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きみは無慈悲な夜の女王 ~リュシオル・ファナーリは間違える~  作者: 中村朱里


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29.あの娘の涙が見えるようだ

私は“男”で、カルルの“兄”で、“ファナーリの申し子”としていずれファナーリ家を継ぐ。

それはもうたとえカルルにだって譲れない私にとっての正解であり事実である。


「さあ、いよいよ時間だ。迎えの馬車との待ち合わせ馬車へ戻ろう」


だからもう、この話は終わりだ。今更覆しようのないものをここで掘り返したってなんの意味もない。


カルルはすっかりうつむいてしまって、ああこれはご機嫌を損ねてしまったかなぁと淡い後悔が胸をよぎる。

せっかく今日という日を楽しく終わらせたかったのに、最後の最後でやらかしてしまった。

それでもなお、それに気付かないふりをして、努めて穏やかな声でカルルに声をかけると、びくり、と一瞬少年の肩が震えて、そして。


「……ゃです」

「うん?」

「嫌です!」

「っ!?」


ぎゅうっと繋いでいる手を握り込まれたかと思うと、そのまま力任せに引っ張り寄せられる。

たたらを踏んで崩れ落ちるようにカルルの小さな身体に飛び込む形となり、思わず息を呑む私をぎゅうぎゅうとカルルは抱き締めてくる。

あまりの力強さに息を呑む私を、かわいい弟は、至近距離でにらみ上げてきた。

透明な膜の張った大きな濃蜜色の瞳が、爛々と怒りと悲しみに燃え盛っている。


「僕はまだ帰りません! ううん、もう二度と帰るもんですか!」

「カルル、それは」

「っ兄上だって! ファナーリのことなんてお好きじゃないんでしょう!? だったら、このまま僕と一緒にどこかに行ったらいいじゃないですか! 大丈夫ですよ、僕、僕だって、僕だって強くなったんですから、ちゃんと何者からだって僕は兄上を守れます、守ってみせます! だから、だから……っ!」


――――――――――だから、と。

そう流れ落ちそうになる涙を必死にこらえ、私の瞳を覗き込み、カルルは懸命に訴えかけてくる。



――ああ、そうだね。



反射的にそう頷きそうになる。あまりにも甘い誘惑の言葉だ。

天使と悪魔が存在するのならば、天使こそ恐ろしい容貌をしていて、悪魔こそより魅力的な容貌をしているのだという、とは、誰から聞いた話だったか。


私を抱き締めてくれているこの子は、はたしてどちらなのだろう。

天使のように優しく、悪魔のような甘言をささやいてくれる、この子という存在は。


このまま二人で、どこまでも行けたら。

ファナーリも何も関係なく、カーバンクルであることすらも捨てて、この子と二人だけで自由に生きていけるのならば。


それはとても、とても幸せなことなのだろう。

そんなことは解っている。

ああそうだね、そうだとも、そうすればきっと私は幸せになれる。


――でも。


「ごめんね、カルル」

「っ!!」


それが決して叶わない夢であるということを、もうとっくに理解させられている。


こんなにもなんだってこの子の願い事を叶えてあげたいと思っているのに、ただ二人で生きていきたいと言ってくれただけのささやかなわがまますら、私は叶えてあげられないのだ。

どれだけ成長し強くなり、未だ“可能性アリ”と判断されたとしても、私は結局、下町の娼館の片隅でうずくまる汚くて無力な子供のままだ。

こんなにもうつくしいこの子に触れることすら、本当なら許されない。


それでもなお、自分から私を抱き締めてくれているその背に手を回そうとしたそのとき、カルルはドンッと私を突き飛ばした。

不意打ちにそのまま背後へと倒れ込むように距離を取る私をにらみ上げ、カルルはぽろりと大粒の涙を流す。


「~~~~っ兄上の、わからずや!」

「ッカルル!」


そのままカルルは、きびすを返して走り出した。

こちらを振り返ることはなく、この展望台から飛び出して階段を駆け下りていく姿に、大変遅ればせながらにして血の気が引く。


カルルの瞳に宿った失望にいくら傷付いたとはいえ、ここでこのままはいそうですかとあの子を見送っていいはずがない。

慌てて私もまた地を蹴って、カルルの後を追う。

小さな背中は、どんどん距離が離れていく。

小柄な身体を活かして上手に人混みを避けているからというわけではなく、純粋に身体能力があまりにも高いせいで、私の足ですらなかなか追いつけない。


身長差ゆえに、足の長さが私のほうが長いからこそなんとか食らいついていられるけれど、疾走するカルルとそれを追う私をなんだなんだと振り返る人々の群れの中、いつまでカルルを見失わずにいられるかは解らない。


――これが、カルルと、私の差?


自分でも驚くほど必死になってカルルを追いかける私の胸をよぎった、その考え。


赤きダイヤモンドのカーバンクル。

本来の正統なるファナーリ家の後継者。

それがカルルなのだとしたら、私なんかよりもすでにもっとずっと最初からありとあらゆる可能性を秘めているのだと考えるべきだった。


あの小さな身体は、もう、とっくに私の能力を追い越しているのかもしれない。

私が守る必要なんてもうないのか。

この手はとっくに必要なくなっていたのか。


――でも。

――それでも。


私はそれでも諦められなくて、カルルの後を追いかけることしかできやしないのだ。


遠ざかろうとする背中になんとか追い縋り続けていると、やがてカルルは、人混みを避けてか、その足でひとけの少ない路地裏を選ぶようになり始めた。

いくらこの国でも特に栄えた町のひとつであるこのファナーリ領でも……いいや、栄えているからこそ、影はより色濃くなる。

すっかり太陽が沈んで夜を迎えたこの町の路地裏がどんな場所であるのか、私は幼いことからよく知っていた。

このままでは最悪……と嫌な予感を感じたところで、気付けばすっかりさびれた暗い道へと入り込んでいて、そして。


「うわっ!?」

「カルル!!」


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