32.犬のための本当にぶよぶよとした前奏曲
「さっきはよくもやってくれたなぁ!!」
そして始まった極めて一方的な暴行は、まるで嵐のようだった。
リーダー格の男の命令を守って、顔だけは狙わないでくれているが、それにしたって後はやりたい放題好き放題である。
殴り、蹴り、踏みにじり、唾を吐きかけ、嘲り笑う。
私が表情も変えず声を上げないことがよっぽど気に食わないらしく、ますます暴行はヒートアップしていくけれど、誰がお前達のために泣いてやるものか。
私のすべては、カルルのためだけのものだ。
「兄上、兄上っ! やめろ、やめて、兄上ぇえっ!!」
ああ、カルルが泣いている。
リーダー格の男に頭を固定されているせいで視線を逸らすこともできず、泣き叫びながら私に手を伸ばしてくれる。
いいの。いいんだよ、カルル。
こんなの、痛くなんてない。苦しくなんてない。
大丈夫。大丈夫だから。見たくないなら目をつぶって。
何も見なくていいの。
ごめん、ごめんね、こんな姿を見せてしまって。
大丈夫、大丈夫なんだから、何一つ心配する必要なんてないのだから、だからお願い、どうか泣かないで。
だいたいそもそもこの程度、父上様からたまわるありがた~~い戦闘訓練の日々に比べれば本当に大したことないしな。
はははは、まさかここで父上様に感謝する日が来るとは思わなかったわ。
ありがとうございます、地獄に堕ちろクソ親父。
私が悲鳴を上げるどころか、微笑みすら浮かべていることに、余計に男達はいきり立つ。
そろそろ虫の息になり始めた私の胸倉を掴み上げ、いかにも腹立たしそうに、苛立たしげに、男達は唾を吐き散らかしてがなり立てる。
「かっわいくねえな! ああああくそ、なあアニキ! このサークレットが無事なら、何してもいいってことにしやせんか!?」
「おっいいじゃねえか! そうっすよアニキ、そっちのチビほどじゃねえが、こいつはこいつでおキレイなツラしてるし、男でもオレ、イケるっすよ!!」
「なっ!!」
あ、それはさすがの私もちょっと嫌かも、なんて私が思うかたわらで、男達の言葉の意味をどうやら正しく理解してしまったらしいカルルが顔色を変えた。
おいこれちょっと待て、誰だ私のかわいい弟にそういう余計極まりない下世話な話題の理解の仕方を覚えた馬鹿は。
私が表情を変えずとも、カルルのその反応がいたくお気に召したらしいリーダー格の男が、さも重々しく、そしてそれ以上に何よりもいやらしく頷いてみせる。
私の服に男の手がかかって、破り裂かれて、そして。
「――――ははっ! こりゃあいい、お前、女か!!」
「~~~~~~~~~~あにうええええええっ!!」
あらわになった肌と、無理矢理締め付けている無駄な胸の脂肪を見て、男達が笑み崩れる。
カルルの悲鳴が上がって、その悲痛さが気に障ったらしいリーダー格の男がカルルを殴りつけ、倒れ込むカルルを踏み付ける。
――――――――――ぶちっ!
私の中で何かが音を立てて切れて、そのままそれが燃え尽きる感覚がした。
何本もの薄汚い手が伸びてきて、私の額のサークレットを奪って、それが放り投げられて、そして。
「お、まえ、カーバンク……ッがああああああああああああっ!!!!」
「うわ、ひ、あつ、熱っ!! あが、あがああああああああああああああああああっ!!」
「やめろ、やめ、ぎゃ、あああああああああああっ!?!?!?!?」
ほのお、が。
炎が、燃え盛る。
額が熱い。まるで燃えているみたい。
変なの。
燃えているのは私ではなくて、汚らわしい男達のほうなのに。
燃えろ、燃えろ。燃えてしまえ。
そして思い知るがいい。
私のかわいい弟に手を出したことを、地獄の炎に焼かれて後悔しろ。
身の内からあふれ出る炎が止まらない。
何もかもを根こそぎ舐めるように、炎が燃え広がっていく。
しりもちをつくように座り込んでいる私を中心に、炎はいっそ美しいくらいに見事に燃え広がっていくばかりだ。
それをただぼんやりと見つめて、そして、悲鳴を上げたくなって、でも、声にならない。
どうしよう。なんてことだ。だめ、だめだ、カルルが。
意識を失って倒れ伏しているカルルを、巻き込んでしまう。
それだけは駄目なのに、そんなことは誰よりも解っているのに、どうして、どうして、どうして!
どうして私は、炎が抑えられないの。
どうして私は、動けないの!!
カルル、カルル、私のかわいい弟、私の光、私の運命、私が死なないでいられる理由。
お願い、お願いだから誰かカルルを助けて。
私はこのまま燃え尽きたっていい、どうなったっていい、ただただカルルが無事ならそれでいい、それだけなのに、どうしてそんなことすら私は自分で叶えてあげられないの?
「か、る、る」
だれか、たすけて。
そう音にすらできずに呟いた声音に、対する答えは、誰からも得られない。
そう、そのはず、だった、のに。
「――――派手にやっているな」
何もかもがあいまいになっている思考に斬り込んでくる、涼やかな声音。
燃え盛る炎の中ですらなおも上品に、優雅に、まるでそよ風に吹かれているみたいに、そこに立つ、私の“父”。
ファナーリ家当主、グラナート・ファナーリが、気付けばそこにいた。




