22.どこまでも馬鹿な男
ゴアアアアアッと槍斧の周りを炎が取り巻いた。
その圧倒的な熱量に、早くもカヴァリエーレの水壁が蒸発し始める。
いける。殺す。
槍斧を構え地を蹴り、カヴァリエーレに向かって振り下ろそうとして、そして。
「……どうして抵抗しないの?」
なぜかカヴァリエーレは、攻撃術も防御術も行使しようとはせずに、完全に無防備な状態で、私の前に立っていた。
ぴたりと槍斧を止めたものの、ほんの瞬きの内に今の私はカヴァリエーレを燃やし尽くすことができる。
それなのに、どうして彼は、こんなにも冷静な、覚悟を決めた表情で、私を見つめ返してくるのだろう。
「――――誰にも言わない」
あまりにもまっすぐなその言葉に、毒気が抜かれそうになるところを堪えて、わざとらしく首を傾げ返してみせる。
「それを信じろって?」
「ああ。俺は誰にも言わない。お前が隠しておきたいならば、絶対に誰にも言うものか」
「口ではなんとでも言えるよ」
「ならば契約術に詳しいカーバンクルに依頼して、命を懸けた誓約書を書いてやる。そもそも思い出してみろ、俺はお前の“弟”のことだって、誰にも言ったことがないぞ」
ああ、そういえば、そうか。そうだったな。
“ファナーリの申し子”の“愛する弟”の存在について知っておきながら、一度だってカヴァリエーレは、それを盾に私に無理を強いようとしたことはなかった。
今回の決闘くらいだろう、彼が私に無理を言ったのは。
どうして、と視線で問いかけると、やはり真面目くさった表情で、カヴァリエーレは続ける。
「お前が大切にしているものを、秘密にしておきたいものを、俺は、汚したくない。ダイヤモンドに次ぐ硬度を誇るルビーのカーバンクルともあろう者が、俺ごときの言葉に傷付けられるな、この馬鹿が!」
最後の馬鹿は余計である。思い切り全力で怒鳴り付けられて、なんだかもう、ああ、もう、本当に。
「ふ、ふふっ」
がらん、と。
手から槍斧が滑り落ちて地に転がり、渦巻いていた炎が掻き消える。
驚きに目を見開くカヴァリエーレとベルをよそに、込み上げてきた笑いをなんとか噛み殺……そうとして、失敗する。
「きみはばかだね、カヴァリエーレ」
「っ!!」
馬鹿だ馬鹿だと思っていたけれど、こんなにもここまで馬鹿のお人好しだとは思わなかった。
ああもうだめだ、こんな奴、殺せるわけがない。
ベルがまたナイフを構えたけれど、それを片手を挙げて制する。
「ベル、もういいよ。この様子じゃ、カヴァリエーレは私が女であることを黙っていてくれそうだ」
「ですが!」
「ベル。私が、いいと言っているんだよ?」
「……かしこまりましてございます」
いかにも不承不承ナイフを収める忠義の侍女に苦笑して、自分に向かって炎術を行使する。燃やすためではない。ただ肌に貼り付く衣服を乾かすための炎だ。
ふわりとあたたかな熱風を孕んで一瞬で乾いた衣服を確認してから、ひょいと槍斧を持ち上げる。
そしてそれから、そんな私の様子を未だに何故か顔を赤らめたままじっと見つめてくるカヴァリエーレに向き直った。
「さて、私の負けだ。小包も返してもらったことだし、カヴァリエーレ、きみが私に求める願いごととやらは何かな」
ここまでされたのだから、多少の無理な願いでもなんとかしてみせよう。なんならもうファナーリの権力だって使うことを惜しまない。あくまでも、カルルに害が及ばない範囲に限るけれど。
私が小首を傾げて笑いかけると、ぼぼぼぼぼぼぼぼっとカヴァリエーレの顔がますます真っ赤になる。え、なに。どうしたの。
ついでにベルがまた殺気立ったんだけど、本当に何。
んん? と更に首の角度を傾けてみせたら、ぼそり、と、何事かをカヴァリエーレは呟いた。
だから本当に何。よく聞こえなかった。
「カヴァリエーレ?」
「それだ」
「え、どれ?」
意味が解らない。
じれったさに思わず眉根を寄せると、ようやくカヴァリエーレは、はっきりと、短く呟いた。
「…………なまえ」
「うん?」
「だから、名前だ! 俺のこと、ちゃんと、名前で呼べ!」
それは、思ってもみなかった『願い事』だった。というかそれは本当に『願い事』なのだろうか。
「呼んでいるでしょう、カヴァリエーレと」
「家名じゃなくて、名前だ! その、………リヴァル、と」
え、えええー……。意外だ。そんなことでいいのか。
本当に? 本気で?
そう私が視線で問いかけると、カヴァリエーレは顔を赤くしたまま、こくりと深く確かに頷く。
「……きみは、ほんとうにばかなんだねぇ」
いっそ感心してしまう。
ついしみじみと呟けば、ああほら、もっとカヴァリエーレの顔が真っ赤になる。
すごいな、人間……というかカーバンクルは、ここまで顔を赤くできるものなのか。水明の騎士様とやらはどこに行ったのだろう。
「べ、別に、嫌、なら、別に、無理にとは……」
「ふふ」
うん。仕方ない。ここで私は間違えずに、正解を選びたい。
だから私は笑って頷きを返した。こらこらベル、ナイフをまた取り出そうとしない。
「いいよ。これからはきみをリヴァルと呼ばせてもらおう。せいぜい次も私に勝てるようがんばって」
「~~っそう笑っていられるのも、今の内だけだからな!」
「はいはい」
それは、月がとても綺麗な、夜のことだったとさ。




