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8.愛らしい乙女よ

この十年の人生で初めての目的であり目標ができた。

この目的兼目標が正解なのかどうかは解らないけれど、少なくとも間違いではないと思うから、だから私はとりあえず死なないでい続けてみせるのだ。


だから。


「ごめんね、ベル。私は君に殺されてあげることはできないよ」


牢獄から解放されて数日、戦闘訓練も再開され、へとへとになってベッドで眠っていたところに感じた気配。

ベッドの上であおむけになって寝ていた私にのしかかってナイフを突きつけてくるのは、私の侍女のベルである。

紫色の瞳に、苛烈な雷のごとき光が宿って、ぎらぎらと輝いている。

いつだって可憐に微笑んでいた愛らしいかんばせからは考えられないような、恨み、憎しみ、そして圧倒的な怒りがそこにあった。


「……驚かれないのですか?」

「うん。だってベルが、あの子……“次代様”について口を滑らせたのって、わざとでしょう?」

「あら、お気付きでしたか」

「そりゃああれだけぽろぽろ情報をもらしてくれたからね。それなりの狙いがあるんだろうなって」


ナイフを突きつけられているのに、不思議と恐怖を感じないのは、もっと恐ろしいものを知っているからだ。父上様の氷の矢に比べたらこれくらい屁でもない。

まあそれでも、このナイフで本当に喉を切り裂かれるなり貫かれるなりしたら、私は間違いなく死ぬのだろうけれども。

だからこそ、死ぬわけにはいかなくなってしまった私は、ここで間違えるわけにはいかなかった。

その気になればすぐにでも炎術を行使できるのだけれど、その前にベルが私を殺すほうが早いだろう。

どうしたものかな、死ぬわけにはいかないんだけどな。

そう考えながらベルを見上げ続ければ、彼女は可憐な花のかんばせに、いかにも忌々しげな表情を浮かべる。せっかくかわいい顏なのにもったいないことだ。


「……ぼっちゃまに次代様のことを明かせば、きっとぼっちゃまは次代様をお赦しにならないだろうと思いました。だってそうでしょう? 自分が使い捨ての小石で、本当の掌中の玉が別にいらっしゃると知ったら、きっとぼっちゃまはお怒りになられると思いましたもの」

「それで、私があの子を殺して、私のことも父上様に処理させようとしたって?」

「然様にございますわ。それなのに、ぼっちゃまも次代様もご無事でいらっしゃるなんて。ああもう、腹立たしいったら」

「そう。ごめんね」

「っ馬鹿にしないでくださいませ! どうせわたくしのことなど、小石にもなれない砂利でしかないと思っていらっしゃるくせに!」


いやそんなことはないのだけれど、そう伝えたとしても今のベルには通じないだろうなぁ、と冷静に思った。

うーん、どうしよう。これは困った。

とりあえずできるのは、ただただベルの顔を見上げることだけだ。

そんな私のまなざしは、ベルにとっては言葉にされない疑問のように思えたらしい。

ふふ、と彼女は歪んだ笑みを浮かべる。


「ええ、ええ。ずっと、ずぅっと、わたくし、ぼっちゃまのことが嫌いでした。大嫌いでした。女の身でありながら旦那様の息子として扱われ、ルビーという最高級の一角である宝石を宿して、わたくしには得られない何もかもを手に入れて! ええ、もちろん旦那様のことも大嫌いですとも。次代様のことだって赦せるものですか。みんな、みんな、大嫌いにございます。けれどあの恐ろしい旦那様にわたくしごときが直接手を出せるわけがございませんもの。だから、だからせめて、ぼっちゃまと次代様だけでもと、そう、思ったのに……っ!」


それなのに、と、瞳をぎらつかせながら、ベルは私に顔を近づけ、さらにナイフを喉笛に押し付けてくる。

もううっすらとそこに傷がつき始めているのが解る。あともう数センチで、私の首からは真っ赤な血が噴き出すことだろう。


それはやっぱり困るけれど、それ以上に、私はなんだか、とてもベルのことがかわいそうに思えてしまった。


かわいそうで、かわいいなぁと、思ってしまったのだ。


片手を持ち上げて、そっとベルの頬に触れる。

ひゅっと息を呑む彼女に、私は笑いかけた。


「ベルが私を嫌いでも、私はそれほどベルのことが嫌いじゃないよ」

「な、にを」

「私のことが嫌いなことくらい、最初から解ってた。これでも娼館育ちだからね。周りの感情の機微には敏感でなきゃ生きていけなかった」


私を産んだ人が所属していた娼館は、まだ幼かった私に客を取らせるような真似をするほど腐ってはいなかったけれど、そのほかの雑用はもちろんのこと、お目当ての娼婦を待つ客の酒の相手くらいはさせていた。

周りの大人達のご機嫌が取れなければ、蹴られ、殴られ、食事を抜かれて寒空の下に相手の気が済むまで追い出された。

だからこそ、初めてベルと引き合わされた時、すぐに解った。

あ、このひと、私のことが嫌いを通り越して憎いんだろうなぁと。

何故だろうと思わなくもなかったけれど、気にしたこともあまりなかった。

その答えを今ここで告白されて、なるほど、と納得する。

私が女なのに男として生きているのが、どうやらベルにとっては一番気に食わない事実らしい。

なるほどなるほど、と察するものがある。

つまり。


「ベルも、父上様に、男として生きるか、女として生きるかを、選ばされた?」


問いかけた瞬間、はっきりとベルの顔色が変わった。

それまで興奮で薔薇色に上気していた頬が、サッと青白く塗り替えられる。

射殺さんばかりに私を睨み付けていた瞳が、大きく揺れた。


「な、なに、をおっしゃって……」

「え、だって」


何をも何もなく。


「ベルは本当は、男性でしょう? それなのに女性として振る舞っているのは、あの悪趣味なクソ親父のせいかと思って」

「――――!」

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