16.水の戯れ
ファナーリ家で常に私に付き従っていたベルの記憶力に頼るほうが話が早い。
肩越しに振り返ってベルを見上げると、彼はいつもの貼り付けた微笑みで、「ぼっちゃまのことでわたくしが忘れていることなどございません」とあまり必要のない前置きを置いてから、ちらりと銀髪の美少年をそれはそれは冷たく見つめた。
「ぼっちゃまがファナーリ家にて、旦那様のもとで“試合”した”お相手“の中にいらした小僧ではないかと」
「…………あ、ああー……」
なんだっけ。そうだ、ファナーリ家における戦闘訓練は、父上様によるものだけではない。ファナーリ家にいったん引き取られた他のカーバンクルとの戦闘訓練も頻繁に繰り返されていた。その戦闘訓練で、優れたカーバンクルをふるいにかけて、父上様が使えないと判断したり他の使い道があると判断したりしたカーバンクルは、ファナーリ家から追い出されていった。私がファナーリ家に残っていられた理由はもちろん、私が強かったからである。自慢ではなく事実である。
大体誰も彼もが私にとっては有象無象の、言ってしまえば雑魚と呼ぶのもおこがましいような脆弱なカーバンクルばかりだった。でも、その中で、一度と言わず何度でも、私に勝負を挑んできためんどくさ……もとい、根性のあるカーバンクルがいた。
そのカーバンクルの名前は。
「――――リヴァルだっけ?」
「っ思い出したか! ああ、そうだ、俺はリヴァル。リヴァル・カヴァリエーレが今の俺の名前だ。お前に味わわされた屈辱、俺は一度たりとも忘れたことはない!」
私がうろ覚えの名前を呼ぶなり、喜色をあらわにする銀髪の美少年、もといリヴァルに、「ああそうですか」以外の感想が抱けない。
そういえばいつの間にかこのリヴァルとかいう少年もファナーリ家からいなくなっていたな。それがここでどうして再会するに至ったのだろう。
そんな私の疑問は、私のことをよく知るベルにはきちんと伝わっていたようで、彼は相変わらず冷たくリヴァルとやらを見つめながら続ける。
「ぼっちゃまには及ばないカーバンクルとはいえ、リヴァル様は優秀なカーバンクルでございます。旦那様がその有用性に目を付けられ、リヴァル様はカヴァリエーレ伯爵家に養子に出されたと伺っております」
「へえ」
カヴァリエーレ伯爵家と言えば、武功で名を馳せる名門貴族だ。
そこに養子に出されたということは、このリヴァルとやらはそれなり以上に実力があるということなのだろう。
ファナーリ家で使い潰されるよりはよっぽどいい暮らしが約束され、その通りに育てられたように見える。そんなリヴァル・カヴァリエーレとやらが、今更私に何の用だと言うのか。
ファナーリ家とカヴァリエーレ家の仲は特に悪くはないはずである。というかそもそもこの国でファナーリ家に盾突く恐れ知らずなんていないのだけれども、その上でそのファナーリの“嫡男”である私にこうもあからさまに敵意をむき出しにしてくるこのリヴァルとやらはなんなのか。
相手にしてもしなくても面倒くさそうでものすごく嫌なのだけれど、とりあえず話を聞こう。人間には言葉があるのだ。カーバンクルは半分しか人間ではないけども。
というわけで、どうぞ。そんな気持ちを込めてリヴァル・カヴァリエーレを見つめると、彼はごくりと息を呑んでから、ギッと私を今まで以上に強くにらみ付けてきた。
「お前さえいなければ、俺がファナーリの後継者になれたんだ。この“宝石箱”で、お前を倒せば、今度こそ俺はグラナート様に認めていただいて、改めてファナーリに迎え入れてもらえる!」
ははあ、なるほど。解りやすい説明をありがとう。父上様の本性を知らない輩の典型的な口上である。
私を倒す、ねぇ。確かに父上様がお気に召しそうな案件だ。あのひとは私に嫌がらせするのが趣味みたいな方だからな。でも。
「倒すも何も、まず入学試験で、きみは私に負けているでしょう」
「っ!!!!」
なにせ私は主席である。リヴァル・カヴァリエーレも、かつてファナーリに属し、今はカヴァリエーレの者として、それなり以上には優秀な成績を納めたのだろうけども、それでも私には及ばなかったという事実がここにある。
背後のベルが「わたくしのぼっちゃまですもの」と誇らしげに胸を張り、リヴァル・カヴァリエーレの顔色がますます真っ赤になった。
周囲のカーバンクル達が戦々恐々と私達のやりとりを見守っている。入学式からいきなりとんだゴシップが広まりそうだ。ファナーリ家の嫡男として入学した以上、目立つのは不可避だとは理解していたつもりだけれど、こういう目立ち方は想定外だし不愉快である。
相手にするのも馬鹿馬鹿しい。ちらりとベルを見上げると、彼は微笑んで頷きを返してきた。うん、だよね。
「お、おい! どこへ行く!」
ベルを連れて踵を返して歩き出した私の背に、驚きと怒りが入り混じる声が追いかけてくる。どこへ行くも何も、もちろん当初の目的通り、寮の私室だ。
荷物の整理もしたいし、何よりもとりあえず一息つきたい。自分の立場も理解していない馬鹿の相手をしている暇はないのだ。
カヴァリエーレ家としても、ファナーリ家の嫡男に自らの家の子供が牙を剥こうとしたとなれば問題になるだろうし、ここはお互いになかったことにするのが一番だろう。
だからこそさっさと立ち去ろうとしたというのに、馬鹿はどこまでも馬鹿だった。
「っこのっ!! 喰らえ!!」
――――ゴォッ!!
ぶわりとリヴァル・カヴァリエーレの魔力が膨れ上がるのを感じて、まだ何かあるのかと振り返れば、そこに巨大な龍のごとき水流が生まれていた。
周りのカーバンクル達が悲鳴を上げる。リヴァル・カヴァリエーレは高圧的な笑みを浮かべて、その手を私のほうへと向けた。
「はは! これで俺の勝ちだ!」
勝利を確信した声音とともに、轟音を上げて水流が私に向かってくる。
ベルが血相を変えて私の前に出ようとしたけれど、それを制して、私は片手を挙げた。
「――――――――――手緩い」
――――ゴアアアアアアアアッ!!!!
私の手から生まれたのは、水の龍すら飲み込む巨大な炎の鳥だ。羽毛のように火の粉をまき散らし、悲鳴のように美しくさえずって、炎の鳥はその翼でもってすべての水流を受け止め、蒸発させる。
爆発的な水蒸気で周囲が満ちてもなお炎の鳥は消えず、そのままそのくちばしからけふっと煙を吐き出して、呆然と立ちすくんでいたリヴァル・カヴァリエーレという名前の馬鹿を真っ黒な煤まみれにする。ついでにその勢いに負けて尻餅をつく馬鹿にはもう用はない。
私が再び歩き出すと、周囲が顔色を青どころか土気色に変えて、さああああっと道を開けてくれる。あーあ。入学式から早速、私は。
――間違えたなぁ。
でもこれは私だけのせいではないのだと思うのだけれど、やりすぎではあったのかもしれないと後悔して、ついでに一応反省もする。もしかしなくてもこれは後で罰則がつくのだろうか。そう考えるとますます憂鬱だ。
――カルルに会いたい。
早くもホームシックになるだなんて、私もまだまだだ。こんなんじゃあの子を守り、あの子の代わりにファナーリを背負うなんて夢のまた夢。
でも、夢で終わらせるものか。私はこの“宝石箱”を制し、必ずファナーリのすべてを手に入れる。そのための第一歩として犠牲になってくれた馬鹿、もといリヴァル・カヴァリエーレには感謝しよう。もう関わることは、ないだろうけれど。




