

 十二歳くらいの少女が写っている。

 目が大きく、髪を二つに結い、着物姿だ。

 嫌な予感がする。

 鬼村が僕に言う。

「こいつは、綺上院(きじょういん)()ばら。裏社会で賞金十億を賭けられている。両親や兄弟はいなく、十歳で当主になった。お前は綺上院の屋敷に使用人として潜り込んで、こいつを殺せ」

「えっ。それって、はんざ」

「意見が言える立場じゃないだろ。お前は言われたことをやればいい。代わりに手筈はしてやってんだ。ありがたく思え」

 胃の辺りが重く感じる。

 気のせいではないだろう。

 こんなことに巻き込まれるなんて。

 小さな包み紙を強引に渡される。

 中身は開けなくても、わかってしまう。

 鬼村の声が耳に響く。


「綺上院野ばらを殺したら、父親の借金は帳消しにしてやる。そうしたら、お前も晴れて自由の身だ」


 ***


 綺上院の屋敷に着いた。

 本当に使用人として雇用されるとは。

 立派な門、高い塀に囲まれた屋敷。

 古風な造りだが、素人目でも職人の技術を感じる。

 庭に生えている松の貫禄と存在感が大きい。

 屋敷を案内してくれる人がいなかったら、迷子になる広さだ。

「この先のお部屋に、野ばらさまがいらっしゃいます。くれぐれも失礼がないように」

 四十代後半くらいの使用人の大先輩ーー水島(みずしま)さんに言われる。

「はい」

 僕は着ているスーツやネクタイを確認した。

 水島さんは正座をする。

 僕も正座をした。

「野ばらさま。新しい使用人を連れて参りました」

「いいぞ。入れ」

 落ち着いた口調が返ってきた。

 障子を開けると、二十畳の和室に着物姿の少女が座っている。

 写真で見た、十二歳くらいの少女だ。

 この子が、綺上院野ばらさま。

 なぜ、賞金十億も賭けられているのだろう。

 水島さんは一礼をする。

「野ばらさま、私は失礼します」

「ありがとう、水島。ご苦労だったな」

 水島さんが立ち去り、僕と野ばらさまだけになる。

 挨拶しなければ。

「はじめまして、綺上院野ばらさま。本日より使用人として仕えさせていただきます。百谷かけると申します」

 頭を下げると、野ばらさまは笑った。

「顔を上げていいよ。かしこまる必要はない。あたしは堅苦しいのが嫌いでな」

 野ばらさまは可憐に微笑んだ。

「ようこそ、綺上院の屋敷へ。あたしは当主の野ばらだ。これからよろしくな、かける」

「よろしくお願いします」

 僕は一礼をした。

 父の借金を張消しするために、この子を殺さなければいけないのか。 


 ***


 二日目。

「ケーキが食べたい。持って来てくれ」

 野ばらさまが言うと、水島さんは一礼する。

「かしこまりました」

 僕もそれに倣った。

 厨房まで行き、紅茶とケーキを水島さんが用意する。

 古風だから、和菓子を食べるのかと勝手に思っていた。

 野ばらさまは洋菓子がお好きなのか。

 使っている食器も高級そうだ。

 落として割ったら大変だな。

 水島さんが僕に話しかける。

「こちらを、野ばらさまにお出しします」

「はい」

「野ばらさまを、あまり待たせないように」

「はい」

 僕は野ばらさまにケーキと紅茶を運ぶ。

 胸ポケットにある、包み紙の中身を紅茶に入れられると思ったが、できない。

 緊張して食器を落としそうになった。

 ケーキを目の前にして、野ばらさまは年相応の表情を浮かべる。

「はわわっ、美味しそうだ。いただこう」

 野ばらさまは食事作法がきれいだ。

 包み紙の中身を入れていたら、今頃この子はーーと想像してしまう。

 自分がしようとした行動を考えて、恐ろしくなる。

 気づくと、僕は野ばらさまに頬を指で突かれていた。

「あ、あの……?」

「かける、大丈夫か? 声をかけても反応がなかったからな」

「申し訳ありません。僕は大丈夫ですから」

 野ばらさまは僕に聞いてきた。

「甘いものは食べられるのか?」

「はい。食べられます」

 いったい、なんの質問だろうか。

「水島、あと二人分の紅茶とケーキを持って来い。三人で食べるぞ。付き合え」

「かしこまりました」

 いつの間にか水島さんがいた。

「用意は僕が」

 言い終わる前に、水島さんは厨房へ行く。

 僕も行こうとしたら、野ばらさまに止められた。

「水島に任せておけ。あいつは甘いものが好きだからな。顔には出さないが、喜んでいるのだろう」

 厨房へ向かった水島さんは、どこか浮き足立っていたような気がする。

「かけるも、慣れないことをして疲れているようだからな。たまには息抜きも必要だぞ」

 年下の少女に気を遣われてしまった。

「あの、僕は……」

 言い淀んだら、野ばらさまは寂しそうな表情をする。

「あたしが一緒に食べたいのだ。迷惑だったか?」

 そんなことを言われたら、断れない。

「ご一緒させていただきます」

「本当か? 一人で食べるよりも、みんなで食べた方が美味しいからな。嬉しいぞ」

 野ばらさまは笑った。

 僕の目的を知ったら、この子はどういう表情をするのだろうか。

 見たくないな。


 ***


 三日目。

「かける、紅茶を淹れてくれないか?」

「はい。ご用意します」

 紅茶を淹れたことなんて一度もない。

 せいぜい、市販のティーパックだ。

 厨房に行って、手探りで淹れてみたが、形にはなった。

 野ばらさまにお出しする。

「ど、どうぞ」

「ありがとう」

 ティーカップを手に取り、野ばらさまは紅茶を口に含む。

 時間が止まったように、野ばらさまは動かなくなった。

「の、野ばらさま?」

 僕が声をかけると、野ばらさまはティーカップを置いた。

「水島。かけるに紅茶の淹れ方を教えてやってくれ」

「かしこまりました」

 いつの間にか水島さんがいる。

 やはり、僕の淹れた紅茶がまずかったのだ。

 失敗した。

「申し訳ありません、野ばらさま。僕が淹れた紅茶はすぐに下げて、別のをご用意します」

「いい」

 野ばらさまは笑わないで言った。

 まずい紅茶を出されて、怒っているのだろう。

 なにも言われないのが、逆にきつい。

 野ばらさまはティーカップに入っている紅茶を再び口に含んだ。

「僕が淹れた紅茶を、無理して飲まなくてもよろしいですよ」

「いい。かけるが、あたしのために淹れてくれた紅茶だ。飲むから、置いといてくれ」

 野ばらさまは怒っている訳ではなかったのか。

 まずい紅茶をお出ししたのに。

 なんで。

「え、っと」

 なにを言うか考えていると、野ばらさまが僕を見た。

「次に紅茶を淹れる時は、もっと美味しいのを期待しているぞ」

「はい。美味しい紅茶をお出しできるよう精進します」

 その後、水島さんに紅茶の淹れ方を徹底的に教わった。


 ***


 僕は何度も野ばらさまの食事に、包み紙の中身を入れようとした。

 脳裏に野ばらさまの笑顔が浮かぶ。

 手が震える。

 額から冷や汗が出てくる。

 出した包み紙を胸ポケットに戻す。

 また、できなかった。

 野ばらさまに食事を運び、彼女が美味しそうに食べる顔を見て思うのだ。

 あんなもの、入れなくてよかった。

 けれど、いつかは実行しなければいけない。

 鬼村は、僕が野ばらさまを殺すのを待っている。

 いつまでも、待ってはくれないだろう。

 引き返せないところに僕はいる。

 逃げることもできない。

 僕は、袋の中にいるネズミだ。


 ***


 綺上院の使用人として潜り込んで、一週間が経とうとしている。

 鬼村から電話がかかってきた。

 暑くもないのに、汗が出てくる。

 震える手で電話に出た。

「……はい」

『一人子どもを殺すのに時間がかかり過ぎだ。なにをもたついていやがる』

「もう少し、待ってください」

『あ? こっちは散々待ってやったんだ。これ以上は待てるかよ』

「も、もう少しだけで、いいですから」

 僕はなにを言っているのだろう。

 時間稼ぎくらいにしか、ならないのに。

『明日までだ』

「え」

『明日までに、綺上院野ばらを殺せ』

「待ってくだ」

 言い終わる前に電話を切られた。

 もう、後がない。


「かける、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」

 野ばらさまに、また心配されてしまった。

 周りのことを、よく見ている子だな。

「使用人たるもの、主人の要望にいつでも答えられるよう、常に万全な状態でいなくてはいけませんよ」

 水島さんにも言われてしまった。

 仕方ないだろう。

 野ばらさまが水島さんを見る。

「水島、もう少しかけるに優しく言えないのか?」

「私は、同じ使用人として助言したのです」

 僕は精一杯笑った。

「大丈夫ですよ。体調に問題はありません。ご心配をおかけしました」

「そうなのか? あまり無理はするなよ。なにかあったら教えてくれ」

「はい。ありがとうございます」

 言えない。

 あまりにも、酷な話だ。

 命を狙われていると知ったら、心に深い傷を負わせてしまう。

 泣いているところを見たくはない。

 笑っていてほしいのだ。

 なのに、僕はそんな子を殺さないといけない。

 明日までに。


 午前は終わり、午後になった。

 残された時間がなくなっていく。

 水島さんは、野ばらさまにケーキを買いに行くように頼まれた。

「百谷くん、私が戻るまで野ばらさまをよろしくお願いします」

「はい、わかりました」

 水島さんは屋敷を出た。

 そういえば、野ばらさまはどこにいるのだろうか。

 お部屋に行ってもいなかった。

 本当に、この屋敷は広過ぎる。 

 前から思っていたが、屋敷にいる使用人が少ない。

 野ばらさまが賞金十億を賭けられているからなのだろうか。

 縁側のところに野ばらさまは座って寝ていた。

 日差しが暖かくて眠ってしまったのか。

 とは言え、このままにしておけない。

「失礼します」

 僕は野ばらさまを布団までお運びする。

 あどけない少女の寝顔だ。

 布団で寝る野ばらさまを見て、気づく。

 今、この場には僕と野ばらさましかいない。

 水島さんはケーキを買いに行っているから、しばらくは帰って来ないだろう。

 目的を果たせる絶好の機会だ。

 この機会を逃したら、次はない。

 寝ている野ばらさまに、包み紙の中身を飲ませることは難しそうだ。

 咽せて、吐き出される可能性もある。

 ならば。

 野ばらさまの細い首を両手で掴んだ。

 力を込めれば、確実に。

 せめて、あまり苦しまないように、早く。

 そうすれば、僕は鬼村から自由になれる。

 実行しなければ。

 野ばらさまは穏やかに眠っている。

 短い間だったけれど、使用人の僕を気にかけてくれた。

 僕に笑いかけてくれた。

 嬉しかった。

 だが、僕は野ばらさまを殺さないといけない。

 ころさ、ないと。

 手が震える。

 力が、入らない。

 無理だ。

 できない。

 僕は、ゆっくりと野ばらさまから離れる。

 正座をして、額が畳につく寸前まで頭を下げた。

「も、申し訳、ありません、野ばら、さま」

 弱々しい声が口から出た。

 謝って許されることではないと、十分わかっている。

 許されないことをしたのだ。

 それでも、本当に実行しなくてよかったと、心の底から僕は思った。

 鬼村の元に後で向かう。

 逃げるものか。

 水島さんが戻ってくるまで、僕は頭を下げていた。

「ただいま戻りました。野ばらさまはお休みのようですね。お目覚めになるまで、百谷くんに頼みたいことがあります。いいでしょうか?」

「はい、今行きます」

 僕は水島さんに言われ、野ばらさまのお部屋を去った。


 ***


 一人になった野ばらは、まぶたを開けた。

 布団の近くに落ちている包み紙を拾う。

 かけるが落として行ったもの。

 野ばらは迷うことなく、包み紙の中身を全て口に含んだ。

「まずい。まずいぞ。こんなものを、かけるに持たせたのか。ーーーーーー鬼村め」


 ***


 鬼村の元に僕は行った。

「やっぱり、僕は殺しなんて、できません」

「そうか。お前も父親と同じで使えない駒だな。だましやすいところも一緒だ」

「まさか……」

「自分がこんなだから、妻と息子に苦労ばかりかけたって。泣きながら、死ぬまでお前らに謝ってたぜ。聞こえやしないのにな。その後、川に捨ててやったよ」

「父さんを殺したのか!」

 鬼村の部下に頬を殴られた。

 血の味がする。

 口の中を切ったらしい。

「今まで、父親のことを放ったらかしにしていたお前が言うのかよ?」

「そ、それは……」

 鬼村の言う通りだ。

 言い返せない。

「優しい俺が、父親に再会させてやる。まあ、お前が本当に綺上院野ばらを殺したところで、結果は同じだがな」

「約束と違うじゃないか!」

 鬼村の違う部下に、今度は腹を殴られた。

 立っていられず、床に膝をつき、咳込む。

 頭上から鬼村の声が聞こえる。

「嘘はついてないぞ? 生きていることから自由にしてやるんだからな。父親のように」

「……っ!」

 鬼村は、げらげらと笑った。

 はじめから、そのつもりだったのか。

 まんまと、だまされた。

 父もだまされて、借金を負わされていたのか。

 鬼村に殺されて。

 父さん、ごめん。

 母と祖父母の顔を思い出す。

 ごめん、一生懸命、育ててくれたのに。

 野ばらさま。

 だまして、殺そうとして、申し訳ありません。


 その時、大きい音を立てて誰かが部屋に入ってきた。

 鬼村は声を上げる。

「なんだ、お前ら!」

 僕は見間違いかと思った。

 こんなところに来るはずがない。

「埃っぽいところだな。お邪魔するぞ」

 野ばらさまが腰に手を当てて立っていた。

 水島さんが斜め後ろにいる。

「綺上院野ばらか。あいつらを殺せ!」

 鬼村は十人の部下たちに指示をした。

 水島さんが野ばらさまの前に立つ。

「野ばらさま、どうなさいますか?」

「好きにしていいぞ。ただし、殺すなよ」

「かしこまりました」

 水島さんは一礼する。

 襲ってくる鬼村の部下たちを、水島さんは素手で気絶させていく。

「す、凄い……」

 呆然としていると、野ばらさまが僕に近寄ってきた。

「かける、大丈夫か?」

 僕は野ばらさまから後退りする。

「こんな危ないところに、なんで来たんですか。僕は、あなたをだまして、殺そうとしていたんですよ」

 普通は怒ったり、泣いたりするだろう。

 野ばらさまは、僕に笑った。


「当たり前だろう。大事な使用人を迎えに来たんだ」


 ああ、眩しくて、見ていられない。

「本当に、申し訳ありません。野ばらさま」

 僕は頭を下げた。

 鬼村は倒れている部下たちに怒鳴る。

「お前たち、一人相手になにを手こずっていやがる!」

 水島さんは、鬼村の部下たちを相手に優勢のようだ。

「おい、百谷! 最後のチャンスをくれてやる! 綺上院野ばらを殺せ!」

 鬼村に名指しされ、僕は野ばらさまを背中に隠す。

「もう言いなりになるものか」

 銃口を向けられる。

「じゃあ、お前から始末してやるよ」

 避けられない。

 水島さんが叫ぶ。

「百谷くん!」

 弾声が響く。

 目の前に野ばらさまがいた。

 いつの間に、僕の後ろから移動したのだろう。

 僕を庇って、野ばらさまが撃たれた。

 小さな体を僕は受け止める。

 野ばらさまは額から血を流す。

 嘘、だろう。

「野ばらさま! 百谷くん!」

 水島さんが来た。

 鬼村の部下たちは、一人残らず気絶しているらしい。

 僕は野ばらさまを見つめる。

「野ばらさまが僕を庇ったから、僕の、せいで」

 水島さんは野ばらさまを見て、眉間にしわを寄せた。

 鬼村の笑い声が聞こえる。

「やった! やったぞ! 十億は俺のものだ!」

 聞いていると、気分が悪くなる声だ。

「百谷、前言撤回してやる。死ぬまでこき使ってやるよ。お前のおかげで、綺上院野ばらを殺せたんだからな!」

 僕は野ばらさまを抱きしめた。

「父さんを殺したばかりか、僕の大事な主人も殺したのか」

「なに言ってんだ。お前も共犯だろ」

「鬼村、絶対に許さないからな!」

「お前に、なにができるんだよ! 惨めに吠えてろ!」


「その言葉、そっくり貴様に返そう。鬼村」


 野ばらさまは目を開けた。

 流れていた血は、傷口に戻っていく。

 額から出てきた弾丸をつまむと、野ばらさまは床に投げ捨てた。

「なかなか、痛かったぞ」

 野ばらさまは無傷になった姿で、立ち上がる。

「心配をかけたな。水島、かける。もう大丈夫だ」

 水島さんは、自分の胸に手を当てた。

「野ばらさまを信じておりました」

 僕は野ばらさまを見つめる。

「野ばらさま、あなたはいったい……」

 鬼村は動揺している。

「どういうことだ? たしかに殺したはず! なんで生きている!?」

 野ばらさまは鬼村に振り返る。

「あたしは不老不死でな。かれこれ二百年は生きている」

「そんな話、信じられるか!」

「別に信じなくていい。だが、私は嘘を言っていないぞ」

 野ばらさまはなにかを思い出した様子で、懐から折り目がついた紙を取り出す。

 どこかで見たことがあるような。

「そうそう。飲んでみたが、この毒まずかったぞ」

 僕が鬼村に渡されて持っていた、包み紙ではないか。

 恐る恐る僕は聞いた。

「なんで、野ばらさまがお持ちで?」

「かける、あたしの部屋に忘れて行っただろう?」

 思い出した。

 水島さんに声をかけられた時、野ばらさまのお部屋に落として行ったのか。

 鬼村は再び銃を構えた。

「こうなったら、体を穴だらけにしてやるよ!」

 野ばらさまは呆れたような表情を浮かべる。

「やれやれ。厄介な男だな。水島」

「かしこまりました」

 水島さんは鬼村の銃撃を避ける。

 鬼村の間合いに入り、銃を奪い取った。

 だが、鬼村は胸ポケットからなにかを取り出そうとしている。

 まずい。

 僕は鬼村に向かって走り出す。

 鬼村は銃を出す。

 まだ隠し持っていたのか。

 銃口を水島さんに向ける。

 水島さんでも避けられない距離だ。

 間に合わない。

 水島さんが撃たれるのが先だ。

 一瞬の隙さえつければ。

「鬼村!!」

 僕は大声を出す。

 鬼村は僕の方に振り向く。

 僕は右手で拳をつくり、鬼村の頬を殴った。

 鬼村は倒れ、気絶した。

 思ったより呆気ない。

 右手が痛い。

 水島さんは無事だった。

「百谷くん、命拾いしました。ありがとうございます」

 僕の隣に野ばらさまが来る。

「かける、やるじゃないか。見直したぞ」

 僕は野ばらさまと水島さんを見る。

「お二人が来てくれたおかげです」


 鬼村と部下たちはその後、警察に逮捕された。

 鬼村には、きちんと罪を償って貰わねば。


 ***


 父方の祖父母に連絡したら、墓の場所を教えてくれた。

 僕は父の墓参りに来た。

 後悔している。

 父のことを知ろうとすればよかった。

 父ともっと話をすればよかった。

 父に会いに行けばよかった。

 鬼村から、父を助けることができたら。

 今も父は、生きていただろうか。

 叶わない未来を想像する。

 でも、時間は戻らない。

 父ともう、話しをすることはできない。

 父を殺した鬼村のことは、ずっと許せないだろう。

 それでも、前を向いて生きなければ。

 できれば、生きていた父に言いたかった。

「本当にごめん、父さん。また来るよ」


 ***


 僕は綺上院の屋敷に行った。

「かけるが気に病む必要はない。鬼村の悪行を止められなかった、あたしにも責任がある。もっと早くに手を打つべきだった。父親のことも、本当にすまない」

 野ばらさまは悲しそうな顔をする。

「野ばらさまのせいではありません。悪いのは鬼村です。それに僕は、父を助けられなかった。もう、父のような人を放ってはいけない。

 僕は、父のように苦しめられている人を助けたい。野ばらさまと水島さんが僕を助けてくれたように。

 お二人とも、本当にありがとうございます」

 僕は野ばらさまと水島さんに頭を下げた。

「顔を上げろ。前にも言ったが、あたしは不老不死だ。

 綺上院の名前は裏社会で知れ渡っている。今回のようなことが、これからもあるだろう。

 かける。それでもよければ、あたしの使用人でいてほしい。もっとも、手放す気はないがな」

「よろしいのですか? 野ばらさまをだまして、殺そうとしたのに」

 僕が言うと、野ばらさまは頬を膨らませる。

「かけるは、あたしの大事な使用人だぞ。信じられないのか?」

「いいえ。僕は野ばらさまを信じております。これからも、仕えさせていただきます」

 僕は一礼した。

 野ばらさまは満足そうに笑う。

「そうか、そうか。よろしく頼むぞ、かける」

 僕は野ばらさまの笑顔を、お近くで見ていたい。

「しかし、野ばらさま。今回の件で賞金の額がまた上がるのでは?」

 水島さんが言う。

 そう言えば、野ばらさまは賞金十億を賭けられている。

 いくら不老不死でも、狙われているとなれば心身に悪いだろう。

 野ばらさまは考える仕草をし、人差し指を立てた。

「いっそのこと、賞金百億まで目指すか!」

 もっと深刻に悩んでいると思っていたのに。

 むしろ楽しんでいないか。

 野ばらさまは、水島さんと僕を見た。

「水島、そろそろケーキが食べたいぞ」

「かしこまりました」

 水島さんは野ばらさまに一礼をする。

「かける、紅茶を淹れてくれ。いいか?」

「はい。ご用意します」

 僕も野ばらさまに一礼をした。

 僕の主人は賞金十億を賭けられた、二百年を生きる不老不死である。


 ***

 

 野ばらは新たな使用人を雇用するべく、送られてきた履歴書に目を通していた。

 ある一人の履歴書で手が止まる。

 地味な見た目で、幸が薄そうな青年の顔写真。

「新しい使用人は、この青年にしようか」

 水島は首を横に振った。

「この者は鬼村の部下だと情報が入っております。考え直されては?」

「いや、相手に乗ってやろう。鬼村は、青年を捨て駒として送ってくるはず。なら、青年を貰ってもいいだろう? こんな純朴そうな青年、鬼村のような男にはもったいない」

「ですが、青年がこちら側に来ない場合もあり得ます」

「それはそれで面白い。昔の水島を思い出すな」

 野ばらは、からかうように水島に言う。

「もう、二十年前の話でございます」

「まだ、二十年前の話だ」

「野ばらさまには、敵いそうにありません」

「当然だ。生きている年数が違うからな」

 再び野ばらは履歴書を見る。

「綺上院の敷居を跨いだ者は、あたしの家族と同じ。この青年を、鬼村から助けるぞ。いいか、水島」

 水島は一礼をした。

「かしこまりました」

 数日後、百谷かけるが綺上院の新たな使用人として訪れる。


 主な登場人物


・百谷かける

 本作の主人公。

 文系です。

 見た目が地味なのを気にしています。

 

・綺上院野ばら

 綺上院の当主。

 見た目は永遠の十二歳。

 かけるの紅茶を飲んだ時「水島がはじめて淹れた紅茶よりもマシだな」と思っていました。


・水島

 綺上院の使用人。

四十代後半。

「かしこまりました」を七回も言わせてました。

 野ばらと出会った時は、口も人相も悪かったです。


・鬼村

恐らく、一番話していた人。


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