14.愛の賛歌
相変わらず勝手な御仁である。本棚の角に足の小指をしこたまぶつければいいのに。
「ぼっちゃま! お待ちしておりました。旦那様はなんと……?」
待ってなくていいと言ったのに、律儀に扉の前で待っていたらしいベルが、不安そうに私のことを出迎えてくれた。
その顔を見て、自分の肩から力が抜けるのを感じた。悔しいことに、未だに父上様の前では緊張してしまう自分がいる。情けないことこの上ないけれど、八歳のときからびっしばっしと拷問のような躾を施されていたらそりゃあ誰だってこうなると思う。ということにしておく。
それよりも今はベルだ。私が父上様に何を言われたのかを、今か今かと教えてもらいたがっている彼に向って口を開く。
「“宝石箱”に入ることになったよ」
「!」
「ベルも連れて行っていいって」
「!!!!」
すごい。一瞬で絶望に染まった顔が、これまた一瞬で歓喜に塗り替えられた。
本当に表情が豊かになったなぁと感心していると、ベルはこれ以上ない笑顔で、私の手を取り、その場に膝をつく。
「“宝石箱”でも、わたくしベルは、ぼっちゃま……リュシオル様のためだけのベルでございます」
うーん、重い! と思っても言わないだけのなけなしの良心は私にもある。
苦笑いで「よろしく」と続ければ、「はい!」とベルは薔薇色に染めた頬で満面の笑みを浮かべてくれた。
とりあえずベルはこれでいい。問題はもう一人だ。
「嫌です!!」
いつものように示し合わせたカルルとの逢瀬にて、彼に私が“宝石箱”に入ること、そのまま寮生活となるので当分カルルとは会えなくなることを伝えた途端、私のかわいい弟は血相を変えて叫んでくれた。
想定以上に鬼気迫る勢いである。あまりの勢いに圧倒されて思わず口を噤めば、カルルは身を乗り出して私の顔を覗き込んできた。
「嫌です、駄目です、絶対許しません! 兄上は僕と一緒にいるんです! “宝石箱”なんて、寮に入るなんて、絶対絶対ぜえええええったい! 僕は認めません!!」
「えええ……」
そうは言われましても。いや、そこまで慕ってくれているのは嬉しいし、私だって他の誰でもないかわいいカルルのお願いならどんなことだってかなえてあげたい。
だがしかし、だがしかしなのだ。こればかりはどうしようもない。
「ごめんね」
私が行かなくては、カルルが代わりに“宝石箱”に行かなくてはならなくなる。
あのクソ親父、カルルを引き合いに出せば私が絶対に後に引かないことを見越してあそこでカルルの名前を出したに違いない。
ベルから聞いたところによる“宝石箱”は、見事なまでの序列制らしい。より美しく輝く宝石のカーバンクルほどもてはやされ、“屑石”はその真逆。
――地獄でした。
と、ベルはにっこり笑顔で言い切ってくれた。ちなみにその後で「でもそのおかげでぼっちゃまの物になれたのですから、結果的には万々歳でございます」と続けた彼は以前よりも随分としたたかになったものだと思う。
話はずれたけれど、とにもかくにも、そういう意味では、カルルが“宝石箱”に入ったとしても、問題はないことくらい解っている。なにせカルルの石はダイヤモンドだ。至高のカーバンクルの名にふさわしい赤の輝きを前にしたら、誰もが膝を折るに違いない。
それでもなお私がカルルを押しのけて“宝石箱”に入るのは、ただの私のわがままであり自己満足だ。カルルに余計な汚れをつける可能性のすべてを潰したいだけ。
だからこそ、譲れない。
私の謝罪に、敏くて賢いかわいい弟は、私がもう絶対に譲らないのだということに気付いてくれたらしい。
大きな濃蜜色の瞳に見る見るうちに涙がたまり、けれどそれが流れる前にぐしぐしと瞳を袖口でぬぐう。そうして彼は、がつっと勢いよく、額のダイヤモンドを私の額のルビーにぶつけるように押し当ててきた。
痛みよりも衝撃に驚いて目を瞬かせる私の瞳を間近から覗き込み、カルルは涙で濡れる瞳で続ける。
「手紙を書きます。だから兄上も、手紙をください」
「うん」
「絶対、ぜったいですからね。約束ですよ」
「もちろんだよ」
「……僕のこと、忘れたら、絶対に許さないんですからね」
それこそまさかという話なのに、カルルがあまりにも大真面目なものだから、笑い飛ばすこともできやしない。
だからその代わりに、両手で間近にある美少年のやわらかな両頬を包み込んで、意識的に額のルビーを改めてカルルのダイヤモンドに押し当てる。
「絶対に、忘れない。私はずっと、ずっと、カルルを忘れないし、ずっとずっと、カルルのことを愛しているよ」
それは約束であり宣誓だ。
誰よりも何よりも私はカルブンクスル・ファナーリを愛している。この子のために死なずにいよう。この子に私のすべてをあげよう。
愛してる、私のかわいい弟。愛してる、私の運命。
これだけは決して間違いではない、私の人生の正解。
とうとう涙をこらえきれなくなったカルルがそのまま勢いよく抱きついてきたので、私はそれを全身で受け止めて、改めて覚悟を新たにしたのだった。




