10.女の愛と生涯
「ごめんね。ベルがあの子のことを教えてくれたから、私は死ねなくなってしまったよ」
あの子にクソったれたファナーリの闇を背負わせなどするものか。
地獄に堕ちるのは私だけでいい。あの子は何も知らないままでいい。
ああ、そうだとも、私はあの子について何も知らない。名前すらも。
それでもあの子の輝きに、私は地獄に差す光を見た。
私のカーバンクルとしての特性は炎だ。その炎にずっと焼かれ焦がされてきた人生だった。
それでもなお、天国の光に憧れていたことを、あの子の輝きが思い出させてくれた。
だから私は、あの子の輝きを曇らせるすべてを赦さない。
あの子はあの美しい輝きをまとったまま、ただ笑っていればいい。
ぐきり、と更にベルの首にかけた手に力を籠めると、ひゅうひゅうと彼の喉が鳴り始める。
これでは意識が飛ぶな、と思って改めて力を緩めると、ごほごほと彼はむせ返る。
ひゅ、ひゅ、と喉を鳴らしながらも、彼は自嘲の笑みを浮かべて私を見上げた。
「失敗でしたわ。どうせいつ死んでも構わないなんて傲慢極まりないことを思っていらしたくせに、今更ぼっちゃまはそんなことをおっしゃるのですね」
「そうだね。ごめんね」
「謝らないでくださいまし。さあどうぞ、わたくしにとどめを。どうせここで生き延びても、旦那様にはすぐに知られることでしょう。でしたらわたくしは、ここで殺され、ぼっちゃまのかすり傷にでもなった方がまだマシですわ」
そうして全身から力を抜いて微笑むベルは、いつも通りのベルだった。
穏やかで可憐な、私の侍女だった。
流石長年周囲を完璧な侍女として欺いてきただけある。
最期の嫌がらせとしてこれ以上なくふさわしい姿もないだろう。
よっぽど私、嫌われていたんだなあと感心してしまう。
私が今まで彼女、ではなくて彼にかけてきた言葉も、態度も、何もかも間違えていたのかもしれない。
だとしたら、なおさら、今ここで私は間違るわけにはいかなかった。
片手はベルの首を固定したまま、そこに意識を集中させる。額のルビーが輝くのを感じる。
それをまぶしげに見上げてくるベルを見下ろして、そして。
「――――ッあっ!」
じゅ、と。人間が焼ける鼻に付く臭いとともに、ベルが短く悲鳴を上げた。
構うことなくようやく手を放せば、ベルが信じられないものを見る目で私を見上げていた。
「な、にを」
「首輪」
「え」
「首輪を付けさせてもらった。死にたくないんでしょう? だから女を選んでまで生きてきたんでしょう? いいよ。生かしてあげる。だからこれからはクソ親父ではなくて、私だけのベルになって」
「…………は……?」
ベルの白い首にくっきりと残る、私が残した火傷の痕は、文字通りの首輪だ。
透けるように綺麗だった肌に痛々しい痕を焼き付けてしまったのは若干悪いなぁと思わなくもないけれど、これだけはっきり所有権を主張してやれば、誰だって、流石にあのクソ親父だって、ベルが誰のものなのか理解していただけることだろう。
「私には私だけの駒がいる。あの子のために、私を絶対に裏切らない、優秀な駒がね。その最初の駒として、ベル。私はきみがいい」
「……わたくしは、ぼっちゃまを殺そうとしたのですよ?」
「うん、そこもいい。私があの子の邪魔になるときに、改めて私を殺してね」
「そ、れに、したって、どうして、わたくしが……」
「私がベルを嫌いではなくて、ベルは私と父上様に対する反骨精神を持ってて、ちゃんとかわいくて、それからそれ以上に、ちゃんとかっこいいから?」
「……!」
見る見るうちに、紫の瞳が見開かれていく。
私が首を絞めているわけでもないのに、まるで空気を求めるようにベルの可憐な唇がはくはくとあえいで、そして彼は、ようやく「……かっこいい?」と私の台詞を反芻する。
「わたくしが、かっこいい?」
「え? あ、うん。かわいいとも思ってるけど、それ以上にかっこいいなって思っていたよ。あの父上様の側にいるのに私に敵意バリバリなところとか」
一応父上様の“息子”扱いの私に対する悪意、気付いている人はほぼいなかっただろうけれど、間違いなく父上様は気付いていたに違いないし、なんならそれを面白がってたなあの人。
ベルだって、気付かれていないとは思っていなかっただろう。
それでもなお私に対して憎悪を抱き続けたその根性、なるほどグッドジョブである。私としてはけっこう好ましい。かっこいいなあと心から賞賛に値する。
そういうところかな、と私が小首を傾げてみせれば、ベルは呆然と私を見上げ続けていたかと思うと、ぼぼぼぼぼぼぼぼっと顔を真っ赤にした。
え、なに?
「わたくしが、かっこいい……」
「え、あ、うん? そうだね、だからかっこいいと思ってるって言ってるんだけ、ど……」
それがどうした、と思う間もなく、ベルは自由になったままになっている両手で顔を覆って、何やら唸り出した。
もしかして地雷を踏んだ? と私が訝しむ間もなく、がばりとベルが起き上がる。
彼の上にのしかかっていたはずの私はころんと軽やかにベッドの上にまた転がる羽目になった。
しまった、体重の差とか性別の差を考えたら、こうなることは目に見えていたのに。油断した。
今度こそ殺るしかないか……と炎を生み出そうとして、私は目を見開いた。
「ベル?」
ベッドから降りたベルが、その場に跪いている。
侍女としての立ち振る舞いではなく、まるで騎士のような跪き方だ。ぱちぱちと瞳を瞬かせると、彼は深く頭を下げたまま、ようやく口を開いた。
「このベルは、ぼっちゃまに……いいえ、リュシオル・ファナーリ様に、永遠の忠誠を誓います。たとえ旦那様に何を言われようと、何をされようと、この身はすべてリュシオル様のためだけにございます。どうか、お許し願えますか」
「……うん?」
何がどうしていきなりその結論に至ったのか。
こちらにはさっぱり解らないけれど、非常に私にとって都合のいいことを言ってくれているのは確かなので、私はベッドから起き上がり、ベルの前で腰を折る。
彼のあごに手をあてがって持ち上げて、そのまま額のルビーを、ベルの額のストロベリークォーツに押し当てた。
「許す」
たった一言そう告げると、ベルは泣き出しそうに、本当に嬉しそうに、頬を薔薇色に染めて微笑んだ。
「これよりわたくしのすべては、リュシオル様のものにございます」
恍惚と笑みを深めたベルは、そのまま深く頭を下げた。
本人に伝えたら怒られそうだけれど、ベルは性別を間違えてきたのではなかろうか、なんて思いつつ、とりあえず頷きを返す。
――もしかして、なんか別の意味で、私は間違えてしまったのでは?
なんとなく不穏な予感が胸をよぎったけれど、気付かないふりをすることにした。
かくして私は、一つ目の私だけの駒を手に入れたのだった。
そう、すべては、あの子のために。




