13.ムジカ・ポエティカ
「……でも」
「うん」
「兄上が、姉上じゃなくて、兄上でよかったって、思ってるんです」
「…………うん?」
それはまたどういう意味だろう。
私にファナーリ家を押し付けられるから、とか? それこそまさかだ。私も父上様も誰も彼も、まだこの子に、ファナーリ家の後継者問題について語ってはいないのだから。
これはあれか、普通に『姉』ではなく『兄』が欲しかったからとか? それにしては私のことを幾度となく『姉』と呼び間違えがちだ。
ううん? だからどういう意味だ。その真意を問うべく「カルル?」とささやくと、彼はますます顔を赤らめて、もじもじと身をよじった。うわかわいい。
「だって兄上はお綺麗だから、もしも兄上が姉上だったら、すぐにどこかに嫁がれてしまうに決まってます。だから、兄上が兄上でよかったって、僕、思ってるんです。兄上が兄上だったら、ずっと一緒にいられるでしょう?」
「……!」
なんてことを言ってくれるのだろう。かわいい。かわいすぎる。カルルのこの言葉だけで、自分が『男』を選んだことが正解だったと確信できる。ああそうだ。私は、あのとき、間違えなかったのだ。
「うん。うん、そうだね」
そっとカルルの小さな背中に両腕を回す。初めて出会ったときよりも大きくなった、それでもまた小さな、頼りない背中。
「一緒にいようね。私がカルルを守るよ」
「僕だって、兄上を守りますからね」
同じように私の背中に両腕を回してくれたかわいい『弟』に、少しだけ泣きそうになったことは、誰にも言えない秘密である。ちなみに微笑を浮かべつつもまとう雰囲気がいかにもイライラとしたそれだったベルには気付かれていたっぽいので、秘密になりきれない秘密と言ったほうが正しいのだろう。
そんな日々が、気付けば私の日常になっていた。どれだけ痛くして辛くて苦しくてしんどい訓練も、カルルに会うだけで何もかもが報われた。
カルルを守る、と言いながら、結局、この心はカルルの笑顔によって守られていた。そんな自分の本心になんて、とっくに気付いていたとも。カルルに会うたびに、この子を守りたい、この子を守るのだと息巻いて、ずっと一緒にいようね、なんて口約束を繰り返して。
そんな日々がいつまでも続くはずがないことくらい、解っていた。
そしてその終わりは、やっぱり唐突に私のもとに訪れたのである。
「――――――――――“宝石箱”?」
たった今言われた台詞をそのまま反芻すれば、私のことを例によって例のごとく急に呼び出してくださりやがった父上様は、いつも通りに優美に笑って軽く頷きを返してきた。
「ああ。若いカーバンクルを集め、教育を施し、互いに研磨させ、カーバンクルを“完成”に導くための育成機関だ。“宝石箱”とは、言い得て妙だろう?」
「……」
肯定も否定もしにくい問いかけである。
わざわざ説明されなくとも、“宝石箱”が何たるか、くらい、私も知識として知っていた。繰り返すまでもなく父上様の言う通りの施設であり、簡単に言えば、カーバンクルのための全寮制の学園である。
言うまでもなくファナーリ家が統括している施設であり、カーバンクルはある程度の年齢に達すると誰もが“宝石箱”に入学し、そこで優秀な成績を治めれば、文字通りの“宝石”として、輝かしい将来が約束される。
逆を言えば、優秀な成績を残せなかった“屑石”は、多くが使い潰され、使い捨てられ、最後には戦場の最前線送りになる、というのが通説である。
で、その“宝石箱”の話題が、なぜ今ここで提示されたのか。嫌な予感は、父上様が笑みを深めたことで確信に変わった。つまり。
「私も、“宝石箱”に入学する時がきたということですね」
「察しがよくて何よりだ」
にこやかに父上様は頷くが、こちらとしてはそうやって褒められてもまったく嬉しくはない。
いや、解っていたことではあるのだ。遅かれ早かれいずれ、私もまた、未完成の若いカーバンクルとして、“宝石箱”に放り込まれることになるということくらい。
思ったよりも遅かったな、と思いつつ、素直で正直な感想を言わせていただこう。
――心の底から嫌すぎる。
自慢ではないが、私はもうその辺のカーバンクルとは比べ物にならないほど完成に近づいているという自覚がある。
誰のおかげかって? ああはいはいそうですとも、クソ親父のおかげですとも。
座学も実技も徹底的に仕込まれ、身体は毒物に浸り、あらゆるマナーを完璧にしてきた。
そんな私が今更“宝石箱”になぜ入らねばならないのか、極めて理解に苦しむといったものだ。父上様とてそれが解っているだろうに、どうして。
そう視線で問いかけると、彼は視線をすがめて肩を竦めてみせた。
「私の“秘蔵っ子”をお披露目しろ、と、王家も“宝石箱”の上層部もうるさくてな。まあお前が断るというのならば、カルブンクスルを……」
「私が行きます」
「よろしい。手続きを済ませておく。“宝石箱”にはベルも連れていけ。あれも一応“宝石箱”出身だからな。いないよりはマシ程度には役に立つだろう」
はい、と答えつつ、内心で小さく驚きを覚える。ベルを連れていってもいいのか。
私がファナーリ家ゆかりのカーバンクルだから許されるのか、それとも高位貴族のカーバンクルは皆そういう風に従者付きで入学するのが常識なのか。
まあどちらでいいか。ここ三年間のベルの様子を鑑みるに、私が“宝石箱”に入ると知ったら、何が何でも是が非でもあらゆる手を使ってでもついてきそうだし。面倒ごとが減って助かった。
「リュシオル」
「はい」
「私のあとを継ぎ、ファナーリのすべてを背負うと言ったな」
「はい」
「まだそのつもりか?」
「はい」
味もそっけもない短い肯定しか返していないけれど、私の本気は父上様には伝わっている。
彼はくつくつと喉を鳴らして嗤って、椅子から立ち上がり、私の前までやってきたかと思うと、いつぞやと同じようにがちりと私のあごを掴んで持ち上げた。
金色の瞳、額の青いガーネット。異端にして最強のカーバンクル、グラナート・ファナーリは、そうして自らの額のガーネットを、私の額のルビーに押し当てた。
愉悦のにじむ金色の瞳が、すぐそこにある。
「ならば“宝石箱”を制圧しろ。一切の追随を許さず、“宝石箱”の頂点に立て」
「はい」
「ハ、躊躇いもなければ怖気づくかわいげもなしか」
それでいい、と、にんまりと嗤って、父上様は私を解放し、ひらりと片手を振って私を執務室から追い出した。




