30.悪しき世よ、われは汝に頼まじ
私の視線の先で、カルルが思い切りしりもちをついた。
身体能力に長けたカーバンクルが、もっとも自身が活性化する時間帯である夜にそんな失態をおかすことなどそうそうない。
まずい、と思う間もなく、カルルがしりもちをつくことになった原因……そう、カルルの行く手に立ち塞がった、いかにもガラの悪い男達が、にやにやとカルルのことを囲み、見下ろしていた。
「ははっ、昼間っから目を付けてあとを追っていた甲斐があったな!」
「見ろよ、このサークレット。やっぱりいいとこのおぼっちゃんだぜ」
「見たことねえデザインだなぁ。サークレットも、この小僧も、どっちも高く売れそうだ!」
まずい。
転んだ拍子に、カルルが深く被っていたフードが、彼の頭からすべり落ちている。
あらわになった愛らしいカルルの美貌の前に、男達が顔を赤らめて下品な笑みを浮かべている。
そしてその発言から察するに、昼間、町を練り歩いていたときからすでに、この男達によってつけ回されていたことを今更ながらに察知して、自分がどれだけ浮かれていたかを思い知らされる。
――油断した。
いくら楽しくて仕方がなかったとはいえ、他ならぬカルルをあんな奴らの目にさらすなんて愚を、他の誰でもなく私だけは絶対に許してはならなかったのに。
いやでもまだいい、いやいやまったくよくはないが、とりあえず魔封じのサークレットは、まだただの飾りだと思ってくれているようだ。
カーバンクルであるとは思われていない。
ならば。
「――――私のかわいい弟を、気安く見ないでもらおうか」
そんな栄誉を見ず知らずの輩に分け与えてやれるほど、私は人間ができていない。
地面を思い切り蹴って、その足でそのまま、カルルに手を伸ばそうとした手近な男をまず蹴り飛ばす。
悲鳴を上げることすらできずにその場から吹っ飛ぶ男を見送り、呆然と硬直するこれまた手近だった隣の男のみぞおちに拳を入れた。
汚いつばを吐き散らしてそいつが腰を折ったところに、後頭部に踵落とし。
これで二人目。
「お、おい、しっかりしろ! こっちのでかい小僧もこっちのチビの連れなら、高く売れる商品になる! やっちまえ!」
ひの、ふの、み……なるほど、あと四人。
魔力が封じられていようとも関係ない。
そういうときにだって最良かつ最適な対応ができるようにと、魔術なしの戦闘訓練を父上様にアホほど仕込まれたし、“宝石箱”ではリヴァルと何度も同じことを繰り返した。
あの二人に比べたら、たとえ五人のそれなりに屈強な男達だろうが、私の敵ではない。
フードを改めて深く被り直し、三人目、四人目、そしてあとは残すところ二人、となったところで、「うわあっ!?」と聞き捨てならない悲鳴が上がった。
カルルだ。
五人目の目玉を狙って揃えて突き出した指を反射的にぴたりと止めてそちらを見遣ると、カルルが最後の一人によって抱え込まれている。
あばれるカルルを抑え込み、そいつは勝ち誇った下卑た笑みを浮かべた。
「こいつに傷一つでも付けられたくなきゃ、大人しくするんだな!」
「放せ! 僕にさわるな!! あ、あにうえぇ……っ!」
思わず盛大な舌打ちが飛び出した。
いくら戦闘訓練を科されているとはいえ、カルルはまだ幼い。
その体格差を利用されて身体ごと拘束されたら、魔力を封じられている状態では抵抗なんてできるわけがない。
今にも泣き出しそうに愛らしいかんばせを歪めて身をよじるカルルがあまりにも健気で、だからこそ私は、ここで黙っているわけにはいかなかった。
「はは、ほら、あのチビの兄ちゃんかぁ? よくもやってくれたな。ほら、あのチビが心配なら、このまま大人しく……っ!?」
私の目潰しからギリギリのところで逃れた男を、そちらを見ることもなく、懐に仕込んでいた護身用の組み立て式の棍で一閃。
馬鹿め、私が何の準備もなくカルルとのデートに挑むわけがない。
本当なら一番の獲物は槍斧だけれど、さすがにあれは持ち歩けないので、こうして紐で繋げられてバラバラになっている棍のご登場というわけだ。
私に思い切り打ち据えらえ、私に声をかけてきた男は一瞬で意識を飛ばし、残るはカルルを拘束している男一人。
「さて、どうする?」
「ひ、あ……っ!」
びっと棍の先を、残った一人に向かって突き付けると、男は顔を真っ青にして震え上がった。ぱあっとカルルの顔が華やぐ。
「兄上、かっこいい……!」
「ありがとう、その台詞は、きみが私の元に戻ってきてくれてからもう一度聞きたいな。……というわけで」
男が懐から何かを取り出そうとしたところで、構えていた棍を思い切りぶん投げる。
私の手から離れた棍は宙を切り、そのまま男の顔面にめり込んだ。
一拍遅れて、どうっと後ろに倒れ込む男の腕から逃れたカルルが、勢いよくこちらへと走り寄って来る。
「兄上っ!」
「カルル、無事でよか……っ」
た、と。
そう続けるはずだったのに、できなかった。
ガツン、と、思い切り頭を殴られたのだと気付いたときにはもう遅く、自分の身体が傾ぐのを他人事のように感じた。
薄れゆく視界の中でもなんとか背後を振り返ると、その手に近くに落ちていた崩れたレンガの大きなかけらを持ちながら、肩で息をしている男。
しまった、一人隠れていたか。
いくらカルルに気を取られていたとはいえ、完全に私の失策だった。
ああ、どうしよう、しまった、間違えた、また私は間違えた。
そう幾度となく後悔する中で、なすすべもなく、意識が遠のいていく。
「兄上!!」
カルルの泣き出しそうな悲鳴に、答えてあげられないことが、歯がゆくて仕方がなかった。
かくして、私は完全に、意識を手放すこととなったのである。




