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4.地獄のギャロップ

そして、その、数日後。



「…………………………いきてる……」



ただっぴろいだけの自室のベッドで、私は天井を見上げて呆然と呟く羽目に至ったのである。

かっすかすにかすれた声はまるで自分のものではないようだった。

耐えがたい喉の渇きに、ベッドサイドの水差しに手を伸ばそうとして、悲鳴を上げそうになった。


身体は鉛のように重くて、水差しを取るどころか寝返りを打とうとするだけでとんでもない激痛が走る。

なんとか首を動かして脇腹を見下ろすと、ぐるっぐると何重にも包帯が巻かれていて、その包帯にはさらに血がにじんでいた。

すごい、こんなに巻いてあるのにまだ出血してんのか私。しかもその状態でも生き抜いてんのか。すごいな私。


そう、確かに我ながらすごいと思いはする、のだけれども。


「間違えた……」


何がって、生き延びてしまったことが、だ。


いやこれ絶対死んだほうがマシだったのでは? という疑惑があまりにも濃厚である。

気を失う寸前にクソ親父、もとい父上様がなんだかよくわからない不穏な発言をかましてくださっていたような……?

意識がもうろうとしていたせいかほとんど覚えていないけれど、気のせいではなく大いに私にとって都合の悪いことをのたまっていらしたような……気のせいであってくれ……。

などと私が天井をぼんやりと見上げながら考えていたら、ふと扉がノックされる音がした。

向こうは私が目覚めていることに当然ながら気付いていないのだろう。

こちらの返事を待つことなく、扉が静かに開かれる。

そして入ってきた人物は、予想通りの相手だ。


「ベル、おはよう」


かっすかすの声で、寝たきりのまま、なんとかひらりと手を振ってみせる。

その途端、その腕におそらくは清拭用かと思われる大きなボウルを抱えていたベルは、それをそのままどんがらがっしゃーん! と盛大に落としてしまった。

お仕着せの侍女服がびしょぬれである。

大丈夫なのかと思わず瞳を瞬かせると、彼女はそんな私を立ち尽くしたまま、紫の瞳をまんまるにしてこちらをじいと見つめてきた。

うん? と見つめ返した、その次の瞬間。


「ぼっちゃま!」


すさまじい勢いで走り寄ってきた彼女は、そのままベッドサイドに取りすがり、私の手を取った。

あいたたたたた、脇腹、脇腹の傷に響く。

思わず呻くと、ベルは慌てたように私の手を放し、それでも私の側からは離れようとはせずに、ありありと紫眼に涙を浮かべた。


「ああ、ぼっちゃま……! お目覚めになられたのですね、よかった、本当によかった……!」


はらはらと涙を流して微笑む可憐な侍女の姿に、流石になけなしの良心が痛んだ。

まさかここで「いや生き延びたことをちょうど後悔していたところだよ」なんて言えるはずがない。

あいまいに笑い返すけれど、引きつった笑みにしかならなかった。

それでもなおベルは嬉しそうに微笑み、身を乗り出して、自らの額のストロベリークォーツを、私の額のルビーに押し当てた。


「失礼いたしますね」


じんわりと額の石から伝わってくる、ベルの魔力。

それは治癒魔術であると同時に、私の全身状態の精査である。


正直なところ、心地よい感覚ではない。ぞわぞわとなんとも言い難い嫌な感覚が全身を這いまわる。

とはいえこれを拒絶したら困るのはベルだ。ベルは私の侍女で、世話役で、管理人であるのだから。

やがてベルが安堵の吐息とともに、私から身を離して、ようやく落ち着きを取り戻したようにへなへなとその場に座り込む。


「ああ、ようございました……。ぼっちゃまがこのままお目覚めにならなかったらと思うと、ベルは生きた心地がしませんでした」

「……ごめん」


それはそうだろう。文字通りそのままの意味である。

私が目覚めないまま死んでいたら、確かベルもまたその責任を取らされて、あの父上様に命を奪われていたに違いないのだから。

いやほんとあのクソ親父、一度と言わず何百回とそろそろ痛い目を見ればいいのに。

申し訳なさを込めてベルを見つめると、彼女はふるりと頭を振って、改めて私の手を両手で包み込んだ。


「いいえ、謝らないでくださいまし。何一つぼっちゃまが責められるべき非などございませんわ」

「だったら父上様を責める?」

「そんな恐ろしいことなど……!」

「はは、ごめん」


顔を真っ青にするベルはどこまでも大真面目で、冗談にしては質の悪いことを言ってしまったなぁと反省する。

私が相変わらず引きつってはいるけれどなんとか笑ってみせたことで、ベルもいつもの調子を取り戻してきたらしい。可憐なかんばせに苦笑が浮かべられる。


「まったく……、いいえ、でも、その、わたくしなどが差し出がましい口を挟むのは申し訳ございませんが、それにしたっていくら旦那様がぼっちゃまにご期待なさっているとはいえ、今回はあんまりにもあんまりですわ」

「そう?」

「そうですとも。次代様がいらっしゃる旦那様にとってはともかく、このベルにとって、ぼっちゃまはぼっちゃましかいらっしゃいませんのに」

「うん…………うん?」


そうだね、と頷こうとして、ん? と首を傾げた。

身動ぎするたびにまだふさがりきっていない傷がじくじくと痛むけれど、今のベルの発言を聞き流すことはできなかった。


「父上様には、私以外にも、“子供”がいる?」

「え? いいえ、旦那様がご自身の御子として現在認めていらっしゃるのは、ぼっちゃまただお一人です」


それが何か? とベルはことりと愛らしく首を傾げる。

そう、そうだとも。

私にとっては遺憾なことに、現在、父上様が認める父上様の“子供”は私一人だ。

もともとはもっとたくさん、カーバンクルを管理統括するファナーリ家の役目として、もっとたくさんのカーバンクルの子供達を集めていたはずだ。

けれど、私がこの屋敷で暮らし続けた二年間で、どんどん淘汰されたり、他の家に養子に出されたりと、その数を減らし続けたと聞かされている。

おかげ様で私が次代のファナーリ家の当主として擁立されるのではないかと勘繰った輩がイケイケドンドンガンガンダンダンアレソレドレミ、とばかりに私に暗殺者をプレゼントしてくれる、というのは面白くなさすぎる余談である。

そう、ここまでが前提として、その上で聞き流せなかった、ベルの言葉。


「……私以外に、もう、ファナーリ家の次代当主として内定してる後継者がいるんだね?」


一応疑問形にしてみたけれど、ほとんど確信に近い確認だった。

ベルは自らの失言にようやく気付いたらしく、ハッと息を呑んで口を押えるけれど、ごめん、あまりにも遅すぎる。

それでよくもまあこのファナーリ家の侍女としてやってこれたものだ。

まあ私程度の子供の侍女に任命されてしまうくらいなのだから、元よりその治癒魔術以上のものは求められていないのだろう。

そんなベルだからこそ、私は彼女になるべく負担をかけないように努めてきたつもりだった。


「どんな子?」

「え?」

「その、後継者に内定してる子のこと」


聞いて何がどうにかなるものでもない。それでも聞かずにいられなかったのは、私がこんな目に遭っているというのなら、その子はもっと酷くて辛い目に遭っているのだろうな、という同情からだった。

それなのに。


「もちろん、大切に育てられておいでです。お優しく、おかわいらしく、愛らしく、素晴らしい、旦那様が確かにとお認めになられた、至高のカーバンクル。それが次代様ですわ」


ベルは、きっと、その“次代様”とやらに会ったことがあるのだろう。

うっとりと瞳を細め、目の前にいる私のことなんてすっかり忘れ去ってしまったみたいに、夢見るようにベルは笑った。

ファナーリ家に引き取られてからというもの、いつだって私はこんなにもぼろぼろでずたずたなのに、ベルの語る“次代様”は、そんな汚いものなんて何一つ関係ない暮らしを、輝かしい未来を、確実に約束されているのだということが、自然と理解できた。


理解できて、しまったのだ、私は。

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